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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
七章【過去を見るは昏き瞳】
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149話『虹の根本』

 イリス()の瞳は世界を見ている。靖治とともに歩みだしたから、彼女の瞳はいっそう煌めき、世界の有り様を映し始めていた。


 暗くなる空に輝き始める一番星。

 ご飯を食べる時の靖治が満足そうに目を細める瞬間。

 踏み固められた道で回る馬車の車輪。

 金を目当てに村を襲撃する野盗と、それに銃を持って迎撃している住人。

 お金を数えるときのアリサのニタニタした笑み。

 花壇の蕾を慈しむ老婆の柔らかそうな皺。

 遠くの山の向こうに見えた、死闘を演じる強大な竜の面構え。

 朝露が滴り落ちる葉っぱのしなり。

 霧を払って飛ぶナハトの片翼の白さ。

 上空から襲いかかってくる怪鳥の群れ。

 草の影を駆けていく野うさぎの真ん丸なお尻。

 みんなで囲んだ赤い焚き火のゆらめき。


 色々な光景を眼球のカメラで捉えて記憶していっている。

 昔はこれらに対して、特に感想が浮かばなかったと思う。赤は赤で青は青。視界に広がる色をRGBの数値で解読するように、そのグラデーションの鮮やかさの価値が理解できなかった。

 そんな自分では、人を理解できない気がして寂しかった。


 では今はどうだろう? あの頃から少しは変われただろうか。

 そんなことを考えながら一定の速度で歩くイリスが振り向くと、眼に映ったのは馬車馬が日の下で頭を振る姿だった。


「お元気ですか?」

「ブルル」


 なんとなく尋ねてみると返ってきたのは唸り声。意味もわからないままイリスは笑顔を作って前を向き、木々に挟まれた道を踏みしめていく。

 今日のイリスたちは、次の村へと移動するついでに商隊の護衛依頼を引き受けていた。イリスは疲労のないロボットである利点を活かし、馬車馬に並んで歩いて周囲の警戒にあたっている。

 他のメンバーは商人たちと一緒に大きな馬車の中だ。この商隊は珍しく、品物と人を別の馬車に分けており、とりわけ大きな馬車のほうには商人たちがギチギチに詰まって、日焼けした肌を突っつき合わせて筋トレに夢中になっていた。


「マッスル商会地獄スクワットー!! 最後の追い込み行くぞぉー!!」

「「「「おいぃーっす!!!」」」」

「あ、それっ! イッチニ! イッチニ!!」


 屈強な男たちが短パンとタンクトップをピチピチに着こなして、幌が張られた馬車の中で狭いくらいに肩を寄せ合って汗を流して体を鍛えている。

 個性的な商隊から押し寄せてくるムワッとしたマッスルスチームに、馬車の後部に座ったアリサが手で鼻元を扇ぎながら、嫌そうな顔を外へ向けた。その隣には翼を小さくして座るナハトがいて、そのまた隣には靖治が眼鏡を曇らせている。


「ムサいわキツイわ目に毒だわ……他の依頼受けりゃ良かったわ……」

「まぁ、いささか男臭いですが、共同のトレーニングというのは捗るもの。とは言え、あまり戦闘向けの筋肉ではありませんが」

「でもああまで筋肉だらけだと壮観だね~」

「ちょっと! あんたまであんなのにならないでよね」


 ナハトが冷静に筋肉を観察し、靖治はちょっとした尊敬の念を浮かべて筋肉が踊る様を見物している。

 朗らかに笑って見ているだけの靖治に、商隊の男たちが汗でテカった暑苦しい顔を向けてきた。


「HAHAHA!! そんなひ弱な筋肉で大丈夫なのかい少年!? オレたちと一緒にマッスルにならないかい!?」

「あっはっは、恐縮ですけど遠慮しておきます。自分なりのメニューを組んでるんで」

「HAHAHAHA!! 怖気づいたかいベイビー!? そんな筋肉じゃ、いざって時にブルって動けなくなっちゃうゼ!?」

「コイツがビビるとか、守護者が出張るレベルの世界的危機でしょ……」

「ですわよね……」


 どこか辟易したようにアリサとナハトが毒づく。二人とも靖治のそんなところに惹かれて集まったわけだが、それでも彼の度が過ぎたおおらかさにはたまにというか、割りかしついて行けていない。

 呆れ顔の二人へ靖治が目を向けた。


「それより付近に危ないのはいないかい?」

「殺気や闘気の類は感じられませんね、今のところ襲撃はないでしょう。プロのアサシンにでも狙われれば別でしょうが、そうそうないですし」

「上に浮かべたアグニも異常なし。オートで迎撃するから、余程の馬鹿が相手じゃなきゃ問題ナシよ」


 ナハトは卓越した戦闘スキルから馬車の中にいながら周囲の気配を探っているし、馬車の上にはアリサが使役する魔人アグニの姿もある。これだけでも十分すぎる警戒網だ、不意打ちだって大抵は防げるだろう。

