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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
六章【朝へ向かう夜の狩人】
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128話『ナイスファイト』

「……オレが……やろうか」


 店の中に、枯れた木のような声が響く。

 紫のローブで身を包み、カラスのようなマスクを身に着けた不気味な男は、白い手袋を嵌めた手をテーブルにかざし、閉じて、開く。すると何もないハズの手の平から小ぶりの瓶が零れてきて、天板の上にゴトリと音を立てて落ちると、倒れることもなくそびえ立った。

 貼られているのは酒のラベル。琥珀色の命の露を湛えた瓶が種も仕掛けもなく現れたことに、周囲のギャラリーが驚きの唸り声を上げる。それを脇に見ながら、イリスがカラスのようなマスクを見て興味深そうに呟く。


「あのマスク、ペストマスクというものですね。昔、黒死病への対策として着用していた、後に言うガスマスクです。もっとも当時のそれは効果があったとは思えない作りでしたが」

「アイツは……っ」

「アリサさん?」


 他とは違う異様な雰囲気を醸し出すローブの男に、さっきまで気を抜いて見物していたアリサが急に表情を引き締めた。イリスが不思議そうに顔を覗き込んで問いかける。


「噂に聞いたことがある、『紫煙の奇術師』。アイツの冒険者カードが表示したカルマは……『ヘビィ』」


 アリサが情報をこぼした瞬間、ローブの男はマスクに嵌め込まれたガラス製のゴーグルから、ギラついた眼光をアリサとその周りに向けてきた。

 マスクから吹き出てくる得体の知れない威圧感が、指向性を持って熱風のように靖治たち三人へ叩きつけられる。

 他の客は何の痛痒も感じていないだろう、だがイリスは驚いて眼を見開いて相手を見つめ返し、アリサは片眉を吊り上げて腕を組んだ手をギュッと握る。命がけの戦闘の経験がある二人は、直感的に過去の死闘を思い出していた。


「靖治さん」

「うん。あははっ、背筋にバカでかい針を突き刺されたような感覚が来たね」


 靖治は背中の鳥肌を感じながら、薄ら笑いを浮かべて眼鏡をかけ直す。


「ああそうか、これが殺気ってやつか。ゾクゾクするね」


 不審な挑戦者を前にして、ナハトは一部の隙も見せずに鋭い目で相手のことを見つめていた。


「挑戦を……受けるか……?」

「えぇ、もちろん。おかけになって」


 ナハトはニッコリ笑って着席を促す、しかし人の良い笑みの下は緩まぬ警戒心が張り詰めていた。

 『紫煙の奇術師』と呼ばれた男は、さっきまであったグラスの代わりに酒瓶をテーブルの中央に据えるとナハトの向かい側に腰を下ろし、ゆっくりとアームレスリングの体勢に入る。

