108話『休息』
山中の林で涼しい風が吹いている。木の葉のささやきに混じって清らかな水の音を感じて、目を閉じていてもここが川辺だとわかった。
先の戦いで負傷して気を失っていたナハトは、自らがうつ伏せで寝かせられていることに気づき、重いまぶたを開けて体を持ち上げようとした
「ここは……」
「目ぇ覚めたか、まだ寝てなさいよね」
横になったまま視線だけを上に向けると、そこにはマントを脱いだアリサが横倒しにされた丸太の上に片膝を立てて座っていた。
どうやらナハトは背中に電撃を受けて気絶し、純白の鎧をまとったまま川辺にあった平たい岩の上に寝かされていたようだ。
岩との間にはマントが挟まれており、彼女が気遣ってくれたのだとわかる。
「セイジさんは……?」
「あん時からはぐれたままよ、今はイリスが捜索中。あのポンコツメイド女が必死に走り回ってる頃でしょ」
どうやら守護者の戦いから逃げた折に、靖治が吹き飛ばされてからそのままのようだった。
「申し訳ありません、足を引っ張ってしまい……」
「いいわよ、おかげで逃げ切れたし。それより傷の方は大丈夫なわけ? 一応、イリスのやつが最低限の消毒はしてたけど」
「この程度、問題ありま……ぐっ!」
回復魔法を循環させつつ起き上がろうとしたナハトだが、背中から走った激痛に端正な顔をしかめて崩れ落ちた。
清廉な片翼と十字のアザを乗せた背中は、赤黒く焼け爛れて酷い有様だった。
再び倒れるナハトに、アリサが慌てて立ち上がると駆け寄ってきた。
「ちょっと! 無理しないでよね!?」
「はぁはぁ……面目ありません、通常ならこの程度の傷はすぐ治癒できるはずですが……」
純人間でなく半天使であるナハトは、魔力での回復も相まって、多少の傷を受けてもまたたくまに治することが出来る。
だが青騎士の電撃を受けて焼け爛れた背中は治る気配を見せない。
「どうやら相当の呪詛が込められた雷だったようです。魔力を阻害してきて、回復が遅れて……」
「しょうがないわよ、守護者が出張ってくるようなやつよ。それで治せるの?」
「時間をかけて毒素をレジストして、それからでないと……恐らく、一日ほどは……」
「そう、まあ死なないなら良かったわ」
返事を聞いたアリサが距離を取ると、腰に手を当てて丸太に座り直した。
ナハトも無理をすればイリスの後を追えるだろうが、そうすれば後に祟るだろう。旅を続けたくば安静にするのが懸命だ。
しかし己の体たらくに悲痛そうな表情を浮かべ、それを見たアリサが眉をひそめてきた。
「……ったく! 情けない顔してんじゃねーわよ!」
「アリサさん?」
アリサは苛立った様子で手首に付いた枷を丸太にぶつけてゴンゴンと打ち鳴らすと、顔を背けてあらぬ方向を見ながらまくしたてる。
「アンタはあたしをかばった! それでいて生き残った! ならあんたは勝者よ! 勝ったやつは自分の醜さなんて忘れて、調子乗ってヘラヘラ笑ってればいいのよ!」
「……もしかして、わたくしを励ましてくれてます?」
「うっさいばか、傷開いて死ね!」
「まぁ酷いお方」
ぶっきらぼうなアリサに、ナハトは嫌なことを忘れてクスリと笑えられた。
薄い笑みを広げたまま、目元を和らげてアリサを見やる。
「ありがとう、なら早速助けた恩を返して欲しいのですが」
「はあ?」
アリサが短く聞き返してみれば、ナハトの全身が淡い光に包まれたかと思うと、薄い光の下で身にまとっていた鎧と黒衣が透けるように消失していく。
やがて目を丸くしたアリサの前で、重たい衣装を解いてショーツだけをまとった姿になって、ナハトは身軽な体を起き上がらせた。
「体、拭いていただけません? 傷が傷んで一人ではどうにも……ね?」
片翼をしならせながら日差しの下で白い肌を見せつけてくる。その艶のある肉体は激しい戦いをこなす聖騎士でありながら背中以外に傷はなく、程よく筋肉のついた健康的な体だ。
アリサは思わず視線をそらし「すぐ脱ぐなー、こいつはよー……」と毒づきながらも断りはしなかった。
仕方なくアリサは自分の荷物から鍋を取り出すと、川から汲んだ水をアグニの火で沸騰させてから、その水でタオルを濡らしてナハトの体を吹き始めた。
大きな手枷が傷ついた体にぶつからないよう、慎重に手を動かしながら手足から汗や汚れを拭いていく。
拙い動きでされる奉仕に、ナハトは薄く目を閉じて身を任せ、ゆったりと力を抜いていた。
「フン、背中に攻撃されてたけど、羽根は問題ないわけ?」
「わたくしの翼は魔力で紡いだ半実体です、損傷しても魔力で補修すれば肉体よりも簡単に治りますから」
背中全体が電撃によって焼き爛れていたが、右背にだけ生えた翼は一点の曇りもなく、神聖な輝きをたたえている。美醜観念はどうでもいいアリサも、この純白には綺麗だと思った。
そしてまた、背中に描かれていた十字のアザも、酷い火傷にもかかわらず近くで見ればその形がわかった。
「変なアザね。背中が焼けてるのに十字だけ浮かんで見える」
「生まれた時からの付き合いですから」
アリサから丁寧に体を拭いてもらい、ナハトは少しだけ体が軽くなってきたように感じる。依然として背中は痛むが、頭の中はスッキリしてきた。
だが懸念はあり、ついポツリと零してしまう。
「……心配ですね」
「アイツがそう簡単に死ぬわけ無いでしょ!!」
ナハトが呟いた瞬間、堰を切ったような叫びが川のせせらぎを掻き消した。
驚いてナハトが振り向けば、アリサは自分の行動に目を丸くして、気恥ずかしそうに顔をそらす。
「……なんでもない」
「フフッ。彼も心配ですが、大丈夫と思いますよ。普通の人間とは違ったしぶとさを感じます」
口が悪いがなんだかんだで靖治のことを大切に思っているアリサに、ナハトは微笑ましさを抱いて励ました。
「しかしイリスさん、彼女にはこの状況は酷でしょう。精神的な部分をかなりセイジさんに頼ってらっしゃるようですから」
「あー、アイツか……」
アリサも納得し同意するようなぼやきを零す。
遠い目をして、ナハトはどこかにいるイリスの姿を思い浮かべた。
「イリスさん、これで崩れなければいいのですが……」
今日はちょっと短いね、すまんね!




