175話『災厄魔獣、撃進』
11月1日、最近悪夢いっぱいでしんどいから休むぅ……
――――イリスが夢で驚異を知った時点から12時間ほど前、遠く場所で。
かつて日本がまだ国家として機能していたころ明石と名付けられた周辺は、ワンダフルワールドにおいては各方面を結ぶ主要都市として栄え、今もその名を残している。
東側へは旧大阪湾砂漠に沿って川を進んだ先へはオーサカブリッジシティ、北へ向かえばとある九尾が700年ほど前に作り上げたネオ京都が、すぐ南には四国へと通じる淡路島があり、更にはより西側へにある各都市にも通じている。
そうした立地により反映している側面も強いが、何よりもその土地の特色を強くしているのは、異世界から次元光に乗って転移してきた『百果樹』と呼ばれる大樹であった。
世界樹の如く明石の地に根付く百果樹は、葉張り(葉のある部分)の広さはゆうに全長3km、樹高は600メートルはある大樹であり、また枝には四季折々の果実が大量に実ることで知られている。
季節が移ろいと合わせてみかんにグレープフルーツに、梅にマンゴーにブルーベリーにバナナにメロン、イチジクやリンゴにキウイにレモン、更にはイチゴやスイカのような野菜か果物か微妙なものまで生い茂り、周辺地域に恵みを与えていた。
更には大樹の幹の内部をくり抜かれて作られたと思わしき居住スペースが転移時点から備えられており、百果樹の上方へ登るハシゴや階段に部屋など、欲しいと思うものはあらかた揃っていたという至れり尽くせりな樹だったのだ。
百果樹のみが転移してきたので、どういう経緯でこのような樹が出来上がったのか由来は不明であるが、ともかくこれを使わない手はない。
かくして人々は百果樹の下に巨大な街を作り、樹に実った果物を各方面に出荷することで商売が栄え、やがて大樹の内部に構えた商人たちの集まりは『明石百果樹の商会ギルド』として各方面へ影響力のある集団にまで成長したのだった。
今日も日輪に照らされた大樹の下で、色んな種族がレンガ造りの街を大いに賑わせている。
そして現在、商会ギルドの会長の椅子に座っているのは、これまた異世界から来た、とある”神”であった。
商人たちで賑わう百果樹の内部エントランスを抜けて、階段をいくつも登った先にある会長室で、その神様は今日も忙しく仕事に励んでいた。
「あ~、もしもしワシだけど。あの件どうなったあ~? うん、そうアレアレ。ほ~ん、じゃぁ出荷の量絞ってね、いや生意気なこと言うやついじめようってんじゃないよ。上下関係をねぇ~、わかるじゃろ? じゃろ?」
青白い肌。胴体から生えた四本の腕の一つは内線電話の受話器を持って耳に当てて、残りの腕もペンを走らせたり帳簿を取り出したり忙しなく開いている。
「ほっほん。んじゃ備蓄のほうはそんな感じね。あぁ、あとあと、来年くらいから状況が変わるって占いが出てるから武器のほうも今のうちに……えっ、また博打だって? うっさいな次こそ勝つんだよ今に見てろ。いいから作りなさいって」
過去の数字とにらめっこしながら会話を終えた彼の神は、受話器を戻すと長い鼻を自在に動かし、サイドテーブルから高級なティーカップを掠め取ってそのまま紅茶をすする。
富裕層にのみ許される芳しいお茶に目を細めた象の顔をしたガネーシャ神は、恰幅のいい体を椅子の上で大きく伸ばして軽快な声を上げた。
「ウェェエ~~~イ! 今日も商売繁盛、商売繁盛! めでたいことこの上ない、さすがワシ神様! この調子で今年度も儲けまくりじゃぁ~! いやぁ、極東の島国なんぞに転移した時は焦ったが、案外ここもいい国じゃぁ~!!」
ヒンドゥー教の一柱として知られ、インドを始めとした多くの地域で信仰される彼の神もまた、次元光による転移でワンダフルワールドの日本へとやってきた異存在であった。
