130話『主に怖いやつ』
ナハトが酒場から去り、後の残っていたイリスは、靖治とアリサの前で眉の彫りを深めて唸り声を上げていた。
まだナハトに不意打ちをされたことでわだかまりを抱えてるようだ。
「うぬぬぬぬ、卑怯だったのはナハトさんなのに、何だかしてやられた感じで悔しいですぅ~!」
「まあ、そこがアイツの狙いよね。イリスがバカ正直すぎってのはあるけど」
普段は見れない機械少女の眉間のシワに、アリサが面白がって人差し指で突っついていると、ふとイリスがおでこを弄られながら首を傾げた。
「でも私ってそんなに正直ですか?」
「わかってなかったんかい」
「その言う通りだと思うよ。真っ直ぐで素直だ」
ナハトやアリサに続き、靖治も判を押す。目覚めてから間近で自分を見続けてくれた靖治さんが言うならと、イリスは受け止めたものの悩ましそうに腕を組んで、思考の入り乱れる頭をふらふら揺らした。
「んんー? なら対応力を増すためにも、普段の思考にもっと大きなチューニングが必要なんでしょうか?」
「性格ってことならそのままでいいさ、一人で万能・完璧を追い求めたってそれは無理だよ。自分の手が届く範囲を少しずつ増やしていって、足りない部分はアリサやナハトに任せればいい。ナハトも言ってたけど、イリスの素直さは大きな強みだよ。それにさ……」
靖治は自分のことを指さしながら、前のめりでイリスに尋ねる。
「イリスは僕のことは好き?」
「もちろんです!」
なんら躊躇なく交わされる問答に、横から見ていたアリサは「気軽にこういうこと言うよなー、コイツラは」と若干呆れている。
「うん、ありがとう。それって僕がここにいても良いってことだよね?」
「ハイ!」
「それと同じように、僕もイリスが好きだし、イリスはここにいて良いってことだよ」
穏やかに、ただ良しとする言葉に、イリスはわずかに虹の瞳を震わせて、肩の力を和らげた。
「そっか……わかりました!」
大切なものを悟り笑顔の花を咲かせるイリスを、微笑んだ靖治と苦笑したアリサが見守っていた。
しかしそれはそれとして、イリスは一転して子供っぽく頬を膨らますとプンスコ怒って拳で机を鳴らす。
「でもやっぱり、ナハトさんのああいうやり方は納得できませんー!」
「案外根に持ってるわねぇ」
「あはは、ならまたナハトに挑んでみたらどうだい? 今度はどんな手を受けても、乗り越えて勝てるくらいを目指してさ」
「あっ、それです!」
靖治の提案にイリスは指差ししながら立ち上がり、すぐさまナハトが待つ部屋へと足を向けた。
「早速ナハトさんのところに行ってみますね! お二人の荷物も一緒に持って行っておきます!」
再び朗らかに笑ったイリスは、机の下から靖治とアリサの荷物を手に取ると風のように颯爽と階段を駆けていった。
フリフリのメイド服が上階に消えていくのを見送り、靖治がにんまりと笑みを浮かべる。
「いい反応だと思わない? 普段明るいのはそれが合理的だからってことらしいけど、怒ったり悩んだりって間違いなく彼女の顔だよね」
「悪趣味、女の子にそんなの言うんじゃないわよ」
「はは、イリスの前じゃ黙ってるさ」
いけしゃあしゃあと笑っている靖治にアリサはため息を吐いていたが、今はリーダーの腹黒より羽根付きの腹黒を思い出して口を開いた。
「……ナハトのやつ、ナンパを断るついでに紫煙の奇術師の出方を伺ってみた、ってとこかしらね」
「やっぱりそうなのかな、アリサはあの男について何か知ってる?」
ナハトがイリスの前にアームレスリングで相手をした、怪しい風貌の冒険者。あの男とやり合う時のナハトは、仲間の眼から見て妙に神経を張り詰めていた。
恐らくはやつを引きつけるために、店の客たちを利用して腕相撲で騒ぎを起こしたということだろう。
「ヤバイヤツってだけ、金さえ手に入るならどんな悪逆非道もこなすって評判。非戦闘員相手だろうが虐殺鏖殺当たり前、村一つ皆殺しにしたって噂もあるくらい。利益のためなら赤ん坊ようなやつってことよ、あんたも気ぃ付けなさい」
「なるほどなぁ、怖いねえ。さっきのナハトは腕相撲で挑発してみて、あわよくば情報収集って算段だったんだろうね。まあそんな理由でもないと、店中の男から酒を巻き上げるってのは普段ならしないか」
「目的のためなら主義主張曲げて効率取るって考えたら、ナハトのやつも大概恐ろしいわね」
平時のナハトは勝手に自己嫌悪で落ち込むことこそあれ、他人に悪意を押し付けたり、力を利用して簒奪するような人ではない。
にも関わらず、必要と判断した彼女は即座にその決断を下した、態度が一貫しない辺りやはり信用するのは難しいとアリサは苦い顔をして眉を寄せる。
「アイツ、殺さなきゃいけないターゲットがいるなら裸晒すくらい平気でやるんじゃない? 騎士ってよりアサシンだわあの天使もどき」
「……それ、本人には言わないでおいてくれよ」
「言わないわよ。それよりアイツがそれするってなった時に、リーダーのあんたはどうするかって話よ」
アリサが振り向くと、靖治は手を握って前のめりで真っ直ぐな視線を虚空へと伸ばしていた。
彼は光らせた眼鏡の下から普段は見せない力強い眼で、ただ一言唇を動かす。
「させないさ」
「……そう、ならいいわよ」
まああんなのでも仲間だ、リーダーにはそこら辺を気にかけておいて欲しいと思いながら、アリサは席を立った。
