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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
五章【エゴイストのエンドレスカーニバル】
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120話『その眼で穿て』

 オーガスラッシャーの一員として戦いに望んだウポレとケヴィンは破れた。

 唯一残ったハヤテもまた、背後に立った靖治から銃を向けられて絶体絶命のさなか背中に汗をかいていた。

 だがハヤテにとって何よりも恐ろしかったのは、自らの生殺与奪権を握られているというのに、今なお向けられた銃口から死の気配を感じないことが恐ろしかった。


 ハヤテはその場に膝立ちの状態で動かないまま、臭いだけで改めて相手のことを探る。

 靖治は2メートルほど離れた場所にしっかりと立っている。冷や汗の臭い、恐らくはさっきの銃撃からくる痛みによる反応だ。また糞や泥の臭いが酷い、体中に浴びてできるかぎり体臭をカモフラージュしていたようだ。

 この場に至ってもこの少年は冷静だ。長年発作を抑えてきた経験から呼吸は可能な限り身体機能を発揮できるよう整えられており、安定した息遣いはハヤテの耳にも伝わってくる。


「テメェ、いつの間に……どうやって血の臭いを隠した」


 戦闘が始まる契機にハヤテは靖治の右手へと確かに弾丸をブチ込んだのだ、これは簡単に隠せる臭いではない。貫通した銃創から垂れ流しになった血が、本当なら靖治の接近をもっと早くに教えてくれるはずだった。

 苦々しく口を歪めながらハヤテが問いかけると、その背後で靖治は冷や汗をかいた顔で緩く微笑み、のんびりと落ち着いた口調で答えた。


「傷口にそこらへんに落ちてた糞を詰めたんだ、上手く行ってよかったよ」


 靖治は弾丸が貫通した右手から溢れ出る血が止まった後、肌の血を水で洗い流してから、傷口に糞を練って詰め込んでいたのだ。だらんと垂らした右手には、今もその糞がへばりついて傷口を覆っている。

 背中越しに事実を聞かされ、ハヤテは驚愕しつつも、どこか気持ちを高揚させたように口から唾を散らした。


「オイオイマジか! 病気になんぞオメェ」

「普通ならそうだろうね。でも生憎と僕の体はかわいいイリスの想いで護られてるのさ、このくらいワケないよ」


 これが通常の人間なら感染症で早々に命を落とすことになるだろうが、靖治は体内にイリスから与えられたナノマシンにより病原菌に対しても耐性を有している。だからこそこんな無理な強硬策に出れた。

 とは言っても、敏感な傷口に糞を塗り込む行為はかなりの激痛を伴うはずだ。そもそも最初に弾丸が手のひらを貫通した時点で、苦痛に悶えて動けなくなってもおかしくない。

 その痛みを押して山の中を歩き回り、隠密行動をやり遂げるとは、つい先日まで闘争とは無縁であった少年の胆力とは思えない。


「よくオレの位置がわかったな」

「あんたのことだ、戦場の中で静かな場所に隠れてると思ったよ。付かず離れず、全体をよく観察できて好奇心を満たせる位置に。戦場の空気を肌に感じられて、一番戦いを楽しめそうな場所にね」


 たった一日程度同行しただけで、ハヤテの思考の癖を読み取り行動に取り入れた。多分それは、靖治がよく人を観ていたからだけではない、別のところにも理由がある。

 どこか似ているだ、自分たちは。

 そのことを感じ取ったハヤテは身動きを封じられたまま、喉を震わせて笑い声を上げた。


「クッ……ククク……クッハッハッハッハ!!」


 細長い口を天へ向けて快活に笑うハヤテを、靖治は眼鏡の奥から彼らしからぬ冷ややかな眼で見ていた。

 笑い声を終え、ハヤテは俄然瞳に力をみなぎらせ、背中に立つ靖治へと意識を傾ける。


「ククッ、いいぜ、最後まで油断するなよ。一瞬たりとも目を離すな」

「……まだやる気かい、ここらで引いても良いんじゃないかって気がするけど」


 靖治の言葉は重くなくて敵意の臭いも殺気の臭いも漂ってこないというのに、その奥には覚悟が灯っている。

 銃を持つ手の人差し指はセオリー通りトリガーにかけず真っ直ぐ伸ばされているが、状況に動きがあればすぐに対応できるよう精神を集中していた。


「こいつはアンタが持ち出したM500じゃない。優秀なガンスミスから譲ってもらったグロックだ、反動は小さいけどまだ銃によく慣れてないし、左手で扱っているから手加減はできない。下手をすると殺すことになるよ」

「ハッ、何を言いやがる、それがいいんじゃねぇか」


 妙な動きを見せれば靖治は即座に弾丸を放つだろうということが、淡々とした言葉から嫌なくらい伝わってくる。間違いなくこの少年はやれる人間だ。

 だというのに殺気の臭いがしないというのがハヤテとしては気に入らないが、これ以上にピッタリな相手もいまい。


「いいぜ、試し時だ。オレという命が、一体この世界でどこまで通用するのか。お前がその証人になってくれるってんならありがたい」

「そうか、アンタはそういうタイプの馬鹿か」


 ハヤテは身動きを取らないまま、脳内のイメージで右腰のホルスターにあるハンドガンの抜き方を思い出す。その間にも靖治は銃を手に持ったまま様子を見ている、恐らく一線を超えるまで彼も動かない。