次元光発生前の本世界であれば神と神話は空想上の存在に過ぎないが、世界が変われば事情も変わる。異世界においては神もまた実在の存在として君臨していることも珍しいことでもない。
このガネーシャ神もまたそういった異世界の神なのだが、鼻に持った紅茶をすする口元は両方の牙が伸びている。本来この世界における伝承のガネーシャ神は片方の牙が折れているはずだ。
こういった辺りが異世界との”差異”なのだ。名前や性質が似通っていても、微妙にどこかが違っていたりもする。
ガネーシャ神は重たい体重を背もたれに預け、鼻歌交じりに自分の肩を揉みしだく。もう日が沈み始めたけっこういい時間帯だ。
「あぁ~でも疲れたなぁ。おーいド・レイよ、新しいお茶を入れてくれんかね~!」
「うにゃあ、今ちょっとクロスワードパズルで忙しいんで後で良いでかにゃあ?」
「おぉいド・レイィ!?」
部屋の上の隅っこにかけられたハンモックから返ってきたのんきな声に、ガネーシャ神は声を荒げて飛び上がった。
雑誌を手にしてダボダボのジャケットを着てネコ耳生やした紫髪の女の子が、ここの会長の助手であるところのド・レイという少女であった。
年齢は14歳、奴隷でなくド・レイという名前である。その辺を間違えてガネーシャ神に「ウヒヒ、神様も中々お好きですなぁ……」などと胡麻を擂ると神様鉄拳四連発が飛んでくるので気をつけよう。
当然、ガネーシャ神はこの躾のなってない駄猫に怒り心頭だ。
「もぉー、ド・レイちゃんってば食っちゃ寝してないで働きなさいよ! 神様だって頑張ってんだからねプンプン!」
「えぇー? でもド・レイちゃん感応系能力者だからぁ~。欲汚い商売人の思考に心が毒されて大変なのにゃぁ~」
「今日はまだ誰もサイコメトってないでしょ! 癒やしをちょうだいプリーズ!」
「しょうがないにゃぁ、そこまで言うなら働いてあげるにゃ」
「あれぇ……ワシが雇ってるのよね? 主人ワシよね?」
ガネーシャ神が部下に振り回される自己に首をかしげていると、ド・レイちゃんはキャットウォークを伝ってスルスルと床に降りてくる。会長室にはガネーシャ神がド・レイちゃんのために用意したアトラクションでいっぱいなのだ。
降り立つなりのんびり背伸びするかわいい姿に「早くね、お願いね」と急かして、ようやくド・レイは手を動かし始める。不遜な彼女であるが時間凍結ポッドからお湯を注いでお茶を淹れる動作によどみはない。これでも優秀なのだ。
「サイコメトリーで適当に商人共の思考読み取ってれば後は食っちゃ寝し放題、いい職着けてハッピーだし、ご主人様には頭が上がらないにゃぁ~」
「頭が上がるも何もずっと寝転んどるじゃなぁい。つーか食っちゃ寝じゃ健康に悪いよ、ちゃんと運動してる? キャットウォーク使ってね?」
「そういう甘々なとこにゃご主人さま」
叱るどころか心配してくる甘々神様にのほほんとしながらド・レイは二人分の紅茶を淹れると、自分用のパイプ椅子を引っ張り出して執務机の隣に並べた。
会長と助手は二人で紅茶をすすって、あったか吐息をはいて就労後のリフレッシュタイムを満喫する。
「んぁー、ド・レイちゃんのお茶いい味だべぇ。しかし読心の能力持ちなんて見つけたから拾った時は、こんな関係になると思わなかったわねぇ。よくある漫画みたいに『心を読めて人が怖いよお兄ちゃん!』的な感じだと思ったら……」
「いやん、ワタシってばかよわ~い女の子だから、ご主人さまに拾ってもらって感謝してるにゃん!」
「お前絶対ウチ以外でもやっていけるでしょ」
露骨に媚び売ってくるド・レイちゃんに、ガネーシャ神は思わずスマイルチップをさっと差し出しながら素のツッコミを入れてしまう。
