明日の敵
「いや、どうもしてないぞ。多分……ただの、何故だか胸がぎゅっと締め付けられる感じがしたんじゃ」
「ぎゅっと締め付けられる感じ?」
「そうじゃ。もしかすると……櫻真の優しさに恋煩いが疼いたのかもしれんな」
「なっ! 恋煩いって……ホンマに俺を揶揄うのはやめて欲しいわ」
艶美な微笑みを浮かべる桜鬼に、櫻真は片手で頭を抑えながら顔を赤く染める。桜鬼がどの程度の気持ちでこういう事を言っているのかは分からないが、動揺するし、恥ずかしい。
「おい、櫻真。葵姉さんを落胆させた挙げ句、自分だけラブコメのワンシーンをやってんじゃねぇーぞ」
ショックから立ち直ったらしい葵が、ペットボトルのミルクティーを飲みながら、自分たちの間に割って入って来た。
「わぁ! 姉さん、何、いきなり?」
「コホン。櫻ちゃん、この素敵すぎるお茶会は姉さんと大事なお話をするための物よ。貴方たちの濡れでもないラブシーンやる場面じゃないの」
「ぬっ……!」
「この反応、やはり櫻真は初心ね。まぁ、初心なことは良い事よ。さてさて、さっさと本題に入りましょうか? 本当はお洒落な隠れ家風のカフェでまったりしながら話したかったんだけどね」
「……姉さん、ホンマに根に持つ人やね。むしろ、そんな所に俺は入らへん」
「何だと! 今時の男子はなぁ、男でもカフェに入る時代なんだよ! この時代遅れが!」
「中学生にそれを押し付けてる姉さんは、未来行き過ぎや」
櫻真が皮肉を込めてそれを言うと、葵が口を尖らせて不服そうに睨んで来た。けど、そうされても少しも怖くない。
「まぁ、いいわ。ここは姉さんが寛大な心で流してあげましょう。心の狭き中学生の櫻真のために」
……何やろ、この言い草? めっちゃ腹立つ。
内心で葵に苛立ちを感じながらも、櫻真は努めてその苛立ちを押さえ込んだ。そうしなければ、話が二転三転して進まなくなる。それは駄目だ。例え百円のミルクティーだとしても葵に飲み物を奢った事に変わりはない。
そうや。姉さんはあんな事言ってはったけど、大人になるのは俺や。
「さてさて、櫻真? 貴方はこの度……桜鬼ちゃんと契約して当主争いに参加することになったわね?」
「そう、やけど……。もしかして、姉さんも参加してはるん?」
「うふふ。まさかまさか。私は当主争いに御呼ばれされてないのよ。私はただの傍観者」
そう言って、葵がにっこりと微笑みミルクティーを緑茶のように啜っている。櫻真はそんな葵の顔をマジマジと見る。
「おや、櫻真、私の顔をマジマジと見てどうしたのかしら?」
「悪いけど、俺……姉さんのこと信用できへん」
渋い顔をした櫻真が素直な言葉を口にする。するとイチゴオレを飲まずに大事そうに眺めていた桜鬼が表情を引き締め、櫻真と葵の間に立つ。
「あら、やだ心外。葵が何時如何なる時に貴方に嘘をついたというのでしょう?」
笑っていた葵が目を少しだけ見開いて、櫻真に問う。
葵の問いに対して、櫻真は少しだけ口を閉じ考えた。確かに葵から嘘をつかれた事はない。そもそも葵とは親戚でありながら、深く関わった記憶もない。
葵がどこに住み、どんな家族と暮らしているのかも知らない。記憶の中にある最初の葵との記憶は、櫻真が小学四年生くらいのときだ。風貌は髪の毛が今よりも短いくらいで、あとは殆ど変わりない。性格も口調もこんな感じで、どことなく掴めない相手だった。
櫻真は桜鬼越しに葵を見て、小さく喉を鳴らす。
「……まぁいいわ。櫻ちゃんが姉さんを信じても、信じなくても。私のやるべき事は変わりないもの」
溜息混じりに肩を上下させた葵に、櫻真はやや面を喰らいそうになる。葵が溜息を吐いた瞬間、一気にこの場にピンと張られていた糸が解れた感じがしたのだ。
