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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
七章【過去を見るは昏き瞳】
164/235

156話『現在に立つメイド』

「機械が見る夢か……イリスはどんな夢を見てるんだろう」




――――――――――――


―――――――――


―――――




 こんにちは、私はイリスです! ロボットです!! メイドやってます!!!

 無事に安住の地を見つけた私たちは、白い一軒家を設けて暮らし始めました。そこで私はメイドライフを遂行中です。スカートもフリフリで、正しくメイドですよ!

 今日はいいお天気で洗濯物もよく乾いて、みんなの服もふわっふわっ。家のお掃除はバッチリ隅々まで、埃もなくてナハトさんの翼も汚しません。晩御飯の材料も安値で買えましたし、アリサさんも納得して笑顔になることでしょう。

 今日も絶賛のメイドびより。お腹をすかせて帰ってくるみんなのために、キッチンに立ってあったかい料理を作ってる途中です。

 すると玄関から声が届いてきました。


「たっだいまー」

「あっ、おかえりなさいです靖治さん!」


 濡れた手を拭き、冷えた麦茶と三人分のコップをお盆に乗せてキッチンを出ると、リビングには帰ってきたあの人が伊達眼鏡を拭きながらソファに座ってました。

 この人は私の奉仕対象、つまりはご主人様の靖治さんです!

 私が支えるので働かずに家にいてくれてもいいんですけど、こう見えて活発な人なので自分からやれることを探して働いています。

 本当は私にあまり頼ってくれないのはちょっぴり寂しいのですが、でもそれでいいんですよね。

 靖治さんが他の誰でもなく、自分自身の人生を生きられることが一番大切なこと。私がやるべきは、彼のやりたいことを応援すること。

 その代わり、家ではメイドたる私が靖治さんを支えましょう!


 私が冷えた麦茶をコップに注いで手渡すと、靖治さんはニッコリと笑ってくれました。


「イリスのお陰で安心して働けに行けるよ、いつも家のことをしてくれてありがとう」

「いえいえ! これが私の使命ですので!」


 胸を張る私に靖治さんは静かに手を伸ばして頭を撫でてくれました。

 頭部のセンサーから感じる靖治さんの手はとっても温かくて、ほっぺたがえへへーってなっちゃいます。えへへー。

 そうしていると玄関が開く音がして、二人の足音が響いてきました。


「ただいまー。あー疲れたわ」

「ただいま戻りました。今日も滞りなく」

「お二人ともおかえりなさい!」

「おかえりー、おつかれー」


 こちらはアリサさんとナハトさんです! 今も一緒にいて、それぞれ戦闘能力を生かして冒険者向きの依頼でお金を稼いできています。

 ふっふっふ、実はお二人もそろそろ帰ってくる頃と見てコップも三人分持ってきておいたのです。えっへん!

 できたメイドたる私はハードな仕事をこなしてきたお二人にさっと麦茶をお出しします。ミネラル補給ですよ!


「あんがと。イリス、後で家計簿見せなさいよ。チェックするから」

「ハイ、そこの棚の上に置いてるんで持っていってください!」

「イリスさん、この前頼んでいた洋服は……」

「ハイ、完成しましたのでナハトさんのお部屋に置いときました!」

「いつもありがとうございます。休日のおでかけに使わせていただきますね」


 アリサさんが火傷痕の残った軽い手で家計簿ノートを取って、今日の出費をチェックしてくれてます。口が悪いアリサさんですけど内容は参考になります、以前から頼りになる人です!

 ナハトさんは最近ファッションに凝っていて、色んな服を試してます。前は片翼が邪魔で着れない服が多いとヘコんでましたが、私がお裁縫を覚えてからは解決! よく服に翼を通すためにスリット作りを頼まれてます。


「フンフン、今日の出費もまぁまぁ抑えてるじゃない。上出来っちゃあ上出来だわ」

「ご飯ももうすぐ出来ますよ、ちょっとだけ待っててくださいね!」

「お願いするよ。僕もお腹ペコペコだ」

「早くお腹いっぱいになって、熱い緑茶でほっこり行きたいですわね」


 私はキッチンに戻って晩御飯の最後の準備です。手慣れた動きで味付けを整えて、みんなのお皿に盛り合わせ。出来た料理をダイニングルームに並べていき、皆さんそろって夕食です!


