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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
六章【朝へ向かう夜の狩人】
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143話『一人になりきれないアナタに』

 靖治が石垣の覗き穴から見つめる先で、血を流したナハトが苦しい顔で膝をついて紫煙の奇術師を睨み上げている。


「ナハトならそう簡単に押し負ける相手じゃないはず……迷ってるんだね、戦うことに」


 ナハトは見るからに紫煙の奇術師の言葉に惑わされている、靖治は彼女の過去をよく知らないがナハトはよほど後悔が重いらしい。

 靖治は当然、ナハトを勇気づけたい。だがここで飛び出して『そいつの言葉に構うことないナハト、頑張れ!』なんて言葉を吐いたところで、彼女の心を助けることなど出来はしないだろうし、下手に身を乗り出せば奇術師が攻撃対象をこちらに変えてくる可能性もある。そうすれば呆気もなく靖治は死ぬ。

 靖治には力がない、暴虐を発揮する輩に対して正面から我を押し通すことは不可能だ。だからひたすら機を伺う。


 万葉靖治は諦める、ナハトを暴力から護ることを、この場で悪意ある言葉への盾となることを。あらゆる選択肢を諦め、それでもなおナハトが傷つく姿を見つめ続ける。

 脆弱な自分が打って出れる、そんな奇跡みたいな一瞬に力を注ぎこむために。それが、靖治が物心がつくより早くからずっと繰り返してきた生き方で、彼にできる最大限の戦い方だ。

 靖治が集中された心で目を見開き、一瞬も目を逸らさずに見つめる前で、紫煙の奇術師は攻撃の手を止めてナハトへ話しかけた。


「無様だ……だがしかし、流石でもある……身体は傷つき、顔も焼けただれて、なおもへこたれぬとは……女の癖によくやる」

「生憎としぶといタチでして、この程度の傷はすぐに治ります」

「だとしても、少しは怯んでもいいはずだ……にもかかわらずその戦意、オレと同じで幼少期から訓練を重ねてると見た……」

「わたくしと、同じ……?」


 眉をピクリと吊り上げるナハトに、奇術師は過去を思い返したのか鼻で笑い、左肩に乗せたウサギのぬいぐるみを指でいじりながら重々しい声で続ける。


「オレは元々、傭兵団の一員だった。殺して金を手に入れる、やることは盗賊と何ら変わりない……いや、なお悪いか」


 自分で悪いことはわかっていると、そんな自嘲した笑い声をこぼし、卑しく笑った眼からナハトを見た。


「似たようなものだろう、オレとお前も……オレたちは同じ、殺すことでしか糧を得ることが出来ない」

「一緒に……するなァ!」


 揺さぶられ激昂したナハトが、座り込んだ姿勢から魔法による突風を起こして弾丸のように飛び出し、岩を砕くような荒々しい飛び蹴りを仕掛けた。

 速い鋭い軌跡だが直情的だ、奇術師は煙のように身を揺らして攻撃を避け、目標を外れたナハトは着地しながら怒気を込めて顔を歪めた。


「わたくしは殺さなくたって生きていける!!!」

「だったらその身にこびりついた血の臭いはなんだ!? 散々殺して生きてきたのがお前だろうに!!」


 言葉が重くナハトの腹の底に溜まる、まるで染み付いた血が体の中で蠢いているかのようだ。

 どれほど言葉を変えようが、殺してきた数は変わりないと頭の裏から怨念の声が囁いてくる。


「だとしても、あなたなんかと一緒にするな……っ!!」


 拳を握りしめたナハトは地を蹴って接近すると、そのまま徒手空拳で殴り掛かった。

 練り上げ身に染み込んだ技で、間断なく拳を打ち込む。だが縛られた心で出す拳はどれほど鋭くても受け流されてしまい、奇術師はカウンターの掌底をナハトの顎に打ち付けてきて、脳を揺らされる苦痛に「ぐっ……!」とうめき声を漏らしてしまう。