有能でかわいい助手であるのだが、彼女の首元でチリンと音を立てている鈴付きの首輪を見てため息をついた。
「でも服装はちゃんとして欲しいなぁ。ただでさえ現地語と紛らわしい名前なのに、首輪なんて付けてるから神様ってば変な勘違いされちゃうじゃんよ! 夜な夜なド・レイちゃんを泣かせてるとか変な噂立ったりしてるんだぜベイビィ!」
「おかげで悪い女もビビって寄り付かないから良いじゃにゃあい?」
「よくないよ! ただでさえ象ヅラでモテないんだからね!!」
このガネーシャ神もまた首から上を象の頭にすげ替えられた神様だ。彼はけっこう自分の顔について気にしていた。
しかしド・レイはやはりというか、気にしない顔で紅茶を楽しみながら口ごたえに移る。
「だいたい下手に恵まれてる格好してたらやっかみ買うし、多少可哀相なくらいの見た目がちょうだにゃぁ。街の統治者に可愛がられてる女の子なんて、本当なら妬まれまくりで読心系女子としてはやってられないにゃあよ?」
「むぅ、そっかぁ~……なら仕方ないけど、でもそれはそれで変なロリコンとかに目付けられてない? 防犯ブザーは大丈夫? 外出る時はかざすだけで相手が消滅する神気の籠もったありがたい杖は持っててね?」
「気安い性格だけど物騒にゃぁ……」
戦術核みたいな宝具を防犯グッズ気分で渡そうとしてくる神様に、ド・レイは遠い目をして呟いた。
ガネーシャ神は商会ギルドの会長にして、この百果樹街に貼られた次元光避けの結界を作っている術師でもあった。その力は推して知るべしというわけだ。
「でもさぁ、一応付き人とご主人様なんだから、言われたらすぐ仕事してよねぇ? 今からそんなんじゃ嫁の貰い手が心配よぉ」
「レスポンスを上げたいなら燃料補給お願いしまーすにゃ、ド・レイちゃん街で噂の新作スイーツ食べたいにゃぁ~?」
「えぇ……? 1ダースくらい取り寄せたら良い?」
「商売じゃエゲツない売り方平気でするのに、商い以外じゃホント甘いにゃこの神様。逆に心配になるにゃん」
そっとゴージャス長財布から万札取り出すガネーシャ神を見て、こりゃ放っといたら悪女にタカられるなと思い、カワイクかしこいド・レイちゃんは「ワタシが見てないとにゃ」と決意を新たに固めるのだった。
そんな和やかな時間を過ごしていると、机に乗せられた内線電話が甲高い音を立てて、ガネーシャ神が受話器を取った。
「もしもしワシじゃ、どしたの?」
『会長、業務外の報告ですが、四国方面から何か謎な巨大物体が!』
「巨大……? なんじゃ琵琶湖のマイト坊主みたいなデッカイロボでも作っちゃったかな?」
首を傾げたガネーシャ神は受話器を戻して天井から垂れ下がった紐を引っ張る、すると『ガコン』と音を立てて部屋全体が稼働し始めた。
街の統治者を兼ねるガネーシャ神の会長室は、緊急事態に備えて部屋全体がエレベーターに改造されている。天井はドーム状のガラス張りになっており、有事であればこれで部屋ごと見通しの効く場所まで上がって街の周囲を見渡せるのだ。
百果樹に生い茂った枝葉のあいだを持ち上げられながら、ド・レイがガネーシャ神へと顔を向ける。
「なんにゃ、まだ仕事するにゃしか?」
「よー知らんが四国から変なの来てるから見て欲しいじゃて」
「四国って、年がら年中殺し合ってるあの魔境にゃ?」
「そうそう、やたらと戦争屋ばかり転移してきて、泥沼戦争をエキサイティンしてるのよね。テイルネットワーク社が支社おっ建てても一晩で潰されるんじゃて、蛮族怖いネー。山とか川とか美しいんだけどなぁ。でもおかげで武器とかロボのパーツとか輸出で儲けとるわけだけども、あと何故かうどん食べまくってるから小麦も売れとる」
「KAGAWAのUDON因子が感染しちゃったかにゃぁ」
「なにがん?」
「ただの能力者の第六感にゃ、気にしないでにゃん」
