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感じた気配

 稽古場では、菖蒲が鏡の前で振りの確認をしている。今、菖蒲が行っている舞いは、酒宴の時に舞う、弁慶の舞いだ。

 男舞である弁慶の舞いは、テンポの速い壮快さが魅力の舞いだ。

 元々、菖蒲は男舞や神舞を得意としており、動きにはキレがある。けれど本人は納得していないように、怪訝な顔で小首を傾げさせていた。

 そして、その菖蒲の奥には富樫を演じるワキ役の内弟子の人ももうすでに揃っている。

 あかん、もう他の人たちは揃ってしもうてる!

「すみません、遅くなりました」

 動きを止めた菖蒲や他の弟子の人たちに櫻真が慌てて、頭を下げる。

「櫻真君、気にせんでええよ。僕らも今来たばっかりやから。先に始めはったのは菖蒲君だけや」

 ワキ役の内弟子の人に、そう言われ櫻真もほっと胸を撫で下ろす。すると、そんな櫻真へと菖蒲が視線を向けて来た。

「櫻真の準備が整い次第、全体的な流れをするからよろしゅうな」

「分かりました」

 菖蒲に頷いた櫻真は、すぐに基本姿勢の練習を始めた。

 鬼兎火が言っていたとおり、基本姿勢は大切だ。

 櫻真が鏡を見ながら、自分の姿勢や腕の伸ばし等を確認する。カマエやヒラキ、打込みなどの姿勢を見直しながら、気持ちや感覚を舞台へと運んで行く。

 その後の全体的な流れは、安宅の道行から富樫の酒宴まで通して行う。弁慶と富樫の緊張感のある場面は能ならではだ。

 歌舞伎の舞台では、それこそ子方である義経が主役であり、能の安宅とは趣が少し異なってくる。

 櫻真は、弁慶がただの巻物を勧進帳(かんじんちょう)に見立てて読む上げる場面を静かに見守っていた。けれど、次の瞬間に菖蒲が台詞を止めて、視線を稽古場の窓の方へと向けてきた。

 櫻真も菖蒲と同じく、視線を窓の方を向けていた。

 そして窓の方に視線を向けていたのは離れた場所にいる蓮条や、桜鬼たち従鬼も一緒だ。

「この気配は……」

 ぼそっと櫻真が呟く。

 そしてその呟いた瞬間に、櫻真たちが感じ取った気配がすぐに消え去った。

 しかし、櫻真達が感じた気配は紛れもない声聞力と従鬼の気配だ。

 つまり、ここにいない主が術を使ったという事になる。

 そういえば、桔梗さんの姿が見えへんな……どないしたんやろ?

「……菖蒲さん? どうかしはりました?」

 気配を感じ取れない他の弟子たちが、訝しげな視線で稽古を中断した菖蒲を見る。すると菖蒲が意識を稽古場内に戻して、頭を下げた。

「いや、何でもないです。稽古を止めてしもうて、すみませんでした。さっきの続きからお願いします」

 顔を上げた菖蒲の言葉で、再び稽古が再開される。

 気配の正体が気になる気持ちがあるが、今は稽古に集中しなければいけない。

 桜鬼たちだったら、誰の従鬼の気配なのか分かってはるかも。

 そう思う事で櫻真は、自分の意識を稽古へと持ってかせる。

 しかし、そんな櫻真を余所に桜鬼たちは表情を険しくさせていた。



「ちょっと待って。それって一体どういう事なん?」

 稽古を終えた櫻真は蓮条と共に、「正体不明の従鬼の気配を感じた」という言葉に目を丸くさせていた。

 櫻真たちがいるのは、櫻真の部屋だ。

「妾たちにとっても、実に不可解な事じゃ。これまでに新たな従鬼が出た事などなかったからのう。だが幾ら思い返して見ても、先程感じた気配に身に覚えがないのじゃ」

「この間の鬼絵巻から出て来た邪鬼といい……今回は特殊な事が起こっている気がするわね」

 櫻真たちにそう話す桜鬼と鬼兎火の顔には戸惑いが浮かんでいる。

「警戒はした方がええな。特に……櫻真は」

「えっ、何で?」

 櫻真へと視線を向けて来た蓮条に、櫻真が首を傾げさせる。何が起こるか分からないため、警戒しよう、というのは分かる。しかし何故、自分が一番警戒すべきなのかが分からない。

