ワンコインのお茶会
葵姉さんって、二十七才やったんや……知らんかった。むしろ、母さんとあんまり年齢変わらん。
いきなり、自分の自己紹介を始めた葵に櫻真が口をぽかんとさせていると、
「櫻真ーー! 妾は櫻真と離れている時も心配で、心配で仕方なかったぞ」
櫻真の元に、勢いよく桜鬼が抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと桜鬼! 姉さん、何で桜鬼を!?」
「あら? 姉さんはただ素敵な恋人同士を再会させてあげただけじゃない。もう、ぷんすか!」
「こ、恋人?」
どこか人を小馬鹿にするような話し方をする葵に、悲鳴にも近い声を上げたのは紅葉だ。そして紅葉の横にいる千咲まで驚きで目を瞬かせている。
「姉さん! 誤解を生むようなことは言わんといて!」
やや強めな口調で、葵を嗜める。けれど言われた当人は「はて、何の事かしら?」というような表情で、全く気に留める素振りはない。
逆に、櫻真の反論に口先を尖らせたのは自分に抱きついていた桜鬼だ。
「櫻真はつれないのう。まだ口上には出していないとはいえ……そんなに強く否定せずとも良いというのに」
「ちょっと、強く言い過ぎたかもしれへんけど……そこは本当の事やし」
不服そうに表情を崩す桜鬼に、櫻真が困り顔で言葉を返す。けれどそんな言葉では桜鬼も納得しない。
ただ、その感情を言葉にしないのは、櫻真の考えを覆す程の手持ちを持っていないからだろう。とはいえ、仮に桜鬼が何か言ったとしても、しっかりと嗜める覚悟はある。まさに防戦一方の構えだ。
そんな自分たちのやり取りで、勘違いを起こしそうになっていた女子二人の表情がいくらから柔和になっている。ただその二人の横に居る佳だけは、真剣な表情のまま桜鬼を見ているだけだ。
佳の視線に気付いて、櫻真は内心でドキリとする。佳は自分と同じ陰陽道に通じている家系だ。もしかすると桜鬼が人ではない事も気付いたかもしれない。
はよ、この場から桜鬼たちを連れ出さんと……
櫻真がそう考えたのと同時に、葵が手をわざとらしく叩き口を開いた。
「はいはい。照れ隠しの櫻ちゃんは置いとくとして。実は姉さん、櫻ちゃんに大事な、大事な連絡があるのよ。だから今すぐその小汚い掃除用具を片付けて、姉さんに美味しいお茶を奢りなさい」
「奢りなさいって……」
葵の身勝手な物言いに櫻真は呆れるしかない。普通、こういう場合は年長者で尚かつ話が有る方が奢るものではないのか?
「櫻ちゃん、貴方の考えは間違っているわ。子供だから何でも奢って貰えるなんて甘えは捨てなさい。姉さんは貴方のパパ、ママではないのだから」
櫻真を指差しながら、自身のことを正当化する葵。そんな葵に櫻真が不満そうな表情で、「だったら、姉さんとお茶なんかしたくない」という気持ちを現す。
むしろ、この話の流れ的にお金を出すのは自分だ。つまり櫻真には拒否権がある。そしてそんな自分たちのやり取りに、紅葉たちも呆気に取られている様子だ。
中学生に呆れられる成人女性が親戚なんて……ホンマに嫌や。
櫻真は喉元まで上がって来た溜息を何とか堪える。
けれど、そんな櫻真に葵が目元を細めさせて来た。少し笑っているように見えなくもない。櫻真が持つ手札を斬り捨てる用意がある、という様な雰囲気すらある。
「たかがワンコインのお茶だけで、今のモヤモヤ感がすっきり解消できるなんて……あら、やだ素敵。ねっ? 桜鬼ちゃんもそう思うでしょ?」
「ワンコインという言葉は、分からぬが要するに一杯のお茶だけで、櫻真には得があるということじゃろ?」
話を降られた桜鬼がそう言って、櫻真の方に視線を向けて来た。
しかし、そんな桜鬼の質問に頷くべきか櫻真は返答に困った。
いくら親戚とはいえ、葵という人物は昔から飄々としていて自由人だ。悪く言えば適当人間で自分の父親である浅葱とも類似している。そんな葵の言葉を本当に鵜呑みにして良いのか? 櫻真の胸中にはそんな葛藤がある。
けれど、それを長く続ける事は出来なかった。
「早くしないと……姉さん。ここで要らぬ事を口走っちゃいそうで怖い。例えば、櫻ちゃんが昔やらかした秘蔵歴史とか……」
卑怯や。卑怯すぎる。
