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『アーナンダさんと玄奘三蔵さん、二人のインターフェース』大唐西域記  作者: 東曌


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第三話 言葉は、海を渡るたびに変わる

第三話 言葉は、海を渡るたびに変わる


―同じ教えを伝えることと、同じ言葉を伝えることは、同じではない。




一 長安の夜、ひとつの漢字


長安の夜は、静かだった。


いや、正確にいえば、都そのものは静かではなかった。昼間の市場には人々の声が満ち、異国の商人たちが珍しい品々を並べ、街路にはさまざまな言葉が行き交っていた。


しかし、大慈恩寺の一室。


そこだけは、世界から切り離されたように静まり返っていた。


玄奘三蔵は、灯火の下で一枚の紙を見つめていた。


紙の上には、ひとつの言葉が記されている。


その言葉を、彼は何度も読み返していた。


インドの言葉で記された原典。


そして、その意味を漢語に移そうとした自分の訳文。


二つのあいだには、ほんのわずかな隔たりがあった。


ほんのわずか。


けれど、そのわずかな隔たりを埋めようとすればするほど、かえって何かを損なう気がした。


玄奘は筆を置いた。


「……違うな」


誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。


何が違うのか。


文法だろうか。


語義だろうか。


それとも、自分がその言葉に与えようとしている意味そのものだろうか。


彼は原典をもう一度開いた。


そこにあるのは、インドの言葉だった。


お釈迦さまが実際に語られた言葉そのものなのか。それとも、弟子たちによって伝えられ、記憶され、語り直され、書き留められてきた言葉なのか。


玄奘は、そのすべてを知っていたわけではない。


だからこそ、原典を求めてインドへ渡った。


漢語に訳された経典を読むだけでは、どうしても解消できない疑問があった。


同じ経典なのに、伝本によって表現が違う。


ある箇所は、どう読んでも意味が通じない。


別の箇所は、漢語としては美しいが、原典と照らし合わせると、何か大切なものが抜け落ちているように感じられる。


翻訳とは、単に外国語を自国の言葉に置き換えることではない。


それは、異なる世界のあいだに橋を架けることだった。


だが、橋を架ける者は、ひとつの問題に必ず直面する。


向こう岸にたどり着くためには、こちら岸から一歩を踏み出さなければならない。


しかし、その一歩は、本当に正しい方向へ向かっているのだろうか。


玄奘は、再び筆を取った。


そして、書きかけの漢字を、静かに消した。




二 遠い時代の、ひとりの聞き手


同じ夜。


もちろん、それは玄奘のいる長安の夜ではない。


時代も、土地も、そこに流れる時間さえも違う。


インドのある土地で、アーナンダは、師の言葉を思い返していた。


お釈迦さまが語られたこと。


その声の調子。


言葉が発せられる前の沈黙。


弟子たちが問いを投げかけたときの、師のまなざし。


アーナンダは、よく記憶する人だった。


聞いたことを覚えている。


誰が、どこで、どのような問いを発したのか。


師が、どのような言葉で答えたのか。


それらを覚え、必要なときに思い出し、他の人々へ伝えることができた。


しかし、彼の記憶は、石に刻まれた文字のようなものではなかった。


人間の記憶には、声がある。


場面がある。


その場にいた人々の表情がある。


言葉そのものだけではなく、言葉が生まれた場所と時間が、ひとつの記憶の中に結びついている。


だからこそ、アーナンダは知っていた。


同じ言葉を、別の場所で口にしても、まったく同じものが伝わるとは限らない。


師の言葉を聞いたとき、弟子たちはそれぞれ異なるものを受け取っていた。


ある者は、戒めを聞いた。


ある者は、救いを聞いた。


ある者は、自分の生き方を問い直すきっかけを得た。


そして、ある者は、聞いた言葉の意味を理解できないまま、その場を去った。


それでも、言葉は伝わっていった。


一人から、もう一人へ。


一つの集まりから、別の集まりへ。


記憶から、記憶へ。


アーナンダは、ふと思った。


――私が覚えている言葉を、私の知らない時代の人が聞くことになったら。


その人は、何を受け取るのだろう。


彼はまだ知らない。


自分の時代から何百年も後に、遠い西方からやって来る僧侶がいることを。


その僧侶が、失われた意味を求めて砂漠を越え、山々を越え、膨大な経典を携えて故郷へ帰ることを。


そして、その僧侶が、ひとつの言葉を漢語に訳すために、何度も筆を止めることを。


アーナンダには、未来は見えない。


ただ、ひとつのことだけは知っていた。


言葉を伝えることには、責任が伴う。


自分が聞いたことを、聞いていないことまで付け加えてはならない。


自分が理解できなかったことを、理解したふりで埋めてはならない。


そして、自分が受け取ったものだけが、相手のすべてだったと思い込んではならない。


彼は、師の言葉をもう一度、心の中でたどった。


その言葉は、まだ彼の中にあった。


けれど、彼自身がそのすべてを理解しているのかどうか。


その問いに、彼は簡単には答えられなかった。




三 翻訳者の孤独


長安。


玄奘は、翌朝になっても同じ箇所を考えていた。


弟子の一人が、訳文を整理しながら尋ねた。


「三蔵法師、こちらの語句は、以前の訳語を用いればよろしいでしょうか」


玄奘は、原典から目を離さずに答えた。


「以前の訳語を用いることが、常に正しいとは限らない」


弟子は少し戸惑った。


「しかし、同じ言葉には、同じ訳語を当てるべきではありませんか」


「原則としては、そうだ」


玄奘は筆を置いた。


「だが、同じ言葉であっても、文脈によって働きが異なることがある。ある箇所では、具体的なものを指している。別の箇所では、私たちが当然と思っている区別そのものを問い直している。そこへ同じ漢字を機械的に当てはめれば、表面は整っても、意味を取り違えることがある」


弟子は、原典をのぞき込んだ。


「では、どのように判断すればよいのでしょう」


玄奘は、しばらく考えてから答えた。


「まず、原典をよく読む。前後の文脈を確かめる。他の経典に同じ表現がないか調べる。サンスクリットの語義だけでなく、その言葉が教えの中でどのように用いられているかも考える。そして、判断できないところは、判断できないままにしておく勇気を持つことだ」


