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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
一章【虹の門出】
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13話『心、通わせて』

 靖治はお風呂から上がった後、戻ってこないイリスを放っておいて、のんびり過ごした。

 誰もいない病院を歩いて周り、造花の鉢植えを楽しみ、イリスや無人ロボットが整備してくれていたのだろう休憩室のコーヒーを楽しみ。

 何気に未来技術で出来た治療室を見て回り――何やらそれっぽいカプセルなどがいっぱいあった――歯を磨いてトイレに行って、昔の消灯時間には適当な病室のベッドにくるまり、イリスが今頃何かを感じていることを願いながら、幸せに眠りについた。


 これからの人生にワクワクしながら熟睡し、目が覚めたのは翌日の夜明け前。


「ん……」


 寝ぼけ眼で起き上がる。東側の部屋を選んだため、窓からは白んだ空と、大阪にあるという街の灯りが見えた。


「んー、よく寝た……メガネ……掛けてたほうが落ち着くんだよねー」


 伊達メガネでも愛着があってつい手を伸ばしてしまう。姉とお揃いなのが地味に気に入ってるのだ、我ながらシスコンだと思う。

 メガネを掛けてガラス越しに左手に付けた腕時計を覗くと時刻はAM4:30と表示されており、その隣にナノマシンの調整率を表す95%の数字があった。

 この数字が100%になった時、病の鎖から放たれて晴れて自由のみとなる。楽しみで頬をニヤつかせながら、ベッドの上で背伸びをした。


「あの人……イリスはどこだろ」


 学生服に袖を通し、病室から廊下に出る。

 一生懸命なイリスのことだから、大声で呼べば来てくるかもしれないが、そうやって気分次第でこき使うのは気が引ける。

 イリスの行きそうな場所を考えて、なんとなく病院の屋上に当たりをつけて行ってみることにした。

 1000年前に入院していた病院は屋上が締め切られていたので実は行くのは初めてだ、彼女のことを抜きにして純粋に行ってみたいという気持ちもある。

 いけないことをしているみたいで、ドキドキしながら階段を登り屋上へと続くドアノブを握ると、ガチャリと音を立てて開いてくれた。


 外に出る。大きな戦艦の上に建てられた病院の更に上は、風が強くて耳元で唸っている。

 肌寒さを感じながら周囲を見渡してみると、幸運なことにメイド服の彼女がいた。


 イリスの眼の前には、いかにも未来技術っぽい空中ディスプレイが複数浮かんでおり、真っ直ぐ立ちながらそれらの表示に目を通していた。

 真剣な表情だ、靖治にはわからないが、恐らくは何かしらの作業をしているのだろう。

 見つけてすぐに、イリスも靖治のことに気づいて振り向いてきた。


「靖治さん!」


 こちらを見るなりパアッと顔を明るくしてきて、髪を結んだ黄色いリボンが犬の耳のようにピンと揺れた。

 彼女に靖治も釣られて笑みを浮かべる。


「おはようございます!」

「おはよう、イリス。邪魔しちゃった?」

「いいえ、大丈夫です。すでに作業は完了して……あっ! そこ足元に気をつけて下さい! 昨日、私が壊しちゃって」

「っとと」


 靖治が歩き出そうとしたところでそう言われ、慌てて足元を見ると確かに砕けた部分がポツポツとあった。


「昨日は先に寝ちゃってゴメンね」

「いいえ、とんでもない! 私の方こそ職務を放り出してしまい申し訳ありません」

「大丈夫だよ、病院の中は整備されてて快適だったし、おかげでよく眠れた」

「それは大変良かったです! いい睡眠は健康にとって重要です」


 イリスは人差し指を立て、得意げにそう説いた。その様子はやはりかわいい。


「イリスはどうしてここに?」

「戦艦の防衛プログラムを万全にしていたところです、出発まではここにいますからね。それと昨日、奇妙なことがありまして」

「奇妙なこと?」


 靖治の前で、イリスは白い長手袋で包まれた手を胸元まで持ってきて、指を胸に当てた。


「私、機械なのに不思議なことに呼吸するんですよ。どうやら空気中から何らかのエネルギーを取り出しているようなのですが」

「うん?」

「昨日、空気の味を感じた気がしたんです」


 イリスは靖治から視線を切り、遠くの空を見上げた。

 空気が澄んでいるおかげで、西の方の空は宇宙に浮かぶ星たちを鮮明に映し出している。その繊細な輝きを背景にして、イリスは立っている。

 夜明け前の、これから何かが起こる神聖な時間。イリスは風で銀髪をたなびかせていて、それなのに機械の身体は微動だにしない、まるで出来すぎた絵画のようだった。


「私、ずっとこの呼吸機能が不満でした。どうしてもっと効率的でないんだろうって。でも昨日、叫んで走ってこの戦艦に帰ってきた時、いつもと違って呼吸が嬉しく感じたんです。あれが人の言う空気の味かもしれないと思って」


