女の新陳代謝
「末恐ろしい子ですね。あんなに愛らしい容姿をしていても、やはり鬼は邪ということでしょうか?」
眉を顰めて魘紫を見るのは、再び櫻真たちの前に姿を表した夜鷹だ。
夜鷹は櫻真たちに意見を求めるように、横目でこちらを一瞥してきた。そんな夜鷹の視線に櫻真は返答に迷う。
自分と同じ『主』という立場の儚や瑠璃嬢になら、普通に頷ける。
けれど、そうではない夜鷹の言葉に頷くのはーー躊躇してしまう。きっとその違いは、従鬼に対して少なからずの悪意を抱いているか、抱いていないかの違いなのだろう。
「お答えし難いですか……。なら、無理には聞きません。しかし、私たちが持つ認識はご理解頂けたでしょう。それは一歩、前進です」
満足気な微笑みを浮かべながら、夜鷹が辺りを見回す。
「私と一緒に呼ばれた方は、まだ戻って来てないのですね?」
夜鷹が示しているのは、自分と同じく桔梗に風で吹き飛ばされた葵の事だろう。
「何で、葵の事を気にかけはるん?」
訊ねたのは夜鷹に疑心の目を向ける蓮条だ。
そんな蓮条の視線を受けても、夜鷹は「ふふっ」と小さく笑い声を上げるだけだ。
「あらあら、随分と仲間想いなのですね?」
「なっ、そんなんちゃうわ! むしろ、葵は仲間でもなんでもないっ!」
「あーーら。蓮ちゃんったら、そんなに葵姉さんを気遣ってくれていたなんて……姉さん、目から心の汗が出そうよ」
「うわっ、いきなり沸いて出たっ!」
体を震わせて驚く蓮条の背後に、あっけらかんとした様子の葵が立っていた。
「䰠宮葵は、先ほどのくらいの風ではめげませんのよ。むしろ、割と早めにここに戻ってきてたんだから」
話をしながら、葵が徐に自分の着物の襟に手を添える。そして誰もが口を開けぬ隙に葵が着物をあっという間に脱ぎ捨てた。
露わになる生身の葵の肌。そしてそんな葵が身に纏っていたのは、白いビキニ。腰には先ほどの着物と同じ柄の入ったパレオを巻いている。
着物で隠れていた体は、程よく締まっており、胸は丁度いい大きさだ。
パレオから覗く足もスラッとしており、文句のないスタイルだ。
けれどそれなのに……
「うふふ。初心な中学生男子には少し刺激が強かったかしら?」
体の柔らかさを自慢するかのように、体をクネクネと動かす葵。そんな葵の人格が全てを台無しにしていた。
するとそんな葵に対して、桔梗が訝し気に眉を顰めさせる。
「君……」
「おう、桔梗。私と早めの再開に歓喜してるのかしら?」
「いや、そうやなくて……そんな格好をして大丈夫なん? 君、男やろ?」
真面目な表情の桔梗の言葉に、その場にいた一同が目を丸くする。
「まぁ。まさか……あの、私からしてもかなり驚きだったので、下を調べても?」
口元に手を当て、微かに頬を紅潮させる夜鷹が葵にそんな提案をする。
「ええ、良いわよ。良いわよ。ちゃんと見せてあげましょう。素敵な逸物を是非ご覧あれ〜〜」
そう言って、夜鷹一人を連れて葵が家の影へと颯爽に歩いていく。
「えっ、えっ、ええっーーーー?」
去っていく二人の背中を指差しながら、櫻真が言葉にならない声を上げている。
いつもはちょっとやそっとの事では驚かない瑠璃嬢も、流石に言葉を失っている。
「えっ、じゃあ葵姉さんは姉さんやなくて、兄さんだったって事?」
信じられないと言わんばかりに、瑠璃嬢が素朴な疑問を口にする。
「案ずるな、瑠璃嬢。あの者が女でなく男であれば……君に近くづく毒虫として駆除しよう」
そう言って、魑衛が取り出した刀の鯉口を切り始める。
するとそこへ、輝夜を軽々しく抱っこする魘紫と、機嫌が治った百合亜と藤がやってきた。
「ねぇ、どうして皆んな驚いた顔してるのーー?」
「三人ともお帰り。ーー特に何もないよ。魘紫が抱っこしてはる鬼……輝夜に変わりはあらへん? さっき派手に悪い奴を殲滅してたみたいやけど」
「うん、大丈夫だよ! 輝夜ちゃんも元気一杯だもん!」