「一緒だ! 殺して金を得るオレと、殺して名誉を得るお前!!」


 紫煙の奇術師は体術とサイコキネシスの合わせ技でナハトの体を宙に持ち上げると、そのまま彼女を背中から地面に叩きつけた。

 音を立てて荒れた石の上に落とされ、ナハトは衝撃に目を剥いて肺の空気を体外へ押し出された。


「がはっ……!」

「殺すことで民衆から、あるいは神から、自分が生きていることを許されてると思い込む。命を踏みにじり、その上で自分の存在を確立させる。殺すことで自己肯定感を手に入れてその日を生き延びる、それは殺して金を得ることと何が変わりある!?」


 奇術師は倒れたナハトの顔面を強く踏みつけると、そのまま尊厳を踏み躙るように体重をかけた靴底をこすりつける。


「殺しは恐ろしいよなぁナハト!? 罰を受けろって声がするよなぁ!? お前なんぞが生きてて良いわけがないって命を否定されるよなぁ!? でもそれ以外の生き方がわからなくって、どうすればいいか迷うよなぁ!?」


 虚しくも激しい言葉に体を震わせながら、ナハトは歯を食いしばって乗せられた足を握りしめる。


「まともに生きようとすることが怖いんだろう!? いつか過去が這いずり近寄って、足首掴んでこないか怖くて素直に生きられないんだろう!?」

「っ、黙れえ!!!」


 乗せられた足をどかしたナハトは、怒りを浮かべた顔で起き上がり即座に飛びつこうとするが、それに合わせて打ち込まれた爪先が喉笛に突き刺さり、蹴り飛ばされた体が瓦礫に背を打ち付けた。

 瓦礫に背中をもたれかかり咳き込みながら、埃で汚れた片翼がグッタリと地面に垂れ下がる。


「ゲホッ! ゴホッ!」

「オレはお前が哀れで仕方ないよナハト、そんなにも人の死を背負った眼をしながら、日の下で生きなきゃいけないって背負い込むお前がな……」

「あ……あなたみたいのに同情なんて……!」


 言い返そうとしたナハトだったが、顔を上げた先にある奇術師の眼を見て言葉を飲み込んだ。

 ゴーグルの下にある眼は深く色合いの上に諦観が漂っており、ナハトを我が事のように哀れんでいた。

 それを見たナハトは、同情を得て若干の安堵を得ている自分に気づき、自らの情けなさに悔しくて眉間を歪める。


「お前のその先にあるものはなんだ? どうせまた殺して、殺して、殺し続けて、誰かを護ったところでその意味も価値も無に帰す。無駄だ、徒労だ、どこにも報いなんてないぞ」

「そんな、保証が……」

「逆に聞こう、報われる保証がどこにある?」


 ナハトは答えられなかった。

 ナハトは真実怖かった。


 この世界に来て、信仰の下の殺戮が無意味だったと突きつけられた時のあの絶望感、それまでの罪を背負ってまでした献身と努力が否定される無慈悲さ。

 それと同じものがいつか来るんじゃないかとずっと怖がっている。現実の苦しさに死のうと思っても死にきれなくて、過去を悔やみながらそれでも生きて、そこから積み上げたものが再び崩れる瞬間を考えて恐怖している。


 だがなにより絶望しているのは、自分のことばかり考えている浅ましい自分自身だった。

 過去に怯え、自分の足元いつ崩れるのかと自己に拘泥してばかりいる人間が、誰かを幸せになんて出来るはずがない。いつかその身に背負った業が近くにいる人を巻き添えにしてしまうだろう。

