106話『とりあえず可愛い子に会いに行く』
シオリ・アルタ・エヴァンジェリン・グロウ・テイルの創生した黒き小世界にて。
「というわけで、気絶しちゃったから遊びに来ました!」
「お前さ……いや、来れるようにはしたけども、コンビニ行く感覚で来るなよ……」
椅子に座った状態で安置されていた死体へと靖治が夢を通して憑依してきたのを、ティーカップで熱いミルクティーを飲んでいたシオリが嫌そうな顔をして冷めた視線を浴びせかけた。
異世界を渡るの魔女相手にも臆さない靖治の剛胆さに呆れつつ、シオリはカップをかき混ぜるのに使っていた銀のスプーンを振って初歩的な浮遊魔法を行使し、一冊の本を目の前に引き寄せる。
いつもどおり本の上でふんぞり返り、『万葉靖治』と書かれた表題の本を空中で開くと、眼鏡を光らせながら最新の記述を斜め読みした。
「フン。そうかまた守護者のやつに巻き込まれたのか、不運なやつだな」
「ははは、退屈しなくてラッキーだよ」
「気楽なやつだ、どうせ連れの女共が心配してるぞ」
「それは確かに、早く戻らなくっちゃね」
このシオリが作った小さな別世界の中では靖治ものんびりしていられるが、現実の彼はイリスたちと離れ離れになった状態で気を失っているのだ。非常に危険な状況だ。
「けどその前にさーシオリン、そういえば守護者って何なのか君は知ってるの?」
「失神ついでに情報ねだってくるんじゃ……って、何だシオリンって!?」
聞き慣れない呼び方をされ、シオリは大きく動揺してしわがれた声を荒立たせた。
「だってテラ可愛いからねシオリンは!」
「その呼び方を即刻止めないと、呪詛で舌を腐り落とすぞ」
「はーい」
これでもかと憎しみを込めた視線を叩きつけて、なんとか靖治に呼び方を変えさせることに成功する。
この図々しい男の態度はたいへん癪に障るシオリだったが、ともかく話を戻す。
「あんまり便利な情報ソースに利用されるのはムカつくが、アレのことはワタシとしても興味の対象だ。少しくらいなら情報の共有をしてやっても良い」
「やった、サンキューシオリちゃん!」
「ちゃん付けも止めろ」
真面目な話であるし、シオリは持っていたティーカップを近くの本の上に置いてあったソーサーに乗せた。さりげに時空間凍結魔法で保温もバッチリだ。
膝の上で両手を合わせて、眼鏡の下からお得意の三白眼のじっとりした視線で靖治を射抜く。
「と言っても、ワタシが知ってるのも所詮断片だけ、ワンダフルワールドの住人の記録から間接的に様子を観察してるだけだ。なんせワタシがワンダフルワールドに手を伸ばした時には、ヤツはすでに神々を殺戮する絶対王者として君臨していたからな」
守護者。ワンダフルワールドに突如として現れ、強すぎる神々やそれと同等の者たちをことごとく粉砕した竜。
数百年ものあいだワンダフルワールドの天と地に君臨した守護者は、秩序とは無縁の孤高でありながら、同時にあの世界の『基盤』を成す存在と言っていい。
守護者によって強すぎる超高位の者たちが根絶やしにされることで大きな争いが起きなくなり、守護者に見逃されたがある程度の力量を持つ能力者が各地で次元光除けの結界を張って街を作り、その中に人が集まってワンダフルワールドは人の営みを存続してきた。守護者があってこそ、現在の社会体制が整っているのだ。
「守護者はワタシが記録した限りでは誰とも意思疎通を取ったことがないし、また他からの干渉を受けたこともない。試しにアレの寝床にワタシのゴーレムを派遣して、ダアトクリスタルの術式に強制取り込みしようとしてみたが、失敗に終わった。肉体と魂にかかった強烈なプロテクトでワタシの魔法を拒絶してきたんだ、高度な魔術的要素を含んでいるのは間違いない」
「ふーん、元からそういう抵抗がある生き物なのか、そうならないよう意識的に対策を用意したのかどっちなんだろ」
