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1:婚約破棄からの追放




「エルゼ・フォン・ノースレイク! 貴様との婚約を破棄し、王都から追放する!」


 金糸銀糸の縫い取りのあるベルベットのカーテンが高い天井から流れ落ちるようにたなびき、これまで見たことがないほど数多くの光の粒が、会場中を明るく照らしている。このロイヤル・ボールを豪華絢爛に飾り付けるためだけに、きっと腕利きの魔術師を何人も取りそろえたのだろう。


 王家の絶大な権力、莫大な財力に関心していたさなかだった私は、とつぜん声高にそう宣言されても、大した反応を見せることができなかった。


「エルゼ・フォン・ノースレイク! 貴様との婚約を破棄し、王都から追放する!」


 再度のお達しを受け、ああ私に言っていたのか、と、ようやくその声の主の方へと顔を向ける。


「三度目でやっと私の言葉を受け入れる気になったか。まあ、それも仕方あるまい」


 ……どうも私は、一度目の宣言は完全に聞き逃していたらしい。


「すっかり立ち尽くして、哀れなことよ! まあそれも仕方あるまい、なんせ婚約破棄を言い渡されたのだからな!」

「ベルトラン殿下、正気でいらっしゃいますか」


 立ち尽くしていたつもりなく、どちらかと言えば呆れて言葉を失っていた、というのが正解だ。婚約者である私をエスコートもせず、たった一人で入場させた挙句、いきなりバカみたいなことを公衆の面前で三度も叫ぶなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。


「殿下と私の婚約は、国王陛下とノースレイク公爵――つまり私の父との間で取り決められたことです。殿下の一存でどうこうできるものではないかと」

「ええいうるさい、私のいうことは絶対だ! そもそも、こうなるに至ったのは貴様の方に問題があるからなのだぞ!」


 肩をいからせて吠えるその姿は、まるで初めて見た人間に威嚇してみせる子犬のよう。我が家で飼っている猟犬たちの方がずっと大人びて見えるし、何倍もお利口さんだと思ったけれど、その悪態は喉の奥へと押しやっておく。


「その地味な風貌同様、性格も地味で大人しければ見逃してやれたのだがな。私の愛する……ああ、いや、大事な友人であるシェリルに執拗な嫌がらせをしていたそうではないか」

「シェリル……さて、どなたでしたかしら」

「とぼけるつもりだろうがそうはいかない。さあシェリル・スノウ男爵令嬢、こちらへ! 共にそこの悪辣公女の仮面を引っぺがしてやろうじゃないか!」


 壇上から私を一睨みした後、ベルトランは会場の隅の方へ目を向けた。皆の視線が一気にそちらへと集中するなか、乾いた靴音が響く。その音は私のすぐそばをゆっくりと通り過ぎて行き、やがてベルトランの隣でぴたりと止まった。


「ごきげんよう、公女殿下。まさかこのような形であなたを見下ろす日が来るなんて、思いもしませんでしたわ」


 そう言いながら、つややかなブロンドの髪をふわりとなびかせ、得意げに微笑んでいる。その顔にやはり見覚えはない。ただ、この妙な匂いを漂わせる人間がベルトランの周辺をうろついていた、という記憶だけは鮮明に残っていた。


「ああ、あなたでしたか。お名前を聞いてもさっぱり思い出せなかったけれど、匂いでようやくどなただったかが分かりました」

「匂い……? まさか、そんなはずはないわ。()()はどんなに鼻の利く生き物でも嗅ぎ取れないって」


 男爵令嬢はそこまで言うと、慌てて口元を扇子で隠した。


「と、とにかく! こういった場でエルゼ様の悪事を暴く機会を与えて下さったベルトラン殿下には、心より感謝申し上げます」

「なに、大したことではない。愛する……いや、親友の1人である君のためならばこれくらい、たやすいことさ」


 さっきから失言を繰り返しているせいか、ふたりに対する周りの方々の視線が妙な温度感になっている。ベルトラン殿下、浮気してたの? とか、あの子、おかしな薬でも撒いたんじゃないか、とか、そういったヒソヒソ話まで聞こえてきているけれども、彼らはこのまま茶番劇を続けるつもりなのだろうか。


