11話『命の唄』
――靖治さんと話していると、時に機体に変調が生じる。
そんなことを思いながら、イリスは再びメイド服を身にまとって、病院屋上にまで出てきていた。
赤らんだ頬と震える瞳で、月を眺める。
大阪湾と入れ替わった小さな砂漠とはいえ夜は冷える、冷たい風が彼女の頬をなでて熱をさらっていくが、体のほてりは静まってくれない。
搭載されている謎のテクノロジーによるコアのせいだ、未だイリス自身に解明できていないブラックボックスだが、これが感情値により効果を発揮するのは判明している。
ということは、この不可思議な思考のブレが『人間らしい』ということなのだろうか?
「……靖治さん」
名前を読んだだけでコアが熱くなり、ギュッと胸を握りしめる。
元々は看護ロボットに過ぎなかった自分が、コールドスリープで眠っていた彼を偶然発見した時、単なる命令以上の痺れを感じたのを覚えている。
あの時の感動だけを胸に湛え、イリスは今日まで走ってきた。
そして、彼が目覚めた。
「靖治さん……靖治さん、靖治さん靖治さん……靖治さんっ」
実際に目の辺りにしたあの少年の微笑みを浮かべ、その名を口にするだけで胸の疼きは加速するばかり。
それに、なんだろうか。目的のものが目の前にあるのに、手が届かないような、もどかしいとも言える奇妙な感覚が生じている。
このままではいけないと思ったイリスだが「ですがどうすればいいんでしょう」と訳も分からず顔を俯けさせる。
『――気持ちが高ぶったときには、わぁー! って声を上げて走り回ってみて。もしかしたら、気持ちいいかもしれないよ』
「……ぁー」
靖治からのアドバイスを思い出し、初めは控えめに声を漏らした。
「あー……あっ……あー……あー! ああーっ!!」
しかしか細い声は、スルスルと彼女の胸の昂ぶりを引き出していき、あっという間にイリスは大口を開けて喉の擬似声帯を震わせた。
「あー!! あーっ!!! あぁああああああああ!!! ぅあわああああああああああああああ!!!!」
あらん限りの絶叫が、月明かりの下に響き渡り、砂漠に染み込んでいく。
胸の奥ではコアがドクンドクンと鼓動のような音を鳴らし、イリスは目を見開きながら急激な変化に戸惑いながらも、これを止めようとはしなかった。
こんな時にどんな言葉を口にすればいいのか、急遽メモリーされた旧文明のサブカルチャーを検索し、ピッタリのものをイリスは見事掴み取った。
「うわあああああああああ!!! やったあああああああああああ!!! やりましたよ靖治さん!!! やった!! やったんです私は!!! うわああああああああああああやったあああああああああああああああああ!!!!」
もはや咆哮のような声を上げたイリスは、内から湧き上がってくる未曾有のエネルギーに背中を押されて、屋上を駆け出した。
重量180kgの機械の身体を疾駆させ、叩きつけるような足音を立てながら二秒とかからずに端にたどり着き、そのままの勢いで床を踏み砕きながら大きく飛び上がった。
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!」
戦艦全体に張り巡らされた時空断層防壁と接触し、空間が赤く瞬いたが、イリスのうちから湧き出した不思議な力がそれを飛び越えさせた。
声を轟かせながら慣性のまま空中を回りながら流されて、病院戦艦から落ちていく。
銀色の髪がバタバタとはためくのを聴覚センサーで聞き流しながら、手足を振り回して大勢を整えると、脚のスラスターを発揮しようとして、その前に砂の上に墜落した。
思いっきり落ちてきた重量物に戦艦の隣でボスンと低い音とともに砂埃が上がり、それが収まるよりも早く、内側から砂を振り切って走り出したイリスが飛び出した。
これだけやってもまだ飽き足らず、イリスはこらえきれない感情に一瞬顔をクシャクシャにしてから、目を輝かせて迸った。
「あああああああああアアアアアアアaaaaaaAAAAAAAAああああああああ!!!!」
限界を超えた声帯の稼働に声が裏返り、高音が戦艦の壁を叩いて、風呂上がりにのんびりしていた靖治にもその声が届いた。
彼女の声に気づいた彼は、聞こえてきた窓から外を覗き、暗がりで砂埃が巻き上がるのを見つけるとニッコリと笑った。
「……いってらっしゃい、イリス」
大切な人に見送られながら駆け出したイリスは、かつてない力で四肢を振り回して、一歩一歩を渾身の力で爆発させながら暗い砂の海を走っていく。
時速80kmの爆速で、月の光をかき乱し、大阪湾の砂漠を西から東へと突き進んだ。
途中、砂のコブに足を取られてつんのめり、数十メートルほど派手に転げ回って大量の砂に埋まっても、すぐにまた走り出す。
「――ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
そしてまた、キラキラした虹の眼で何倍にも力を込めて叫ぶのだ。
――――命の唄を!