しかし、そんな拍子抜けする櫻真の前に立つ桜鬼は、態度を変えない。
きっと主である櫻真の安全が確保されない限り、桜鬼は威嚇をやめたりはしないだろう。
櫻真からすれば、心強くもあり不安でもある。桜鬼の威嚇が葵の気を変に刺激してしまったら? もし、参加者ではないという葵の言葉が嘘だとしたら? 様々な疑念が櫻真の頭の中に渦巻く。
「桜鬼ちゃんも威嚇はやめて頂戴な。あんまり姉さんを威嚇すると精神的慰謝料を要求することになるわよ? 勿論、姉さんはそれでも構わないけれど? どうする、どうする?」
「妾はそんな安い挑発には乗らぬぞ? 其方はきな臭い。むしろ、貴様の周りには鬼の気配がある。妾にそれを隠し通せるとでも思っておるのか?」
「きな臭いね……クンクン。あら、やだ素敵。桜鬼ちゃんの臭いがうつってしまったのかしら?」
「戯け。そんなことあるわけなかろう。白々しい嘘を吐くでない! 汝、呪禁の法の下、その身を晒せ!」
桜鬼が呪文のような物を詠唱すると、桜鬼の右手に漆黒の刀身を持った日本刀が現れる。
「あら、漆黒の刀身なんて中二病を煩った男の子が好きそうね」
「中二病などという言葉は知らぬ!」
「あらまぁ……でもそうね。そうなるわね。けどね……私に熱り立つのはお門違いにも程が有るわよ? 本当の敵は私ではないのだから」
葵がしみじみと胸に手を当て、そんな事を言う。
「本当の敵?」
「ええ。姉さんが今日、櫻ちゃんに伝えようとしたのはその事だもの。それに、私から鬼の気配がするとか言っていたけれど……それは誰の気配なのかしら?」
「なっ、それは……」
葵の言葉に、二の句が継げなくなった桜鬼が苦虫を噛んだような表情を浮かべさせる。
「桜鬼ちゃんだったら分かるはずよ? 私が漂わせている鬼がただの式鬼神ではなく、従鬼ならば」
相手を畳み掛ける葵の言葉に、桜鬼が悔しそうに構えていた刀の穂先を下へと降ろす。
「うふふ、良い子ね。ふぅー、これで私の身の潔白は証明されたわけだし、本当の敵に対する説明を始めましょう。あら、やだ……姉さんのミルクティーが切れてしまったわ」
空のペットボトルを空中でプラプラと揺らし、葵が櫻真におかわりを要求して来た。あからさまにおかわりを求められ、微かな嫌気は感じるが、ここで時間を消費させたのは自分と桜鬼だ。それに、葵が言う本当の敵というのも気になる。
そのため、櫻真は葵に二本目のミルクティーを購入する羽目となった。
「それで、姉さんが言う本当の敵って誰?」
櫻真が二本目のミルクティーを葵に手渡しながら、訊ねる。すると葵が「また、ミルクティーかよ」という文句を言いながら受け取り、ボトルのキャップを開けてきた。
文句は言いはるのに、飲むんやなぁ……。
二本目のミルクティーをゴクゴクと半分以上の量を飲む葵を見ながらそう思った。
「プファー。葵はコーラが飲みたい気分だったぞ」
「姉さん、そんな感想要らんから。はよ、話して」
「分かったわよ。櫻真、お前の敵は七人いる」
「えっ、知ってはるけど」
「そんでもって、その敵は全て縁者だ」
「えっ、それも知ってはるし」
「まぁまぁ、聞け聞け。その敵は鬼を使って、鬼絵巻という物を……」
「姉さん、まさかとは思うけど……それで終わりとかないよね? もしそやったら、姉さんの手からそのミルクティーをひったくるわ」
櫻真が冷めて白けた視線で葵を見る。
すると、葵が飲み過ぎたミルクティーでゲップを吐いて来た。櫻真がそのゲップを聞いて、ドン引き顔になる。
すると、葵が今さらになって口許に手を当てて来た。
今さらすぎて、怒りも感じず、ただただ呆れる。
