手を離してはいけない
「ラムウィンドス。姫を物のように無造作に扱うことはやめてくれ。さすがにお前の態度は目に余る」
ラムウィンドスがセリスを片腕に持ったまま馬を飛び降りて歩き出したところで、はっきりと咎める響きを持つゼファードの声が聞こえた。
セリスを抱え直したラムウィンドスは、相変わらずおそろしく平淡な調子で答える。
「体のどこにも無理な力をかけていない。気道も確保しているので呼吸をする上で問題もない。生き物として適切な範囲で扱っている」
ハァ……という大きな溜め息が聞こえた。
ラムウィンドスに「奥宮の部屋に着くまでは決して顔を上げないように」と命じられて、セリスは俯きながらその胸に額を押し付ける体勢になっていたためゼファードの表情を目にすることはできなかった。だが、本日初対面でひととなりはまだよくわかっていないはずのゼファードがいまどんな顔をしているのかは、手に取るようにわかるような気がしてしまった。
(こういうのを「他人の気がしない」と言うのでしょうか。ゼファード兄様が何を考えているのか、次に何を言うのかがぼんやりとですが見えるように思います)
セリスにとってこれは「発見」だった。これまで想像もできなかった「男性」というのは、人間という括りで考えればそれほど異質な存在ではないのかもしれない。
少なくとも、ゼファードには早くも親近感を覚え始めていた。
「私が姫の護衛としてのお前に要求しているのは、この国の王族の姫君にふさわしい扱いだ」
ゼファードは、セリスの予想を裏切らないきわめて「常識的」な発言をした。顔を伏せたままセリスは「わかる」と思う。そのことに安堵する。仮にゼファードが常識人であるとすれば、セリスもまた常識の範疇の思考能力を有すると考えて良いのではないだろうかとひそかに自信を持つ。
一方で、ラムウィンドスは謎の存在だった。
「十五年間も離宮に閉じ込めてきた側の人間が、いまさら人道を説いてどうする。誰よりも姫を物扱いしてきたのは陛下でありこの国だ。たとえ王子が自分は違うと考えていたとしても、中途半端に『まっとう』な接し方をして未来への希望を抱かせるほうが残酷だ」
彼の発言の真意を、セリスは必死に考える。わかるようでわからない。ただ、飾らない言葉の数々に嘘は言わないひとなのだろうと感じる。彼は、彼の見える何かしらの真実を口にしているのだろう。
ゼファードは「わかるよ」と応えた。
「お前の言いたいことは私とてわかっているよ、ラムウィンドス。わかった上で私はお前の苛立ちを鼻で笑い飛ばしてやるさ。これまでがどうであれ、離宮から姫を引き離すことに成功したんだ。これからは『妹』として大切にする。姫に降りかかる厄介事には、この国の王子である私が立ち向かおう」
ゼファード、とわずかに感情の滲んだ低い声が耳を掠めた。
(ラムウィンドス……?)