「うーん! 今日もイリスの料理は美味しいねぇ」

「ホントだわ、随分上手くなったもんよね」

「最初の頃が懐かしいですわね、イリスさんもよく頑張りました」

「えへへ、それほどでもです」


 皆さんの食事風景をテーブルのそばに立って見守ります。こうやってみなさんが日々を幸せに生活できることが私の使命で、達成する度に胸があったかくなります。

 その食事の途中で、靖治さんが仰ぎ見てきました。


「イリス、君は料理に口をつけたのかい?」

「いえ、もう皆さんの味の好みはバッチリ把握済みですから! 味見をせずとも完了しました!」

「そっか。でもせっかくだ、イリスも食べてみてよ」


 そう言って、靖治さんはスープを一口すくって私に差し出してくれます。

 私は相変わらず美味しいというものが理解できません。別に実感する必要はありませんし、それで良いのです。

 でも、靖治さんはこうやって良く私に試してみるよう勧めてきます。

 私と美味しいという感情を共有したいのでしょう、もしかしたら私の人生が少しだけ豊かになるかも知れないと願っているのでしょう。

 それはちょっぴり押し付けかもしれないと思います。だって私はロボットで、私の人生があるのだから、それを無理して変える必要はありません。


 だけどそんな私に、靖治さんがこうやって気持ちを傾けてくれることが嬉しくて、私は口を開いて迎えるのです。

 差し出されたスプーンを口に咥えて、乗せられたスープを迎え入れます。いつもどおり舌の味覚センサーが味を数値化して伝えてくれますが、今回その数字の奥にピリリと火花が散りました。

