故意
佳は、守護の護符で自分と光の身を守りながら、眼前で行われている戦いを見ていた。そして、その戦いを以前見た時の記憶と照らし合わせる。
以前は、櫻真と蓮条が敵対していた。詳しい事情は分からないが、この戦いに大きく関わっているのは「鬼絵巻」というものだ。
きっと、その「鬼絵巻」と呼ばれる物は、千咲から出現したあの光球がそれだろう。
佳には、まだ櫻真たちが取り合う鬼絵巻がどんな物なのかは分かっていない。けれど一つ言えるのは、鬼絵巻の出現によって良くない事が起きているということ。
そして、䰠宮たちと一緒におるあの存在は……。
佳の視線の先には、自分に「親戚の陰陽師」だと嘘を言ってきた桜鬼たちだ。櫻真たちは、佳が以前の戦いを目撃していることなど知らない。
だからこそ、自分にあんな誤摩化しを言ってきたのだろう。
佳も何度か櫻真に、自分が見たことを話さそうと考えた。しかし、佳は結局、櫻真に其の事を話す事はできなかった。
櫻真たちが、自分に対して鬼絵巻の事を隠しているからだ。自分を厄介事に巻き込まないための配慮と思えばいい。しかし、そう思う反面、佳の中にある自尊心が事情を隠す櫻真たちに強く反発していた。
自分でも重々に分かっているつもりだ。
櫻真たちよりも技術が浅く、声聞力が低いことを。
しかし、それでも……
自分の後ろで怯えた様子の光と同一に扱われるのが悔しくもある。自分が必死に邪鬼を払い、独学でも陰陽道の事を学んでいる。それなのに、それなのに、まだ自分は心許ない存在なのだろうか?
そう強く思ったからこそ、佳は敢えて知らないフリをすることにした。そしてもう一つの事も決めた。
稚拙な意地だと罵られても構わない。
自分は、自分なりにこの戦いに参加し真相を突き止めてみせる。
そして、その目標へのキーワードが、鬼絵巻であり、従鬼であり、この戦いなのだ。
目標に近づくために、佳はこの戦いを見届けなければいけないと思った。
櫻真は、自分の目の前で繰り広げられる桜鬼と魑衛の戦いを見ながら、空気の中に混じり始めた別の気配を感じていた。
いきなり、混じり始めた気配は鬼絵巻ではない。この気配は自分たちと同じ術者の気配だ。気配は息を殺して、こちらを窺っている。
ここにある鬼絵巻を狙いに来たのだろうか? いや、そうに違いない。
でも一体、誰やろ?
気配がぼやけている。櫻真は必死にその気配が誰の者なのか探っているが見えてこない。櫻真は表情を険しくさせながら、佳の後ろにいる光を見た。
鬼絵巻が潜んでいるのは、きっと光だ。
櫻真は、鬼絵巻の気配を感じ魑衛が動いた時からそう踏んでいた。桜鬼と戦う魑衛がどのくらい特定しているかは分からない。
しかし、前の千咲と同様に偶然巻き込まれただけの光を危険な目に合わせるわけにはいかない。何としてでも光から鬼絵巻を離し、この状況から逃がさないと。
気持ちは焦るが、今は動くことができない。
魑衛の目は、先ほどの色から黒に戻ってはいるが、桜鬼との攻防は続いている。
んーー、どうにかしてこの状況を切り抜けるええ方法はないかな? 櫻真がそれを考えながら、術式を唱える。
「木行の法の下、戦風よ、疾風迅雷の如き刃で彼の者を貫き刻め。急急如律令」
櫻真の術式に呼応して、桜鬼の動きが一気に向上する。そしてそれだけではない。魑衛に刀を受け止められた桜鬼が、左手で手刀を繰り出す。
桜鬼の手刀が魑衛の頬に傷をつけ、さらに……
「火行の法の下、焰よ、風に纏いし刃となれ。急急如律令」
櫻真が火行の術を付け足す。
空の刃に、炎が付加されたことにより魑衛に付けた傷跡が炎上する。魑衛の表情が苦悶に染まる。けれど桜鬼への剣戟が治まりはしない。
直接対峙していなくても、櫻真へと伝わる空気が肌をビリビリと刺激してくる。桜鬼の強さを信用してないわけではない。
ただ、生傷が増えようと火傷が増えようと構わずに、刃を縦横無尽に動かし、傷を回復させる魑衛を見ていると、何とも言えない不安が巻き起こる。