 その言葉は嬉しそうなのに、再び靖治を見たイリスは何故だか少しだけ眉を曲げて、苦い笑いを浮かべた。


「でも、今はあまりいつもと変わらなくて……ただの誤検出だったかもしれません」


 そう語るイリスの苦笑は、靖治の目に儚げに映った。

 そんな彼女が見ていられなくて、つい靖治は口を挟む。


「そんなことないよ、その時のイリスが感じたものは真実だったはずさ」

「そう……でしょうか……」


 口ごもるイリスは、昨日までと打って変わってしおらしい。

 靖治は気にかかって、種族の違う彼女でも受け取りやすいように、言葉を選んで問いかけた。


「何か困ったことでもあるのかい?」

「困ったこと……ではないですが……」


 イリスは靖治から距離を取るように離れると、屋上のへりに手を置き体重をかけた。

 少しずつ、少女は自分の言葉を紡ぎ始めた。


「閉鎖都市東京で虐殺があったのは伝えたましたね。それから私が靖治さんを見つけるまで、およそ百年のブランクがありました」

「うん」

「私はそのあいだ、ずっと奉仕対象を探し続けていたのです」


 遠くの景色に過去を見つめながら、イリスは語る。

 その声色は固く、わずかに悲壮が隠れ見える。


「もともと、私は単純なプログラムに従う、感情のない看護ロボの一つに過ぎませんでした。一応、メンタルケアの観点から人間が好みやすい発声や仕草を設定していましたが、プログラムをなぞっているだけで、高度な自律思考は搭載されていませんでした」


 イリスは眼球のプロジェクターを起動させると、屋上の床を照らして映像を映し出した。

 卵型のボディに腕と四つの足を付けた、胴体の上部に液晶パネルを取り付けた愛嬌のあるデザインが浮かび上がる。

 パネルに笑顔のマークを点滅させるロボットの映像を、靖治は興味深そうに顎に手を当てて覗き込む。


「ほぉー、最初のイリスはこんなんだったんだ」

「はい。私の他にも同型機はたくさんいて、人間がいなくなった世界で人間の看護をしようと、自分の仕事を探して無意味に動き続けていたのです」


 イリスが教えてくれた情景は、とても悲しいものに思えた。

 人間がいない世界であてもなく彷徨うとは、どんな気持ちだろうか、靖治には想像がつかない。

 だがイリスが言うには、当時の彼女はその気持ちを抱く機能すら持ち合わせていなかったことになる。


「私達は何年も、何年も人間を探し続けました。でも病院の外にまで出て、街中を探しても誰もいなくて、時間が経つうちに同僚たちは段々と故障して数が減って行きました。私達は自己保全プログラムに従って修理しあい、共食い整備も行って、最後に残ったのが私でした。でもその私も、活動限界までもう僅かでした」


 イリスは手を握りしめ、浮かべていた映像をかき消した。


「限界に近い機体で、誰もない病院の景色を記録しながら、ただ終わりに向かう日々。でも私は、終わらなかった」


 イリスの目が大きく見開かれる、虹色の瞳が揺れ、彼女の語気が僅かに高まる。


「病院の中庭にあった秘匿領域。整備不良によりたまたま隠し扉の痕跡が現れて、私はそれを見つけました。地下に続く階段を降り、未知のエリアの先で見つけたのです」


 虹の瞳が、靖治をまっすぐ見据えてきた。

 絶望をかき消すほど煌めいて、命が踊るような艷やかな虹彩で。


「――あなたを」


 力強く、イリスは口にした。


「僕が……隠されていた?」

「はい。私はコールドスリープに眠る靖治さんと、いま私が使用している、この義体を発見しました。何故そんな場所にそれらが安置されていたのか、私にはわかりません。でもそんなことはどうだってよかった」