 驚いて目を開く私の舌の上で転がるスープが、断続的に未知の感覚を教えてくれる。感情が湧き立つ、胸のコアが踊るように脈を打つ。


「美味しい……美味しいです!」

「本当かい!?」

「やったわね、イリス。あんたも一緒に食べなさいよ」

「緑茶も美味しいですよ、後で甘味と一緒に頂きましょう」

「ハイ……ハイ……!!」


 喜んで迎えてくれる皆さんに、私の世界がまた一つ拓ける音を感じる。

 機械の心が新しい感動を知って、明日からの毎日に期待を持って走っている。

 別に美味しいと感じる必要なんてないと思ったいたけれど、それでも降って湧いた望外の歓びに、私はすっごく胸の奥で叫んでます。


「良かったねイリス。これから一緒に、美味しいものを探しに行こうよ!」

「ハイ、靖治さん……私も……!」


 笑顔で言ってくれる靖治さんに目尻から熱いものが湧いてきた時、背後からコンコンとノックの音が響いてきた。


「あー、ご機嫌な夢見のところお邪魔して悪いが」


 振り返ると開いた扉に寄りかかった、眼鏡を掛けた白衣の女性がそこにいました。

 そばかすを浮かべる栗色の髪をポニーテールに結んだ見知らぬ彼女は、気まずそうな笑いを浮かべてきてます。


「あなた……は……?」

「すまんが、私がここに来れるタイミングは限られているのでな」


 知らない女性が話しかけてくる。いや違う、知っている。知らない、違う。頭の奥の隠された領域から覚えのない――覚えのある――情報が雪崩込んでくる。


「あなたは誰……いや、私は知ってます……あなたは、靖治さんのお姉さんの……万葉満希那さん……!?」


 思い出した。思い出した。そうだ、私は彼女と夢で会っている。


「あっ!? ということは、ここは私の夢ですか!?」


 ――イリスがそう気付いた瞬間、幸せな食卓の景色は消し飛んで、靖治たちの姿もいなくなってしまった。

 真っ白な広大な空間に残されたのはイリス本人と、闖入者たる満希那の姿だけ。

 すべてを悟ったイリスは眉を曲げると、ヘニャヘニャとその場に崩れ落ちてしまった。


「あぁ~うぅ~、せっかく理想を達成したと思ったのにぃ~!」

「あー、うん。すまないなホントに、邪魔してしまって」

「いえ、満希那さんは悪くないです。夢でしか会えないことを考えれば仕方ないですから。それにこれを現実にしてしまえば良いだけのことです!」

「アハハ、イリスは前向きだな」


 立ち上がったイリスの目の前にいるのは、靖治の姉である万葉満希那。

 彼女が今、現実でどこにいるのかはイリスも知らないが、こうして度々イリスの夢に入り込んで話に来てくれるのだ。

 満希那は真っ白にリセットされた夢の世界に机と椅子を生成して腰掛けると、イリスを見上げてきた。


「ここに来がけに最近のログを読ませてもらったよ。靖治のために料理の練習を始めたそうじゃないか」

「ハイ、その通りです」


 ココアを創り出して飲む満希那の向かいに、イリスも腰を下ろした言葉を返す。


「メイドたるもの料理ができなければならないと聞きました。そのため一人前のメイドを目指し修行中です!」

「こだわるなぁ、メイドの何がお前をそんなに駆り立てるんだ?」

「メイドとは主人と共にいる者。ならばメイドの概念をなぞらえることができれば、靖治さんと共にいることの助けになると考えてるんです!」

「そうかそうか、回り回ってそういうこともあるか。私なぞより賢いなイリスは」


 張り切るイリスに満希那は満足げに笑って頷いた。


「それで相談なんですが、私も人間と同じような味覚の感動を覚えることはできるのでしょうか?」

「ふむ、さっきの夢でも食べて味覚を覚えていたな」

「ハイ、さっきはわかった気がしましたけど、夢ですし……」

「まぁ、ここの経験を現実に持ち越すのは難しいか。もしかしたら残るかも知れないが……期待しないほうがいいだろうな」


 イリスが現在使っているボディは満希那が開発したものだ。ならば機体機能についての疑問は彼女に聞くことが相応しい。


「先に言っておくと、お前の機体は未完成な部分はあれど、すでに用意した機能については完璧に仕上げてある。仮に人間の魂をインストールしたならば、生身の肉体と同様の味覚を感じることが可能である筈だ」

「じゃあ私が美味しいというのがわからないのは」

「ハードでなく、ソフトウェアの問題。つまり、お前の精神次第というわけだ。イリスが自分で覚えるしかないよ。近道がない以上、なるべく多くの経験を積むのが現実的な学習方法かな。色んなものを食べて食べて試しまくれ。以上、私が言えるのはそのくらいだ」

「そうですか……うぅーん、難しそうですね……」


 極めて現実的な方法だけを提示され、イリスは眉を寄せて唸り声を漏らす。現状の頑張り以上のことは出来ないようだ。


「あんまり自信なさそうだなー。そんなにやる気もないみたいだししょうがないか」

「そうですね、靖治さんが勧めてくれるので出来たら味についても覚えたいですけど、必要がないので正直な意欲はそれほど高くないですし。この意識の差が問題なんでしょうか? もっと本心から求めれば……」

「とは限らないぞ、やる気があればなんでも叶うなんてうまい話はないからな。私としては今くらいの距離感が丁度いいと思うし、お前のペースで頑張れば良いんだ、それ以上やろうとしたって無駄だね」