「さあな。戦う以外の行動をしていないから、普段からハッキリとした思考を有しているのかもわからんし。食事をしているところすら目撃情報がない、エネルギー源は謎。由来も一切不明だ」
守護者は戦闘時以外は富士の樹海に身を置いて眠り続けている、傍目には意思がある生物かすらも怪しいところだ。だからこそ単なる異世界の防衛装置なのではと噂されていたりもする。
「シオリの言う『超越者』の一人だったりはしないの?」
「どうだろうな……スペック的には間違いなくそのレベルではある。なんせ次元光の壁を力づくでブチ割って、空間的に断絶した宇宙空間へ単独で上がれるくらいだからな。あんな無茶やれるのはアイツくらいなものだぞ。単独で異世界を渡れるチカラは間違いなく保有してる」
ワンダフルワールドの地球は、次元境界面の崩壊により宇宙空間とのあいだに見えない壁があり、行き来できないようになっている。現在に置いて唯一の例外が守護者だ。
「そんな意味不明なことばかりの守護者だがな。以前、気になって守護者に関するメモリーを検索魔法で洗ってみたら、面白いものが見えてきた」
「面白いもの?」
「やつはワンダフルワールドに転移してきた存在に対し、その脅威度を判定し、一定以上だと判断した場合殲滅していると思われる。相手が地球の裏側にいようと察知し、その判断は的確かつ冷酷だ。次元光がどこで発生するかわからない特性上、戦闘に巻き込まれる人間ってのは当たり前にいる。だが、その人間は90パーセント以上の割合で生存してる」
「それって……」
「つまり守護者のやつは、アレで現地の人間が死なないように気を使ってるのさ」
蒐集した情報から推察した結果は驚くべきものだった。
しかし靖治としては納得しかねる、彼はイリスたちと共に守護者の戦いに巻き込まれて死にそうな目にあったばかりだ。
仲間であるイリスとナハトは戦いの余波で傷を負ったし、アリサが頑張ってくれなければ尻尾に叩き潰されて死んでいた。これはシオリの説とは矛盾しているのではないだろうか。
「でも僕たちは思いっきり死にかけたよ?」
「だが生き残ったじゃないか、それが答えだ」
しかしシオリは大した問題ではないと疑問を一蹴した。
「守護者はね生と死のギリギリの境目を調整しながら戦ってるんだよ。お前たちチッポケな愚民どもが戦場の端っこでどう泣いてどうあがくか、それすらも計算に入れて踊ってるのさ。無関係な者が大怪我はしても死にはしない絶妙なラインを行きながら、敵対する者を最高効率で粉砕している。中には近隣の人間が死亡した例もあるが、まあ相手が広域に影響を持つ殺戮能力を保有してたりとかでかばいきれないケースだな。頑張ったけど無理でしたってトコだろう」
「ふうーむ、なるほど……」
シオリが言うには、イリスやナハトが怪我を負っても死ぬほどでもないということ、そして尻尾についてはアリサが弾き飛ばすことを、守護者は最初から予測して戦っていたということらしい。
あくまで推測であり確証はないが、否定するだけの根拠もまたない。どちらの証明できないことだが、シオリにはこれ以外に説明がつかないのだろう。
「どうやってその巨体で周辺状況をサーチしてるのかは知らんがな。まったくお優しい、誰ともなく守護者なんて呼ばれるわけだよ」
「じゃあ巻き込まれてもそんなに心配することはないんだね」
「とは限らんぞ、実際のところどこまでがやつの掌握範囲かはわからん。守護者の対応力だって限界はあるし、大丈夫と高を括ってボーッとしてたら計算違いで踏み潰されるかもしれないぞ」
「要約すると?」
「死ぬ気であがけ、暇した小学生から逃げ惑うアリンコみたいにな。情報については以上だ」
実際、9割の人間が守護者の戦いに巻き込まれて生き残っていても、残りの1割は死んでしまっているのだから、本人の努力がなければ奈落の数字へ真っ逆さまだ。
