98話『幸せ者の視る夢 -干渉-』
イリスが夢を見ているころ、靖治は他の二人とイリスを布団の中に包ませたあと、自分もまたベッドで横になり、明日はどんな一日になるだろうと胸を膨らませながらきままに眠りに就いた。
本当なら彼もまたお気楽な夢でも見て、安らいで眠ることを満喫して、朝日が昇る頃に気持ちよく仲間内で「おはよう」と言い合うはず――だった。
『――我ら善悪に惑う幼子、生命の果実は蒙昧な唇の上に――』
声が、声が聞こえた。
若干しわがれた感じというか、ガラガラしてるというか、ちょっと癖のある女の子の声だった。
それは意識が眠った暗黒で、夢の手前の狭間で、靖治の中に差し込まれてきた。
この言葉を靖治は以前にも聞いたことがある、いや口にしたことだってあった。
まともな思考ができない状態で、その言葉に既視感を覚えつつ、こういう声の女の子もいいなぁと無意識にニヘラった。
『――魂だけの状態で気持ち悪い顔してんなこいつ。えぇと、コレの魂を捉える言霊は――』
軽く罵った後、その声の主は何やら呪文のようなものを唱えだした。
汝 死の安息より歩みいでし者
汝 生の苦しみを往く者
寄る辺なくたゆたう 孤独を知りし一つの雫
死の色帯びて 溶け合うなく波紋を広げる
汝が望みは我が手にあり
我ら共に 真に心あるならば
どうか明日を 願わんことを
『――さあ来い、死の証人。死を優しいと豪語しながらなおも生きようとする、イカレポンチのボンクラ野郎。ワタシのもとに来て、お前の話をきかせてみせろ――』
「……あれ、ここどこだ」
靖治が目を覚ました時、視界に映ったのは黒っぽい天井だった。
暗いわけではない、壁にかけられた照明で見える程度に明かりは用意されている。だがそれよりも、部屋そのものが天井から床まで一面黒づくしだった。
不思議に思いながら身を起こすと、靖治の体から白色のカーネーションが零れ落ちて、そこでようやく自分がどこで寝ていたのかを確認した。
「棺桶?」
どうやら今まで狭っ苦しい棺桶の中で、白い花に埋もれながら寝ていたらしい。しかも学生服に加えて眼鏡や靴を身に着けたままだ
部屋を見渡すが、小さめの部屋で棺桶以外に特にこれと言って特徴的なものはない。せいぜいが外の通じるたった一つの扉の隣に、表札が掛けられている程度だ。
いや、よく見れば棺桶の下に何やら魔法陣が描かれていた。これ見よがしに怪しいが、どういう意味で描かれているのか靖治にはサッパリわからない。
「あっれー? おかしいなぁ、昨日は宿屋で寝たはずなのに」
こんな場所にいる理由が皆目見当がつかない。そう言えば変な夢を見た覚えもあるが、起きたての頭はぼんやりしていて思い出せない。何やらキュートで棘があって、でもそれが味わい深い声がしたようなしなかったような。
とりあえず周りを調べてみようと、花をどけて棺桶から立ち上がると、扉の表札にはこう書かれていた。
――Tale Network Company the head office
「テイルネットワークカンパニー、ザ・ヘッドオフィス……ってことは本社……!?」
そこに書かれていたのは靖治も知る名前。
テイルネットワーク社、次元光で文明が崩壊したワンダフルワールドで、各地に支社が存在する正体不明の仲介企業。
その本社が目の前にあるらしい。
「んん? どういう話の流れ? また1000年くらい寝過ごしたかな?」
流石に困惑して首を捻るが、やっぱりわからないことはわからないので、扉のドアノブに手をかけた。
「失礼しまーす」
暢気に声を上げながら、怖いもの知らずで部屋を出る。
部屋の外は、壁も床も黒尽くめの、馬鹿でかい空間だった。
右を見ても果てがない、左を見ても果てがない。上を覗くと延々と暗闇が続いていて、無限の奥行きがあるように見える。
東京ドームとどっちが広いだろうと思ったが、なんとなくこっちのほうが広そうだ。少なくとも上方向にはこの空間のほうが広いだろう。
そしてもう一つ特徴的なのは、大量の本が雑多に積み上げられていることだった。
「へぇ~、本がいっぱい」
そこは靖治の見たことがないほど大量の本が置かれていた。図書館なんか目じゃないほど、それだけの本が大量に積まれ、壁となって視界を阻んでくる。まるで連なった山脈だ。
本はすべて豪勢なハードカバー。その中の一冊を手に取って、英語で書かれた金箔の表題を読み上げた。
「織田信長、天文3年5月12日から天正10年6月2日……これ、あの織田信長?」