桔梗の言葉に百合亜が頷いて、魘紫が抱っこする輝夜に視線を向けた。
魘紫に抱っこされている輝夜は、表情を変えず真顔のままだ。
「なるほど、なるほど。こういう事でしたか?」
「ええ、ええ。これで分かって頂けたかしら? 私が持つ逸物を」
耳に聞こえてきた嫌な声に、櫻真たちがビクッと体を震わせる。そして恐る恐る顔をそちらに向けると、ニコニコと笑う二人の女性が横に並んで近づいてくる。
「嫌な絵面……」
近寄ってくる二人の姿に、桔梗が眉を寄せて毒づく。
けれど、そんな桔梗の言葉が葵と夜鷹に届きはしなかった。代わりに、叱責を含有する質問が夜鷹へと飛ばされた。
「どうして、アンタはそいつと普通に話してる?」
厳しい視線を飛ばしたのは、櫻真が初めて見る目つきの鋭い青年だ。
この場に割って入ってきた青年が葵を一瞥し、さらに表情を険しくさせている。
「あの者、混血種じゃのう。まさか、この時代になっても生き長らえていたとは……」
桜鬼が目を細めて青年を見る。
「混血種?」
聞き慣れない言葉に、櫻真が首を傾げさせる。
「うむ。江戸幕府が栄えている頃でも、その数は減っていたが……獣や妖しの血が混ざった人間の事じゃ。奴は何かしらの末裔じゃろう」
桜鬼の言葉を聞きながら、櫻真はマジマジと青年を見た。
純粋な人間ではない青年は、どこからどう見ても人間だ。桜鬼たちのように、自分たちと契約を結び現界している存在というわけでもない。
(漫画、テレビ……だけの話にできへんな)
従鬼たちを使役する自分たちを含めての櫻真の感想だ。
自分の近所に住む紅葉たちからすれば、陰陽師である自分も、鬼である桜鬼も、人間ではないあの青年も……全てはお伽話の世界なのだから。
でもやはり、その中に自分もいるというのは複雑な気持ちにはなる。
胸中で溜息を吐いた櫻真を他所に、葵が青年へと言い返していた。
「失礼な坊やね。確か名前は……遠夜だったかしら? ホストみたいな名前を掲げで恥ずかしくないの? それに、どうして葵が貴方にそんな睨まれないといけないわけ?」
顎に指を当て小首を傾げる葵に、殺気を放つ青年。
「……お前は臭い」
遠夜と呼ばれた青年がそう言った瞬間、反射的に櫻真たち一同が葵から距離を取る。
すると距離を取られた葵が眉を顰めて、
「まっ、本当に失礼だわ。これでも三食付きでお風呂のある素敵な家に住んでるのよ。この神宮葵がばっちい所に住居を構えるはずないでしょ?」
自分の弁護を言い始める。
けれどそんな葵の言葉に遠夜が辟易とした息を漏らす。
「体臭を言ってるんじゃない。お前からは、俺と同じ臭いがする。つまり、お前も何かの混血種なんだろう?」
葵にそう言いながら、青年が夜鷹へと視線を移した。
「お前が感じた邪も、コイツからなんじゃないのか?」
遠夜からの質問に、夜鷹が少しだけ思案している。すぐに返答が来なかったのが予想外だったのか、遠夜が眉を寄せている。
「葵姉さんが邪って、どういう事だか分かりますか?」
櫻真が桔梗の側に寄って、小声で訊ねる。
だが、訊ねた先の桔梗も「なんの事やろうね?」と真面目な顔で小首を傾げてきた。
誰も求めた答えが返ってこず、疑問だけが膨らんでいく。
しかし、その風船は夜鷹からの一針によって萎み始めた。
「いえいえ、私が感じた邪の気配はこの方からではありません。正直、私が視れる物は飽くまで人から出る業です。混血種の方が醸し出すメルクマールは感じ取れません」
「うふふ。私に掛けられた疑いが晴れたようね? ほら、そこの少年、葵に心からの謝罪をなさい」
右手を遠夜の方へ差し出し、悪役キャラが浮かべそうな酷薄な笑みを浮かべている。
「誰がするか。お前が普通の人間じゃないのは事実のはずだ」
謝罪の代わりに、遠夜が敵意を剥き出しにする。遠夜からの敵意を受けた葵はそれも意に介せず、愉快そうにしている。
