終わりの始まりです
一つ目の鬼絵巻を手に入れて、喜ぶ姿を菖蒲が溜息混じりに見ていた。
「どうする? 菖蒲? 今からでも桜鬼たちに戦いを挑むか?」
表情を歪める菖蒲の横にやってきた魄月花がそう訊ねて来た。魄月花の肩にはまだ六角棒が担がれたままだが、そこに闘志などは感じられない。
「答えが分かってはるのに、聞く意味ある?」
「まっ、主の意思確認は従鬼の大切な役目だからさ」
ニヤリと笑って来た魄月花を、菖蒲が鋭い視線で睨み返す。
「君がもっと火力高めの従鬼やったら、僕も考えとったかもしれへんな。櫻真を結界の中に閉じ込めようとしてたのに、君が助けを求めてきたから、櫻真をここに連れてくる羽目になったんやで?」
「うわっ、嫌みな奴」
「事実やろ。今やったら、櫻真よりも僕の方が声聞力は残っとるけど、ここには邪魔する奴も多いねん。つまり、僕らに分が悪い」
眉を顰めたまま、菖蒲が櫻真たちに続いて桔梗を見る。すると桔梗も自分の方を向いていたらしく、嫌みな笑顔で手を振って来た。
「あの狐男、ほんまに……」
今のこの状況でなければ、一思いに吹っ飛ばしたい所だ。しかし、そんな菖蒲の殺気を感じ取った桔梗が椿鬼に声を掛けて、この場から立ち去っていく。
悠々とした様子で立ち去る桔梗を見ながら、菖蒲は目を細めさせた。
「あいつ、本当は全部分かってはったのかもしれんなぁ」
「んーー、その可能性は大いにありだな。さっき雑魚を相手にしながら周囲を探知してたら、狸が一匹、隠れてた」
「やっぱりか……」
魄月花からの報告は、菖蒲にとって予想通りのものだった。だからこそ、魄月花に付近をずっと探知させていたのだから。
ここに居ながら、動かなかったのは櫻真が手に入れると踏んでいたためなのか?
「とりあえず、今回は僕らも準備不足や。帰るで」
「あいよ。でも、狸の方はどうする?」
「気にせんでええわ。泳がせとく」
「とか言って、ずっと泳がせ続けるなよ?」
「まさか。僕が放置するわけないやろ」
六角棒を消しながら、釘を指してきた魄月花に菖蒲が肩を竦めさせる。
「じゃあさ、あそこで気絶してる奴はどうする?」
「祝部か……。しゃーないから、僕が家まで運ぶ。大きな外傷はなさそうやから、そのまま帰しても問題ないやろ」
魄月花にそう答えながら、菖蒲が点門を開く。開いた点門は先程、櫻真たちと入った時の点門へ繋がっている。
少し離れた地面に横たわっている佳を抱き上げ、菖蒲は魄月花と共に点門の中へと消えた。
「何で君は不参加やったん? 君が用意してはった事やろ?」
桔梗は八坂神社の鳥居の階段を降りた、横断歩道前で立ち止まっていた。そしてそんな桔梗の前に日傘を開いたまま、回し遊ぶ葵が立っている。
「うふふ。葵は飽く迄、アイ役だもの。シテやワキにはなれないのであーる。でも、まっ結果オーライじゃない? ちゃんと鬼絵巻は櫻ちゃんがゲット出来たんだから。グッジョブ、私。それに今回は私直々に用意したのではなく、私のお知り合いに頼んでたのよ。ちょっと失敗して、ヤバいもんを引っ張って来ちゃったみたいだけど」
人差し指で自分の頬を突く葵に苛つきを感じながら、桔梗は八坂神社へと視線を向けた。
「君が言うてはるヤバいものって、あの特殊な邪鬼の事?」
桔梗がそう訊ねながら葵の方へと振り向き直す。けれど、そこに葵の姿はなかった。そしてその変わりに立っていたのは、セーラ服姿の少女だ。
長い黒髪を青嵐に靡かせながら、つり目気味の瞳で桔梗のことを凝視してきた。
「瑠璃嬢……こんな所で何してはるん?」
「最悪。出遅れた」
「質問の答えになってへんけど?」
桔梗が片目を眇めさせても、瑠璃嬢はツンとした態度のまま悔しげに舌打ちを返してきただけだ。
あかん。今は何を話しても答えへんな。
桔梗がやれやれと頭を回していると、
「あんたが姉さんと、どんな悪巧みをしてるかは知らないけど、次はあたしが取るから。邪魔はさせない。したら許さない」
瑠璃嬢が一方的に言葉を投げて、青信号に変わった横断歩道をスタスタと歩き去って行く。
「……ホンマに、元気が在りすぎるのも困るわ」
雑踏の中へと消えた瑠璃嬢に呟きながら、桔梗も市営の駐車場へと向かった。
蓮条は、八坂神社を後にして本家へ、つまり生家へと来ていた。櫻真は、声聞力の使い過ぎで、家に着くのと同時に気絶するように寝てしまっている。
そして一人になった所で蓮条は、浅葱の書斎へと呼び出されたのだ。鬼兎火は気を使ってなのか、部屋の外で待機している。