 差し出された手をナハトが掴み、対戦の姿勢を取った。手袋の下から感じられる手の感触は細身だが無駄なく鍛えられている、無駄な力が入っていなくて長い研鑽を感じられた。


「オレを、挑発していたな……まどろっこしいことだ……」


 マスクの下から奇術師はくぐもった声を聞かせてくる。

 相変わらず嫌な声だが、周囲の見物客には動揺が見られない。念話とは違うが、どうやらナハトにだけ伝わっている声らしい。


「試したいなら……最初から、オレの胸にナイフを……突きつけてくれば……良かった……」

「生憎と、そこまで野蛮な性格ではありませんので」

「どうかな……」


 奇術師はマスクのゴーグル越しにナハトを見つめてきた。

 その眼は見開いていて、まるで闇の底に住まう恐ろしい化物を見据えるかのごとく、恐れと絶望と、にじみ出る殺意の澱が漂っている。


「お前は、闇を抱えた眼をしている……オレと同じ……人殺しの眼だ……」


 その言葉に、ナハトはまるで理解者を得たかのように嬉しそうな笑みを一瞬浮かべ、すぐに真顔に戻った。

 周囲のギャラリーが奇術師の風貌に驚きながらも、怯えるよりも興味を惹かれて陽気な気分で観戦してくる中、二人は互いに油断ならない眼で睨み合う。


「カウントはオレからだったな」

「えぇ、どうぞ」

「いくぞ。3……2……」


 相手の出方を伺い、ナハトが気を引き締め神経を研ぎ澄ます。ナハトはこの男の登場を待っていたのだ。

 最初にナンパされている時に店に入ってきた奇術師の佇まいを見た時、彼もこちら側だと確信した。

 倫理の境界線の向こう側、錆びた血の黒、世に仇なす邪悪、どうしようもない罪人。ならばこそ、このご同輩に対して挨拶と、そして力量を測ることが目的だ。

 この手合に牽制は無意味、始まれば殺るか殺られるか、ならば事が起こる前に最大限の情報を集めておく。

 掴んだ手の感触から読み取れる相手の筋肉、マスクの奥から漏れる呼吸、それらの一挙一動から奇術師の持つ癖をわずかでも汲み取ろうとナハトは眼を細めた。


「1……――――」


 だが試合開始の直前に、彼の奥底から湧き出したドス黒い殺意の泥がナハトの足元をすくった。


「ゼロ」


 カウントが終わった瞬間、ナハトは渾身の力で込め、奇術師の腕は棒きれみたいにたやすく倒れて、テーブルに手の甲をしたたかに打ち付けた。

 手応えのない勝利にナハトが目を剥く中、奇術師は叩きつけられた右手を押さえながら悠々と立ち上がる。


「オレの負けだな……」


 奇術師は少しも悔しがることなくそう言うと、唐突に左手をナハトへと伸ばしてパチンと指を鳴らすと、わずかな煙を出して手の指の先に使い古されたウサギの人形が現れた。

 目を丸くするナハトに、白い毛が薄く汚れて黄ばんでいる人形を見せた奇術師は、それを自らの肩に乗せて踵を返す。


「また、会おう……」


 それだけを言い、奇術師はウサギの人形と共にテーブルを離れると、店の隅にある階段から二階にある宿の部屋へと足を運んでいった。

 奇抜な格好の男がアッサリ負けてしまったことに、ギャラリーたちは拍子抜けして肩をすくませている。


「なんだアイツ、おっかねえ見た目の割りに大したことねえな」

「全然弱っちいじゃん、期待はずれだぜ」


 だがナハトは自らの右腕を押さえ、奇術師が上階へと上がる姿をずっと睨みつけていた。

 黙りこくった彼女に、靖治が近づいて声を掛ける。


「どうしたんだい、ナハト?」

「……まんまとブラフに乗せられました」


 ナハトは真顔のまま、眼光だけをキツくして平坦に言葉を続ける。


「あの殺気に本気で来ると思い迎え撃ちましたが、実際にはまったく力を込めてこなかった。不覚ですね」


 力量を探るつもりでいたのに、奇術師の男は戦おうとはしなかった。そればかりか殺気を当てて来て、呼吸と直前の緊張から本気で攻めてくると誤認させ、逆にナハトの力を引き出した。

