情報提供者
葵が示した『敵』の存在を櫻真が知ったのは、一限目が終わった時だった。
「櫻真! ちょっと! あの子、櫻真のなに!?」
驚きと興奮が入り交じった様子で、紅葉が廊下から大きな声を上げて来た。
「えっ、あの子って?」
「質問はええから! はよ、来て!」
教室に入ってきた紅葉が櫻真の腕を掴んで、廊下へと引っ張り出す。
けれど、櫻真が紅葉と共に教室から出ようとした瞬間。
「えっ……」
廊下に自分とそっくりな一人の少年が立っていた。
日曜日に見かけた子や……。
櫻真が驚いていると、目の前にいる少年が口を開いて来た。
「俺は䰠宮蓮条。よう、覚えとき」
名乗られた櫻真は、目の前にいる蓮条の存在に圧倒されて、口が上手く動かない。横にいた紅葉や野次馬で騒ぐ守の言葉も、どこか遠くに感じるほどだ。
葵が言っていた『敵』とは、蓮条の事なのだろうか?
確定はしていない。でも濃厚ではある。下鴨神社で見かけた時と似た気配を蓮条から感じるからだ。
しかし、蓮条に掛けるべき適当な言葉が浮かばない。櫻真が蓮条を前にただ立ち尽くすしかできない。すると蓮条の表情が、さっきよりも一層険しくなったのが分かった。
「でも勘違いせんといてな。俺はお前となんて仲良くする気なんてないし……負ける気もない。そこだけ覚えてはればええねん。ほな」
鋭く自分を睨んできた蓮条が、そう言って櫻真から視線を外して来た。そして睨まれた櫻真はただただ愕然としてしまう。
ただ一つだけ分かった事は、葵が言っていた『敵』が、蓮条で間違いなかったということだ。
「えっ、ちょっとさっきの何なん?」
「何かの宣戦布告みたいやったなぁ」
強気な蓮条の態度に腹を立てる紅葉と、やや茶化しの入った口調で感嘆を漏らす守。けれど、櫻真は二人の言葉に反応を返す余裕がもてなかった。
ただ心臓がすごく鳴り、じんわりと自分の手に汗が滲んでいるのだけは分かる。
䰠宮蓮条……。
もう一度、さっき覚えた名前を内心で呼び、櫻真は溜まらない気持ちで溜息を吐いた。
「彼奴も䰠宮の親戚なん? てっきり双子かと思ったけど」
「あっ、いや……それはないと思うわ。俺は一人っ子やから」
動揺を引きずる櫻真がぎこちない表情で、自分に話しかけて来た佳を見る。佳は「そうなんや」と答えながら、どこか腑に落ちてないという顔だ。
しかし、それは櫻真自身にも言える。
幾ら親戚だからといって、ここまで鏡で自分を映したかのように似るものだろうか?兄弟だと考える方が安易ではないか?
疑問が頭の中にこびり付き、離れない。この答えを知る為には両親に訊ねるか、蓮条本人に訊ねる他にない。
そして、さっきの感じからすると、蓮条が自分の質問に答えてくれる可能性は低そうだ。二つあるうちの一つが潰れたということは、残る道は一つだ。
親に訊くしかない。
でも、ダイレクトに蓮条と自分の関係を訊ねて良いものか判断に迷う。
自分と蓮条の間に何かあるのは間違いない。
しかし、それを今まで親は口にしてこなかったのだ。櫻真がいきなり訊いて、さらっと答えてくれるだろうか?
でも、考え方を変えてみれば、『こんな時だからこそ』教えて貰えるのではないか?
