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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
六章【朝へ向かう夜の狩人】
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133話『服の上から感じる温もり』

「セイジさん、ここは視界が悪い。足を滑らせないように」

「うん、気をつけるよ。ありがとう」


 遺跡に壁に空いた穴から下へ下へと降りてきた靖治とナハトは、薄暗い水路のような場所を歩いていた。

 水路も石造りでできていたが照明となる光る石が少なく視界が悪く、またあらゆる場所では上方から細長いパイプが降りてきているが、そのどれもが乾いて何かが流れてくるようには見えない。

 しかしどこからか水源があるらしく、道の中央にある大きな溝には絶えず水が流れてきていた。色は比較的澄んでいて、汚水などは流れていないようだ。


「下に降りてみたはいいけど、どこまでも続く水路とパイプ、まるで迷路だね」

「この遺跡の直下全体に敷き詰められているようですね、おそらくは地下ごと転移してきたのでありましょう」


 曲がりくねって上へ下へと、どれほど進んで角を曲がっても、続くのはジメジメした代わり映えのない水路。そのうちナハトが眉をひそめて唸り声を漏らす。


「終わりが見えませんし……むぅ、こうでしたら元の順路通りに進んだほうが良かったやもしれませんね。敵なら薙ぎ払えばよろしいですし」

「ナハトって割とゴリ押し好きだよねー。まあ簡単にだけどマッピングはしてるんだ、いざとなったら戻って最初の場所に戻ろう」


 靖治が手に持った紙と鉛筆を持ち上げる、慣れない手書きなので多少のブレはあるだろうが来た道を戻るくらいならなんとかなるはずだ。これに合わせて、曲がるたびに壁に傷を作って、進行方向をわかりやすくしている。


「承知しました。幸い空気はしっかりしてるようですしね、ここで一晩過ごすと致しましょう」


 水路にはところどころ通風孔と思える穴があり、動力は不明だが風が舞い込んできていた。これが遺跡の外まで通じているとすれば、酸素の心配はいらないだろう。

 靖治の腕時計から確認するに、そろそろ探索して休むのにいい時間帯になってきたということで、二人はこの水路で夜を過ごすことに決めた。


 明かりとなる光る石の近くで荷物を下ろすと、靖治のバックパックからシートを取り出して石畳の上に敷いてその上に座る。ナハトも魔力の鎧を解き、身軽な黒衣の姿に戻った。

 水路から水を汲んで濾過器を通し、更にガスバーナーで煮沸消毒した上で、いざという時に回復魔法で自力浄化できるナハトが毒味をして、飲めるかどうか確認した。

 飲んでも大丈夫そうだということで、ようやく休む体勢に入った二人は温かいお湯をそれぞれコップで分け合って体の芯から温まると、前の村で買った乾パンをかじった。

 モソモソとした硬いパンをお湯でふやかして食べながら、靖治はナハトの姿をぼうっとした目で眺めていた。


 こうして休む時に、ナハトのような女性がそばにいてくれるのは大変ありがたい。特に彼女の所作はこの場にあってもとても整っていて、ピンとあった背筋や安定して聞こえてくる呼吸は、それだけで立派な大木がそこにあるようで安心できる。

 それに背中の純白の片翼が薄暗闇でよく映える。この薄暗い水路の中では世界が閉じてくるように感じてくるけれど、彼女の翼は常に凛として輝いていて、見ていて心が開けてくるような力があった。それを眺めていると視線に気づいたナハトが口を開いた。


「わたくしの翼が目障りでしたら言ってください、対処しますから」

「対処って? そういえば初めて会ったときも背中になかったけど」

「魔力でできた半実体ですから、衰弱していたときは自然と消えてしまいますの。平時でも小さくしたり、あるいは消したりできます。でもそうすると窮屈ですから、出している状態が一番リラックスしやすくはありますね」

「だったら出しててよ、ナハトを不自由にする気はないし、それに綺麗だし目障りなんてことないさ」

「ふふ、左様でございますか」


 ナハトは少し嬉しそうに笑みをこぼした。


「イリスとアリサもそろそろ休んでる頃かな」

「二人揃ってるならそうでありましょうね、単独だったならイリスさんは突っ走ってるやもしれません」

「あはは、元気に駆け回ってそうだよね」


 イリスは純粋で、故に想像もしやすかった。二人して「靖治さーん!? そこですかぁー!?」。と駆け回っている姿が脳裏に浮かぶ。

 それはそれで苦労しているだろうが、彼女なら超えていけるだろうとも信頼していた。


「彼女の純朴さは羨ましい。わたくしもああいられたら、などと考えてしまいます」

「素敵だよね、イリスのあの前向きさはさ。いつもキラキラした目で前を向いてて、動きは可憐で、彼女の歩き方は見ててすっごくワクワクする」

「えぇ、そうですね……」


 控えめに同意したナハトであったが、その眼にはわずかな憂いが浮かんでいた。

 やがて彼女は昨日の記憶を掘り返し、おずおずと胸の内を語る。


「……昨晩の腕相撲、わたくしはイリスさんに上から目線で、あなたを純粋さを遮る卑怯者などどこにでもいると言ってしまいましたが。アレは今にして思えば、忠告などではなく、ただ彼女の前向きさを汚したかっただけなのでは、などと考えてしまいます」