 理詰めのサバサバした答えを返しながら満希那はココアをあおる。ハッキリとした答えにイリスは安心感を覚えて、今のままで自分らしくやっていこうと奮起した。


「よし! やれるだけやってみますね!」

「そうだそうだ、やってみな。お前なら私や靖治の想像を超えて行けるだろうさ」

「ハイ!」


 元気よく返事をするイリスに、満希那は釣られて笑うと椅子から立ち上がった。


「さて、イリスも靖治も元気にやっているのが知れたし、もう帰ろうかな。長居してしまうと、夢での精神活動を邪魔することになって心の健康に悪い」

「あっ、待ってください! もう一つお願いがあるんですが」


 相手を気遣って早々に退出しようと立ち上がった満希那を、イリスが慌てて呼び止める。


「うん? どうした?」

「満希那さんなら、できるんじゃないかと思うのですが……」


 優しい顔をして尋ねてくれた満希那に、イリスは意を決して頼み事を告げた。


「私のメモリーから過去の出来事を夢の中に再現してくれませんか?」






 空調で循環する都市内の空気がぬめったものに変質している。絶対の壁とエネルギーバリアのドームで護られている絶対安全なはずの都市の中で、悲惨な銃弾が飛び交う。

 道路の真ん中を黒く塗装された逆足の人型ロボットが闊歩している。エイリアンめいた造形に造られた軍事兵器は、街中を歩き回って右腕に備えたライフルを人間へと向けていた。


『いやあああああああああああああ!!!』


 悲鳴が一つ、銃声が横切った直後に声が途切れた。

 今から三百年前の東京で実際にあった事件。メインコンピューターが暴走し、街を護るために量産されたロボットが、東京の住人を虐殺し始めた現場だ。


『嫌だ!! 死にたくない! 死にたくない!!』

『ここは俺がなんとかするから逃げるんだ!』

『逃げるってどこへ逃げたらいいの!?』

『助けて……助け……』

『ママァー!! ママァー!!! うわぁああああああああああん!!!』


 この街はワンダフルワールドではもっとも裕福な街であったと言えよう。

 人々は綺麗な服を着て、ファクトリーで生産された食料をお腹いっぱいに食べて、安全な環境下で学び、育ち、自由な職に就いて娯楽を楽しみ、文化の中で暮らしていた。

 それがつい数十分前までの話。突如として街中に現れたロボットたちが人々を襲いだし、あっという間に街は地獄へと変わった。


 色んな人がいた。

 わけも分からないまま殺された人がいた。機械が暴走したと悟ったものの逃げ切れずナイフを刺された人がいた。大切な人を守ろうと飛び出して的になった人がいた。盾となった人を背に逃げようとするがあえなく銃弾を浴びた人がいた。ただただ立ち尽くし、泣き叫ぶ横顔を撃たれた人がいた。老若男女構わずに、ありとあらゆる人が一人一人丁寧に殺された。


 救いのない血溜まりばかりが増えていく中で、一人の少女が、一機の卵型の看護ロボットの上に乗せられて病院の廊下を運ばれていた。


『ロボちゃん……痛いよロボちゃん……助けて……』

『大丈夫。大丈夫ダヨ』


 機体の上にグッタリとへばりつく少女を繰り返し励ますロボットだが、足から赤い血を流す彼女を上手く元気づけることはできなかった。すでに一発の弾丸が足をえぐり、少女は深手を負って動けなくなっていた。

 背中に乗ったかけがえのない命を規定のプログラムに沿って助けるために、ロボットは病院の廊下を四足のローラーで疾走する。

 その様子を、イリスと満希那の二人が眺めていた。彼女たちは動かずとも周囲の風景は流れていき、走る看護ロボットに追随していく。ロボットを中心としたシミュレーターを、そばに立って見ているようなものだ。


「本当に良かったのか?」

「ハイ、一度振り返っておきたいと思って」


 イリスの夢の中で再生されたのは、東京で虐殺が起こった日のイリスの記憶だ。

 走る看護ロボットはイリスの昔の姿で、背中に乗っているのは懐いてくれていた月読という名の少女。


「天羽月読、女性、9歳。かつての奉仕対象か」

「ハイ。あの日、私に懐いてくれていた彼女は暴走した軍事ロボットに撃たれ、急ぎ私は彼女を助けるために病院に避難しようとしたんです」


 他にも多くの人が傷ついていたが、一機が助けられる対象は一人が限界だった。

 だがそれすらも叶わぬこと。看護ロボットが医者を探してマニュピレーターで扉の取っ手を掴んだ先にあった光景は、逆足で立つ人型のロボットが医者や看護婦に対してナイフを振り上げている場面だった。