 立ち回りのあまりの稚拙さ加減に、つい心配の気持ちが勝ってしまい、私は重ねた両手を胸元に当てた。


「ふん、その不安げな態度……。やはり、心当たりがあるのだな」

「いえ、ございません」

「お可哀想なエルゼ様! 私の大事なドレスをボロ雑巾に変えたり、私とベルトラン殿下との散歩を邪魔するために嵐を起こしたりしたこと、後悔なさっているのね……!」


 そんなことしていないってば。


 言いかけて、はたと気付いて口をつぐむ。彼女の発する妙な匂い、もとい不浄な空気を排除しようとして、何度か洗浄するための魔法を使った記憶がうっすらとよみがえったのだ。


「あれは……ただ汚れを浄化したまでのことです。あなたのその匂い、ベルトラン殿下に非常によくない影響を与えそうだったので」

「認めたな! シェリルに対して攻撃的な魔法を使ったこと、認めたな!」


 鬼の首を取ったように声を上げるベルトラン。まあ、おかしな匂いをはぎ取るためにドレスを繊維状にしたことは確かだし、その匂いが着ているものだけでなく体にも染み付いていた時に雨風で洗い流したのは事実だ。たとえ攻撃の意志がなかったとしても、何の予告もなしに、そして彼女が被る害に対して策も講じずにおこなったのなら、”嫌がらせ”と称されても仕方ないのかもしれない。


「おい、またお前は難しいことをごちゃごちゃと考えているな?」

「ああ、ええと……はい。言ってもたぶんご理解いただけないので語ることは致しませんが、難しいことは考えておりました」

「バカにしやがって……!」

「いけませんわ、殿下! いくらエルゼ様に非があるとはいえ、お手を上げるのはご法度です!」


 激昂し、いまにも殴り掛かってきそうな様子のベルトランと、それを必死で止めるナントカ男爵令嬢。周囲から漏れ聞こえるヒソヒソ話も、さっきとは違って私への非難に変わり始めている。


「地味な風貌の性悪女は、さっさと退場することにいたします。追放先はどちらです?」


 大して面白くもない茶番に付き合うだけでなく、彼女の名前を思い出すことすら億劫になってきた私は、表情一つ変えずにそう尋ねた。


「あっ、えっ? つ、追放先……」

「まさか、何のお考えも準備もなくあのような命令を下したのではありませんよね?」

「も、もちろんだ! だから、その、ほら……あそこだよ、あそこ」

「……幽霊が出ると噂の監視塔でしょうか」

「そう、それだ!」

「いつから留置なさいます? 明日? あさって? 身一つで向かえと言うなら、このまますぐに搬送するのがよろしいかと」

「あー……うん、じゃあそれでいい」

「では、拘留期間はいかほどに」

「もう、うるさい! 一生だ! 一生そこに入ってろ!」


 自分に与える罰を自分で考えなくてはいけないなんて、と、丁寧なカーテシーでベルトランからの命令を受諾しつつ、心の中でため息をつく。


 本当に何もできない人だった。魔法学園では出された課題のほとんどを私が手助けしていたし、将来玉座につくための予行演習ともいえる公務でさえも、私が補助しなければこなせなかった。


「……参りましょうか」

「ええ」


 衛兵に背を押されつつ、玄関ホールへ向かう。


 どうすればあの無能男が次代の王として国民に認められるか、あの残念なポンコツはどのように導くことで立派な人物となり得るか。そんなことばかりを、ベルトランの婚約者となった時からずっと考えてきたせいなのかもしれない。


 いま踏みしめているこの赤い絨毯の先にあるのは、一生の不自由であるはずなのに、私にはキラキラの自由な生活が見えていた。


 