 イリスが拳に力を込める。


「装置の中で眠る靖治さんを見つけた時、私の回路に今までにない刺激が走りました! まるで電撃に打たれたような錯覚のあと、思考が機能の限界を突破して、規定外の演算が内側で飛び跳ねました! 百年かけて探し続けたその先で、靖治さんの存在を認めた瞬間、絶対にこの人を助けたいと思った。ただのロボットに過ぎなかった私に特別な自我が発生したんです!」


 核心を語る言葉はがむしゃらで、力強かった。

 同時に、まるで自らの存在を訴えかけるように必死で、健気さがあり――どこか恐ろしさに満ちているようだ。


「あなたを保護するために、私はすぐにこの義体に自我をインストールし、そこからはすでに説明したとおりです。戦艦を奪い、コールドスリープ装置ごと靖治さんを連れ込み、東京を脱出。二百年かけてあなたを目覚めさせました」

「そういう、経緯だったんだ」

「はい、私はあなたを見つけた時に感じた、謎の衝撃に導かれるように、靖治さんのことだけを考えて今日まで活動を続けてきました。でも、私はたまに考えるのです。あの時に感じたものはただの誤作動に過ぎず、自我と定義したものは幻に過ぎないのではないのかと」


 声が沈む、虹が揺れる。

 たった一人でこの世界に挑めるほど強いのに、銃弾を受けても立っていられるほど頑丈なのに、吹けば飛んでしまいそうな弱々しさでイリスは微笑んだ。


「この義体、何故だか感情値によって性能が変化する機能があるみたいなんですよ。もしかしたら効率的に機能を発揮するために、私は心があるフリをしているだけかもしれない。自分に自我があるだなんて錯覚した、ただの看護ロボットがここにあるだけじゃないのかなって、時間がある時にそんなことを考えます」