 だと言うのに、それで傷つく他人を心配するのでなく、そのことで自分が見放されてしまうことのほうを怖がっている。

 あぁ、嫌だ。何でその心配を優しい人に分けてあげられない、そんなのだから妄執に囚われて何人も何十人も殺してしまったんだ。


 神様のためだって信じてずっと人を殺してきた、でもそれは結局、自分が赦されたかったからだ。

 幼き日にサリーを殺してしまったことと向き合わないで逃げて、その不始末を他人に押し付けて首を斬り飛ばして来た。


 生まれた時から罪で穢れているんだと言い聞かせられてきたのが今はよくわかる、こんな愚か者は穢れていて当然だ。

 罪が増えるばかりで償いなんて何も出来ない。

 救われない、救う余地なんてない。


「オレもお前も救われん。だから、オレが言おう。他の誰もが言わなくてもオレが言おう」


 黙り込むナハトに奇術師が語りかける。左肩のぬいぐるみを揺らしながら手を伸ばしてくる。


「こちら側に来いナハト、そっちのほうが楽でいい。殺して殺して殺しながら幸せを掴みに行こう、殺しながらでしか生きられないオレたちの人生を探しに行こう」


 その手をナハトは暗い眼で見つめていた。

 奇術師の言う言葉は、ある種の救いを感じられた。殺すことばかりしてきた自分をこれからも続けていいと言われるのは、どこか心地よかった。

 泥のような甘言は砂糖水のようだった。

 正直、その手を取れたら楽でいいのにと思う。


「わたくしは……わたくしは……」


 別に手を取っても良いんじゃないかと思った、こんな自分にはお似合いの道かと思った。

 だがそれなのに、脳裏に過ぎったのは、かつてペットの犬を助けた尊敬する団長の姿だった。


「そんな惨めなの……嫌だ……!」


 なけなしの力を振り絞って、ようやく出たのがそれだった。

 震えるようなか細い声でそう答えたナハトに、奇術師は残念そうに目を伏せると差し出した手を下げる。


「そうか……ならもう少し説得しよう」


 不吉な言葉を繰り返す紫煙の奇術師に、周囲の石垣から見ていたスライムたちは小さな声でざわめいて心配していた。

 その中の一人が、靖治のそばに来て彼に訴えかける。


「ワーワー! ナハトさんあぶないよー! せいじさん、どうしたらどうしたら!?」

「……まだだ」

「まだって、何もしないのー!? ナハトさんかわいそうだよー!」

「まだだ、相手が調子づいてるところであいだに入ったって、僕じゃ押しつぶされるだけだ」


 自分に酔ってるやつに何か言ったってはっ倒されるだけだろうと靖治は語る。

 あらゆる感情を胸の奥底に押し込んだ無の顔で、眼だけは大きく見開いたまま力だけを籠めている。


「……無責任な言いようだけど、僕はナハトを信じている。彼女の積み上げてきたものに意味があるのなら、必ずどこかで光が差すはずだ」


 言葉は平坦で、だけれど奥で何かが灯っていた。

 静かなのに燃えているような雰囲気を出しながら、靖治はまだ待ち続ける。


「ナハトが本当に諦めない人ならば――」


 靖治が見ている先で、紫煙の奇術師が顔を上げた。

 瓦礫に背を預けたまま抜け殻のようになったナハトに、ゴーグルの下からギラついた瞳を向ける。


「オレの発火能力(パイロキノ)は体内に着火するのは難しい。視界の裏側を燃やすには集中力が要るのもそうだが、それ以上に生物に宿る魂には抵抗力があり、あらゆる超常力の干渉を拒絶する素養を誰しもがもっているからだ。だがそれらも精神が弱れば別だ、弱り目に祟り目、免疫力が落ちるように魂の抵抗力も薄まる」


 静かに語る奇術師に、ナハトは危険を感じて目の前の敵を一瞥し、別にいいかと瞳を閉じる。

 何度も死のうと思い、そのたびに怖がって逃げてきた、なら別にここでやられるのもそれで良いかと思った。

 いい加減、罪に怖がるのも疲れたのだ。誰かが罰してくれるのならそれで慰めになるかもと思った。

 楽になりたい、救われたい、そのどれもが自分が愚かである限り叶わない。後悔ばかりの自分は自分を責め続けるし、一向に救われない。

 そんなところにこの物騒な男がやってきた。良いじゃないか天啓のようだ、今度こそ死んでみせろってことだろう。

 ワンダフルワールドに来て信仰を見失い、愛刀を自分の首に当てた時の続きをすればいい。


「肌の内側から火がつくというのは恐ろしいぞ……その痛みが、今までのお前に対する応報だと知るといい。それを思い知って、オレたちの救われなさを自覚しろ」


 ――嗚呼、でも。

 やっぱり死ぬのは怖いなと、ナハトは性懲りもなく怯えた子供のような顔を上げた。


 同時に、天井に突き刺さっていた亡失剣ネームロスがひとりでに抜け落ちた。

 発火の力(パイロキネシス)が奔る、能力が発揮され火が付くまで0.1秒もない隙間に、クルリと回転しながら落ちてきたボロボロの刀が丁度ナハトの真ん前の地面に突き刺さった。