彼は王子であるゼファードを名前で呼び捨てることが許される間柄なのだろうか。不思議に思いながらセリスは顔を上げて肩越しに振り返り、ゼファードの姿を探してしまった。
ラムウィンドスと向かい合う位置に立っていたゼファードは、わずかに片目を細め、唇には笑みを湛えていた。その表情にはたしかな自信が現れていた。
セリスはこの瞬間まで、いかにも兵士といった服装や立ち居振る舞いのラムウィンドスに比べ、ゼファードは優雅でいささか柔弱との印象を抱いていた。
しかし、ラムウィンドスの視線を受け止めて微笑んでいる姿には、凛とした強さがあった。
「……この先、厄介事しか無いだろうな」
ラムウィンドスが呟けば、ゼファードは笑みを深めて頷く。
「『予言の姫』を御旗に掲げるということは、周辺国を大いに煽るという意味だからね。姫が誰かを選ぶ前に自分が手に入れてしまおうと考える者は後を絶たない……どころか、姫がすでに誰かを選んでいても、奪ってしまえば自分のものにできると乗り込んでくる輩もいるだろう。陛下のお考えはわからないが、姫を『使う』選択をした時点で、イクストゥーラは東西交易路の要衝としての現在の立ち位置から捻り潰してでも手に入れてしまうべき獲物という位置づけに変わる」
「動乱の時代の中心だな」
「どうせ、避けることはできない」
二人の話しぶりは静かでいて不穏だった。セリスはラムウィンドスの腕の中で体を強張らせる。
ふん、とラムウィンドスがつまらなそうに息を吐いた。
「強奪で覆せる程度の選定なら、覇王の予言など無意味だ」
ハッと目を見開いたセリスは、率直に尋ねた。
「いまのはどういう意味ですか?」
ちらっと視線を落としてきたラムウィンドスは温度の無い声で答える。
「予言の通り姫に選ばれた者が『覇王』となるのであれば、むざむざ襲撃に屈して姫を奪われることなんてありえないという意味だ。弱すぎる。もしそんなことがあるのであれば、それは正しく選定がなされていないか、そもそも『覇王を選ぶ姫』という予言が嘘かのどちらかだ」
簡素にして明瞭な説明であった。
それは常々セリスが気にかけていた内容であり、すかさずセリスは疑問を呈した。
「選定後のわたしには意味が無い、とも考えられませんか?」
眼鏡の奥で、ラムウィンドスがかすかに目を細めた。その視線に促されるように、セリスは「つまり」と話を続けた。
「『覇王』の予言において、わたしの立ち位置がわたし自身にもわからないのです。選んだ相手が『覇王』になるのだとして、わたしは『何』なのでしょう。選ぶ瞬間までは意味があるのかもしれませんが、選んだ後は?」
セリス自身が「覇王」になるわけではないのだ。覇王の通過点であり、踏み台。選定以外では意味が無いのだとすれば、たとえ覇王の隣にいても物のように奪われたり、もはや意味が無いと気づいて棄てられたりすることもあるのではないか。
その未来を考えずにはいられない。
「なるほど。姫は自分の運命をそう解釈していたのか」
ゼファードが呟く。セリスが彼の思考がわかりやすいと感じたように、ゼファードもまたセリスの考え方に親和性を感じてくれているのかもしれない。物わかりの良い様子で「通じている」と示してくれたことにほっとし、セリスは頷いた。
(……もしそうだとすれば、わたしには選定しない限りにおいて最大の「価値」があることになりますが)
この点に関して、セリスの教育者であったレルワニも「予言は解釈の問題なので断定はできない」と明言を避けていた。「選定」の前後でセリスの価値が移り変わる可能性は否定できないということだろう。
――女性には処女性という一度限りの価値があり、通常は婚姻によって失われる。ありていに言えば、婚姻によって価値が下がるという考え方がある。「選定」が「婚姻」を意味しているならば姫の処女を得ることが「覇王」の条件とも考えられるが……果たしてそれほど単純なものかな。なにしろ処女は姫の意志とは無関係に奪うことも可能だ。選定に意志が介在しなくても良いということがあるだろうか……。
レルワニは首を傾げながらまるで独り言のようにぶつぶつと言い、セリスに向き直ってあっさりと言い放った。「ひとまず、処女は大切にするように」と。
(それが「何」か教えてくれなかったから、どう大切にすれば良いかもわたしはわからないんですけどね……!)
とにかく、セリスがそれを失わないで保持し「選定」が終了していないと認識されている間、周囲はどうにかしてそれを得ようと行動を起こすのかもしれない。
その一方で、それを失ったと知られてしまえばセリスは用済みとなるのではないだろうか。
セリスとゼファードの会話を無表情に聞いていたラムウィンドスは、実にそっけない口ぶりで発言した。
「姫を守りきれない者が『覇王』であるはずがない」
確信に満ちた様子で断言をされて、セリスは目を見開いた。自分が知らず、レルワニも教えてくれなかった予言の続きがあるのかと思い、唾を飲み込んで尋ねる。
「予言は、わたしの役割を明示していたのですか。つまり選定後の……」
「知らん」
即座に言い返してきたラムウィンドスは、セリスの目をまっすぐに見つめて続けた。
「俺の考えだ。姫の手を取り覇王となったのであれば、その手を決して離してはいけない。他人に奪われる程度の弱い者が覇王になどなれるものか」