 マッスル達は筋肉が足りない、他に当てがあれば依頼しなかったと不満げだが、彼らの評価とは裏腹にこの馬車は地方でも有数の安全地帯になっていた。

 そしてイリスは前方への警戒の仕事だ。馬車馬と一緒に歩きながら、道の先に不吉な兆候がないか注意している。

 変わらずに歩き続けているイリスに、これまた筋肉モリモリの馬車の御者が声をかけた。


「さっきからずっと歩いているけど、疲れないのかいガール?」

「ハイ、問題ありません! なんたってロボですから!」


 イリスは拳を握って元気一杯に返事をする。

 人と違う鋼鉄の体でありながら、その身に宿る心は人と同じかそれ以上に誇り高い。


「ん……? アレは……」


 そんなイリスが、何かを発見した眼を大きく開いた。


「靖治さん! 進行ルート上にモンスターの死体を発見しました、戦闘があったようです!」


 馬車の外から飛んできた声を聞き、座っていた靖治たち三人は視線を交わし合う。


「アリサはアグニ出したまま警戒待機。ナハトは出て様子を状況を調べてくれ。僕も外に出るよ」

「承りました」

「りょーかい。あんたも無茶すんじゃないわよ」

「様子を見るだけさ。商隊の皆さんは馬車の中で待機していたください!」

「お、おうともさ」


 ナハトが巻きつけた呪符を手にすると片翼を広げて馬車の外へ浮かび上がり、靖治もホルスターからガバメントを引き抜いて馬車から降りる。ひ弱そうな子供がいきなり指示を出す姿に商人たちは若干面食らっていたが、大人しく従ってくれた。

 イリスは倒れ伏せたモンスターの前で馬車馬を停めてもらうと死体を検分し始めた。五メートルほどの狼型のモンスターだ、まだ息絶えて間もなく、この死体から更に道の先へと血痕が残っている。