「おっと、失礼。櫻真、早とちりは駄目よ。姉さんはただ物語のあらすじを言っているだけに過ぎないのだから。本題はここからよ」
「うぅ、焦れったいのう。勿体ぶらずに早く言うのじゃ!」
「鬼よ、シャラップ! つまり、黙れ、の意味」
「姉さん! 溜めが長いねん!」
桜鬼と同じように、勿体ぶる葵にじれったさを感じていた櫻真が声を張り上げる。
すると葵がやれやれというニュアンスで、首を横へと振り、人差し指を立てて来た。
「ここで言っても良いのだけれど……答えは全て、明日分かるのよ。そう、明日」
「明日?」
「そうよ。明日に第一章の敵が分かってしまうの。あら、やだ素敵。こんなに早く敵役が出る物語がどこにあるのでしょう?」
やや大袈裟な素振りで葵が驚いたように見せてきた。まるで、推理小説で真犯人を告げられた時の被疑者のような顔だ。
これが当主争いに関係ない時だったら、葵の演出的な素振りに溜息を吐くだけに終わっただろう。しかし、今の自分にはそれができない。
櫻真の意志に関係なく、事態は少しずつ動き出している。今はただ小さい事だとしても進んでいるのだ。物語の頁が進むように、ゆっくりと。
「うふふ。もし心配なら詳細をお星様にでも訊ねたら? といっても、明日敵が来ることには変わらず。しかも敵の正体を櫻ちゃんは既知しているけれど」
「俺が知ってる……?」
予想外だった葵の言葉に、櫻真が目を見張る。葵はそれに頷いて来た。頷いた葵を見て、思考が一気に頭を駆け回る。
自分の敵……? それは一体誰だと言うのか?
櫻真は目の前に居る葵の存在も忘れ、押し寄せてくる思考の波に飲み込まれそうになる。けれど、その波はすぐに引く。
誰に焦点を当てれば良いのか分からない。自分たちが持つ敵の情報が少なすぎるのだ。不安で櫻真の表情が曇る。
すると、そんな櫻真の表情を見た桜鬼が口を開いて来た。
「葵とやら、其方は今の段階では妾たちの味方のように見受けできるが、そこはどうなのじゃ?」
「勿論、味方よ。もし味方でないとしたら、わざわざ『明日は気をつけなさいね』なんて言うはずないでしょ?」
「ならば、貴様が妾たちに協力する意図を話してもらおう」
「意図だなんて……。もう桜鬼ちゃんったら、まるで私が何かを画策しているみたいに言うんだから」
「仕方あるまい? 櫻真が其方を信用しておらん。それに、如何なる戦いの時も裏切りは付き物じゃ」
桜鬼が神妙な顔つきで葵を見る。すると葵がやれやれと言わんばかりの息を吐き出してきた。
「これまでの戦いで、心が荒んでしまったのね。可哀想に。でも大丈夫。葵姉さんが氷塊のような桜鬼ちゃんの心を融解してあげるわ」
「信じられん」
胸に手を当てる葵の言葉を桜鬼が目を細めて一蹴する。しかし葵は気にする様子もなく言葉を続ける。
「葵はね、見たいのよ。䰠宮に伝わる鬼絵巻の物語を……そこにどんな結末が待っているのか……これぞ、まさにロマンよね。でもね、でもね、それを他の人に言っても全く相手にしてくれなかったのよ。ひどくない?」
「つまり……姉さんは行き場を失って俺の所に来はったんや」
「イエス、オフコース〜〜」
「えっ、でも待って。つまり、姉さんは俺以外の人を知ってはるの?」
「いいえ。目下、調査中よ」
桜鬼に続いて櫻真が目を細める。
「あのね……もし、私が全てを知っているのなら櫻真如きに取り付くはずないじゃない。とりあえず、明日は頑張りなさい。さらば」
櫻真と桜鬼の視線に堪えられなくなった様子で、葵が逃げ足で退散していく。
「散々人の不安を煽っといて……言い逃げってないやろ」
「本当にのう。なんと言うか、使えぬ奴じゃ」
呆気に取られながら、櫻真と桜鬼は葵の背中を見送るしかなかった。




