フィアルは、別の世界線では災厄の象徴だった
フィアルは小さいころから常に『いい子』であるように心がけていた。
父親から幼少期から常に剣や魔法、政治学に地政学、そして何より王族としての居振る舞いに至るまで、叩き込まれていた。
だが、一言も文句を言わずにそれらのノルマをこなしてきた。
「流石は、フィアル王女ですな」
「農学から政治まで、あらゆる学問を最年少で納めるとは、我が『ミアス公国』の誉れです」
そんな風に大人がほめそやすのを聞くのは心地いい反面『ミアス王国の出荷物』でしかないということははっきりと感じ取っていた。
そもそも幼少期から剣や学問を叩き込まれていたのは、全て隣の大国「ルイン王国」に嫁ぐためだったからだ。
フィアルたちの故郷である「ミアス公国」は小さく、産業も少ない。
しかし、ルイン王国にとっては戦時の緩衝国家としての利用価値が高いということで、彼らの国の第二王子である『リュシアン王子』との結婚が決まったのだ。
「私の婚約者であるリュシアン王子とはどんな方なんですか?」
「それは……」
だが、その結婚相手について聞こうとすると、いつも皆口を固く閉ざしてしまった。
……その理由は分かっている。リュシアン王子の人格面が原因だ。
「また、リュシアン王子は侍女を怒鳴りつけて城を追い出したって話ですよ?」
「この間は兵士に対しても強烈な暴言を吐いていたとのこと。一体何があったのかは分かりませんが……恐ろしい方ですね……」
炎のように激しやすい性格である反面、氷のように冷徹な性格であるという噂がまことしやかに流れていた。
フィアルの父親も嫁ぐ相手のリュシアン王子の人となりを理解するにつれ、次第に表情が憔悴していった。
「すまない、フィアル……。まさか、向こうが差し出してきた王子がそんな禄でもない男だったとは……やはり、この婚約はなかったことにするべきか……」
「ううん、お父様! 私はリュシアン王子の元に、嫁ぎます! 決して、今まで受けた訓練とご恩を無駄にはいたしませんわ!」
そう、私は『いい子』なんだ。
お父様も本心では、私がルイン王国に嫁いで欲しいと思っていることくらいわかっている。そう思ったフィアルは本心を押し殺して、そう叫んだ。
(激しやすいのに冷血、か……。まあ、大国の王子なんてみんなそんなものよね……)
きっとリュシアン王子と結婚しても楽しいことなど一つもないのだろう。
そんなことは分かっている。どのみち愛のない結婚なのだから、彼からの愛などは最初から期待していない。
だが、彼と結婚することは祖国のために大きなメリットがある。であれば、彼がどんな恐ろしい男だろうが、耐え抜いて国を盛り立てるのが王族としての責務だ。
……無論『婚約破棄』などしなければ、だ。
自分を裏切るのはまだいい。だが、婚約破棄ともなれば父を、そして我が国を裏切る野と同じだ。そうなったら私は、どのような報復をするか自分でも分からない。
……この世のありとあらゆる苦痛を思い知らせてやろう。
そう思いながらフィアルは18の日に輿入れした。
ーーーーーー
そして輿入れの当日。
(いよいよ、か……。リュシアン王子にお会いするのは……お父様、お母さま、私は……全てを捧げます)
とくんとくんと胸が高鳴るのをフィアルは感じ取っていた。
馬車がゆっくりとルイン王国に向けて進んでいく。その城門が少しずつ大きくなっていくにつれて、城門の前に人だかりができているのが目に入った。
(あれ……? まさか、出迎え?)
そこには儀礼用の剣を刺し、旗を掲げた兵士の一団が待っていた。
その中央にいるのは、大変整った容姿で銀髪をした一人の青年だった。
(……もしかして、あれがリュシアン王子……なの?)
フィアル王女は視力には自信がある。そのため目視でも確認できたがどうやらまだこちらには気づいていないようだった。
王子と思しき男は懐から小瓶を取り出し、中に入っている薬と思しき丸薬を一気に口に含んでいた。
(なに飲んでたんだろ……?)