確かめる必要があるな。あとは、蓮条が何か変な行動をしてないか調べんと。
櫻真は自分の席に着き、そっと意識を集中させる。
『桜鬼、学校の周りで何か変わったことある?』
昨日の晩、桜鬼に教えて貰ったことだが……従鬼と契約している主は霊的交感がおこなえるようになっていて、念じるように話せば桜鬼と意思疎通することができる。
『……変わった事はないが、敵には遭遇したぞ。第五従鬼の鬼兎火じゃ』
桜鬼からの返事に、櫻真が口から言葉が漏れそうになるのを必死に堪えた。桜鬼を学校に連れて来ないつもりだったが、今日は葵の言葉もあり、姿を消して学校へと来てもらっていたのだ。そしてその判断はやはり正しかった。
『まさか、今から戦いはるん?』
『戦えんこともないが……万全とは言い難いであろうな』
『そうなん?』
『妾たち従鬼の力の源は、櫻真たちが持つ声聞力じゃ。そしてその声聞力は、櫻真たちの意識の強さによっても供給される量が変化してくる。じゃが、今の櫻真たちを戦いに集中させたくても、強要は出来ぬじゃろ? 鬼兎火の主がどこの誰かとは確定はしておらぬが、行動を共にしてない所を見ると……妾と似た境遇じゃろうな』
桜鬼の話を訊きながら、櫻真の頭の中にさっき見た蓮条の顔が自然と思い浮かぶ。
『桜鬼。俺、さっきその従鬼の主に会ったわ』
『なんと! 櫻真は主の方と会っておったのじゃな? どのような奴じゃ?』
『俺と同い年で……顔も俺とそっくりやった。名前は䰠宮蓮条』
『顔がそっくり? それは奇妙じゃの? 櫻真に兄弟はおらぬであろう?』
『そうなんやけど……俺にも分からなくて。親に訊いてみようとは思うんやけど』
『うむ。鬼兎火の主の件は、浅葱たちに確認するとして……さて、櫻真。初めての別の従鬼との対峙じゃが、どうする? 攻めるか?』
『えっ、でも……万全やないんやろ?』
『そうじゃ。じゃが、戦えぬこともないと言ったであろう?』
桜鬼の言葉に、櫻真は気持ちがざわついた。己の考えが及ばない事が起こりそうになっている。その可能性が目に見えない恐怖となって、櫻真の胸を鷲掴みにしてくる。
あかん。ちゃんと考えな……。桜鬼が困ってしまう。
櫻真の動揺が募るなか、教壇に立ち授業を進めている教師が、櫻真の事を呼んで来た。
「䰠宮、次の段落から読んで」
「……」
「䰠宮、聞いてはる?」
「えっ、あっ、すみません。聞いてませんでした」
「ちゃんと、授業に集中せなあかんやろ? 祥、ちょっとどこからか、䰠宮に教えはって」
教師に注意をされながら、櫻真は祥から読む場所を教えてもらい、教科書を音読し始めた。
そのため、桜鬼と櫻真の霊感交感が途切れる。
しまったのう。櫻真からの返答が来ぬまま意思疎通が取られなくなってしまった。
桜鬼は目の前にいる鬼兎火を前に焦り顔を浮かべていた。そんな桜鬼に反して鬼兎火は、平静な顔を保っている。
「焦りは禁物よ、桜鬼。正直、私は今の貴女と戦う気はないわ」
「なんじゃと? それは何故じゃ?」
「理由は簡単ね。私の主がこの時にそれを望んでいないから」
「平和主義ということか?」
桜鬼が目を眇めさせて、鬼兎火に問う。すると鬼兎火が少し複雑な表情を浮かべて、首を横に振って来た。
「平和主義にはなれないでしょうね。私の主は貴女の主である櫻真君を倒したいみたいだから」
「……やはり、其方の主は櫻真に顔がそっくりだという䰠宮蓮条かえ?」
桜鬼は櫻真から聞いた蓮条のことを口にする。すると鬼兎火は隠す素振りもなく、頷き返してきた。
「ええ、そうよ」