「訳さずに残す、ということでしょうか」


「場合によってはな」


玄奘は、原典の一語を指さした。


「すべてを漢語に置き換えられると思うのは、漢語を過信することだ。だが、置き換えられないものがあるからといって、翻訳を諦めるのも違う」


彼は筆を取り、紙に一つの言葉を書いた。


「翻訳者は、言葉の主人ではない。預かったものを、次の人へ渡す者だ」


弟子は、その言葉を黙って聞いていた。


玄奘は続けた。


「ただし、何を預かったのかを理解しようとしなければ、渡すこともできない」


窓の外から、朝の鐘の音が聞こえた。


玄奘は、書きかけの訳文へ視線を戻した。


翻訳者は、いつも孤独だ。


原典の著者に、直接尋ねられるわけではない。


何百年も前に語られた言葉の意味を、その場で確かめることもできない。


自分の訳が正しいのかどうか、最後の最後まで確信できないことさえある。


それでも、筆を進めなければならない。


後の世の人々が、その訳文を読むからだ。


その人々の中には、原典を読むことのできない者もいるだろう。


漢語以外の言葉を知らない者もいるだろう。


彼らにとっては、玄奘の訳した一文字、一文が、教えへの入り口になる。


もし誤れば、その入り口は、別の場所へ通じてしまうかもしれない。


玄奘は、もう一度、筆先を整えた。


そして、先ほど消した箇所に、別の表現を書き入れた。


今度は、先ほどよりも少しだけ、原典の意図に近づいたように思えた。


しかし、彼はそこで満足しなかった。


「これでよい」と思うことと、「これ以上はできない」と判断することは、同じではないからだ。




四 海を渡る言葉


言葉は、海を渡る。


けれど、海を渡るのは、言葉だけではない。


それを語った人の時代。


それを聞いた人の理解。


語り継いだ人々の記憶。


書き留めた人々の判断。


そして、それを読む人の心。


そうしたものすべてが、長い年月をかけて、次の時代へ運ばれていく。


その旅の途中で、言葉は別の言語に移される。


インドの言葉から、中国の言葉へ。


口伝から、文字へ。


ある地域の人々の理解から、別の地域の人々の理解へ。


そのたびに、何かが残り、何かが変わり、何かが新しく見いだされる。


変わることは、必ずしも誤りではない。


変わらないことが、必ずしも正しさの証明になるわけでもない。


けれど、変わったものを変わっていないと言い張るなら、そこには問題が生まれる。


玄奘は、そのことを知ろうとしていた。


アーナンダは、そのことを、自分の記憶とともに生きていた。


二人が出会うことはない。


同じ場所で言葉を交わすこともない。


アーナンダが玄奘に教えを授けることも、玄奘がアーナンダに翻訳の成果を報告することもない。


二人のあいだには、長い時間がある。


そして、その時間こそが、二人を隔てる壁であると同時に、二人の仕事を結びつける道でもあった。


アーナンダが聞いた言葉を伝えなければ、後の時代に教えを求める者たちは、その言葉に触れる機会を失っていたかもしれない。


玄奘が原典を求め、翻訳に取り組まなければ、その後の人々は、別の形で伝えられた教えに頼るほかなかったかもしれない。


もちろん、歴史は一人の人間だけでつくられるものではない。


アーナンダの前にも、後にも、数えきれないほどの人々がいた。