「そろそろ部屋行って休むわよ、明日もまた忙しいんだから」
「そうだね、行こっか」
アリサに続いて靖治も椅子から立ち上がり、彼女の後ろを付いていく形で歩み出した。
しかし途中で店の中で誰かとすれ違うと、ふと靖治は足を止めて、今しがた横を通り抜けた男に振り返る。
「ちょっとそこの人! 僕の銃、返してもらえないかな」
前を行くアリサも足を止めて鋭い眼で後ろを見やる。彼女が靖治の腰に目を向けると、なるほど右腰のホルスターに入れてあるガバメントがなくなっていた。
靖治の視線の先にいたのは流れの冒険者だった、確かナハトにもアームレスリングで二番目に挑んでいた男。♂と♀のマークを入れ墨した、正直チンピラっぽい雰囲気のやつだ。
彼はモヒカンヘッドを揺らして立ち止まると、しかめっ面で眉を吊り上げながら振り向いてきた。
「……あぁん?」
返ってきたのは程度の低い悪党には典型的な恫喝で誤魔化すパターンだった。
わかりやすい相手に、アリサは思わず頭を押さえてため息をつく。
「ったくまたか、あんたはホント狙われやすい」
「へへへっ、なんだいボクゥ? 銃って一体なんのこと……」
ヘラヘラ笑った男が言い終わるまでもなく、アリサの背後から突如として赤い炎の手が伸び出て、あっという間に男の頭を掴み上げた。
親指から中指まで、三本の太い指で男が軽々と持ち上げられ、整えられた髪の毛が魔人アグニの手に熱されて煙を吹き上げる。
対人のため相当に熱量は落としているが、それでも人には強力過ぎる炎の拳に、男は大口開けて喉奥から耳をつんざくような悲鳴を響かせた。
「うぎゃあああああ!!?」
「ボクの銃、返してもらえますか?」
魔人の威容と哀れな悲鳴から店中の注目を集める中、靖治はまるで朝の散歩で見知った人に声を掛けるかのように、微笑みながらいたって普通の声で問いかけた。
そのあまりにも穏やかな表情に、店中の客がゾッとして息を呑む。盗みを働いた男も同様に恐怖心をいだいたようで、アグニに待ちあげられたまま手足をばたつかせて大慌てで懐から靖治の拳銃を取り出した。
「か、返す! これですっ、返しますぅ!!」
「うん、ありがとうございます。もういいよアリサ」
「ケッ」
靖治は銃を受け取ってホルスターにしまいなおすと、アリサに頼んで男を解放してもらった。
モヒカンを半分ほど燃やされた男が床にへたり込み店中が静まり返る中で、靖治がアリサと肩を並べると改めて部屋へ足を向けた。
「サンキュー、おかげで助かったよ」
「あんた狙われやすいのに変に勘がいいわよね」
「割と自分の変化を客観的に見るのは得意なんだ、病気の時は体に気を使ってたからね」
二人は他の客たちに背を向けて、悠々と店の階段を登っていく。その途中でアリサが靖治になんとなく質問した。
「……ちなみにさ、アタシらがいなかった場合、あんたどうしてた?」
「そもそも一人なら無警戒にブラつかないけど、まあ銃だから最悪手放してもいいし、どうしても取り戻したいなら闇討ちでもするしかないんじゃない?」
「それアッサリ言う辺りあんたも怖えわ……」
戦闘能力が皆無と言っていいのに眉一つ動かさず答える靖治に、アリサはやっぱりあの天使もコイツよりはマシだなと呆れ果てるのだった。
◇ ◆ ◇
明くる日、朝早くから出発した靖治たち一行は、昨日は一度往復した道をもう一度たどっていた。
まず次元光で入れ替わった遺跡を目指し、山沿いに荒れた道を歩く。先頭はイリスが率先して歩き、思わぬ障害が出てこないか注意して進んでいた。
途中、最後尾を歩いているナハトはしきりに後ろを気にしており、その一つ前を歩く靖治が彼女に尋ねる。
「どうしたんだいナハト?」
「あのマスクの男は追ってこないようですね」
ナハトはどうやら紫煙の奇術師がやって来ないか注意しているようだ、宿を出る時に確認したが、あの男は昨日からずっと部屋の中で休んでいるようだった。
そこにアリサが顔だけで振り向いて口を開いた。
「アイツ基本的に夜型だって聞いたわ。昨日も店に入ってきたの日が沈んでからでしょ」
「暗くなってから移動するなんて危険なはずなのに、不思議な人ですねー。そういう種族の人なんでしょうか?」
「後ろめたいことがあるからでしょうよ、お日様から隠れるやつって大体そうだわ」
基本的に旅をするなら日が出ているあいだだけ動くのが鉄則だ。暗闇では思わぬ事故を起こしたりするし、見通しが悪い中でモンスターに襲われれば甚大な被害を受ける可能性もある。
そこから外れた行動を取るとは、イリスの言うように夜に生きる種族なのか、あるいはアリサが言った通り人目を避けているが故か。
「ということは、もし彼奴が同じ道を来るならば、およそ半日遅れということですか」
話を聞いて後ろへの注意力を低く設定しなおしたナハトだが、前を見据える真紅の瞳は、自らに一時の油断も許さないかのごとく鋭く引き締められていた。
「あっ、見えてきましたよー!」
地面が盛り上がった場所を超え、昨日現れた遺跡を目視してイリスが明るい声で知らせる。
やがて遺跡の正面入口までやってきて赤い石の壁を見上げると、リーダーがここにどんな難関が待ち受けているのかと、好奇心に笑みを作りながら快活な声を上げた。
「さて、みんな気をつけて行こうか!」
諸事情で三日ほど行方不昧になります、次の投稿は7月8日月曜日です。