 羨望からくる嫉妬をナハトは口からこぼした。

 それは懸念ですらないただの不安だったかもしれない、あるいは本当にそうだったかもしれない、どちらにせよ無意識の領域の話に確信を持って話すことはできないものだ。

 白か黒かの結論の出ない話題を聞き、靖治がナハトのわずかに沈んだ顔色を眺めながらやんわりとした言葉を投げかけた。


「気にすることじゃないさ。もしそうだったとしてもイリスはそれだって自分の一部にして歩いていくよ」


 彼女自身の態度に関しては肯定も否定もせず、ただ先のことだけを語る靖治が乾パンを頬張るのを、ナハトは横目で見やった。


「ならなんと、羨ましい……」


 ――こうして彼と二人だけでゆったりとした時間を過ごしていると、途端に不安な気持ちが顔を出してくる。

 いつも微笑んでいる彼は、今の自分の拠り所だ。弱い自分は誰かにすがらなければ生きていけない、だがそんな自分を彼はどう思っているだろうか?

 内心、嫌ってはいないだろうか? 笑ってはいないだろうか? 捨ててしまおうなどと考えてはいないだろうか?


 それともあるいは、この身に良き仲間でいることを期待しているだろうか?

 だとすれば、もしかしたら、それが一番辛い。


「セイジさんは二人きりで緊張したりはしていませんか? ちゃんと休まないといけませんよ」

「問題ないさ、のんびりしたもんだよ。周りからよく言われるけど、面の皮は厚いみたいだからね。あはは」

「あら、それはわたくしに女の魅力がないとでもお言いで?」


 ――あぁ、嫌だ。また本心でないことばかり言っている。

 偽りの笑み、偽りの言葉、仮面を被ってばかりいて、本当の自分を見せていない。


 あぁでも、怖い。怖いのだ。本当の自分に自信が持てなくて、醜い素顔をさらけ出せばたちまちにこの人でさえ消えていってしまうのではないかと。

 怖くて怖くて仕方ない。どれほど苦難の戦場を飛び込み、刃が肌をかすめようとも怖くないが、今はこの人に見捨てられることだけは怖い。

 ならば、ならばいっそ――


「――わたくしは、あなたに体を預けても良いとまで考えてるのに」


 不埒な考えが体を突き動かす。ナハトは空のコップに残った乾パンを押し込み、靖治のそばに擦り寄った。彼女の神聖な佇まいが柔和に変質し、しなやかな肢体が蠱惑的な曲線を描く。

 彼は残った乾パンを白湯で喉奥に押し込み、わずかな驚愕に眼鏡の奥を丸く見開いている。


「ナハト?」

「ここにはお二人もおりませんのよ? 気兼ねしなくて良いのです」


 片翼を大きく広げながら靖治の肩に手をかける。この白い翼は便利だ、誰だって綺麗なのが好きだ、だから綺麗なフリをするのにちょうどいい。

 だけど同時に人は禁忌を求める心もある、だから清廉さと相反する表情を笑顔の下から匂わせて、彼にも罪を着せてしまおうとする。

 そうすれば罪と引き換えに、色んな物が手に入るとナハトは知っていた。信頼、資金、標的の命、様々なものを短期間で効率よく得ることができる、その訓練もしてきた。


 一方で、集団の中で痴情のもつれは爆弾になりうる、靖治も敏い人だからそれをわかってて仲間の女に情欲をぶつけたりはしてこないのだろう。

 だがナハトはそれよりも安心が欲しかった。イリスとアリサを押しのけてでも彼の上にまたがり、重ね合わせた肌の境界線を鎖にして自分の存在を繋ぎ止めたかった。

 大丈夫だ、自分は演技がうまいし、多分靖治もそうだ。何食わぬ顔で仲間たちと合流し、このことは秘密にしていればいい。きっと大丈夫。彼だって気持ちよければ納得してくれるはずだから。


「セイジさん、長旅の中で男一人、大変でしょう。我慢しなくて良いのです、お二人と違ってわたくしはあなたの辛さをわかってあげられる」


 さかしい言い訳を繰り返しながら、ナハトは妖美に微笑んだ。

 そっと靖治の体をシートの上に倒れ込ませる、彼は抵抗もせず横たわってくれた。

 張り詰めた片翼で相手の左側を囲い込むようにして塞ぎ、靖治の右顔に手を当てて顔を向けさせると、ナハトは言葉を並び立てながらしきりに頷いた。


「わたくしは本当に構いませんのよ? えぇ、あなたのことは好いていますし、この身がお力になれれば幸いというものなのですから。えぇ、えぇ。きっとお互いのためになりますから」


