10 おまけ:クロヴィス殿下の心温まった日
王太子であるクロヴィスは、まだ学生の身でありながら、ひどく多忙だった。
後継者として必要な学びはもちろん、貴族特有の政治的な駆け引きも、すでに日常の一部として当たり前のように組み込まれている。
そんな彼にとって、『ギルドの監視』という名目の仕事は、その物騒な響きに反して、数少ない息抜きの時間でもあった。
アンティークショップの入り口をくぐると、いつものようにオスカーが丁寧に一礼して出迎える。――出迎えるだけだが。
クロヴィスは慣れた足取りで応接室の奥へ進み、そのさらに奥にある扉を開けた。現れた階段を軽快に下り、まっすぐ資料室へ向かう。
事後処理とやらで報告書の作成に追われていると聞いていた。
部屋を覗き込むと、案の定、二人がそろって机に向かっていた。
しかも左右を女性に挟まれている。
エレオノーラの侍女、ソフィアとナディアである。
「……あら?」
先に気配に気づいたのはソフィアだった。
つられてナディアも顔を上げる。
「あらあら。ご無沙汰しておりますわ、殿下」
立ち上がった二人が、丁寧にカーテシーをする。
クロヴィスは片手を上げてそれを制した。
「いい。ここではそういうのは無しで構わない」
そう告げると、ソフィアとナディアは顔を見合わせ、ふふっと笑った。
年上の大人の余裕を感じるからか、それとも花のように柔らかな雰囲気のせいか。
じわじわと気恥ずかしさを覚えながら、クロヴィスはリンとガイの向かいの椅子にどすっと腰を下ろした。
「殿下、行儀悪ぃー」
「お育ちが悪くなってるー」
にやにやと目を細める二人を見て、クロヴィスは内心で考えを改める。
――年上だから大人、というわけではないらしい。
年上でも子どもっぽいものは、子どもっぽいのだ。
「うわ、生意気な目をするようになってやがる」
「やっぱりお育ちがわるー」
「だとしたら、お前たちのせいだ」
ふん、と鼻で笑ってやると、ソフィアとナディアがまた楽しそうに笑った。
「それでは、私たちはお茶をお持ちしますわね」
「ちょうど休憩しようと思っていたので、お気になさらず」
クロヴィスの言葉を受けて、あえてそう言い添えて出ていくところに、侯爵家に仕える侍女らしい気の利かせ方が感じられる。
二人を見送りながら、クロヴィスは書きかけの報告書を手に取った。
「ゴールドシュタイン商会の最終的な被害は、思ったより大きくならなかった」
リンとガイがちらりと視線を向ける。
「連中が襲った船を隠した場所の特定が早かったからだ」
事件の中心にいた当人たちは、つまらなそうに鼻を鳴らした。
彼らの報告をもとに精査した結果なのだから、当然といえば当然である。
「知ってるよ。襲われたとき、ナディアさんがカイルのカニを船に残していった。で、カイルがそいつの位置情報を解析して、あっさり見つけたって話だろ?」
王宮に上がった報告では、もう少し格式ばった経緯になっていた気がする。
だが、この二人にとってはその程度の認識なのだろう。
「でもさ、それってカイルがすごいって話じゃないよね?」
――訂正。
どうやら何かしら不満があるらしい。
クロヴィスは、リンとガイの声に混じる不機嫌な響きを聞き取った。
「違うのか?」
するりとこぼれた疑問に、二人は嫌そうにため息をつく。
「概ね違わねぇけど。まずナディアさんがカニを残していかなかったら、見つかってねぇだろって話だ」
「なんか技術ばっかり注目されてるけど、そういうことじゃないよね」
クロヴィスは少しだけ黙った。
言っていることは正しい気がする。
だが、それだけではない。もっと根っこの、見落としてはいけないなにかを、この二人は気にしているのだろう。
「つまり、侍女殿たちの功績の評価に不満があるのか?」