 読み合いでは上を行かれてしまい、ナハトはようやく悔しそうに口の端を歪める。


「まあそうか、ならそろそろ休んだらどうだい? あんまり気を締めすぎても体に毒だろ」

「ふふ、わたくしは半天使ですよ? 問題としません……しかしそうですね、もう挑戦者もいないようですしわたくしはそろそろ部屋に……」


 奇術師を引きずり出すのに店中の男を相手取ってしまった、まあ酔えない酒など美味しくもなかったが。

 ともかくこれ酒場にいても得はないだろう、明日からの探索に備えて借りた部屋に行こうかと、ナハトは片翼を揺らして立ち上がる。

 しかし歩み出すより早く、近くから長手袋を嵌めた細い手が挙がり、明るい声が酒場のざわめきを押しのけて響いた。


「はいはい、はーい! ナハトさん、私です! イリスです!」

「イリスさん?」


 存在を誇示したイリスが、アリサの隣から椅子を蹴って立ち上がると、今にも踊りだしそうなワクワクした歩き方でやってきてテーブルの向かいに座った。


「イリスがお相手します!!」


 腕を構えながら虹色の瞳を輝かせて、フンスー! と鼻息を鳴らすイリスに、ナハトは困惑して口元を指先で押さえる。


「い、イリスさん? まさかそっちの趣味がお有りで……!?」

「あはは、イリスも腕相撲やってみたくなっちゃったか」

「ハイ!」

「あっ、そうですよねそっちですよね……」


 一瞬夜のほうが目当てかと驚いたが、無垢なイリスがそれを目的とするはずもなかった。

 自分の思考の穢れさに自己嫌悪して羽根をしおらせるナハトに向かって、イリスが前のめりな姿勢で大きく口を開いてくる。


「さっきまで見ていましたが、単純な腕力だけじゃない駆け引きがあるみたいでとっても興味深かったです。私もぜひ一度勝負してみたいです!」

「……ふふ、わかりましたわ。なら承りましょう」


 純粋な眼で見つめてくるイリスに、ナハトも今は憂いを忘れて座り直した。

 清廉な美女と可憐な少女が向かい合う様子に、それまで残念そうに席に戻ろうとしていた男たちも、酒を片手に再び騒ぎ始める。


「おぉ、女同士でスペシャルマッチか?」

「頑張れよメイドっ子! 歳上相手だからって負けんなよー!」

「ハーイ!」


 歓声に明るい顔を向けて応えるイリスだが、実際のところまだ25歳のナハトよりも300年活動し続けてきたイリスのほうが歳上だったりもする。

 しかしそのほとんどを機械的に生きてきたイリスと違い、このナハトは駆け引きの妙では何枚も上手だ。お互いに楽な勝負とはならないだろう。


「イリスが相手ならナハトもハンデを上げてられないよね。今度は僕がカウントを取ろうとか」

「そうですね、お願いいたしますわ」

「靖治さん、イリスは頑張りますよー! 応援しててください!」

「あはは、どっちも仲間だからイリスだけ応援はできないさ」

「ハッ!? そうなんですか!?」


 靖治からの声援を当てにしていたのか、イリスはあからさまに落胆して、手の力が抜けるのがナハトにも伝わってきた。


「だからどっちも応援してるよ、悔いがないようにね。そしたら楽しいはずさ」

「……ハイ!」


 だがすぐ元気になったイリスを見て、やはりここはいいパーティだとナハトは頬を緩める。多分隣のテーブルから頬杖を着いて眺めてくるアリサも同じ想いだろう、しかめっ面の彼女も時たま表情が甘くなる。

 組み合った手を靖治が上から押さえ、お互いに精神を集中させる中、ナハトが口を開いた。


「イリスさん、これまでの戦闘から考察するに、腕力だけで見れば魔力を全開にしたわたくしよりも、あなたのほうがわずかに勝るでしょう。しかしそれで勝敗が決定しているわけではありません。人にはその人特有の呼吸があり体の緊張があり、集中する意識のムラがある。自分の力を全力で引き出すには一瞬に懸ける集中力が必要ですが、その直前には誰しも一瞬の意識の空白があり、隙き(・・)が生まれる」


 ナハトのレクチャーに対し、イリスは笑顔を止めて見開いた眼で食い入るように口の動きを見てきている。


「腕一本で競い合うシンプルさ故に、相手の呼吸を読み、コンマ1秒以下のせめぎ合いを制することが肝要な競技です。あなたも鉄の体とはいえ、その辺りは人間と変わらないご様子。しかと覚悟して臨んでください」

「ハイ! 全力で勝ちにいきます!」

「その調子です、こちらも手加減せずやらせて頂きますよ」


 すぐに笑顔に戻って勝ち気に眉を引き締めるイリスに、ナハトはこれは強敵だと意識して掛かった。

 自信を持った顔で見合った二人を靖治が交互に覗き込み、試合開始のカウントを数え上げる。


「それじゃあ二人とも準備はいいね? 行くよ。3……2……1……ゼロ!」


 躊躇なく唱えられたゴングに、イリスとナハトは眼を強く開いて全力で勝負に出た。

 イリスの腕に力の火が灯る、カウントに対して遅れのない素早い攻撃だ。だが本当にわずかだが初心者にありがちな力の乱れが見える、ナハトは後の先を取り、イリスのエンジンのかかりにあった力が弱くなる一瞬を狙って攻めた。