故にあの場で必死に生き延びようとしたイリスたちの努力は、間違いではなかったのだろう。
おおよその情報を共有したシオリは、飲みかけのミルクティーを再び手に持ちながら、もう一度付け加えた。
「今まで様々な人間の物語を観てきたワタシから言わせれば、各人のメモリーから読み取れる守護者の有り様には確固とした『人を守ろうとする意思』を感じる、故に世界を守ることに繋がっている」
「世界を守るのと人を守るのは違うのかい?」
「ふむ、表面的には微妙な違いだが、その存在をより詳しく知ろうとするなら重要になってくる違いだ」
それは例えば『生きるために食べる』のか『楽しむために食べる』のか、のようなもの。
根本の意識が違えば、食べるという行為は同じでも食事メニューの選び方などに差が出てくる。
「異世界を見ていけば世界を護るために造られた守護存在なんてのはたまにいる。防衛装置とか管理装置とか……そういうのは大抵『世界を護るために造られた』から世界の秩序を護ることで、結果的に人も護ることになってるやつが多い。だがことワンダフルワールドの守護者の場合は、人を護るために世界を護っているタイプに思えるな。やっていることは似ていても、根本のところで違う」
「その違いが意味するものってなんなのかな?」
「それは……」
重ねて尋ねてきた靖治に対し、シオリは言葉を選ぼうとし、途中で中断してティーカップを小さな手で持ち上げた。
「……いや、自分で考えろそんなモン。喋りすぎた、頼られるつもりはないよ」
「ちぇ、残念。でも色々教えてくれてありがと。考えがまとまったら答え合わせしておくれよ」
「気が向いたらな」
ティーカップの時空間凍結を解除し、湯気を出し始めたミルクティーに息を吹きかけながら、シオリは無愛想に答える。シオリ個人のスタンスとして、あまり他人の肩入れするつもりはないのだ。
彼女の興味は他人がどのような物語を紡ぐかだ、そこに自分という異物が関わるのは純粋さが失われて良くないと考えている。
だから靖治との会話も情報のやり取りだけすれば良い、客観的事実のみを述べ、いつか辿るだろう道筋を早めに示すことはあっても、シオリ個人の思想や感情については教えるべきでない、彼女はそう断じていた。
お互いに相手を道具のように思ってればいい、そうすれば物語の味を損なうこともない。彼が彼の人生を行きてくれればそれが一番だ。
シオリはミルクティーのほのかな甘味と香りを楽しみながら、本に肘を付いて冷たい眼で靖治を見る。
「それより、お前もそろそろ目が醒めるぞ。夢にしがみつくのも限界だ、昼に見る夢にしちゃ長過ぎる」
「そだね、イリスたちと合流しなきゃ」
現実の世界で靖治は絶賛はぐれ中だ、聞きたいことは聞けたし早く目覚めてイリスたちと合流の手を講じなければ。
だがそんな靖治に、不意にシオリが意地の悪そうな笑みを見せた。
「リアルじゃ面白いことになってるみたいだしな、クックック……」
「ん?」
「なんでもない、それよりさっさと帰れ……よ!」
誤魔化したシオリが手に持った銀のスプーンを投げつけてきた。
スプーンの背におでこを打たれた靖治は「あだ!」と悲鳴を上げた直後、意識が反転するような感覚を覚えて、黒の小世界から弾き出された。
釣り竿で巻き上げられるような感覚と共に、魂が急激にワンダフルワールドで気絶している真の肉体へと帰っていく。
靖治の意識は一旦暗闇に閉ざされて思考も忘却された後、尻餅をついたような感覚とともに現実に戻って目を開いた。
そこで靖治は身動きの取れない体で、見たものに少し首を傾げる。
「……えーと、どなたですか?」
現実で靖治を待っていたのはロープでグルグル巻きにされた自分の体と、そんな靖治を囲う狼の獣人と、ゴリラと、鷹の鳥人だった。
「よお、東京のガキ、ちょいと話を聞かせてもらうぜ」
狼の男が、ニヤリと意地が悪そうに口の端を歪めた。