駄目や。俺が桜鬼を信じんと。
そう、自分が桜鬼と契約した主なのだ。櫻真は弱気になりそうになる自分を鼓舞し、さらに桜鬼への守護術を強化する。
すると桜鬼が一瞬だけ、目を瞬かせてきたように見えた。だがその驚きも敵を目の前に一瞬で払拭される。
桜鬼が刀を上段から右下へと払い切る。しかしその斬線が描かれることはなかった。下段に構えていた刀で、魑衛が桜鬼の刀を受け止めたためだ。
「はぁあああああ」
桜鬼の刃を受け止めた魑衛が、声を張り上げ刀を振り上げる。するとその強靭な怪力によって、振り下ろした刀事、桜鬼も真上へ払い上げられる。
払い上げられた桜鬼はその怪力による衝撃と共に、天井を突き破り、三階、屋上の方へと飛ばされていく。
「桜鬼っ!」
「他者の心配などしている余裕などないはずだっ!」
声を上げた櫻真へと、刀を構えた魑衛が一気に詰め寄ってきた。櫻真はすぐさま守護の術式を唱え、魑衛と自分の間に防壁を張る。
櫻真の張った防壁と魑衛の刀が衝突し、火花が辺りに散らばる。力ずくで防壁を破壊せんと力を入れる魑衛の表情は忌々しそうに顔が歪められる。
「一度ならず、二度までも阻まれてなるものかっ! 瑠璃嬢!」
魑衛が瑠璃嬢の名前を呼んだ瞬間に、瑠璃嬢が二枚の護符をスカートの内側から取り出してきた。
見えたのは右太腿辺りにゴムバンドの様なもので、落ちないようになっている何枚かの護符が見えた。
「何ちゅう所に……」
スカートには、ポケットは付いてないんやろうか?
「貴様! 我が君、瑠璃嬢の召し物の中を覗き込むとは……無礼千万! 不躾な輩は我が刃で斬り捨てる!」
別に見たくて見たわけでも、ましてや覗き込むことなどしていない。完全に魑衛の言いがかりだ。
しかし、さっきとは別の意味で魑衛が櫻真へと怒りの炎を燃やしている。しかも瑠璃嬢が発動した護符は、どうやら自身と魑衛を強化するものだったらしく、魑衛の姿が見る見るうちに変化していく。
先程よりも体格が大きくなり、額の上部から角が生え爪も鋭い。首元には赤い梵字が浮かび上がり、禍々しさが一層強くなった。
それとは反対に、同じく護符を使ったはずの瑠璃嬢に魑衛のように目立った変化は見られない。強いてあげるとすれば、瑠璃嬢の黒い瞳が赤く染まっているくらいだ。
主による強化により、先程まで拮抗していた攻防にも変化が生じてしまった。
魑衛が櫻真の張る結界へと斬り掛かる。
すると今までビクともしていなかった防壁に、小さな亀裂が走り始めた。小さな亀裂は段々大きな亀裂を生み、障壁の崩壊へと近づいている。
もっと強固な守護を張らんと。
しかし、ここで問題なのは櫻真に新たな術式を組ませる余裕を相手が与えてくれるかどうかだ。相手も考えなしではない。
櫻真の張る結界が厄介だと感じているはずだ。
一か八かで、術式を組むしかない。
櫻真が意を決して、術を唱え始める。
そんな櫻真を斜上から魑衛が見下し、嘲笑う。
従鬼頼りの貴様など、取るに足らないと言わんばかりに。
そんな魑衛の表情に、櫻真は片方の手で握り拳を作る。確かに自分たち主は術が使えても、従鬼たちのような頑丈さや強さはない。
しかし、だからといって桜鬼の足手纏いになりたいわけではない。桜鬼は必ず戻ってくる。それまでに、自分がへばっているわけにはいかない。
最初の結界が鏡のように砕け散る。その瞬間に魑衛の刺突が脇目も振らずに襲いかかって来た。
パキンッ。
室内に響き渡る刃と防壁の衝突音。
櫻真は反射的に固唾を飲んでいた。櫻真の眼前。ほんのスレスレの所でピタリと停止する穂先。
そして、それと同時に……。
「妾をよくも蹴鞠のように、飛ばしてくれたのう? 然るに櫻真にも汚らしい刃を、そう何度も向けおって……許さぬぞえ」
桜鬼の言葉が遠くから響いたと思えば、次の瞬間に物凄い轟音と揺れが辺りを支配した。先程とは比べ物にならないほどの砂埃が辺りに散り、その砂埃を大きな鋭い爪が引き裂いた。