 突然現れた刃にナハトが眼を丸くしていると、自分の両脇に小さな火炎が巻き上がって頬を照らした。狙いが外れ、紫煙の奇術師は泡を食って慌てていた。


「馬鹿な! 刀が超能力の流れを切り裂いただと!? 使い手もなしに!?」


 熱い風に髪を揺らされながら、ナハトは瞬いた瞳でそばにあるネームロスのことを見つめていた。


「ネームロス……あなたは……わたくしを助けてくれるというのですか……? わたくしにそんな資格が……」


 この愛刀ならきっと自分のことを憎んでくれていると思っていたのに、この名を奪われた刀はナハトの予想とは真逆のことをしでかしてくれた。

 呆気に取られるナハトを見ながら、奇術師がうろたえながらも再び瞳に力を込める。


「くっ、もう一度――――がっ!?」


 だが口から出たのは威勢のある言葉でなく、背中にナイフを刺し込まれた間の抜けた悲鳴だった。

 奇術師の背後には、いつのまにか石垣から出てきて近寄ってきていた靖治が、手に握ったサバイバルナイフを厚ぼったいローブの上から突き立てていた。


「――いい加減、僕の仲間相手に調子乗るなよ!!」


 叫んだ靖治がナイフを手放すと、即座に右腰のガバメントを引き抜いてトリガーを引いた。

 銃声が三発続いて地下に木霊し、弾丸がローブに穴を空ける。

 だがそこまでだ、最初のナイフも刀身が少し刺さった時点でサイコキネシスに止められたし、続く弾丸もすべて服の下で防がれていた。

 奇術師が振り返りマスクの下から睨みつける。


「クソ、このガキ!」

「セイジさん!?」


 紫煙の奇術師は右手からサーベルを出現させて握ると、靖治へ向かって突き刺そうとしてきた。

 だが倒しきれないことを予想していた靖治は一歩下がりながら左手を相手にかざし、裏側から右手に持った銃を押し付けて狙いをつけた。

 躊躇なくトリガーが引かれると飛び出した弾丸が手を貫通し、血と肉を散らばらせながら紫煙の奇術師に襲いかかった。

 弾丸は超能力で止められるものの、続く血飛沫がペストマスクに降りかかり、ゴーグル部分に付着した血が奇術師の視界を遮る。


「グッ……こいつ、ノータイムでこんな……!?」

「痛ったぁー!!! ハッハッハ、でもやってやったぞー!!」


 痛みに悲鳴を上げながらも、靖治は力の限り走り出し奇術師の脇を通り抜けた。この前ハヤテとの戦いで手を撃たれてててよかったと思う、おかげで二度目は動きやすい。

 ナハトの前に立ち塞がった靖治は、血を流しつつもしっかりと地面を踏みしめ、紫煙の奇術師と向かい合う。


「誰だ、貴様は……」

「いつつ……仲間さ、ナハトのね」


 靖治は銃創を心臓より上まで持ち上げて痛みに顔を歪めながらも、そう言い切った。ナハトは呆然とその背中を眺めている。

 紫煙の奇術師がゴーグルの血を拭うと、目を凝らして靖治のことを睨みつける。


「そうか、宿にいた暢気そうな男……お前のような子供が仲間だと……滑稽だな、こんな血の臭いを漂わせた女を……お前はコイツの過去を知っているのか?」

「いいや知らないね、それが何か?」


 靖治が冷や汗を浮かべながら不敵に笑ってみせると、奇術師はわずかに怯んだように口をつぐんだ。待った甲斐がある、おかげでコイツのペースを乱すくらいはできた。


「綺麗な顔に騙されたか? 騎士など謳う言葉に拐かされたか? 恐らくお前が思ってる何十倍もこの女の過去は重い」

「へぇ、そうか。アンタみたいな死の臭いのする男が言うんだ、本当かも知れないね」


 靖治が素直に反応を示すと、背後にいたナハトは泣き出しそうな顔をして俯いてしまう。


「だが、それがどうしたんだい」


 それでも、続く言葉は決して稚気のない泰然としたものだった。

