150話『死を識る少年』
無事に次の村に辿り着いた靖治たちは、依頼も達成してテイルネットワーク社の食事コーナーで夕食の席に着いていた。
この村は京都にかなり近い場所にある交通の要所であり、店のサイズも自然と大きい。広々とした店内には四方からやってきた商人や冒険者などで賑わっていて、絶えず話し声と食器の鳴る音が響いている。
その中で丸テーブルに着いた靖治は、注文したスープを一口食べて口の端を吊り上げた。
「うん、良いね。この店のかなり美味しいよ」
いい塩梅の味加減にご満悦な靖治を見て、ナハトも自分の料理を一口含む。
人の多い場所では魔力で出来た大きな片翼を縮小化してるために体がこわばって緊張してしまうのだが、そのことも気にならないほどの食の美に口元を押さえて目を輝かせた。
「あら本当、美味しいですわね」
「ここの料理は美味いって冒険者でも評判よ。店の裏には温泉もあるんだって」
「おっ、いいねぇ。ゆっくり浸って長旅の疲れを癒やす、乙だねぇ。そういうの憧れてたんだ」
のんびり食事に舌鼓を打ちながら雑談に耽るが、そのあいだイリスは不自然に黙りこくったままだ。
その様子をチラリと見たアリサは、面倒くさそうに頬をかいて口を開く。
「しかしさっきのマッチョどもだらしなかったわね、すっかりこんなモヤシ野郎にビビっててさ」
今回、靖治たちの依頼主であるマッスル商会の商人たちは、虫の息だった女剣士を靖治が速やかに介錯してから、途端に筋肉をもじもじさせてよそよそしい態度になってしまった。
依頼を達成して報酬金をやり取りする時も、恐ろしいものを見るような目を靖治へ向けていた。
何の能力も持たないひ弱な少年を忌避する男たち思い返しながらも、靖治は顔色一つ変えずにご飯を食べながら話に乗る。
「普通の人は死を怖がるものだからね。ああもなるんだろうさ」
「他の人と違う自覚はあるのですわね」
「まあそこそこには。僕はただ僕らしくいるだけなんだけどね」
他人との違いを客観的に語る靖治は、どこまでも自然体で、怖がられたことすら気にも留めていないという風だ。
だがそれを聞いていたイリスの眉間がググっと不機嫌そうに狭まり、それを受けて他の三人を視線を見合わせた。
やがてナハトが困惑しながらも、年長者として頑張らなければ……いやイリスさんのほうが歳上ですけども……と決心し、恐る恐るイリスへと話しかける。
「どうしましたかイリスさん? さっきの方たちはセイジさんと合わないようでしたが、世の中色々な人たちがいますので、あまり気にすることでは……」
「やっぱり私、靖治さんの行動はよくわかりません!!」
「ひゃうっ、ごめんなさいっ!?」
突如としてテーブルを拳で叩いていきり立ったイリスに、元気づけようとしていたナハトはびっくりして思わず謝る。
目に力をこめたイリスは、食事を続けている靖治へと向き直って真正面から言葉を吐いた。
「前からずっとそうでした、生きる意思はあるようなことを言うのに、死ぬかもしれないことを笑いながらやって。私に命の素晴らしさを教えてくれるのに、死を否定せず肯定するようなことを言って」
挙げ連ねた矛盾したようにも聞こえるこれらの性質は、そのすべてが靖治の振る舞いに集約されるものだ。
退廃的にして活発的、諦観しながらも能動的、不可思議なロジックで動く靖治に、イリスは必死な顔をして問いただす。
「靖治さんにとって、”死”って一体なんなんですか!?」
イリスの叫びは店の喧騒の中へまたたく間に吸い込まれていくが、その言葉を靖治は確かに受け止めた。
走り出せばいつも一直線な彼女に、ありがたみを感じて目の端を緩ませる。
口の中のご飯を咀嚼しながら目を逸らさずイリスを見つめ、よく噛んでから飲み込んでから呟きを零した。
「ふむ、そうだね……」
テーブルから湯呑を手に取り、熱いお茶で口を清めると語り始めた。
「昔の話だ。僕がまだ二歳ぐらいの頃、生まれた時から病気で長くないと言われてた僕は、その頃にはもう何度も死にかけてた」
答えの代わりでてきたのは昔話だ。それにイリスはもとよりアリサとナハトも耳を傾けた。