つまり、この部屋には今……自分と浅葱しかいない。
蓮条が立っている前のテーブルには、浅葱が座っている。どんな反応を取れば良いのか分からず、蓮条が視線を俯かせ口籠もっていると、浅葱が口を開き話し始めた。
目の前にいる浅葱から話されたのは、宇治の両親から聞かされた占いの話だ。大体は宇治にいる両親に聞いた通りの内容と同じだった。
ただ一つ付け足されたのは、蓮条を家に出す事を決めたのは飽く迄「星」であり、そこに浅葱たちの意志は含まれていないということだ。
「嘘やん。父さんと母さんは、そこまで言うとらんかった」
「それはそうやろうな。千鶴たちには詳しく話してへんもん。ただ『占いで子供同士を離せって出たから、僕たちの子を育てて』って言うただけやもん」
「ざっくり説明しすぎやろ! おかげで、俺は……っ!」
ただの早とちりしてもうとったアホやん。
蓮条がここ最近の自分の行動を思い起こして、顔を赤らめる。けれど、そんな蓮条のことなど気にせず、浅葱が話を続けてくる。
「僕からしてもな、正直な話……どうせ残すなら蓮条の事を家に残して置きたかったわ」
「なっ!」
浅葱の心ない言葉に、蓮条の頭に血が昇る。けれどそんな蓮条に浅葱が片手を突き出し、待ったを掛けて来た。
「勘違いせんといてな。僕が櫻真より蓮条を残して置きたかった理由は、櫻真が嫌やとか劣ってるとかやないねん。ただ……」
「ただ、なに?」
「櫻真になくて、蓮条にあるものがあんねん」
「俺にあって、櫻真にないもの?」
首を傾げさせる蓮条に、浅葱が神妙な表情で頷いてきた。
「なんやと思う?」
真剣な表情で浅葱に訊ねられ、蓮条は当惑する。櫻真になくて、自分にあるものとは何だろう? むしろ、それが分かっていれば今回のような事にはならなかったはずだ。
答えが思い浮かばず、蓮条が口を噤んでいると、
「それはな、右目の下」
「右目の下?」
浅葱に指摘された所を、蓮条が指で触れた。蓮条の右目の下には、小さなホクロがある。浅葱はこのホクロの事を言いたいのだろうか?
蓮条が右目下のホクロを触れながら、疑問符を浮かべる。
すると、浅葱が遠い目で口を開いて来た。
「そのホクロの場所なぁ……桜子と一緒やねんな。つまりそのホクロはな、僕と桜子のブレンド顔やねん。分かりはる? 九割が僕要素の中に、見事に桜子要素が入った……奇跡のホクロや」
抑揚のない声音に微かに力強さが籠っているのが分かる。
けれど、そんな熱の籠った浅葱の様子に蓮条は絶句するしかない。
真面目に考えた俺がアホやったわ……。
そんな事を思う蓮条を余所に、自分と母親の思い出話をし始めた浅葱。しかも「星さんには一杯食わされたわ〜」と星に責任転嫁するような呟きまで漏らしている。
そんな浅葱の姿に呆れつつ、一人で熱り立っている事が何となく馬鹿らしく感じて来た。
「もうええわ。誰も人の思い出話なんて聞いてへんもん」
「あっ、そう? 僕的には語り足らへんけど……ええわ。そんでな、どうせ学校もこっち来たことやし、能の稽古もこっちでしいや。特別大サービスで僕が一、二ヶ月ばかし、みっちり見たるわ」
「……そんなん、いらんっ」
「レンレンは、素直やないなぁ〜」
「なっ、レンレン? 人を変な呼び方で呼ばんといて!」
「ええあだ名やろ? さて、大事な話も終わったことやし……桜子を呼んでこんとな。蓮条と話したくて、ウズウズしてはったからな。桜子な、一ヶ月に一回は必ず、隠れてレンレンの事を見に行ってはったんやで? 僕も付き添って行ったけど、あれ、今考えれば完全に不審者やねんなぁ〜」
「えっ、ホンマに……?」
まさか、母親が自分の事を見に来ているなんて知らなかった。しかも月一で。
予期していなかった浅葱の話に、蓮条が唖然としていると……浅葱がにんまりと含みのある笑みを浮かべて来た。
「おかしな顔で人を見るなっ! アホっ!」
気恥ずかしさで声を張り上げる蓮条を余所に、涼しい顔の浅葱が椅子から立ち上がり部屋を後にしていく。蓮条はそんな浅葱の後を追いながら、口許に微かな笑みを浮かばせた。
気絶するように寝込んだ櫻真は、その日、一人の男の夢を見ていた。男の傍には綺麗な桜の木が咲いており、桜の花弁が尽きることなく舞い落ちている。
男の顔は、降りしきる桜の花弁に邪魔されて上手く見る事が出来ない。
「貴方は、誰ですか?」
櫻真がそっと口を開く。
すると、顔の見えない男が微かに口許に笑みを浮かべて、
「これは、終わりの始まりです」
と言い放ち、そのまま姿を消してしまった。




