後編
白馬で森を駆け抜けると、そこには婚約者であるフランソワが側近と共に馬車で待っていた。
「アンヌ!」
「フランソワ様!」
アンヌの瞳から止めどない涙が流れる。
「フランソワ様、ごめんなさい……。」
泣きじゃくるアンヌをフランソワは抱きしめた。
「貴女は悪くありません。悪いのは僕です。
貴女から目を離した僕が悪いんです。」
だが、そう言うフランソワからアンヌは一歩引いて淑女の礼を取り、膝を折った。
「フランソワ様が最近昵懇なられている女性がいると噂され、いても立っても居られ無かったのですが、夜会で誤って彼女に失礼をしてしまって、つい、いたたまれなくなり、逃げ出してしまったのです。
そこを大公殿下に攫われてしまって……。
私は、フランソワ様の婚約者に相応しくありません。
どうか婚約を破棄してくださいませ」
「何を言うんですか!」
あまりにも大きな声で否定したため、アンヌは飛び跳ね、怯えて肩を竦めた。
その二人の間に入るように、ヴァイオレットがアンヌの前で膝をついた。
「貴女のような優しい淑女に、涙は似合いませんよ。」
そう言ってアンヌの涙を片手で拭うと、淡い紫のバラを差し出し、ニコリッと笑った。
そのバラの香りに取り乱した心が落ち着いていく。
「とても恐ろしい目に遭われて、ひどく混乱なされているのです。
夜も遅いですしこの場では話せぬ事もありますので、明後日、他のそれぞれの婚約者様方もご同行の上、詳しいお話をなされた方がよろしいでしょう。」
その言葉にフランソワ達はバツの悪そうな顔をした。
ここが街道のそばで、深夜であることを思い出したのだ。しかもアンヌは裸足である。
「それではアンヌ様。良い夢を。」
むせるような、それでいて優しい香りに包まれ、アンヌは意識を手放した。
*** 二日後、王城の庭の四阿 にて ***
「すまなかったぁーーーーっ‼︎‼︎」
「本当に申し訳ありませんでしたあーーーー!」
それぞれの婚約者達と同年代の少女に一斉に頭を下げられ、アンヌとその友人である令嬢達は思わず引いた。
「……あの、フランソワ様、ミレーユ様、何がどうなっているのでしょうか?」
「事の起こりは私の妹がゲロッグ大公殿下に目をつけられたのが始まりでした。」
ブロイ男爵家に新しく出入りした商人がやたら都合の良すぎる投資や商売を勧めようとするので、ミレーユが婚約者シャルル・アンリの家に頼んで調べてもらった処、商人自体が実績のない詐欺集団だった。
書類にサインする前だったのですぐに捕まえて背後関係を調べた処、大公の存在が浮かび上がった。
この時点で真っ当な方法で国が対処できるのかが怪しくなった。
そこでまずシャルル・アンリは同じ文官見習いで殿下の側近候補のクロードを頼った。
クロードはまず殿下に奏上し殿下から王に話をしてもらい、証拠を揃え状況を調べた処、他に貴族と平民合わせて十数名が大公の手によって破産されそうになっていたのが分かった。いずれも見目麗しい子女のいる家ばかりであり、契約書に巧妙に息子や娘を担保にすることが誤魔化しつつも明記されていた。
すでに空手形を掴まされ、家が傾きつつある者もいた。
すぐさま各家に連絡しそれ以上の被害は食い止めたが、今度は商人や近隣の貴族に手を回し関税を上げて物資が届かない様にされてしまった。
そのまま没落してしまったら、どうなるかは目に見えている。なんとか被害者全員を救う手がないかと思案し、それぞれの領地を廻っていた処、ミレーユが多くの領地で楠とムクロジなる木を見つけ、クリーニングを商売として皆と始めたいと言ってきたのである。
まず、この世界では洗濯はあまりしない。石鹸自体はあるのだが、洗濯は布を擦るので布が傷みやすく、レースなどは裂ける場合もあるので、基本貴族は服が虫に喰われたり汚くなったりしたら、捨てたり使用人に下げ渡したりするのが普通であった。毛皮も同じである。
またこの国では貴族は魔力があるのが普通である。主に軍事を担う者として魔力の強さによって階級が分かれるため、ミレーユ達下級貴族はどちらかというと戦場ではあまり主戦力として見られない。魔力のない一般民よりは遥かに力になるが魔法使いとしては並であった。
しかしムクロジで作った洗剤の入った水を泡立たせ、操るくらいならお手のものである。
