44話 やまびこ
「だーかーら!! こっちだって! 」
「何度言ったらわかるのですか!? もっとしっかり地図を見るのです! 東西南北もわからないのですか!?」
「そのトウザイナンボクさんが誰なのかは知らないけど、別にどっちに行ったって地球は丸いんだからいつかは辿り着くでしょ!?」
「反対から回ったらどれだけの時間を無駄にすると思ってるのですか!? それに、東西南北は誰かの名前ではないのです!」
人間界に来たのはいつぶりだろうか。時間の感覚はもうほとんど機能していない。以前よりも、少しだけ肌寒くなった気がする。
今回もいつもと同様に、人間に「幸せの粉」をかけるためにここに来ている。いつもと違うのは、今日は俺とエルシオとルルフィアの、3人での仕事だと言うことだ。
それに特に理由は無い。ただ、この3人が暇だっただけだ。他の2人も暇なのだろうが、それはまあいい。とにかく、流れでこの3人になってしまった。
2人の天使の仲裁役に決定した俺がゲートに飛び込む直前の、シルエトとフィロの目が忘れられない。あれは完全に楽しんでいる目だ。あとで殴ろう。人間パンチをお見舞いしてやる。
そんなこんなで人間界の、ここはどこだろうか。周りには何も無い。
見えるものといえば山だ。以前、おばあちゃんに「幸せの粉」をかけた場所のことを思い出す。だが、今回は川の流れる音だとか、古民家だとか、そんなものは視界に入らない。
ぐるりと見渡しても、ただただ山が見えるだけだ。本当にこんなところにターゲットはいるのだろうか。
いやそれよりも、俺は今かなり窮地に立たされている。これは別に、比喩的な表現ではない。崖だ。ここで目隠しをしてスイカ割りをすれば、間違いなく落下するくらいの位置に、俺は立っている。
そんな俺の目の前で、2人の天使が喧嘩をしている。
一見、ルルフィアがアホなことを言っているようにも聞こえるが、状況を聞けば、その評価は一変するかもしれない。
たしかにターゲットの方向は、エルシオが指差す方向で合っている。ただ、そっちは崖だ。しかもかなり高い。そんな崖から「なんのための翼なのですか!?」などと言って、飛び降りようとしているのだ。
翼もなく飛べない俺は、またエルシオに肩を掴まれて「模擬ひも無しバンジージャンプ」を決めろとでも言われるのだろうか。
その点、ルルフィアは優しい部分がある。俺のことを気遣って、言っていることは意味不明なものの、別の道へ進もうとしてくれている。
「ルルこんなところから飛べないよ!! 怖すぎるよ!!」
全然気遣いなどではなかった。私情だった。
「楓くんを見るのです。翼もないのに、飛ぶ気満々ですよ!?」
ルルフィアは訝しげな目でこちらを見てくる。
見るな。決して飛ぶ気満々ではない。せめて肩を掴むと言ってくれ。ただ飛び降りるだけならば、模擬ではなくただの「ひも無しバンジージャンプ」だ。
2人の怒声がやまびこして、向こうの山からエコーがかかったように聞こえてくるのがかなり面白いため、喧嘩を止めてはいなかったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
俺たちは仕事をしに来ているのだ。ここまで俺を困らせられればフィロもシルエトも満足だろう。
あいつらは俺になにか恨みでもあるのだろうか。
「ゲートを使えよゲートを。それで下まで降りればいいじゃないか」
俺の発言を聞いて、2人は顔を見合わす。
「それもそうなのです」
「たしかに! かえでくん頭良い〜!」
なんだろう、褒められているというのに、どこか馬鹿にされている気分に似ている。レベルが低すぎるからだろうか。
鳥の囀りが聞こえる。
和やかな風が、俺の体を包むように流れる。
「久しぶりだなこの感じ。日常回か?」
「何をぶつぶつ言っているのですか。早く行くのです」
目の前にはゲートが2つ。
再び、ゲート前の天使2人が睨み合った。
「ルルが先に出したんだから、こっちで行こうよ!」
「私の方が早いのです! というより、後輩なのだからそのくらい譲るのです!」
ため息が出た。当たり前だ。8月31日に夏休みの宿題をやっとのことで終わらせた後、読書感想文が残っていたことに気づいた時くらい憂鬱な気分だ。
しばらく口論を続け、やまびこを返す山も喉が疲れているであろう頃合いに、結局2人は、俺を置いてそれぞれのゲートに入って行った。
なんとも勝手な天使たちだ。