パーティから注目される中、靖治は過去を思い返してしみじみと言葉を続ける。
「ある日、決定的な日が来た。恐らくもう乗り越えられないだろうって医者もほとんど諦めて、父さんと母さんも絶望していたそうだ。僕はずっと苦しくて、まるで溺れ続けてたような感覚があったのを覚えてる」
靖治の話にナハトが目を丸くする。
「まさか、赤ん坊の頃を覚えているのですか?」
「うん。他の記憶はないけど、その時のことはね。感覚的な記憶だけど、でも鮮烈に覚えてるよ」
流石にその時の光景や周りの人の態度までは、後から聞いて補完した程度で直接覚えてはいない。
それでも脳に残っているものは確かな事実だと、靖治は感じたものを昨日のことのように思い出せた。
「生と死の瀬戸際で苦しかった。苦しく苦しくて、もう嫌だって何度も思って。その先で僕は”死”と触れたんだ」
衝撃的な内容にアリサとナハトが息を呑む中、靖治は流暢に、しかし平坦な声調で言葉を紡ぐ。
「苦しさの中、気が付くと死はすぐ前にあったんだ。まるで気安い隣人みたいにそこにいて、多分ずっと背中の裏側にいてくれたんだろうって実感があった。死の淵の底は直感的な安らぎがあって、覗き込むことに恐れはなかった。死を意識する僕を死が包み込んでくれるようでいて、死がいかにおおらかなのかを感じた」
自らが触れた”死”を淡々と語る様子は、他者から見ればとても不気味だった。
まるで靖治そのものが死の化身になってしまったと錯覚するような静けさがあり、仲間たちは目を見張って聞いていた。
「死は優しかった。それが僕の得た答えなんだよ」
この一言こそが、万葉靖治の人生における原点であり、核心だった。
それが果たして死になれすぎた人間の妄想なのか、本当なのかどうかは誰にもわからないことだが、靖治にとってはそれこそが真実だ。
自らが識り得た死の本質を、世の絶対なる真理として携え、少年はこれまでの半生を歩いてきたのだ。
「だから真実、僕はいつ死んだって良いのさ。あの優しい死に受け止めてもらえるなら怖いことなんてない。生き続けれないのは残念だけど仕方のないことって納得もできる。生きはする、けど死は歓迎する。それが僕なのさ」
生と死の両方を肯定するのは矛盾しているようでいて違う。果てにある死の善性を信じているからこそ、限りなく命を謳歌できる。それが靖治の穏やかさの正体だった。
だがイリスはそこに胸が詰まるような想いを感じて、眉を垂らした。
「私には、それが悲しいことに聞こえます」
「まあそうかもね、本当ならこれは知らなくても良かったものだと思うよ。現に僕以外の人たちにはこれを知らずとも生きているし」
この裏側には生と死を彷徨う壮絶な苦痛と苦労の積み重ねがある、それを思えば広く知られて良いものではないと靖治も思っていた。
彼の出発点を聞かされ、アリサとナハトは生唾を飲み込むと、悪寒を誤魔化すように軽々しい言葉を吐き捨てた。
「ったく、あんたが頭オカシイのはそれが理由か」
「あっはっは、その経験のお陰で面白おかしく生きられてるよ」
「人生の始まりからして強烈ですわね……」
最も古い記憶からしてそれなら、あの異様な胆力と死生観にもなるやもしれぬ。
二人が驚きながらも理解する傍らで、しかしイリスはまだ辛い表情を変えない。
「ならどうして、靖治さんはそれでも生きようとしているのですか?」
再びイリスが問うた。正面から虹の瞳で彼を見つめて。
「何故あなたは、私と出会ったんです……?」
靖治が生き残らなければ、遠い未来でかつてのイリスがコールドスリープで眠る彼と出会うこともなかった。
何故、イリスと出会ったのが彼なのか、何故靖治でなければならなかったのか。それは彼女の人生に根ざす使命と願いに突き動かされた問いかけだった。
イリスの難問に靖治は一度目を伏せてから、どこか遠くを見た。
「さっきの話の続きになるけど、僕は死を感じた時に自分の人生を諦めた。別にいいやって、死に臨もうとした。でもその時に声が聞こえたんだ」