 勝負の始まりはナハトが制した、イリスの腕がガクンと倒れかけ、出掛かりを押さえ込まれたことにイリスは驚き、ナハトは更にその動揺を突く。

 イリスが立て直した時には腕は60度以上倒れて、勝敗が決まりかけていた。


「ぐぬっ!」

「ふっ、惜しい惜しい……」

「なんの! まだまだこれからです!」


 余裕を持った表情でいるナハトに対してイリスはどこまでだって全力だ。押され始めてからは驚嘆すべき集中力で取り掛かり、鼻息を荒くして勝負を巻き返し始める。

 段々とナハトから余裕がなくなり始める、いや最初に勝ちきれなかった時点でもう余裕はなかった。なんとかイリスの隙を作りたいが、今の一点に集中した力を前にして下手な小細工を弄せば押し切られる。

 力を込めた手が徐々に中間点へと戻っていく様子に、ギャラリー達のあいだにも熱気が奔った。


「おぉ!? 案外いい勝負じゃねえか!」

「メイドっ子、オレらの仇取ってくれー!」

「ナハトちゃん頑張れー!」


 声援を受けながら全力で踏ん張るイリスは、再び互角にまで勝負を持ち直した。頂点で震える手を互いにしかめっ面で睨みながら、余計な言葉も漏らさずに競い続ける。

 正直、この時点でもはや勝敗は決していたようなものだ、パワーで上回るイリス相手に真っ向勝負でナハトは敵わない。出掛かりこそイリスは仕損じたが、巻き返し始めてからは一瞬たりとも力を緩めていない、この先も決着までそうだろう。

 敗北を感じ取っていたナハトだが、それでも手は緩めなかった。それが内に残った一片の矜持であったし、何より真剣なイリスに水を差したくはなかった。

 着実にイリスが攻勢に回り始める。ナハトの手がテーブルの天板に近づき始め、いくら腕を震わせて反撃しようとイリスはそのすべて押さえ込んでくる。勝機が見えてきてもイリスに油断は生じない、ただひたむきに、勝敗よりも全力でナハトに挑むことに歓びを感じている顔だ。

 もう敗北まで間がない。いっそう苦しそうな顔をしたナハトが眉間のシワに汗を流し、なりふり構わず腹の底から呻きを上げながら最後の力を込めたが、イリスを押し返すことはできず、"トン"と軽い音とともに手の甲がテーブルに付いて、靖治が判定を上げた。


「そこまで! 勝者はイリス!」

「やった! 勝ちました靖治さーん!!」


 勝利を掴んでイリスが笑顔いっぱいで飛び跳ねる様子に、店中の観客もワッと沸き立った。

 それまで無敗だった美女に泥を付けたイリスへと、みなが「よくやった嬢ちゃん!」「おめでとさん! いっぱい飲むか?」と口々に褒め称え、歓声の脇でアリサもパチパチとさりげなく拍手を鳴らしている。

 負けたナハトも額の汗を拭いながら、どこか清々しい思いで称賛を送る。


「ふぅ……おめでとうございます、イリスさん。いい試合でした」

「ナハトさん、ありがとうございます! 何だか胸の奥が熱くなりました!」


 生死がかかった闘争とは違う、後顧の憂いなく全力を出し切る爽快感に、イリスははしゃぎ立っていた。

 そのまま誰ぞの酔っ払いがイリスの腕を引っ張り、「おろ?」と驚いた顔の彼女は男共に頭を乱暴に撫でられもみくちゃにされることとなった。

 困惑するイリスに酒がぶっかけられたりしているのを眺めながら、靖治がナハトへ声を掛ける。


「ナハトもお疲れ様。腕大丈夫?」

「えぇ、問題ありません。ご心配なさらず」


 通常の人間ならば後日に障るくらいのパワーを出したが、ナハトの肉体は筋肉の損傷を速やかに回復しつつあった。こういう時に半天使の肉体は便利だなと自分で思う。


「強い方ですね、イリスは」

「だね、どんどん色んな顔を見せてくれて驚くよ」

「そうですね……」


 いい加減バカ騒ぎが過ぎたところで、見かねたアリサが割って入りイリスを強引に連れ戻す。

 イリスの純粋さは彼女の大いなる強みだ。どんな物事にも真っ直ぐぶつかれる特性は、絶え間ない成長と粘り強さを生む。

 だが同時に、それはある意味欠点でもあると、ナハトは感じていた。


「……でも、そうですね。少し意地悪もしてみましょうか」

「はは、お手柔らかにね」


 微笑む靖治にナハトは茶目っ気を込めてにウィンクを送ると、イリスへと近づいた。


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