 王都を出てはや5日。真夜中に近い時間帯だから、6日と言ってしまってもいいかもしれない。とにかく、目的の場所が遠くに小さく見え始めたのを確認した私は、


「美しい……」


 そう呟いてしまっていた。馬車の小窓に頬を擦りつけるように外を眺めていたものだから、ガラス面が曇って見えづらくなってしまう。私はそれを指先で撫でてふき取り、切り立った崖っぷちに建つ、管理放棄された古い塔の姿を改めて確認した。


 千年も前に国の防衛施設として活躍していたあの塔。きっと気が遠くなるほど長い間、国が紡ぐ歴史を静かに見つめてきたのだろう。満月を背景にしてそびえ立つその姿は、あれだけみすぼらしく古びてしまっているのに、神々しささえ感じられる。


「これからあそこで生活を営むことができるなんて、最高の気分だわ」

「また変なことを仰るのね。あんな今にも崩れそうなボロい建物に閉じ込められたら、私ならものの5分で気が狂う自信がありますわ」


 鼻先で笑いながら私の独り言を即否定したのは、3つ年下の妹であるリーチェだ。


 ブラウンの髪と瞳を持つ私とは違い、母親譲りの情熱的な赤い髪と神秘的なグリーンの瞳がとてもゴージャスで、勝手に持ち込んだ大量のクッションに体を横たえる姿が非常にサマになっている。


 公女拿捕の知らせを受けて飛んできた……といった風ではなく、どこか遠くに行くらしいから見送りに来たくらいのテンションで、私の搬送に同行しているリーチェを見つめながら、私は小さくため息をついた。


 この早馬車のポテンシャルがあれば、本来ならとっくにあの塔に到着していたはずだった。それが予想していた日程より丸3日以上時間をかけることになってしまったのは他でもない、リーチェの”寄り道”にさんざん付き合わされたからである。


「ベルトラン殿下は、家族と別れの挨拶をすることは許さないと仰っていたはずよ」

「……」

「面会も一切禁止だとか。孤独の中で寂しく年老いて死ねと息巻いていたわ」

「……」

「荷物も一切持たせない、着の身着のままで投獄してやる、とも仰っていたかしら」


 リーチェの寄り道。それは、道中で開催されていた”リガーレ万国博覧市”での買い物だ。年に一度、気候のいいこの時期に三か月の間開催される、国内外問わず有名な大市場で、私は品物の善し悪しを判断する”鑑定士”としてリーチェの買い物に帯同させられていた。


 別れの挨拶のつもりはないとは言えこうして会いに来たこと、自分の買い物にプラスしていろいろ買い込んだガラクタ商品を、嫌がらせのつもりの餞別として私に与えたこと。ベルトランからの命令違反をコンプリートしている妹に、ようやくゆっくり苦言を呈する時間ができたので、一応注意を促してはみたものの。


「ふうん?」


 リーチェには一切響かなかったらしく、つまらなそうな相槌がひとつ返ってきた。


 まあそうだろうな、と心の中で呟く。


 実はいま塔に向かっているのは、私たちが載せられているこの馬車だけではない。後ろには、大量の商品を載せるために現地で調達した馬車2台に加え、公爵家の家紋の入った馬車が3台も続いており、どこかの姫君がどこかの国へ輿入れするのかというくらいの規模の車列となってしまっている。到着が遅れているのも、この大車列を率いていることが理由の一つと言っていいだろう。


 とにかく、リーチェは単に私を見送りに来たのではなく、私の追放先が市場の開催地方面と知って、鑑定士()着きの買い物を楽しむつもりでやって来たのだ。そんな相手に何を言ったところで、大した反応なんかするわけもない。


「まあ、構うことありませんわ。たかが王子ごときの命令を無視したところで、お父様からちょっと叱られて終わりですから」


 こんな調子である。


 私がこんな風に奔放な真似をすれば、父は間違いなく私を部屋に閉じ込め、反省文を何百枚も書かせるだろう。私に無関心なあまり普段は私を空気以下の扱いをする継母――リーチェの実母も、私を殺さんばかりの勢いで睨む、くらいのことはするかもしれない。