それは、ここまで淡々と述べられていた言葉に熱が灯った瞬間だった。
柔らかい笑みを浮かべた靖治の声に、彼ではない誰かの力が宿る。
「『生きろ、生きてくれ』って、僕を必死に呼ぶ姉さんの声が。僕はあの声に生かされたんだ」
そう語る靖治は、どこか嬉しそうだった。
まだ幼い弟に呼びかけた姉の言葉を靖治は鮮明に思い出し、色褪せぬ記憶に胸を熱くさせる。
「死んでも良いと思ってた。でもそんな僕に生きていて欲しいって、心の底からの声を届けてくれた人がいる。その強さに惹かれたから、もうちょっと生きてみようって、そう思えたんだ。そして僕はその声に導かれて、一度は仮死状態まで行った僕は蘇生した」
かつてあった奇跡の形を靖治は唱える。
そうして死に触れ、死を識りながらも、姉の声を頼りにして再び人生に引き戻された。
「僕はあの声に生かされてここにいる。死は優しいと悟って、自分で生きることすら諦めたけれど、こんなにも自分を望んでくれる人がいるなら、生きることも素晴らしいんだって思えたんだ」
靖治は1000年前の人間だ、姉の発明したコールドスリープ装置により遥かな時間を超えてきた、だがそれよりも以前からずっと姉に生かされてきたのだ。
その時、イリスの胸に想起されたのは、出会って間もない頃の靖治の姿だった。
病院戦艦から出た時に、身を投げ打って助けようとするイリスに、靖治が言ったことがあった。
『人は一人では生きられない。君がいなければ、ボクは生きる道に迷ってしまうよ。だから、ボクだけ助かればいいなんて言わないでおくれ』
イリスはその言葉の意味にようやく気付いた。人生までも諦めた靖治は、誰かの意思がなければ自らの存在を保つことが出来ないのだ。
空虚な胸に”生きて欲しい”という他人の願いで満たされて始めて、靖治は生きるために戦うことが出来る。生きることに本当は頓着していないからこそ、かえって合理的に生存の道を探せるし、理由があれば命を賭けることもいとわない。
なんて脆弱な存在だろうか、寄り添う人がいなければ息する理由も見つけられないなど。
イリスには雷に打たれたような衝撃だった。敬愛する靖治が、色々なものを学ばせてくれる彼が、自分の人生の意味として見つけた人間が、これほどまでに弱かっただなんて。
イリスは優しい靖治を強い人のように感じていた。だが彼は誰よりも弱いからこそ、その弱さを優しさに変えていたのだ。
「まあそんなとこさ。ちょっとトイレ行ってくるね」
「あいあい、いってら」
話も終えて、靖治は席を立つと店の奥へと歩いていった。
喧騒の中に消えていく背中を見送って、アリサが頬杖を突きながら溜息を吐き出す。
「あたしらの中で、一番のトンデモがあいつだって思うわ」
「同意いたしますわ、聖騎士団だってああまで突き詰めた人間はいません」
ナハトも湯呑を手に、神妙に頷いてお茶をすする。
一度死んでいるから死ぬことを恐れない、そう書くとわかりやすいがデタラメだ。
呆れる二人の前で、唐突にイリスは机に頭を突っ伏して唸り声を挙げた。
「うぅ~……」
「どったのよイリス」
尋ねてきたアリサに、イリスが机に倒れたまま困った顔を上げた。
「靖治さんは、私が想像できないほどたくさんのものを失くしてきた人なんですね」
赤ん坊の頃から生き物としていちばん大切なものを手放したのだ、きっと彼が失ったものはそれだけに留まらないのだろう。
そんな靖治をイリスは生涯助けると決めている。かつてただの看護ロボに過ぎなかった自分が、無人の街の中で彼を見つけた時に。
コールドスリープで眠る横顔を見た瞬間、電子回路にスパークした情動に押されてイリスはここまで来た、だが彼を助けるために何が必要なのだろうか。
「私、靖治さんのために何をしてあげられるんでしょう……」
自らの存在意義に迷いを得て、イリスは机の木目を覗き込みながらうだるような声を上げた。
書き始めた時に、靖治がこんな少年だとは思ってもいなかった。
何気なしに書いた台詞の一つが後になって意味を持つとは考えてもいなかった。
書くうちに物語が導かれて今の彼になった。