 すると、蓮条が少し呆れたように溜息を吐いて来た。

「櫻真たちは、肝心な所で抜けてはるから」

「確かに、蓮条の言う通りね」

ふふ、と冗談めかして笑う鬼兎火。

「ふん、櫻真を狙うなど愚の骨頂! 妾が返り討ちにするだけじゃ! そうであろう?」

 自分たちの強さには自信を持っている桜鬼が腰に手を当て、胸を張って来た。

「何か、俺的にはしっくりきいへんなぁ。確かに従鬼の番号は強さを示すって言うけど、桜鬼が鬼兎火よりも強いって……」

 胸を張る桜鬼に、蓮条が訝しげな視線を送る。

「ふふん、愚か者。妾を見かけで判断するのは良くないぞ? 敵を見かけで判断するのは戦いに於いて敗因の一つじゃ」

「そうやって、自分が強いって言うてはる奴って、ここぞという時に負けるけどな」

「負けぬ」

「現に俺等に負けたやん」

「なっ、あの時は妾も起き立てで、櫻真も戸惑っておったからじゃ! 妾たちが本気になれば其方達など瞬殺じゃ! 瞬殺!」

「あら、それは聞き捨てならないわね? 桜鬼?」

 鬼兎火が片目を眇めて焦っている桜鬼を見る。

「その様な目で見ても妾の気持ちは変わらぬし、櫻真の事は絶対に妾が守る!」

「桜鬼、落ち着いて。とりあえず、今は警戒しながら様子を窺うしかできへんから」

 蓮条と鬼兎火に挟撃されて、テンパっていた桜鬼を櫻真が落ち着かせる。すると桜鬼がすかさず櫻真の後ろに隠れるように立ち、頷いて来た。

 そんな桜鬼に苦笑を零しつつ、櫻真は稽古前に行った占術結果を思い起こしていた。

 やっぱり、この事も占い結果に関係してはるんかな? 

 そうだとしたら、やはり自分の身に何か起きるという事だ。

「なぁ、蓮条……『北の宮』って言われたら、どこを真っ先に思い浮かべる?」

「北の宮? うーん、そうやなぁ……」

 櫻真の言葉に蓮条が顎に手を当て、沈黙する。

「……北野天満宮とかかな。北と宮がつくし」

 そして蓮条が出した答えは、櫻真が思い浮かんだ場所と一緒だった。

「やっぱり、蓮条もそう思いはる?」

「安易かもしれんけどな。でも、何でや?」

「実は……」

 そう切り出して、櫻真は先程の占術結果を蓮条に話す。

「つまり、さっきの気配と何か関係しはるかもって事やな?」

「俺の考えだとな」

「んーー、あまり良くない結果の占術と先程の気配を結びつけたくはないのじゃが、このタイミングではのう……」

「大いにあり得るわね」

 櫻真の考えに桜鬼に続いて、鬼兎火も頷いてきた。

「でも、その占術結果やと、櫻真は今回出てくる鬼絵巻を取られはるって事になるな?」

「まぁ……な」

「じゃあ、どうする? その鬼絵巻を取るのが俺たちやったら?」

「えっ!?」

「驚く事でもないやろ? 俺と鬼兎火も当主争いに参加しとるんやから。前のは、櫻真たちに渡したけど、次も狙わんなんて言うてへんもん」

 驚きで目を瞬かせる櫻真に蓮条がしれっとした表情で答える。

 けれど、そう言われてみれば確かにそうだ。

 鬼絵巻の争奪戦は、勝ち抜き戦というわけではない。取られた物を奪ったり、奪い返したりするのを良しとしている。

 つまり、蓮条たちが次の鬼絵巻を狙いに行くとしても、おかしな事ではないのだ。

「こう、普通に話せとるから……つい、蓮条たちがライバルってこと忘れてしまうわ」

 櫻真が苦笑気味にそう話すと、蓮条が呆れた様子で片目を眇めて来た。

「櫻真って、最初に見た時は悲観的なタイプかと思っとったけど、実際は楽観的なタイプだったんやな?」

「そんなんちゃうわ。さっきだって占いして、気分下がっとったし」

「そう言うてる割に、ケロッとしとるやん?」

「そうやけど……ずっと、悲しい顔をしとれへんやん」

 櫻真がそう言って、表情をむすっとさせる。

「そんな不貞腐れることでもないやろ?」

「そやけど。言い方を変えると能天気ってことやん」

 櫻真がジト目で蓮条を見る。

「櫻真が勝手に変換しただけやろ。俺が言うたわけやないで」

 こんなにあっさりと返されてしまったら、櫻真は言い返したくても言い返せない。自分とよく似た顔の蓮条に言われると、妙に悔しい。

 すると、そこへ

「話の途中で悪いんやけど……少しええかな?」

 櫻真の部屋にやや困り顔の桔梗が入って来た。

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