 ナハトが驚いて顔を上げる前で、紫煙の奇術師が苛立たしそうに繰り返し語りかける。


「その女はいずれ罰を受けるぞ」

「それがどうした」

「お前もそれに巻き込まれるぞ」

「それがどうした」

「いずれお前の背中を刺しに来るぞ」

「いや、多分それはない。まああったらあったで別にいいけど」


 靖治はまったく動揺したりせず、極めて自然体に、まるで朝食後の雑談のような軽い調子で返し続ける。

 思わず奇術師が押し黙るのを見て、靖治が鼻で笑って口を開く。


「ったく、くだらない問答だね。例え彼女が万人男を泣かせてようが、億人くらい虐殺してようが僕がナハトへ寄せる気持ちになんら変わりないよ」

「い、いくらなんでもそこまでしてません!!」

「あっ、そうなんだ」


 流石に大げさに過ぎるとナハトが声を荒げると、靖治は「あはは、ごめんごめん」と笑って誤魔化した。


「まあ、彼女が本当にそれだけの罪を犯した人なら、いずれどこかで巡り巡って罰を受けるかも知れないね、その時こそ死んじゃうかも知れない。もしそうなら、僕は彼女の死に際を看取るまでそばにいることにするよ」

「何故そこまで肩入れする……」

「彼女が諦めない人だからだ」


 異常なほどあっけらかんとした靖治に奇術師がつい尋ねると、靖治はニッカリ笑って強く唱えた。


「自分の責任に思い悩んで、過去に圧し潰されそうになって、自暴自棄になって、何度も何度も死にたいと思って実際死にそうなくらい自分を追い込んで、でも肝心なところで死なない。まったく、眩しいよね」


 ナハトの耳に痛むような言葉を吐きながら、靖治は至極爽やかだ。

 愛しい人に囁くように。本心、尊敬の輝きを眼に浮かべながら嬉しそうに語っていた。


「ナハトは、根本に生きる意志をもってる女性だ、だから死なない。僕はそんな人のことを、すごいなって心底思う」

「生き恥を晒しているだけだろう」

「だとしたら尚のことすごいんじゃないか。僕は今まで生きるために色んなものを諦めてきた、だからこそ諦めないことの価値がわかる」


 靖治はブレない。視線はひたむきに自分以外の情熱を見据えたまま、声は揺らがず、ありのままのナハトを素晴らしいと繰り返す。


「僕はね、ナハトならずっとずっと死なず生き残って、そしてその先で誰かを護るために戦えるんじゃないかって思ってる。何度傷つこうと、ウジウジ悩みながらも、生き続けて誰かを護れる人だ。寂しい思いをしようと、恥を晒そうと、彼女ならまた障害に立ち向かえるんだって僕は感じてる。迷惑な期待かもしれないけど、そんなナハトが今ここに生きていることが嬉しいんだ」


 出会いを歓びと語る靖治から楽しそうな笑いを見せつけられて、紫煙の奇術師はまったく何も言えずに、呼吸すら忘れてしまっていた。

 奇術師は言葉を失いながら「何なのだコイツは」と愕然と思い浮かべる。

 どうしてそんなに汚れない顔で言い切れる。あの女が殺戮者であることは間違いない、それなのにこんな人間の尊敬を勝ち取って良いというのか。それは奇術師にとっての道理から並外れた存在であり、理不尽な現実だった。

 黙ってしまった奇術師を前に、靖治は痛む左手をチラリとみた。早くも血は止まってきた、イリスバンザイだ。


「あんたは旅の道連れが欲しいようだけど、女口説くならもうちょっと言葉選びなよって話だ」


 靖治は腕を垂らすと大きく息を吸い込み鋭い目つきになると、左腕で右腕を押さえるようにして銃を構えながら、ここまでの鬱積を晴らすかのように声を轟かす。


「ナハトは僕たちの仲間だ! あんまり彼女を舐めるんじゃないぞ! ナハトはお前が思ってるよりずっと強くて誇り高い、死にたがりの男が汚せる程度の安い女と思うな!!!」

