多様性の問題か
長尾が店にいる間、器を下げる時も、決まり切った挨拶以外、声を交わすことはなかった。
いつも話をするわけでは無かったけれど、いつもより、何だか長尾はぎこちなく、よそよそしかった。
何がよそよそしいかは、はっきりとしない。
ただの思い過ごしだろうか。
きっと、理由は長尾ではなく、私の心なのかもしれない。
店を出て家に戻る道すがらも、ぼんやりと夜空を見て思ったことは美しい満月のことではなく、「友だちだから」と告げた長尾の言葉だった。
祖母が作ってくれた豚汁の夕食を食べ、お風呂に入り、パジャマに着替えて布団に入ってからも、やはり同じことが浮かんでくる。
友だち。
私が知っている友だちとは、一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、他愛のない話や時には悩みも相談する人だ。
男性の家に行き、2人きりかは判然としないけれど、配達の人が来て代わりに荷物を受ける。
それ以上に、漂う空気はどこか秘密めいていた。
私にしてみたら、彼女は明らかに恋人の立ち位置で、友だちには入らない。
長尾の線引きとは相当な違い。
それは大人だから?
いや、私の両親があの場面を見たら、絶対に恋人関係だと思うだろう。
見るからにモテそうな、長尾の「友だち」の定義なのだろうか。
それとも、都会の大人にとっては当然の定義なのだろうか。
私なら、完全に勘違いしてしまう。
あの彼女は、自分が友だちだと思って長尾と接しているのだろうか。
謎ばかりが湧いては消え、いつの間にか疲れて眠り込んでいた。