「そして、其方たちは妾たちの事を知っているようじゃな?」
「ええ。そこも否定しないわ。そして先に言っておくわね。私たちはとある人物から貴方たちの情報を手に入れた。けど、その人物の情報までは開示しない」
桜鬼が訊いてくることを見越していたといわんばかりに、鬼兎火が苦笑を零してきた。桜鬼はそんな鬼兎火の反応に頬を膨らませる。
「そんな愚問を妾がするとでも思うのか?」
「思うわ。貴女は昔から竹を割ったような性格だもの」
ふふふ、という柔らかい笑みを零す鬼兎火。
其方も体外、妾の事は言えんがの。
昔から鬼兎火は自分よりも落ち着いていて、性分が良い。真面目で、主想いの従鬼だ。鬼兎火が自分のことを分かるように、桜鬼も相手を知っている。
共闘をした時もあれば、今のように対立することもあった。
「今回は、どうなるのかのう?」
ぼそりと桜鬼が呟く。
「さぁ。そればかりは私にも分からないわね。全ては私たちの主次第でしょう?」
桜鬼は、黙ったまま肩を微かに上下させる。
目の前にいる鬼兎火の態度を見る限り、今の所、戦うということにはならなそうに見える。
早く、この事を櫻真に教えねばならぬの。霊的交感で話した時の櫻真の声音は不安そうだった。きっと今のこの状況を聞けば、胸を撫で下ろすに違いない。
桜鬼としても櫻真に不安そうな顔をさせているよりは、笑ってくれている方が良い。
しかし、桜鬼の中で何か釈然としない。
何か自分が見落としをしているような気がしてならないのだ。
疑念に悩む桜鬼に、鬼兎火がそっと口を開いてきた。
「それはそうと、私も貴女の質問に答えたのだから、私も一つ訊いてもいいかしら?」
「うむ。なんじゃ?」
「この大きな建物の中は、どうなっているの?」
「分からぬ。実は妾もこの場所に来たのは初めてじゃ」
すると鬼兎火が「そうだったの……」と声を漏らしてから、少し表情を強張らせて来た。
「いつ、貴女が櫻真君と契約したのかまでは知らないけど……それまで主を一人で行動させていたということ?」
「なっ、違うのじゃ。妾とて櫻真が一人で行動することは止すべきだ、と言ったのじゃ。じゃが、櫻真が駄目だと言い張って……」
叱るような鬼兎火からの視線に、桜鬼が慌てて弁明に入る。けれど鬼兎火はそんな桜鬼にやれやれと頭を振ってきた。
「桜鬼に落ち着きがないからよ? これからはもう少し落ち着いて行動しないとね」
「むぅぅぅ」
「じゃあ、そんな桜鬼がどうして今日はここに来る事を許されたのかしら?」
「それは、妾たちに敵が現れると……」
そこまで言って、桜鬼がはっとし口を閉じる。
しまった。ついつい相手の調子に飲まれて余計な事を口走ってしまった。しかし、今さら口を閉じても遅かった。
鬼兎火が目を細めて、桜鬼を見ている。
うぅ、まさか第八従鬼である妾がこんな失態をしてしまうとは……。ああ、櫻真に何と言えば……。
桜鬼は頭の中で櫻真に怒られることを想像しながら、鬼兎火の様子を窺う。
先程まで目を細めていた鬼兎火が、視線を下げ、何か思案している。
そして、桜鬼の視線が自分の方に向いていることに気付いた鬼兎火が視線を上げ、口を開いて来た。
「理由はどうあれ、敵同士の私たちがこれ以上一緒に居るのは、お互いの為にならなそうね」
「うむ。そうじゃな。そうじゃ。妾たちは敵同士。長話をするものではないな」
桜鬼が内心の動揺を隠すように頷いて、その場を後退り形で離れる。
例え相手が鬼兎火だとしても、背中を見せるわけにはいかない。桜鬼がそんな事を考えていると、鬼兎火がフッと霧のように消えて来た。