「それってつまりぃ〜〜、俺がただの人間に負けるはずがないっていう自尊心の現れかなぁ〜〜? いや〜〜、素敵。ここまで露骨に出せる人って中々いないものよぉ〜〜。君、希少価値高いわね。葵、感激っ!」
どこまでも人を茶化す葵に、遠夜の堪忍袋の緒が切れた。
苦虫を噛み潰したような表情の遠夜から、殺気のような物が放たれる。
その気配は、獲物を狩る肉食獣のような猛々しいものだ。
「全くダメな子ね。大切な能力をこうも簡単にお披露目しちゃうなんて。貴方の力は本来、私たちに使うものではないでしょう。突っ張ることは男の勲章っていうけど、ちょーーっと時代錯誤よ?」
そう言った瞬間、葵の左頬から血飛沫が舞った。血が舞った葵の頬には、鋭い爪で肉を抉られたような生傷ができている。
櫻真たちは半ば呆然としながらも、遠夜の方へと視線を向けた。
遠夜は憎々しげな表情を浮かべたまま葵を見ているだけで、その場を動いたようには見えなかった。けれどその右手にはべっとりと血糊が付いており、彼が攻撃した事は間違いないようだ。
「ねぇ、何があったの? 何で、皆んなそんな顔をしてるの?」
そう訊ねてきたのは、桔梗の横にいた藤だ。
「えっ、あっ、これは……っ!」
藤の言葉に櫻真たちが一斉に動揺する。自分たちはともかく、藤たち程の子供からしたら、かなりショックな光景だったはずだ。
そしてそんな藤たちの存在は、熱くなっていた遠夜の心にも響いていた。
遠夜の顔には、先程の敵意は消え失せ気まずさだけを残している。
「……全く、後先考えずに事を起こすから、こんな事になりよるんよ。安心して。百合亜たちの視覚には幻術を掛けといたから」
嘆息を吐く桔梗の言葉で、その場にいた一同が安堵した。
「もう桔梗ちゃんったら、百合亜たちを守るために必死なんだから。少しは葵の怪我を心配して欲しいのだけど?」
ハッとして、櫻真たちが葵の方へ視線を向ける。
「はっ?」
思わず驚きの声を上げたのは瑠璃嬢だ。
しかし思わず声を上げたくなる気持ちも分かる。
「何で、葵姉さん……もう怪我が治ってはるん?」
櫻真も他の者と同様に、目を丸くして傷一つない葵の顔を凝視していた。さっきまで浮かない顔をしていた遠夜も驚愕している。
「女の新陳代謝は凄いのよ。いつまでも作画崩壊時のアニメみたいに、ケチャップを付けてる訳にもいかないでしょ」
「いや、いや、いや、可笑しいやろ! 新陳代謝でどうにかなる怪我やなかったし、ケチャップの件もよう分からんっ!」
思わずと言った様子で蓮条が突っ込みを入れる。
しかし現実的に葵の頬は綺麗に完治している。自分たちの意識が別の場所に向いている間に、何かをしたのは確実だが、まるで動いている気配がなかった。
「葵くらいになれば生傷を消すくらい、お茶の子さいさいなのよ」
(何か、悔しいわ……)
妙に納得してしまう自分に気づいて、櫻真は少し複雑な心境になる。
けれど、これで藤や百合亜を誤魔化さずに済むのは確かだ。
「まぁ、本当に葵さんは特筆した力のお持ちなのですね? そんな素晴らしい力と共に次なる世界への扉を開きませんか?」
事情を知る殆どの者が絶句する中で、先ほどと変わらない様子の夜鷹。
「きゃーー、葵ーー。今まさにオカルト宗教に勧誘されてるぅーー。超、怖いんですけどーー」
白々しい叫びを上げる葵の姿に、すっかり櫻真たちの興が醒めてしまう。
するとそこへ、意識を取り戻したらしき隆盛とそれを介抱していた人たちが現れた。
隆盛は不満と悔しさが混合したような表情で、櫻真たちに外方を向いている。
身内がしたということもあり、どう声を掛けるべきか迷う。
だが櫻真が口を開く前に、隆盛がいきなり深呼吸を始め……
「俺、決めた! 完全完璧に決めた! 相手が子供だろうとぜってぇ、手加減しねぇーー! だから、そこにいる鬼絵巻も俺が必ず回収する!」
と意気軒昂に宣言してきた。