それは靖治も知る有名な偉人、戦国時代に生きた伝説的武将だ。日付は多分、この人物が生きていた期間だろうか。
試しにページをめくって少し読んでみると、縦書きで文字が並んでいた。
この人が尾張国の戦国大名の三男として生まれ吉法師という幼名を与えられたこと、幼少期から奇抜な行動で大うつけと呼ばれたなどが、当時の状況から事細かく書かれていた。
「伝記かな? もしかしてこの本全部……?」
他の本をざっと調べてみたら、すべて表紙に何らかの人物とその人の生没年が書かれているらしかった。
ただし表題の文字は人種によって様々。英語で書かれたアメリカ大統領の本や、中国語で書かれた三国時代の武将の本、あるいは靖治には読めない蛇がのたくったような字で書かれた本などもあった。
「とにかく歩いてみようか」
これらの本についても気になるが、読んでいては日が暮れてしまう。まずは状況確認が先決だと、本についての詮索を諦めて周囲を探索し始めた。
運動靴で黒い床を踏みながら歩きだす。そういえばこの靴はイリスに貰ったものとは違うようだ。見た目は同じだが、これは汚れ一つなく、どう見ても新品だ。
本の垣のあいだを通り抜けて、ゆっくりとこの広大な空間の奥へと向かう。
少し歩いていると、どこからか物音が聞こえてきた。等間隔で硬い音がくり返し鳴っている。
近づくにつれわかってきたが、これはコピー機だとか印刷機だとかの音だ。それも複数。ピーピーガーガー鳴らせながら、いくつもの印刷機が稼働しているらしい。
低めの本の垣からひょっこり顔を覗かせて見てみると、予想通りの印刷機が目に入ったが、近くにTN社にあるダアトクリスタルらしき水晶が浮いていて、印刷機とケーブルで繋がれているのが気になった。
だがそれよりもっと気になったのが、意思を持ったように動いている別の物体だ。
「モー、シオリサマッタラ、ゴーレムヅカイガ、アラインダカラー」
「ニジュウヨジカンロウドウハンターイ! ロウドウクミアイヲツクロウ!」
「ダレガマトメル? オレハイヤ!」
「オレモイヤー」
「オレモイヤー」
「オレモイヤ~」
「モー、コレジャアイッショウタダバタラキダヨー」
お互いに話しながら動き回っていたのは、60cmほどある白い円錐状のボディを逆さにして、上に向いた底面に簡単な手と頭を乗っけた、オブジェのような物体だった。
それが地面から僅かに浮いて動いていて、クリスタルと繋がった印刷機のあいだを行ったり来たりしながら、プリントされた紙束を整えて製本作業に精を出している。
どう見ても人間ではないが知能がある白い人形たち。そういう生命体か、あるいは何者かが作って使役した人形か。
どっちにしろ第一村人発見だ。靖治はいざ飛び出して、その人形に話しかけた。
「もしも~し、ちょっといいですかー!?」
「ンン?」
プリントアウトの騒音に負けないように声を張り上げると、人形たちが不思議そうに呟いて、丸い頭についた青白い視線を向けてきた。
数体の人形たちは靖治と目を見合わせると、驚いたようにボディをのけぞらし、両手を上げて忙しくなく走り始めた。
「ニ、ニンゲンダー!!」
「ニゲロー! アタマカラクワレルゾー!!」
「ニンゲンハアクマダッテ、シオリサマガイッテター!!」
慌てふためいた人形たちは、悲鳴を上げながら本の向こう側へと姿を消した。
「あらら、みんな逃げちゃった」
臆病な人形たちに置いていかれ、靖治は印刷機だらけの場所で途方に暮れる。
追いかけて話を聞いてみるかどうか考えていると、唐突に脳裏に言葉が届いて鳴り響いた。
『――進んで2メートル。本の垣を左』
「ん?」
『早くしろ、体の主導権を奪ってもいいんだぞ』
ガラガラとしわがれた女の子の声に、靖治は電撃が走ったように顔を上げた。
思い出した、この声は、眠っていた自分に語りかけ誘ってきた声だ。
ということは、声の主が自分がここにいる理由ではないだろうか。
ぶっきらぼうな声の命令に、靖治は驚きながらも従って歩み始めた。
「君は誰? 可愛い声してるね」
『ウルサイバカ。次5メートル、右行って突き当りを乗り越えて真っ直ぐ』
ちょっと声を出してみると、ツンツンした言葉が返ってくる。うぅん、こういうぞんざいな扱いもいいなぁと、靖治はのんびり考えながら指示の通りに足を運ぶ。
しかし床の上に積み重ねられた本の小山が行く手を阻んだ。
声の主によれば、この本の上を通ってしまうが。
「本踏んじゃうよ?」
『いいんだよ、読めれば』
「ドライだね。ここの本、全部君の?」