 一つ一つ逃げ道を潰す、これは仕方ないこと、だからやらなければならないこと。

 そう言い聞かせるナハトは震える唇を、彼の上から落とそうとして。


「ナハト、泣いてないかい?」


 真っ直ぐ見つめてくる靖治から投げかけられた問いに、身動きを封じられた。


「泣いている? それは莫迦なことを、わたくしはこうして笑って……」

「本当に?」


 靖治はその視線に何の怯えも威圧も乗せず、まるで井戸の奥底を見つめてくるような透き通った眼でナハトの瞳を貫いてきた。


「本当に?」


 ナハトは息ができない、まるで自分の存在のすべてが審判者の眼前に引きずり出されたかのような気分だった。

 震える瞳に明らかな迷いを見せるナハトに、靖治は続けて口を開く。


「ナハト、僕も男だしそういうことするのは嬉しいよ。でも泣いている君を抱いても胸が苦しい、僕はそれは嫌だよ」


 ハッキリとした言葉には悲しみの気持ちが混じっていて、ナハトは後悔の波が洪水のように押し寄せてきた。

 自分の浅ましい感情が故に、彼を悲しませてしまった、彼の心を踏みにじってしまった。そのことを悟り、思わず笑顔の仮面が剥がれ落ち、眉を情けなく垂れ下がって、己の情けなさに思わず目元を両手で隠す。


「申し訳……ありませ……」

「ははは、僕こそごめんね。ナハトの不安を受け入れてあげられなくて」


 靖治はまるですべてを見透かしたようなことを言って上体を起き上がらせると、顔を塞いだナハトの頭に手をかけて、そのまま胸の中に抱きしめた。

 本当は、そんなふうに男の人に触られるのが嫌なのに、今は嫌じゃなかった。それに一つ、驚くことがあった。暗い中で靖治の布が盛り上がっているのが見えたのだ。

 大きくなっている。手で触れてみる。だけど彼は身じろぎ一つしなくて、堂々とこのやわい身体を抱き止めてくれている。

 こんなにもキツく張り詰めているのに、我慢してくれている靖治に、ナハトは我慢できずに目尻から涙を零した。


「なんで……そんなにもあなたは優しいのですか……」


 頬の水滴を相手の胸にこすりつけながら、ナハトは声も出さずに静かに泣いていた。

 結局は他人を喜ばすことでしか居場所の作り方を知らなかったのに、それを諌められて、小さな子供ような醜態を晒してしまう自分が嫌だった。

 靖治はそんな彼女を優しく抱きしめ、しなやかな背中に刻まれた十字架を見つめながら、どこまでも優しい言葉を吐き続ける。


「ナハト。ここには君を罰する人はいない、君の行いを強制する人もいない。泣いてもいいし笑ってもいい、君は自由なんだ……」

「わたくしには……それは難しすぎます……」

「ははは、迷うのも自由さ。だから、なんていうかな……全部いいんだよ。君が嫌いな自分でも、好きな自分でも」

「……滅茶苦茶ではありませんか?」

「滅茶苦茶で結構、支離滅裂なのが人間さ。善も悪もあるがまま、どうしようもない自分も含めて、そこにいて良い」

「あぁ、だとしたらそれは……」


 ――それは、善い。


「あなたのそばに、全部がありますね。セイジさん……」

「そうか……だったら多分、良かったよ。うん」


 凪の海のような穏やかな彼の水面は、鏡のように反射して自分の姿を見せてくれる。

 醜さも。迷いも。でも彼は拒絶こそすれ、その一つも否定することなく、ただ認めてくれている。

 自分は、まだ年端もいかない少年に何をさせているのだろう、こんなこと人に頼って良いものじゃないはずだ。自分の心で他人を押し潰してしまったらと考えると、それは決してあっていいことではないというのに。

 そう考えると更に申し訳なくてたまらなくて、でも多分、自分にはそれが必要で、それをわかって彼はこうしてくれている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「うん、いいさ」


 でも彼が迷いなくそう言って許してくれることが、途方もなく嬉しいのだ。


 ――あぁ、これは本当の気持ちだと、ナハトは靖治の温もりを感じながら、翼をしならせ、彼の胸に寄りかかっていた。

 久しぶりに感想が来て、その人はまだ20話辺りらしいからこの後書きは見てないだろうけど、ヒャッホイ嬉しいぜありがとう、という気持ち。

 感想は噛み締めてるけど、返信はできるだけ丁寧に書きたいのでちょっと遅れたりします。待たせちゃったりしたらごめんね。

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