 慈悲深い男だと思いながら、ハヤテは目の前の林を見つめる眼を細めた。この場で余計な威圧は不要だ、闘志は体の内側に押し込め凝縮し、その一瞬にすべてを縣ける。


「いいか、行くぜ……? 見逃すなよ――」


 分水嶺に立たされた体が全身の細胞にパトスを送っている。痺れるような緊張感に、ハヤテは歓喜し体中の毛を逆立たせる。

 そして切り立った崖から海へとダイブするような大胆さで、ホルスターの銃を右手で抜いて背後へと牙を剥いた。


「――オレを、見ていやがれ!!」


 威勢よく言い放ったハヤテが狙いを定めるより早く、短く鳴った二つの銃声と共に二発の弾丸がハヤテの脇腹に突き刺さった。

 タクティカルベストのわずかに下、さらけ出されていた毛むくじゃらの腹から血を吹き出し、ハヤテは目を剥いてその場に尻餅をついて、手に持ったハンドガンは力なく地面に垂れ下がる。

 震えながら銃創を手で押さえるハヤテの前で、靖治は銃口から硝煙を漂わせながら変わらぬ眼でハヤテのことを見下ろしていた。


「まったく、変なところで融通が利かない人だね。まあ僕が言えた義理じゃないけど」


 靖治は少し呆れたように言いながらも、まだ油断せずに銃でハヤテのことを狙っている。もしここから更に反逆すれば、容赦なくトドメをさしてくるだろう。


「で、どうする? まだやるかい」

「ゴハッ……グッ、くぅ……こ、降参だ……クハハ、やりおるぜまったく……」


 ハヤテは口の端から血を吐きながら、銃を手放して震える両手を上げ降伏した。流石にこれ以上やったところで勝ち目がない、それでは死にに行くのと同じだ。

 痛みの中、ハヤテは靖治のことを睨み上げて、彼の迷いない眼を見て気に入らなさそうに毒づく。


「イヤな眼をしてやがる。慣れない左手で怪我までしてるのに、弾が外れるかもなんてビタ一文思ってなかった眼だ」

「別に、外れる可能性を考えてなかったわけじゃないさ」


 ハヤテの悪態に、靖治が何でもないことのように短く答える。


「まあ、外れたらその時はその時だよ」

「クハハハ、そうかよバカ野郎め……ゲフッ、ゴホッ……」


 ここまで来ておきながら、なおも靖治からは殺意の臭いが感じられない、せいぜいが稚気にも似た少しの敵意があるくらい。この少年は相手を殺してやろうという意思ではなく、ただ降りかかる火の粉を払うだけの気持ちで引き金を引いていたのだ。

 その眼を見ていると、まるで今が平穏の延長線上にあるように思えてくる。


「フン……全部諦めやがったクソ老人みてぇな眼しやがって」

「何も、ただいつかはみんな死ぬってだけさ」

「ハハ……そうか、オメェも死に目を見たクチか」


 ただあるがまま、目の前の事象に対してそうするのが良いからという理由で、相手を殺すかもしれない銃弾を躊躇なく放つ靖治に、ハヤテは呆れて喉を震わせた。


「グックック、気に入らねえ眼だ……クソ……」

「あんたが見てろって言ったんじゃん」

「それはそれだ! ガハハ! ガハッ! いづづ……」


 靖治が珍しく苛立って眉を吊り上げるのを見て、ハヤテは愉快そうに笑って血を零した。

 そうしていると銃声を聞きつけたのだろうイリスが、こちらを見つけて遠くから声をかけてきた。


「せ、靖治さん!? こんなところで何してるんですかぁ!!?」

「おっと、イリスが来たようだね。これで僕も楽ができる」


 駆け寄ってくるイリスをチラリと見て、靖治は銃を向けたまま優しい口調で語りかける。


「さあ、遊びは終わりだよ。仲間たちのもとに帰ろうか」

「あぁ、終わりだ。楽しい時間だった……お前は?」

「特に何もさ、火遊びは趣味じゃないんだよ」

「ンだよ、張り合いねェなぁ……」


 そっけない返事にハヤテは残念そうに息を吐く。


「なぁ、おい靖治よ。その諦めた眼でどこまで行く気だ」


 ハヤテからの問いに、靖治は銃を持ったまま木の隙間から空を見上げた。


「諦めは良い、執着を捨てた先には新しい世界がある。そうやってたくさんのものを諦めてきたからこそ、僕は先に進めた」


 空を羨むような眼の裏側に、かつて彼が過ごした苦難の(とき)が流れる。

 病魔に苦しみ、普通の人が誰でも持ってるモノを星の数ほど諦めてきて、しかしだからこそ彼はここにいる。


「世界が僕に何を見せてくれるのか、その最後に待つ優しい死の終着点まで、許される限りどこまでも行くよ。彼女たちと共にね」

「フン、嫌な答えだ……イヤな……な……」


 やってくるイリスを見つめながら穏やかに答える靖治に、ハヤテはいつまでも嫌味な言葉を零していた。


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