『質問は後にしろ』
どうやら現時点ではまともに話し合う気はないらしい。言うことを聞くか聞かないか、靖治が取れる行動はそれだけらしい。
「靴くらいは脱ぐか」
『早くしろ』
「はいはーい」
靴を脱いで靴下だけになり、本の山の上を慎重に歩いていく。
幸い本は全部閉じていて、下手に踏んでも折れ目がついたりはしなさそうだ。それでも本を痛めないよう恐る恐る歩く。
すると脳裏に響く声が、気に入らなさそうに舌打ちしてきた。
『チッ、もっとちゃんと踏めよ。せっかくだから悪人の本ばっかり置いでやったのに』
「悪人の本?」
気になるワードに靖治が足を止める。すると声の主が語ってきた。
『お前の足元にいるのは、妻を身ごもった子ごと殺した男の本。その隣のは快楽殺人で老人ばかり狙って27人殺したやつの本。その隣は武器を売りさばいて戦争を起こしたやつの本。全部お前のいた世界で生きていたやつの人生だ』
これもまた伝記なのだろうか。しかし偉人なら知らず、そんな人間の伝記が次々と書籍にまとめられているとは考えにくいが、方法に心当たりがあった。
先程の印刷機と繋がれたダアトクリスタル、ワンダフルワールドで繁盛している仲介企業テイルネットワーク社、これらの仕掛けの意味がわかってきた。
本の上を抜けて、靴を履き直して歩いていく。
やがて本の壁で囲まれて、一つの部屋のようになっている箇所が現れて、そこで靖治を待っている者がいた。
「遅い、15秒遅刻だ」
「ごめんごめん」
そう言ってうだるような声で叱りつけてきたのは、見た目的には靖治より少し幼くて眼鏡を掛け、黒い髪の毛をゆらゆらとウェーブさせた女の子だった。肉体的には12歳くらいだろうか。
ミニスカでふとももをチラ見せしつつ、黒っぽいローブにフードまでかぶって全体としては重たい見た目をした少女は、本の山を椅子がわりに腰掛けており、一冊の本を手にして三白眼でジトッと睨みつけてきた。
どうやらこの一角は彼女のマイルーム代わりらしく、近くにはテーブルもあり、その周辺にはダアトクリスタルと繋がった重厚なデスクトップパソコンやゲーム機などが散乱している。他には冷蔵庫や電子レンジもあった。
謎の黒い少女は近くのあったポテチ袋に手を突っ込むと、中の箸を持ってポテチを摘み上げ、もしゃもしゃと音を立てるのも憚らず食べている。
人を寄せ付けない威圧的な空気をまとった謎の黒い少女に対し、靖治はニッコリと笑って話しかけた。
「僕の名前は万葉靖治、君の名前は?」
「本の通り、マイペース過ぎていけ好かないやつだな」
「僕の本もあるの?」
「もちろんある」
最初の質問には答えず、黒の少女は手に持っていた本を広げて内容を読み上げる。
本に書かれていた表題は『万葉靖治』。
「万葉靖治。16歳。彼女なし。姉あり。童貞。両親は7歳の時に死亡。5歳の頃に他の入院患者のおばさんに弄くられたのが心の傷。好きな季節は秋。好きなボール遊びはどれもやったことないから答えられない。犬派で山派。姉と食べに行ったパフェが好き。入院生活は看護師の女にチヤホヤされるから満更でもなかった。好きなロボットは汎用二脚タイプ」
「おぉすごい」
「でも実際に会うとクソマイペース過ぎてムカつくな、このワタシの心理変化は予想外」
やはり本の中身は靖治の生涯について書かれているらしい。無論、靖治本人はそんな本を出版した覚えなどどこにもない。
これはどういうことを意味するのか、靖治が笑顔の裏で考えていると、黒の少女は思考を先読みして、テーブルに浮かんだダアトクリスタルを指さした。
「あれ、ダアトクリスタル。あそこから読み取った全データは、ここのデータバンクに保存され、同時に本に出力される。ここにはワンダフルワールドでTN社を利用した全人間のデータが自動で集まってきてるわけ」
「やっぱり、そういうカラクリなんだ。そんなことをできる君は?」
改めて問いかけて、ようやく少女が答えを返してくれる。
「TN社の運営システム、というより術式を作ったのがワタシ。ここは収集した情報を統括するため、ワンダフルワールドと異世界の狭間に構築した使い捨ての小世界」
思いもがけない内容に、靖治はわずかに目を見張る。
生唾を飲み込む靖治の前で、黒の少女は常識外の言葉を並び立てた。
「ワタシの名はシオリ・アルタ・エヴァンジェリン・グロウ・テイル。次元の境界を超えて世界を渡る超越者の一人、人間嫌いのクソ魔女様だよ。その死臭がする脳みそに刻み込みな」