それから数分後、どうやら向こうもこちらに気が付いたらしく、フィアルたちが乗っている馬車に向けて歩み寄ってきた。
そしてその銀髪の男は馬車の前に来ると、膝を折ってこちらに恭しく挨拶をしてきた。
「はじめまして、フィアル様」
「は……はじめまして。あなたは?」
「本日よりあなたの夫として、お迎えに上がりましたリュシアンと申します」
今回の政略結婚は実質的に此方が明らかに下の立場である。
半ば人質のような存在であるフィアルに対して、出迎えに来て頭を下げ礼を尽くすのは本来であればありえない。
「姫様……。その……私たちも外に出たほうがよろしいでしょうか?」
「え、ええ……」
侍女のテレーズも少し驚いた様子でそう呟いていたのが聞こえたのか、リュシアン王子はニッコリと笑いながら彼女にも声をかけてきた。
「そちらはテレーズ様ですね? 道中、お疲れではないですか? よろしければ、こちらに飲み物を用意しておりますので、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「いいのですか、私も?」
「勿論です。大切なフィアル姫のお付の方なのですから」
そこには何時間も前から用意していたのか、ささやかながら酒宴の準備が行われていた。
侍女であるテレーズの席まで用意されている。
(……な、なにこの王子……? 噂と全然違うみたいだけど……)
噂で聞いた氷の冷徹さと炎の激しやすさがあるという噂とはだいぶ異なり、リュシアン王子は爽やかな外観で愛想のいい笑顔を向けていた。
「あ、あの……」
「どうされましたか、フィアル姫」
「その、フィアル姫というのはやめてください。これからは名前でお願いします。それと、敬語もやめていただければと……」
元より横柄な態度で当たられることを覚悟していたこともあり、フィアルは少し面食らったような表情でリュシアンにおずおずと尋ねると彼は少し悩んだ様子を見せながらも、
「では、これから宜しく、フィアル。……こんな感じでいいかな? 君もこれからは普通に話してくれると嬉しいのだが」
すぐに順応したのか、そう口調を切り替えてくれた。
ほろ苦い酒を少し口に含みながらも疑問に思った。一体、あの噂はなんだったのだろう。そういえば数年前からリュシアンの様子がおかしいと聞いていたが。
そう思うと、まだ彼に対して警戒心を完全には解くことが出来ず、フィアルは申し訳なさそうに答える。
「……ええ……私は、その……しばらくはこのままでお願いします……。その、立場も立場ですから」
「分かった。ゆっくりと慣れてくれると嬉しい。幸い、数日の間は予定を入れていないから。どうか、この屋敷でゆっくりと過ごしてほしい」
「ありがとうございます。……リュシアン王子は?」
「私も、出来ればあなたと一緒に過ごしたいが……よろしいですか?」
「ええ」
そしてフィアルは王子の手をそっととって笑顔を見せた。
だが、
「……ひぃ!」
……リュシアン王子はその瞬間急にビクリと身体を震わせた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……ち、ちょっと虫が飛んでいたみたいだな。すまない、昔からそういうのに弱くて……」
「フフ、意外と子どもっぽいんですね、リュシアン様は」
リュシアン王子はそう笑って見せたが、長年の帝王学で培ったフィアルの目は誤魔化せなかった。今の表情は明らかに『恐怖』だった。
……それも、とびきりの。
そう思ってみると、どこかリュシアン王子の笑顔にも違和感を感じた。
……あまりにも表情が綺麗すぎるのだ。
まるで貼り付けたような笑顔。
そして自分と会う前に大量に服用していた丸薬。
(まあ、初対面の人間と出会うのが苦手なのかもしれないわね……)
その時のフィアルは、特に彼のその言動を気にかけることはなかった。
彼が実は『人生2週目の死に戻り経験者』だったことをその時は知らなかったからだ。