この方法でドレスや建物などを洗濯し、楠で樟脳という仕舞われた服に虫がつかないようにするモノを作り商売を、と考えたのである。
今まで戦争にしか使わない魔法を、生活の為に使うなど、前代未聞であった。
「あの、それでは私の婚約者ダニエル様といらしたのは?」
「まず、石鹸に代わる液体の洗剤や樟脳の開発と服を傷めない様な水魔法と布を傷めずに乾かす火の魔法、家具を吹き飛ばさない程度の風の魔法を調整する必要がありました。
ダニエル様は魔法使いとして協力いただいたんです。」
「では騎士団長のご子息のジュール様は?」
「ジュール様は騎士団に伝手がありますでしょう?まず、一番汚いと言われる団員の寮で試してみたんです。その打ち合わせと付き添いに。
でも、シャルル・アンリもいましたよ?流石に若い女性が訪れるのは、外聞が悪くて……」
「では教皇ご子息のニコラウス様は?」
「ジュール様と同じですよ?様々な対象物を試すため、ボランティアも兼ねて大聖堂や教会へ行き、孤児院の子供達や講堂を洗っていたんです。」
「では、急にフランソワ様と宰相子息のクロード様と懇意にしていたのは……」
「大伯父にあたる大公を欺くためです。
大公の勢力は一眼置くものがあります。彼女達の商売の後ろ盾を母上にしてもらったとしても、彼女達の血縁の誰かが裏切ってないとは言い難い。
まず、このクリーニング業を隠れ蓑にして大公の不正や悪事の証拠を探すのが第一の目的でした。
だが関係者が被害の家の子息令嬢ばかりでは気づかれ、妨害されるかもしれません。
その為にミレーユ嬢との噂をばら撒いて世間を欺いていました。
その影でこの商売を設立するための法的アドバイスをすると同時に、証拠集めと被害防止にみんなと奔走してました。
勿論母上や父上もご存知です。」
打てば響く返事に、アンヌ達は顔色が悪くなった。
「なんてことっ……。
そんな事をすればミレーユ様に、多大なる不名誉がっ…!」
「大丈夫です!あの晩私と踊っていた仲間達が、真実を半分ほど皆様に噂で広めております。
またあの事故も予定していたデモンストレーションであり、アンヌ様は協力者であると皆様に話しております。今ではあのクリーニングした後のドレスの白さと布の柔らかさが話題の中心になっていることでしょう。
実は本来なら一昨日は、私たちが囮になって大公に攫われる予定だったんですよ。」
「ミレーユ嬢達が可憐さ3倍増しメイクで大公の心臓を鷲掴みする筈だったのですが、まさかアンヌを狙うとは思ってもみなかったのです。
恐らく囮役だった令嬢達のデモンストレーションのせいで、思った以上に貴族達の気を引いてしまい、機会を逃してしまったのだと思います。
そして偶然一人でいたアンヌに目をつけたのでしょう。
あの会場から王太子の婚約者を誘拐などという暴挙を行うほど愚かだったとは思いませんでした。
大公に常識を求めた僕がバカだったのです。
本当に申し訳ありませんでした。」
そう言って再びフランソワ達は頭を下げる。それをアンヌは押しとどめた。
「それで、被害に遭われたお家の再建計画は成功しそうなんですか?」
「それならなんとかなりそうです。かなりのお家から仕事が舞い込んできてまして、昨日からてんてこ舞いなんです。大公が逮捕されましたから、向こうの動きが止まっている隙に傾いた家を立て直そうと、みんな頑張ってます。
お金も戻ってきそうですし。」
「実はあの後、怪盗の予告状を携えた騎士団の一個大隊があの屋敷に押し入り、家捜しをしたんですよ。
そこで色んな犯罪と大公を結びつける証拠が何故か大量に発見されたため、本格的に大公領を家捜しすることになったんです。
二重帳簿と詐欺の被害者と交わした誓約書も見つかれば、被害者にお金は戻るのは確実ですから、安心していいですよ。」
それを聞いてアンヌは安堵のため息をついた。そして、改めてミレーユと向き合った。
「フランソワ様とミレーユ様に謝罪を。
真実を知らず、婚約者であるフランソワ様を信じられず、ミレーユ様をとても不誠実で盗人のような淑女あるまじき令嬢と信じてしまいました。
本当に事故だったのですが、デビュダントのドレスを汚してしまったことも含め、謝罪いたします。
申し訳ございませんでした。」
アンヌの友人達も一斉に頭を下げた。
「僕達からも謝罪を。
真実を話せないとはいえ、貴女達の心を傷つけてしまいました。