『ひぃっ!? た、助けてくれー!!!』


 恐怖の形相を浮かべた医者を見た看護ロボットは即座に扉を閉めて、わずかでも安全な場所を探して病院の中を走り回る。

 病院の中はどこも同じような場面ばかりだ。同僚の看護ロボットが同じく別の患者を助けようとしていたが、軍事兵器の腕力に抵抗できるはずもなく、力づくて引き剥がされて患者を殺されていた。


 切羽詰まった看護ロボは、非常階段を抜けて病院の屋上へと続く扉を開いた。

 屋上では街中の悲鳴と発砲音が聞こえてきたが、その数は次第に減ってきているのがわかった。

 扉を閉めて傷ついた少女を降ろした看護ロボは、内蔵の救命キットを取り出すと、足の怪我に応急処置を始めた。

 血でベッタリとなった傷口にスプレー式の止血剤を浴びせて塞ぎ、その上から包帯を巻いて固定する。少女は玉のような汗を浮かべ、目もしっかりと開けられない中、うわ言のように呟いた。


『痛い……痛いよ……』

『大丈夫ダヨ、大丈夫ダヨ』

『ロボちゃん……お父さんとお母さんは……?』


 痛みで朦朧とした頭でも少女は事態の異常さに気付いて、家族の心配をしていた。

 ここで今のイリスであれば、もっと別の言葉を掛けてやることも出来ただろう。

 しかし知性を持たないこの看護ロボットは、傷ついた子供に定型文通りの言葉しか与えられない。


『大丈夫ダヨ』


 そう唱える中、すでに銃声は鳴り止んで人の声は聞こえなくなっていた。

 静かになった場面を見つめながら、イリスは唇を固く結び、拳をギュッと握っていた。

 すると、閉じた扉の奥から機械の足音が聞こえてきた。繰り返し階段を踏む重い音を聞いて、看護ロボットは少女に身を寄せる。


『ロボちゃん……助けて……ロボちゃん……』

『大丈夫ダヨ、大丈夫ダヨ』


 しがみついてくる少女に繰り返し言葉を掛けながら、看護ロボットにできることは何もなかった。

 階段をのぼる音は確実に近付いてきて、やがて扉の前で立ち止まるのがわかった。

 それでも看護ロボットはただ唱えるしかない。


『大丈夫』


 ロボットのカメラの前で屋上の扉が開け放たれ、奥から銃口が外に覗いてきた。

 銃に空いた穴の深さにイリスがゾッとした瞬間、満希那が指を鳴らして記憶の再生を中断した。

 息を呑むイリスの前ですべてが停止して、悲惨の直前で防がれる。


「ここまでで良いだろう、行き過ぎると自傷行為にしかならん」

「そうですね」


 イリスが満希那に願ったのは、東京で起きた虐殺の記憶を今一度確認したいというものだった。

 靖治とともに生き始めた今、改めて過去を見つめ直したいという意思からだったがそれでも内容が内容だ、イリスはかつてあった光景の悲しさに眉を寄せて押し黙っている。

 苦しい現場を受け止めているイリスに、満希那は力なく首を振って話しかけた。


「すまんな、私が不甲斐ないばかりに」

「何がです?」

「東京のメインコンピューターは私が作り上げたものだ、私の不徳ゆえに東京の住人は死滅した」


 昔のイリスは知らなかったことだが、満希那は1000年前の次元光発生直後から生き続け、東京の重要な設備はすべて彼女が設計したものだ。

 ある意味、すべての責任は満希那にあるとも言えるだろう。


「私は自己完結した自給自足ですべてを賄える理想都市として、二機のコンピューターに管理された新しい東京を作り上げた。壁とエネルギーバリアで遮断された内部で環境維持機能を司る『イザナミ』と、外部からの防衛を司る軍事の『イザナギ』。開発の段階で暴走の可能性も視野に入れ、前もって二重三重のリミッターを用意していたが……なんてことない、結果はこのザマだ」