 不安なのだ、イリスは。

 親もなく、友もなく、ただ自分の役割だけを信じて、彼女は今日まで歩いてきた。

 他に寄る辺なく、仕える主だけが眠るこの戦艦を帰る場所にして、どれだけの苦難に立ち向かい続けてきたのだろう。

 彼女の張り詰めた笑みに宿る冷たさに、靖治は切ない気持ちになって、珍しく眉を曲げた。


「……イリス、手を出してみて」

「へっ? はい」


 言われるがままに差し出された右手を、靖治は左手で掴み引っ張ろうとした。

 しかし虚弱な靖治がちょっと力を込めた程度じゃ、イリスの身体はビクともせず、彼女が不思議そうに首を傾げるだけだった。


「んっ! くっ……重たっ」

「はい! 機械ですから!」

「そっかぁ~……じゃこっちから」


 諦めた靖治は、手を握ったまま踏み出してイリスに接近すると、空いた右手を彼女の身体に回して、ギュッと抱きしめた。

 機械の硬い体へ、服越しに人の肉の柔らかさが押し当てられる。


「えっ……? え、えぇっ!?」


 突然の抱擁にイリスは困惑の声を上げて後退りする。軽い身体の靖治はそれに引っ張られたが、それでも執拗に抱きしめ続けた。

 イリスの背は靖治よりも高くて、彼女の方に顎を乗せて密着する。


「ど、どうしたんですか靖治さん!?」

「弱った時はこうするのが一番って、姉さんの教え」

「そんな……私にはそんなもの必要なっ……ないです……」


 抱きしめられて、イリスは顔を真赤に染め上げて、美しい視線をあちらこちらへ忙しなく漂わせる。

 構わず腕の力を強める靖治は、目を薄くして、ぼんやりとイリスの身体を感じていた。


「イリスの身体は硬いね」

「き、機械ですから……」

「そうだね。あっ、でもほっぺたは柔らかい」

「うひゃあ!?」


 靖治は躊躇なく頬を寄せ、ピタッとイリスの頬に合わせた。

 イリスはあわあわと口を動かしながら、緊張したように身体をビクビクと震わせる。


「か、顔の周りは人工皮膚で覆ってますので!」

「そうなんだ。服の下はなんだか温かいね」

「体表温度はに、人間に近いよう設定していますので!」

「でも段々熱くなってきてるね~」

「靖治さんのせいですよ!」


 少し顔を離して、今度は胸を押し付ける。

 返ってくるのはやはり硬い感触だが、美しい胸の膨らみは感じ取れた。

 イリスが余計に「ひゃんっ!」と悲鳴を上げているのを聞きながら、伝わってくるものに集中する。

 トクントクントクンと、小刻みな振動が靖治の胸を叩く。


「イリスの胸から、なにか感じる……鼓動?」

「私のコアです……その、人間に近いデザインがされているようですので」

「はは、すごい早鐘打ってる。おもしろーい」

「そ、それもあなたのせいじゃないですかあ!! もう、離して下さい危険です!!」


 いよいよ限界が来たイリスが靖治の身体を力づくで押しやると、即座に頭をパックリ開いて「ポォーッ!」と蒸気を噴出させた。

 緊急冷却を済ませたイリスは、潤んだ瞳で靖治を憎々しげに睨みつける。


「私の身体で遊ばないで下さい!」

「ははは、ごめんごめん。ねえ、ところでイリスは僕の身体を感じられた?」

「もちろんです、機体表面にも複数のセンサーが搭載されてますから。この義体は高性能なんですよ」

「じゃあ、どんなふうだった?」


 靖治はイリスの手を握ったまま、こともなげに聞いてきた。

 涼しい顔の彼に、イリスは不満げに口を結んだあと、赤い顔をそらしてボソボソと呟く。


「体温は36.1度と推定、健康的です」

「ほかは?」

「その……骨ばってるけど……ちょっと、柔らかかった……です……」


 悩ましげに付け加えるイリスに、靖治はまっすぐ見つめながら問いかけた。


「僕が生きているって、信じられる?」

「当たり前です、思考も肉体も正常に機能していると、検査でハッキリしています」

「僕はこの世界じゃ、君がいないと生きていけないちっぽけな人間だ。明日に終わるかもしれない命でも、生きてるって言える?」


 弱い人間の弱々しい不安に、イリスは向き直って目をあいだを締めて叫んだ。


「言えます! あなたの明日は私が護りますから!」


 鼻先が触れそうなほど顔を詰め寄って叫ぶ彼女の目に、靖治はにっこりと微笑んだ。


「君が僕を信じてくれるなら、僕もイリスを信じるよ」


 イリスが息を呑む。

 関節を固くする彼女を労るように、靖治は握っていた手に右手も重ねて、温かさを伝えるように頑張った。


「イリス、君は何も感じられない冷たいロボットなんかじゃない。僕を信じさせてくれるような、温かい心のある素敵な機械だ」


 イリスの戸惑いに、靖治は真っ向からぶつかりに行った。

 それは一人で生きられない人間の弱い現実でありながら、何よりも強く、鮮明に、イリスの胸に透き通って行く。


「イリス、僕と生きてくれ。僕には優しさを持った誰かが必要なんだ」


 男子としてはなんとも情けなく、しかし本心から出た本物の言葉の渦だった。

 言の葉は東の彼方から風を運び、健やかな光のように駆け抜けて、イリスの髪の毛をさらってたなびかせた。

 日が昇る。明けた空から眩しい日差しが、二人の始まりを照らし出す。

 背に日輪を浮かべて見つめてくれる靖治の温かさに、イリスは泣き出しそうになる顔をキュッと締めて、けれど心から嬉しそうに、作り物じゃない笑みを浮かべて。


「はい、靖治さん。私は――」


 ――イリスは靖治の背後で日差しに負けないほど赤い炎を見つけた。


「あれは――」


 即座に眼球を望遠モードに切り替えて遠くの砂漠を見る。

 三台の車両と、そのそばにたつミズホス、そしてフードをかぶった少女を見た。

 視線の先でその少女はマントをたなびかせながら頭のフードを外し、その下から炎のような紅いツインテールの髪と氷のような蒼く鋭い眼を尖らせた。


「行くよ、魔人アグニ」


 その少女、アリサ・グローリーの身体から炎を燃え立ったかと思うと、それが上半身だけの人型を模って行くのを見て、イリスは腕を伸ばした。


「――伏せてっ!」

「へっ?」


 イリスが靖治の肩を掴んで、抱きしめるようにして彼を押し倒した直後、爆発音が砂漠に響いて戦艦が地震のように揺れた。

 ギゴゴゴゴゴゴゴと不気味な金属音を立てながら傾いていく足場に、腹の底が揺さぶられる感じながら靖治は身を縮こませる。

 しばらくして音と揺れは収まったが、世界は傾いたままだ。


「い、今のは!?」

「襲撃です、でも今度のは……」


 イリスが駆け出して屋上から身を乗り出す。

 戦艦の右側から黒煙が上がっていて、船体が左に傾いている。


「艦の空間防壁を力づくで突破された。空間を粉砕するレベルの異能力者……!」


 もう一度砂漠を見る、そこには炎でできた魔人を浮かばせるアリサが、不敵な笑みでこちらを睨んでいた。


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