 婚約破棄という不名誉をひっさげるだけでも、今言ったような両親からの懲罰、制裁を免れないことは確実だったと思う。舞踏会から直行で監視塔へ向かわせる指示を出し、面倒を省いてくれたベルトランには、敬意を表してやらなければ。


「暴論が過ぎましてよ、リーチェ。あれでも王位継承権の筆頭に位置していらっしゃる、立派なお方なのです」

「あれでも! お姉さまこそ、お口が悪いのではなくて?」


 リーチェはおかしそうに肩を揺らして笑った後、小さなため息を吐き出した。


「ベルトラン王子はおそらく、国王陛下にお姉さまがしでかした悪事を告げ口するでしょう。それが事実であるかどうかなんて関係なく」

「ええ」

「お父様はお怒りになるでしょうね。ノースレイクの名に泥を塗ったとして、この家名を名乗ることは永久に許さない、なんて仰るかもしれません」

「そうね」

「帰るところはなくなるんです。王子が下した沙汰の通り、お姉さまは一生をあのボロい塔で過ごすことになるの。みじめに、独りぼっちで」


 王家に輿入れした後の生活と大して変わらない気がする、そう思ったけれど、口にするのはやめておいた。私の後釜としてベルトランの婚約者に抜擢されるのはきっと、さっき「ものの5分で気が狂う自信がある」と言っていたリーチェに違いないからだ。


「ええ、そうね。私はボロボロの塔でボロボロになって生きたあと、ボロボロの死体となってから土に分解されて風に乗り世に放たれる人生を送るわ」

「意味の分からないことを早口で仰らないで。お姉さまがボロボロになること以外、何一つ理解できなかったわ」

「……」


 いつも通りの撥ねつけたような言葉。私もいつも通り、真顔で受け止める。


 でも私がこうして彼女に手を伸ばし、まるで慰めるように頬に指を添えたのは、他人に対してだけでなく、私にもいつも居丈高な態度を取っているリーチェの瞳が潤んでいたためだった。


「私、くやしい」

「リーチェ……」

「たかが王子ごときが、お姉さまにこんな罰を与えるなんて。無実の罪で追放して朽ちかけた呪いの塔に閉じ込めるだけが罰だと思い込んでるあのバカより、私の方がよっぽどすごいお仕置きができるのに!」

「……あなたにその権限がなくて良かったわ」


 手を下ろし、口元だけで微笑んでみせる。


「まあ、いいわ。お姉さまがどれだけみじめな生活をして、どれだけボロボロになっていくのか、定期的に見に伺います」

「来なくていいのよ」

「見るだけですから。差し入れとか、人間らしい会話とか、そういうのは期待なさらないで下さいましね」

「ええ、期待しないわ。そもそも来なくていいから」

「そうね、来週あたりとかどうかしら? お母様に言って、予定を開けてもらうようにしましょうか」

「来なくていいってば」

「ああ、楽しみ! 一週間でどれだけやつれてみすぼらしくなっているのでしょう、お姉さまは!」


 リーチェが楽しそうに声を上げたところで、馬車の揺れがゆっくりと止まる。どうやら、例の監視塔に到着したらしい。


「ねえ、私も監獄塔に入っていもいいかしら」


 立ち上がりかけた私に、無邪気に問い掛けるリーチェ。ものの5分で気が狂うなら、1秒たりとも足を踏み入れない方が身のためだと思うけれど。


「私は構わないわよ。でも、護衛があなたを止めるでしょうね。それに、ここは”監視塔”であって監獄ではないわ」

「巷では”監獄塔”と呼ばれているのをご存じないの? ……ああ、知るわけないか。お姉さまには巷と関われるほどのコミュニケーション能力はありませんものね」


 清々しささえ覚えるほどの悪口を、これほど眩しい笑顔で言えるのは世界で彼女くらいなものだろう。私は口の端をわずかにあげてリーチェに軽く会釈をしてから、開いた馬車の扉の向こうへと降り立った。






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