 イリス以上に、満希那にとってこの光景は悔恨を呼び起こすものだ。

 目を背けることなく凄惨な現場を見た満希那は、眼鏡をかけ直しながら自己嫌悪で自分を攻め立てる。


「異世界の機械神と契約し、果てなき叡智を得た東京復興の立役者が、不甲斐ない話だまったく」


 後悔を滲ませる満希那に、イリスが真っ直ぐな視線を向ける。


「一体、あの日の東京で何があったんですか……?」

「言うわけにはいかないな、無意識にでも東京内部の事情を知れば引き寄せられることもあるだろう。お前と靖治が東京に向かう可能性はわずかでも排除しておきたいのが姉心だ」


 今現在に置いても、東京は危険な区画であるらしく、満希那はここに靖治を近づけまいとしているのだ。

 イリスは夢での出来事を思い出せないが、それでもできるだけ糸筋を作りたくないと、満希那は東京に関する情報の提供を固辞する。


「私のミスで東京1000万人の住人がすべて死んだんだ。悔やんでも悔やみきれない。もうちょっと私が人間としてマシなら、自分が産み落とした機械の子に反逆されることもなく、お前も大切な人を失わずに済んだだろうに」


 満希那の目の前には、看護ロボットから必死に庇われる少女の姿がある。夢の中では直前で停止されたが、現実にはこの後、銃弾を胸に受けて彼女は死亡する。

 そのような悲しい出来事を生み出してしまったことに、満希那はイリスに深い罪悪感を覚えていた。


「なぁ、イリス。私ならお前の記憶を調整することもできる。なんならこの酷い記憶を消してやることも……」

「え、えぇ!? ダメですよ止めてください! これも私の大切なものですから!」


 提案しようとした満希那に対して、イリスは大慌てて両手を振って言葉を遮る。

 芯のある強い言葉を聞いた満希那が目を丸くする前で、イリスはどこか悲しさと穏やかさが同居した静かな眼をして過去の自分を見つめていた。


「満希那さんは後悔しているみたいですけど、私は満希那さんを恨みませんよ。亡くなった人たちがあなたを恨むことはあるかもしれませんが、私はしません」


 イリスの瞳に、ゆったりとした虹色が揺れ動く。そこに一分の迷いも感じられない。


「悲しいことはありましたけど、私は今はここにいます」


 過去は過去として、イリスの眼は常に未来を見ていた。未練を追わずに人を恨まないイリスは、大切な人に寄せる想いを握りしめている。


「改めてこの記憶を閲覧しましたが、それは靖治さんへの気持ちを固めるためであって後悔するためじゃありません。だって私は現在(いま)を生きていますから」


 もはやイリスの顔立ちは悲しいだけのものでなかった。強い意志を秘めて、人生(これから)に立ち向かう覚悟ある表情だった。彼女にとって過去を見つめることは、現在に立ち直ることでしかないのだ。

 純粋な機械から生まれた彼女が見せた、人間以上に人間らしい心と意志に、満希那は驚いてイリスの横顔を見つめていた。

 その時、イリスの胸にどこからか声が到来した。


『――助けて―――ロボちゃん――――』


 すでに記憶の再生は停止されていたというのに、かつて守ろうとした少女、天羽月読の声が聞こえてきたような気がして、イリスは不思議そうに空を仰ぎ見る。


「――ッ? 今のは……?」

「そうか、野暮なことを言って悪かったなイリス」


 満希那がそう言って手を振り回すと、周囲の光景がかき消されて再び白い世界にリセットされた。

 広々とした夢の中で、満希那は肩を落として口を開く。


「その様子なら心配はいらなそうだが、それでもあまり落ち込み過ぎないように気をつけろよ」

「ハイ、それはもちろんです! 私が気落ちしていては、靖治さんたちの心の健康を害することになりますから」

「いや、そうでなくてだな」

「ハイ?」


 首をかしげるイリスの胸に向かって、満希那は指を突きつけた。


「お前の動力の大半は、胸のコアから生成されるフォースマテリアルでまかなわれている。そしてフォースマテリアルをエネルギーとして利用するには精神活動が不可欠! その精神力が弱まれば、エネルギーも足らなくなる」