玄奘の前にも、後にも、経典を守り、読み、訳し、教えを伝えた人々がいた。


その名が残った者もいれば、名も知られないまま、伝承の一部となった者もいる。


けれど、彼らがつないだものがあったからこそ、遠い時代の人々が、同じ教えをめぐって考えることができる。


それは、言葉の連鎖だった。


そして、その連鎖の一つひとつに、人間の判断があった。


何を覚えるのか。


何を語るのか。


何を訳すのか。


何を、まだわからないものとして残すのか。


そうした判断の積み重ねが、歴史をつくっていく。




五 ひとつの問いを、次の時代へ


その夜、玄奘は、ようやく筆を置いた。


机の上には、修正を重ねた訳文があった。


最初に書いたものとは、少し違っている。


だが、それは、原典から遠ざかったという意味ではなかった。


むしろ、原典に近づこうとした結果だった。


玄奘は、訳文を読み返した。


まだ疑問は残っている。


別の解釈が可能かもしれない。


後になって、さらに適切な表現が見つかるかもしれない。


それでも、今の自分にできることは、ここまでだ。


彼は、訳文の余白に、小さく印をつけた。


後でもう一度、確認するための印だった。


その印を見つめながら、玄奘はふと思った。


自分が残すのは、完成した答えだけではないのかもしれない。


どこで迷い、何を確かめ、どこまで理解できたのか。


そうした痕跡もまた、次の人が教えを考えるための手がかりになる。


もちろん、経典の翻訳に、自分の迷いをむやみに書き込むわけにはいかない。


だが、翻訳者自身が、わからないものをわからないと認めること。


それだけは、決して失ってはならない態度だった。


遠い時代、アーナンダは師の言葉を記憶し、伝えていた。


彼は、未来の翻訳者のために仕事をしていたわけではない。


ただ、聞いたことを、後の人々へ伝えようとしていた。


玄奘もまた、遠い過去の弟子に向けて翻訳をしていたわけではない。


彼は、原典を求め、教えを理解し、漢語を読む人々へ届けようとしていた。


二人は互いを知らない。


けれど、その仕事は、時間の中でつながっている。


一人が聞き、一人が伝える。


別の誰かが書き留め、また別の誰かが読み解く。


その先には、まだ生まれていない人々がいる。


玄奘は灯火を見つめた。


そして、最後に一つだけ、自分に問いかけた。


――私がこの言葉を訳すとき、私は何を守ろうとしているのだろう。


文字か。


意味か。


それとも、文字と意味のあいだにある、まだ自分には見えていない何かなのか。


答えは、すぐには出なかった。


玄奘は、それでよいと思った。


問いを持ち続けることもまた、翻訳者の務めなのだから。


灯火が、かすかに揺れた。


遠いインドで、アーナンダが伝えた言葉。


長い年月を経て、玄奘が読み解こうとする言葉。


そして、さらに遠い未来で、その言葉を読むことになる誰か。


その誰かは、きっとまた、別の問いを抱くのだろう。


言葉は、海を渡るたびに変わる。


けれど、変わりながらも、何かを伝えようとする人間の営みは続いていく。


それが、経典の歩んできた道だった。


そして、その道は、まだ終わっていない。

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