 検分を終えたイリスに、ナハトが近付いて話しかけた。


「死体の状況はどうです?」

「長身の刃物で心臓を貫かれて絶命したようです。しかし死後まだ十分も経ってなくて、このモンスターも返り血を浴びてるんです」

「ということは……」


 答えに行き当たったナハトが急いで片翼を開くと、上空へ飛び上がって血痕の先を確認した。


「前方に血を流して倒れている女性を発見! このモンスターと相打ちになった模様!」

「わかった! イリスとナハトは先行して、可能であればその人を助けて!」


 目を合わせたイリスは「ハイ!」と力強く頷いて走り出し、上空のナハトも同じ方向へ飛んでいく。馬車の御者には。

 靖治とアリサは引き続き馬車周囲の警戒を続けながら、慎重に後を追う。距離はそう離れておらずすぐに辿り着いた。


「どうだい?」


 道の端で倒れていたのは、脇腹を皮の鎧の上から爪で裂かれ、辺りを血で汚した女剣士だ。

 靖治が尋ねると返ってきたのは、ナハトの苦々しい表情だった。


「……手遅れですね。わたくしの魔法でも補いきれません」


 頭を横に振ったナハトの手元は、淡い緑色の光が浮かんで傷口に当てられているが、彼女の回復魔法でも致命傷を治すことはできず、わずかに痛みを抑える程度だった。

 この女剣士も必死に生きようとしたのだろう、手傷を負いながら村の方へ進もうとしていたのがその証拠だ。だが彼女の行く先はもはや決まってしまっていた。

 死に行く人を前にして顔を上げたイリスが、眉を寄せて心細そうな視線を靖治へ向けてくる。


「どうしましょう靖治さん?」


 靖治は少し迷った、第三者がそう易易と選んでいいものではないだろう。だがいずれにせよ自分たちがこの人のためにできることは多くない。

 すると地面に横たわった女剣士が、ほとんどの生気が失われた体で、残った力を振り絞って唇を動かし、かすれた声を呟いた。


「……して…………殺して……」


 死の淵に立った人の残酷な希望を聞かされ、イリスとナハトが強張った顔で血に染まった女剣士を見つめている。

 その後ろから、靖治が表情を変えずに口を開いた。


「二人ともどいて、僕が請け負おう」


 危険がないとみて、馬車からは商人たちや鋭い目をしたアリサが、様子を見に顔を出してきていた。

 大勢が見ている前で靖治は地面に正座すると、膝の上に女剣士の頭を乗せ、左手に彼女の手を、右手に拳銃を持つ。銃は威力が低いグロックを選択した。


「……ヒュー……ヒュー……ゲフッ、ゴホッ」

「大丈夫、僕がそばにいるよ安心して。ほら、手も握ってる」


 咳き込んで血を吐き出す女剣士に、靖治はとても明るい声色で言った。

 繋いだ手を強く握り込み、死を目前にして不安がる女剣士に、人の温もりを伝えようとする。


「大丈夫、大丈夫、何も怖がらなくていい。あなたは安らかになれる。故郷か幸せだった頃を思い出して、きっとそこに行けるから」


 語りかける靖治の声は、死にゆく人を前にしながら恐れがなく、子供をあやすような優しさがこもっていた。

 場面の悲惨さと正反対なあまりにも穏やかな言葉に、見ている方は思わずゾッとするほどだった。

 体を鍛えた商人たちが背筋を粟立たせ、冷たい空気が作られていく中で、靖治は拳銃の銃口を女剣士のこめかみに横から向ける。

 そしてトリガーに指がかけられいよいよという時、再びかすれた声が漏らされた。


「……くな……」


 全員が息を止めて耳を凝らし、彼女の声を聞き届ける。


「死にたくない……生きたかったよぉ……母さん……お姉ちゃん……」


 悔しさと悲しさを混ぜこぜに表情を歪めて涙を零す女剣士を見下ろして、靖治はわずかに目を細めた。


 その直後、乾いた銃声が空の下に響いた。


 イリスは口を力なく開けてただありのままを見つめていた。アリサは眉をひそめて状況を睨んでいる。ナハトはこればかりは諦観して瞳を伏せていた。

 すべてが終わり、動かなくなった人の頭を地面に寝かせた靖治は、拳銃をホルスターにしまって立ち上がると、息を呑んでいた商人たちへと近付いた。

 ガタイのいい男たちが優しい顔をした少年を前にして揃って立ちすくみ、思わず怯えた悲鳴を漏らしてくる。


「ひっ」

「さて……隊長さん、この人のお墓を作らなきゃいけない。馬の休憩がてら待ってもらっていいですか?」

「は、はい」


 淀みなく言った靖治に、商隊長は言いようのない恐怖を覚えながら頷いた。

 だが靖治の表情は涼しいものだ。無事にクライアントから許可をもらえたことであるし、憂いのない顔をアリサへと向ける。


「アリサ、墓を掘るの君のアグニに頼めるかな」

「……へいよ、ったくもー」


 呆れたように言ったアリサが首の後をかきながら気だるそうに前へ出ると、魔人アグニの大きな手を地面に突き立てさせ、道の脇で土を掘り返す。

 よそよそしい商隊をよそに弔いは粛々と行われた。手早く掘られた深い穴に遺体を寝かせ、かぶせた土の上に彼女の持っていた剣を立てて墓標にする。

 簡素な墓の前で、ナハトが目を閉じて祈りを捧げてくれた。


「その命が、どうか神の御手に救われ、安息に誘われることを……」

「コイツの知ってる神様と同じなわけ?」


 アリサがぶっきらぼうに尋ねてくるのを、ナハトは目を開くと静かに返す。


「わかりませんが、わたくしに出来るのはこのくらいですから」

「まあ、そうか……」


 死者を前にしてアリサの毒もおとなしい。

 その隣で靖治はじっと目を瞑り、手を合わせて無言で拝んでいる。その背中に稚気も邪気もない。


 自らの手で死の引き金を引きながらただの一度も気持ちを荒らげなかった少年は、決して死にゆく者に軽薄だったわけでなく、誠心誠意務めを果たしながら、揺らぐことをしなかった。だからこそ商人たちは彼に畏怖の念を向けていた。

 これはもう精神力が強いかどうかという問題ではない、精神性よりもっと根本にあたる”命の在り方”からして常識を逸脱している。


 そのことは、人間でもはないイリスにもわかり始めていた。

 そして靖治と普通の人との違いが、何か彼の将来にとって致命的なものであるような気がして、胸を締めつけられる感覚に胸元を握りしめる。

 靖治はいつも忌憚なく話しかけてくれるのに、時折この人のことがわからなくなる。


「靖治さん……あなたは何が違うんです……」


 いつか優しい彼がこの手の平から抜け落ちて、どこか遠くへ行ってしまうような気がしてしまう。

 そんな悪い予感が記憶の奥底と重なって、イリスの魂から古いメモリーが呼び起こされた。


『――助けて、ロボちゃん! ―――助けて――――!!』


 300年前の懐かしい記憶に胸が軋んで、イリスは「うっ」と呻いてよろけかけた。

 あぁ、そうだ。そういえばそんなことがあったのだ。

 あの時はそのことに感想を覚えるほどの心も持たなかったけれど、今は違う。


 覚束ない足で立つイリスは、果たして私は靖治さんのために何が出来るだろうと、不安にも似た自問を繰り返す。

 機械である自分は、どこまで彼に近づけるのだろうか。

 靖治が黙祷を止めて立ち上がる。日本人らしい黒い瞳は、曇りなく澄んでいた。






 七章【過去を見るは昏き瞳】

 開幕

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