「べーつーにー」
「言ってねぇし、そんなこと」
頬杖をつきながら、まるで示し合わせたように左右対称でそっぽを向く年上の魔導士たちに、クロヴィスはついに堪えきれず噴き出した。
「そ、そうか。それは……っ、確かに」
口元を押さえながら、なんとか言葉を繋ごうとする。
だが笑いでうまく息ができない。
そんなクロヴィスに、八つ当たりのようにリンが手を伸ばし、鼻をつまんだ。
「……ぐっ」
「笑いすぎだ、てめぇ。埋めるぞ?」
「王太子様のもっと鼻を高くしてあげようかー?」
王太子に対して随分な物言いだが、当のクロヴィスが笑いすぎて反論どころではない。
息を整える暇もなく、リンとガイがそのまま羽交い絞めにしようとにじり寄ってくる。
「やめなさい、二人とも。何をしているの、恥ずかしい!」
そこへ、お茶の支度を整えたソフィアとナディアが戻ってきた。
クロヴィスが片手を上げて「違う」とでも示そうとした、その瞬間。
「殿下、あなたもです。なんですか、その落ち着きのなさは」
――流石は『天球の灯』である。
説教をされた。
こんな形で若い娘に説教される機会は、この先まず無いだろう。
リンとガイと並んで叱られながら、クロヴィスはやはり少し楽しくなって、また笑ってしまった。
一通りのお説教が終わると、テーブルには綺麗にティーセットが並べられた。
リンとガイが、それぞれカラフルなマカロンに手を伸ばす。
「で、殿下はカイルの研究の進捗を見に来ただけ?」
「……いや。少し気になることがあったから」
言い淀むクロヴィスに、リンとガイが片眉を上げて先を促す。
書き上がったばかりの報告書に目を落としながら、クロヴィスは小さく声を落とした。
「『沈黙の海蛇』……これまでの報告と併せると、お前たちがこの海賊と関わったのはこれで二回目だ」
リンとガイは、口にしたマカロンを飲み込む。
それから、不思議そうな顔で声を揃えた。
「そうだっけ?」
その反応に、クロヴィスは呆れたように笑う。
「その程度の認識だと思った」
資料を片手に、今度は真剣な目を向ける。
「あの海賊団は規模が大きすぎて、こちらでも全貌が掴めていない。そんな連中の邪魔を二回もしているんだ。すでに目をつけられていても、おかしくない……」
「つまり、心配して来ちゃったってわけか?」
「なにそれ! 可愛すぎるんだけど!!」
あまりの危機感のなさに、かっと血が上る。
心配しているのは事実だ。
だが、それを茶化されていい気はしない。
――けれど、とっさに二人の顔を見て、クロヴィスは悟った。
もしかすると、いらない心配だったのかもしれない。
冷酷に細められた目には、親しみやすさも温かみも、一切ない。
そして二人とも同じように唇だけが弧を描いている。
何が来ても叩き伏せる。
そんな確信に満ちた、ひどく危うく、そして頼もしい顔だった。
氷が背筋を滑り落ちるような冷たさに、クロヴィスの息が詰まる。
――その瞬間。
ぽこり、という妙に間の抜けた音が響いた。
ソフィアとナディアが、リンとガイの頭に銀のお盆を叩きつけたのだ。
「お友達が心配してくれているのに、何ですかその態度は!」
「まったく。殿下が不敬を問わないとおっしゃっても、礼儀知らずでいいということではないのよ?」
クロヴィスの目が丸くなる。
目の前で起きている出来事の温度差に、頭がついていかない。
だが次の瞬間、ふつふつと込み上げてきた笑いを、今度こそ堪えきれなかった。
こんなふうに声を上げて笑うのは、ひどく久しぶりな気がする。
世の中の仕組みというものは、本当に不思議にできている。
リンとガイに恨みがましい目を向けられながら、クロヴィスはまた一つ、人間関係の不思議を学んだのだった。
今回はここまでです。
ありがとうございました!