チラッと櫻真の方を見て、葵が卑怯な揺すりをかけてきた。
「秘蔵……歴史……」
少しぼーっとしたような声を上げて来たのは、今まで黙ったまま櫻真たちのやり取りを見ていた千咲だ。櫻真が少し気まずそうな表情で千咲を見る。視線を向けられた千咲は、少し焦った様子で首を窄めて、視線を逸らして来た。
「フフ。櫻ちゃんの素敵なガールフレンドも気になっているようだし、ここで䰠宮櫻真ヒストリーを暴露してあげても、よろしくてよ」
「姉さん、もう分かった。もう分かったから……皆に変な事を言いふらすの止めて!」
「もう最初から頷けば良いのよ。さっ、姉さんと共に参りましょう」
人の弱みに付け込んだ葵は、満足げな笑顔を櫻真に向けて来た。かなり胡散臭い笑顔だ。けれど今の櫻真には、その胡散臭さに対向する術はない。
「ほな……悪いけど、俺は先に帰るな……桜鬼、行こう」
溜息混じりに櫻真が紅葉たちに声を掛け、机の上に置いといた鞄を取りに行く。
するとそんな櫻真の元に、小走りで佳がやってきた。
「䰠宮、もし俺に何かあったら言ってな。俺に出来る事やったら手伝うから」
「……あ、ありがとう」
まさかの言葉に驚きながらも、同級生の言葉は素直に嬉しい。
佳に照れ臭さ混じりの笑みを浮かべ、櫻真は桜鬼と共に教室を出た。
学校から出て、櫻真は桜鬼と共に葵と並んで歩いていた。葵は、曇りにも関わらず、日傘を差している。
「曇りの日でも紫外線ってあるんですってぇ。嫌よね。本当に」
まるで、肌に気を使ってます、というニュアンスの言葉を口にしているが、前に櫻真が葵と会った日は快晴なのに、日傘なんて差していなかった気がする。
きっと、そのときの気分なんやろうなぁ。
そんな事を思いながら、櫻真は一つの自動販売機の所で脚を止めた。
「あら、櫻ちゃん。こんなばっちい自販機の前に止まったりしてどうしたの?」
「えっ、だって姉さん……ワンコインのお茶が飲みたいんやろ? この自販機、ワンコインやねん」
櫻真がそう言って、赤いラベルにポップな黄色の字で『ワンコイン! お得!』と書かれた文字を指差した。
一瞬だけ、葵の顔が真顔になる。まるで得体の知れない何かを見るような表情で、数秒の間自販機を凝視している。
そんな葵の様子に、櫻真は内心でガッツポーズを作っていた。
姉さんにやられっぱなしは嫌やもんな。
葵に腹癒せが出来た櫻真がすっきりした顔を浮かべていると、
「櫻真、櫻真! これは何なのじゃ?」
物珍しそうな顔をした桜鬼が櫻真に訊ねてきた。
「あー、これはな……ここにお金を入れて……好きな飲み物の下にあるボタンを押すんよ。そしたら……」
ガコンッという軽快な落下音と共に、櫻真が選んだミルクティーが取り出し口に落ちて来た。取り出したミルクティーを固まった葵の手に持たせ、櫻真は桜鬼へと向き直る。
「おおっ!」
一連の流れを見ていた桜鬼が歓声を上げる。
「俺がお金入れるから、桜鬼も好きなの、買ってええよ」
「うむ。じゃが、どれにしようかのう? 迷うぞ! それに……どれを買ったら良いのかも分からん! そうじゃ! 櫻真、櫻真が妾の為に選んでくれんかのう?」
目を爛々と輝かせた桜鬼に頼まれ、櫻真は苦笑を零して自販機の商品を再度見た。
ワンコインというお得な自販機にも関わらず、その種類は豊富にある。
んー、お茶とかだとあんまり捻りないしなぁ……それやったら、炭酸系とかの方が桜鬼は驚きそうやなぁ。
櫻真がそんな事を考えながら、コーラのボタンに手を伸ばそうとした所、自販機の一番下の段にピンク色をしたイチゴオレの缶が視界に入って来た。
そういえばと、祭りの時に苺が入ったクレープを美味しそうに桜鬼が食べていたのを思い出す。もしかしすると、こちらの方が桜鬼は喜ぶかもしれない。
櫻真はコーラのボタンに伸ばしていた手をイチゴオレのボタンへと変えた。軽快な音と共にイチゴオレが落ちてくる。
「はい、どうぞ」
柔らかく桜鬼に微笑んで、櫻真が取り出したイチゴオレを差し出す。すると、その瞬間に桜鬼が少し目を見張った様子で、イチゴオレを受け取って来た。
「ん? どうしたん?」
少し驚いた様子の桜鬼に、櫻真が小首を傾げさせる。すると桜鬼がはっとした顔で首を横へと振ってきた。