1000年経っても残る執念深い食文化にド・レイが感心していると、会長室が樹冠(葉の生い茂った部分)の三合目辺りから外に突き出た。
ガネーシャ神は双眼鏡を持って外の光景を覗くと、たしかに四国の大地に海沿いを行く巨大な物体があるのを夕闇の中に捉えた。
赤黒い体でもぞもぞと動くそれを、ガネーシャ神は眉間にシワを寄せて観察する。
「アレかー、ロボっつーよりモンスター的な……ド・レイちゃんなんかわかる?」
「んー、どんにゃのかにゃん?」
ガネーシャ神から双眼鏡を受け取ったド・レイが件の物体を見ようとする。
感応系の能力者である彼女の眼に飛び込んだのは、赤黒い八本脚で動く蜘蛛のような体躯に、後体部から生えた樹のようなもの。そして――――
――――――殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して 殺して ぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
蓄積された嘆き苦しみの呪詛に、ド・レイは目が飛び出さんばかりに瞼を開いて、拒絶するかのように絶叫した。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?」
「ど、ド・レイ!?」
すぐにガネーシャ神はド・レイをかばって、蜘蛛のような魔獣が見えないよう床に押し倒すと、内線電話を取って叫んだ。
「ワシだ! 脳味噌の治療に有効な回復道士を寄越せ! 今すぐだ! 」
ド・レイの心配もあるが、まず目下の驚異を確認すべくガネーシャ神は再度双眼鏡を覗き見た。
レンズの先では巨大な魔獣が地形を崩しながら海へと這い出てきているところだった。体表から漏れ出す霊気が水分と干渉して海が凍てつき、その上をヘドロを固めたような足で歩こうとしている。
「ヤロォ……海を渡ってこっち側に来やがる……まさかこの百果樹と一戦交える気か?」
進行コースから見て魔獣は西側から本州に渡り、そのまま百果樹方面へと進行してくる可能性が高かった。
明らかに危険な存在に危機感を覚え、ガネーシャ神は酷だと思いつつもド・レイを問い詰める。
「どうした!? 何を視た!?」
「あ……あぁ……こえ……声が、頭の中に響いて……!」
ド・レイは頭を抱えながら見開いた眼からは涙を流していた。
恐怖に体を震わせ我を忘れつつも、必死に声を振り絞り感じたものを伝えようとする。
「あれはモンスターじゃない……死にたがる声でいっぱいで……アレは…………アレは…………人の作った災厄だ……!!!」
――――かすれた声でド・レイが語っているのと同時刻。その魔獣の内部では戦っている者がいた。
今回の章は割と短いよ! 本番のつなぎみたいなもんだからね。次の章のイントロよイントロ。
ところで実は前回の投稿から、Twitterで読者に「イリスが痛みを感じてるのってどの時期からなのん?」という質問をいただきました。
作者は物語開始時点から痛みに関しては覚えているつもりで、作中でも「戦闘時なので痛覚をオフ!」的なのを地の文に挟んでたつもりなのですが……ちゃんと書いてたかなどうなのか、勘違いかもね!!!(
どっちにせよわかりにくかったのには違いないのでごめんなさいって気持ちで、イリスがカレー食べる時に以下の台詞を追加しました。
「ところで、イリス。痛覚は感じられるよね?」
「ハイ! 痛みについては強めに設定されてるようで、靖治さんと会う前から感じてます。と言っても痛みに戸惑っては非効率なので戦闘時はオフにしてますが」
「うん、そっかそっか。それじゃあオンにして待っててね!」
というわけです。
なんか最近抜けてることばっかりでごめんね!!