 イリスのコアはワンダフルワールドの空気中に充満する異能の力の残滓を吸収し、そこからフォースマテリアルを生成している。様々な力を寄せ集めて造られたこれは、イリスの心に感応して常識外の力を発揮する、それがイリスのパワーの源だ。

 だが逆に言えばフォースマテリアルの助けがなければ、イリスは自己を保てないことになる。


「つまりは精神が弱りすぎるとフォースマテリアルが非活性化して、石のように動けなくなって機能停止する」

「え、えぇー!!? 危なすぎじゃないですかそれぇー!?」


 ここに来て伝えられた警句にイリスは眼を真ん丸に見開いて悲鳴を上げてしまった。


「何でそんな作りにしたんですかぁー!? 普通予備電源とか作るところじゃないですか!?」

「仕方ないだろう、そのボディって開発途中のプロトタイプだからな!? 私が取りに行けなくなって放置してたのを、お前が勝手に持ってったんじゃないか!」

「う、うぅ~、そうだったんですか……」


 責め立てられた満希那が、慌ててこのことに自分の非はないと声を荒立てる。技術者としてのプライドから、未完成品を勝手に使われて非難されるのは御免だ。

 うなだれるイリスであるが、出所不明の機体を無断で利用した責任は自分にあるし、強い物言いも出来ない。


「まあ、よっぽど弱らない限り最低限の機能は維持できるからそこまで心配するな。ただ精神状態が機能に影響してくることだけ頭の隅に置いとけ」

「わかりました、気をつけます……言われてみれば、心が弱ると機体の調子が悪くなるのは覚えがありますね……」


 振り返れば、靖治とはぐれてしまってイリスが落ち込んだ時には、著しいパワーダウンが見られた。あれも一時的にフォースマテリアルの効果が低下してからだろう。

 考え込むイリスに、満希那が咳払いをして話を切り替える。


「コホン。お前のボディは未完成品だったのを自動アップデートで無理矢理最適化して動かしてるんだ、不具合や仕様外のことだって起こりうる。だが悪いことばかりじゃないぞ、例えばイリスのその虹色の瞳だってそうだからな」

「私の眼が、ですか?」


 イリスは驚いて、目元に指を寄せる。


「設計では機体の眼球レンズは黒に近い翠色だったはずだ。しかし実際に起動した今は虹色の模様を描いている。これはフォースマテリアルが眼球に溜まり、精神に反応して発光してるんだ、予想だにしなかった結果だ」

「これ仕様外だったんですか、てっきりそういう設計なのかと」

「綺麗だからオッケーだ。多分前もってわかってても修正しなかっただろうし。靖治も気に入ったろ?」

「ハイ! 靖治さんはこの瞳に合わせて私を名付けてくれました!」


 靖治もこの瞳を綺麗だと言ってくれ、イリスという名を与えてくれたのだ。


「ふふ、思った以上にお前はその瞳を気に入ってるようだな」

「そうですね、これも失くしたくないものです」


 綺麗という感性はわからないが、靖治からそう言ってもらえるのはとても嬉しいことだ。大事なものと言われれば自信を持って頷く。

 自身の特性に愛着を持ってくれたイリスを見て、満希那は誇らしげに眼鏡の下に笑みを浮かべる。


「イリス、お前の瞳は明日を視るためのものだ。わかるな?」

「ハイ、もちろんです!」


 不敵に笑いかけてきた満希那に対して、イリスは握りこぶしを作って快活な声を響かせる。

 夢という殻を打ち破り、現実の空にも届くような力強さで声を上げた。


「私は靖治さんと良き世界を視るために、最高のメイドになってみせます!!」

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