「死にたがり……死にたがりだとこのオレが!?」


 蔑称を受けて激昂した奇術師が声を荒げてくるのに対し、靖治は冷静に一発撃ち放った。

 紫煙の奇術師は空を裂いて飛んでくる弾丸をサイコキネシスで弾き飛ばして、脳の回路にパイロキネシスの火花を散らす。


「ならばお前が弾けて死ねええええ!!!」


 奇術師の眼の奥底に泥沼が燃えているような鈍い光が宿り、最大火力の火炎が燃え上がろうとしたその直前、風のように翼が舞い込んできて、発火の射線上に割り込んできた。

 怒りで増幅されたパイロキネシスは爆発のような炎を作り出し、空気を叩いて膨張する炎が熱風を撒き散らし、奇術師本体すらその煽りを食らって肩に置いたぬいぐるみをかばいながら引き下がった。

 だが立ち込める火の粉と爆煙の下から現れたのは、少年ではなく焼け焦げた背に十字を浮かばせた天使の背中だった。


「――まったく、貴方は人を奮い立たせるのが上手い」


 尻もちをついた靖治の前に立つ彼女は、少し困った風な笑みを浮かべ、穏やかに言葉を発していた。その顔は火傷を負いながらも、神聖な光を放つかのようにとても美しい。


「おかげで少し迷いが晴れました。臆病なわたくしですから、どうせまた迷うのでしょうけど、それでも今は……いい気持ちです」


 火炎からかばったナハトは背中を黒く炭化させながらも、凛とした空気をまとい、純白の片翼を静かに仰がせススを落とす。

 焦げた背中には、生まれた時からある十字架が変わらず微笑んでいて、それを見た紫煙の奇術師は身を乗り出した。


「キサマ……ッ」


 一歩踏み出した時、ナハトが首だけで振り返って奇術師と眼を合わせた。

 青い髪を揺らして敵を見るナハトの瞳は、真紅の色合いに穏やかな光を浮かべていて、その眼の優しさに奇術師は怖気づいた。殺しを生業とした者には、殺意より慈悲のほうが理解し難かった。

 奇術師を押し留めたナハトは靖治をみやり、愛刀を右手に握りしめながら艷やかな唇を震わせる。


「あの者の言う通り、わたくしは子供だって手に掛けてきた。この身は咎人、殺した人は数知れず、いつか罪悪の重さに潰れて然るべき身。それでも許されるならば……いいや、例え世界の誰からも許されずとも」


 たおやかに言葉を紡ぎ、ナハトは淀みない動作で片膝をついて頭を垂れた。


「今一度、幼き日に夢見た聖騎士として、誰かの傷を護りたい」


 ナハトの胸に抱かれていたのは、今も色褪せない、もっとも古い聖騎士の記憶。

 殺戮のためでなく、誰かのために身を捧げる、そんな綺麗な夢物語。

 それを聞かされ、靖治は地面に手をついて体を起こす。


「そうか、ナハト。それが君の願いか」


 言葉を聞き届け、靖治は興味津々で笑って輝かしい視線を向けた。


「いいねいいね、面白い!! 行こうよナハト、夢なんていくらでも叶えちゃえば良いのさ!」

「承知。ならば何度失意の沼に堕ちようと、穢れた翼で羽ばたきましょう」


 ――風が変わる。穏やかな気配をしていたナハトは一転して刃のように研ぎ澄まされる。

 無闇に人を傷つけるものでなく、今一度誰かを護るために、そんな自分であるために。

 決意を握り締め、再び立ち上がった彼女は、勇ましく名乗りを上げた。


「我が名は矜持に仕えしナハト・マーネ! 蝕甚の聖騎士エクリプス・パラディンナハト・マーネ! 穢れた半天使(ハーフ・エンジェル)たるナハト・マーネ! 恥を背に立ちしナハト・マーネ」


 切れのある眼は何者にも負けぬよう力強く。過去を受け入れ、例え幾度挫けようと、いずれ裁かれる時が来ようと、気高い想いで暗闇を見据える。


「紫煙の奇術師アゲイン・ロッソよ、あなたの悲哀は理解できます。だがそれでも! わたくしはあなたより浅ましく、あなたよりも穢らわしいが故に、悪しき側には立ちません! 眼の前で傷つく者がいるならば、青春を喪いし亡失の剣にて悪逆を絶ち、無辜の笑顔を護ります!」


 夜を彷徨う狩人は、光を目指して羽ばたき始めた。

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