鋭い爪は、獣が持つようなもので魑衛のものとは異なっていた。そしてその爪は強化前の魑衛と同じくらいの大きさだ。
魑衛が自分に向かって斬り掛かってきた爪を横方向に跳び避ける。
「風神か……」
魑衛が眉を顰め、大きく舌打ちをうつ。
「久方ぶりであろう?」
桜鬼の言葉と共に、砂埃が風により吹き払われ、ようやく目の前の全貌が見えた。
「桜鬼、それは……?」
櫻真の視界には、魑衛たちを睨む桜鬼とその後ろに白銀の毛、金色の目、二本の角が生えた獣が鎮座していた。
「此の者は妾の腹心、飛廉じゃ。……飛廉、櫻真に仇なす者を排除するのじゃ!」
桜鬼の言葉に呼応した飛廉が、風の音に類似した咆哮を上げた。すると飛廉の咆哮が気流を乱れさせ、横向きの渦となって魑衛へと襲いかかる。
回避不能した判断した魑衛は、刀を眼前で構え受け止める姿勢だ。飛廉が放った風の渦に飲まれれば、普通の人ならば身体が木っ端微塵に引き裂かれてしまうだろう。
そして、従鬼といえど脅威であることに変わりはないはずだ。
飛廉による風の渦を受けとめた魑衛の血飛沫が辺りに舞い散っている。風の勢いは恐ろしく、無慈悲だ。正面から受け止めている魑衛をどんどん後ろへと押し流している。
そしてそんな魑衛の背後には、櫻真の張った守護の防壁がある。魑衛に逃げ場はない。さっきまでとは、打って変わり今は櫻真たちが圧倒的優勢だ。
よし、このまま一気に魑衛を倒せれば……。
幾ら猛進的な瑠璃嬢でも、迂闊に動けなくなるはずだ。
「桜鬼、このまま一気に方を付けるで」
「うむ!」
桜鬼が頷き、櫻真が意識を高め、術式を口上する。
「木行の法の下、精風よ、我が陣地に遍く忌敵全てを沈黙せん。急急如律……」
声聞力を高め、櫻真が術を発動させようとした瞬間にそれは音もなくやってきた。
「えっ、何?」
驚きの声を上げたのは、蓮条と対峙していた瑠璃嬢だ。
しかし、その驚愕も虚しく櫻真たちは瑠璃嬢の張った結界内から、結界外へと戻って来ていた。
櫻真たちの耳には、自分たち以外の人が発する音や声が聞こえてくる。先程まで使用していた術式も解かれ、桜鬼の傍にいた飛廉は消え、魑衛の姿も元の姿になり、鬼兎火の刀からも炎が消失している。
「どういう事かは分からないけど……この場での戦いは続けられないわね」
そう言ったのは、瑠璃嬢と近くで対峙していた鬼兎火だ。そんな鬼兎火の言葉に瑠璃嬢が鋭い視線で睨む。
「だからって、見す見す鬼絵巻を逃さないから。どうせ、そっちの方にいたどっちかに、鬼絵巻が潜んで……はっ? どういうこと?」
瑠璃嬢が言葉を止めて、目を丸くする。櫻真たちも同じくその場で固まっていた。
いない。
さっきまで居たはずの場所に、佳と光の姿がないのだ。
一気に混乱が櫻真たちに襲いかかってくる。
「何が、どうなってはるん?」
空虚なその場所に向けて、櫻真は言葉を零す。しかし当然、その言葉に返答をする相手は居ない。
櫻真以外のこの場で立っている、誰もが今の状況を飲み込めていないのだ。
「護符は? 結界を張るのに使った護符はどうなっておる?」
動揺混じりの声でそう言ったのは、桜鬼だ。
櫻真たちもすぐにはっとして、護符が貼られている食器棚を見る。すると、さっきまで結界に守られ祓うことの出来なかった護符が、刃物のようなもので切られたようになっている。
「別空間を維持する力が尽きてしもうたって事やろうか?」
切られた護符を見て、蓮条が眉を顰めさせる。
「その線もあるけど……でも、何か引っかかるわ。もし空間の維持が出来へんのやったら祝部たちがここに居ないのは、おかしいやろ?」
櫻真の言葉に、再び蓮条がさらに眉を寄せてきた。
「つまり、誰かが故意に結界から俺たちを出したってこと?」
「俺は……そう思う」
「そんな事を言うってことは、それをしそうな奴に何か心当たりがあるわけ?」
出鼻を挫かれ、うんざりとした表情を浮かべる瑠璃嬢が口を開いてきた。問い掛けてきた瑠璃嬢に、櫻真は表情を険しくさせた。