もう少し上手く立ち回れれば、貴女達を追い詰める事にはならなかったのに。
本当に申し訳なかった。」
フランソワ達も一斉に頭を下げた。
そしてお互い顔を見合わせて、にっこり笑って和解した。
「アンヌ。僕らはこの先、政治の機密上の問題で貴女にも話せない事がたくさん増えると思います。
それでも、僕を信じてくれますか?」
「いっぱい不安になる事もあるかもしれません。
でも、話せない事は聞きません。その代わり、私の好きなお花を下さいませ。」
「もちろん。いくらでも。」
「あの……それでですね……」
「うん?」
ここでアンヌの目が泳いだ。なんだか瞳が少し潤んでいつもの彼女と違う。
「あの……ヴァイオレット、様は……どこにおられるのでしょうか?」
「え⁉︎」
「危ないところを助けていただいたのに、私、お礼の一つも言わぬまま、別れてしまって……。
ぜひ一度お茶をしながらお礼を……」
頬を赤く染めモジモジ恥じらう姿は、いつものアンヌらしくなく……まるで恋する乙女のようで……。
その様を見た側近達とミレーユはビシッと固まった。
「『彼』は私の腕利きの部下でしてね。大公を逮捕したものの、国の膿はまだまだ多く、今国中を飛び回り大忙しなんですよ。
残念ですが、お茶を飲む時間など割けないようなので、私の方からアンヌの言葉を伝えておきましょう。」
とっても綺麗な笑顔で言い切るフランソワ王子にアンヌは心の中でそっとため息をついた。
自分はあの噂でたくさん嫉妬してしまったのに……。少しは私の事も嫉妬して下さい、と。
*** 王子の執務室にて ***
「ミレーユ、一体アンヌに何をしたのかな?
吐きなさい」
「私、何もしてませんよーーーーっ!
アンヌ様に襲いかかろうとしていた大公〆て、鍵奪ってアンヌ様連れて逃げただけですよーー⁉︎」
フランソワの追求に必死に反論するミレーユ。
フランソワの機嫌は氷点下まで下がり、側近達は彼の荒れ狂う魔力に恐れをなして下がっている。
「『アンヌを醜聞から守るためにも極秘にするために怪盗を装い、騎士団に偽の予告状を渡して隠れ家を捜索させる』なら、怪盗は女でも良かったんじゃないかい?
あんな美男子にする必要があったのかい?」
「ありますとも!
正体がバレたら身分的にもマズイですし、女性だと舐められる可能性が大ですからね。
相手を威嚇するにはまず背が高くがっしりした男性である事が第一ですし、美形である方があちらも怯みます。
それに、怪盗は美形の方が絵になります!『萌え』は譲れません!」
「『萌え』ですか、『萌え』が大事なんですね……」
胸を張って己の論理を主張するミレーユとそれに呆れて突っ込むクロード。
自分にはわからない世界だと遠い目をするニコラウス達。
「それでも、あの予告状はかなり有効だったと父が申しておりました。
相手が身分のある貴族だと権力で拒否されてしまうケースが多いですが、混乱に紛れて押し切ったらしいです。
『何かあったらまた頼む』だそうですよ。」
「どさくさに紛れて家探ししまくったらしいですね。
ミレーユ嬢の精霊のお陰で隠し部屋や隠し金庫が楽に見つかり、かなり助かったと捜索隊には好評でしたよ。」
「我が父からも言付けです。
『皆さんが教会や孤児院を洗ってくれたお陰で、かなり見違えるほど綺麗になりました。
また、孤児院の子供達も清潔を保つ事ができ、病気に罹りにくくなり、大変助かっております。
これからもよろしくお願いいたします。』
との事です。」
ジュールとダニエルとニコラウスもそれぞれ口を添えてミレーユを援護する。
フランソワは納得いかないまでも、釘を刺すために口を開いた。
「このまま『プリティスマイル』は表向きは母上後見の商業グループで、裏は王家直属の諜報団体として活動してもらいます。
しかし『怪盗ヴァイオレット』は、個人という性質上僕の直属とします。
それに伴いある程度の権限も渡す事になります。これは任務に大きな危険が常に伴うという事でもあります。
覚悟はよろしいですか?」
ミレーユはニッと笑い、騎士の礼を取り膝を折った。
フランソワの目先で少女の輪郭がぼやけ、燕尾服にシルクハットを持った美青年に変わる。
「私でよければ私なりに。
私のモットーは『清く正しく美しく!』なんですから。」
明日の正午に後日談をアップします。
ハッピークリスマス!