思い出の君
本編ep.2「中庭の住人」のアスワド視点の思い出話です。
アスワドには、思い出の人がいる。初恋と言ってもいい。
「……きれいだね」
そんなことを言われたのは初めてだった。
アスワドは変化するタイプの豹の獣人だ。人型に変身できるようになるまでは、獣の姿で育った。
出会った人間の反応はだいたい二種類に分かれた。猫と間違えて「可愛い」となるか、「危険な獣」とみなされるか。
その子供はアスワドの姿形ではなく、ただ瞳の色を見て「きれい」だと言った。
その後しばらくアスワドは彼に付き添ったが、意見を求められたり頼られることはあれど、ペット扱いされたり、ましてや猛獣として恐れの混じった目で見られることは一度となかった。むしろその危機感のなさに心配を覚えるほどだ。
そして見上げた瞳はいつもやわらかで澄んでいて、陽だまりのようだった。
その目に疑念が宿るのがこわくて、アスワドは人語を話せることを伝えないまま、猫として付き添った。
お互い迷子同士だった二人は数日間の大冒険をともにして、それぞれの居場所に帰っていった。
「またここで会おうね」
そう約束した場所が、十年に一度しか現れない幻の花畑だったことを知るのはしばらく後のことだ。
幼少時に会ったきりのリーフは「ニム」のことを猫だと思っていた。
だから、獣人の姿で再会したとしても喜んでくれるとは限らない。
会いたいような、会いたくないような。
アスワドは自由に行動できるようになると、毎年花畑のあった場所に通い、豹の姿で待った。
「畜生風情が」「同じ空気を吸うなんて反吐が出る」
都での生活では獣人の身分は低かった。心無い言葉は曖昧な笑顔で受け流し。いわれのない暴力にもじっと耐えた。
リーフと再会した時に、やましいことのないように。胸を張って会えるように。
きっと猫の姿のままならば、迷わず抱きしめてくれるだろう。
でも、その猫の姿も、もう大きくなりすぎた。
再会は叶わなくても、せめて遠くからでも一目見れたら、優しい思い出として閉じてしまおう。
そう思っていたのに。
回廊の扉が開き、若草色の髪が覗いた時、心臓が止まるかと思った。
あの頃と何も変わらない君がそこにいた。
避けるまもなく向けられた視線は、獣の耳にも尻尾にも、肌の色にさえ一瞬も揺らがなかった。
無邪気でおおらかで、殺風景な景色の中に小さな楽しみを見つけて笑っている。
「ヒトがいるなんて珍しいな。ここで朝ご飯したいんだけど、いいですか?」
「……お前は」
「あ、怪しいものじゃないですぅ!僕、深夜番で……」
慌てて聞いてもいない言い訳を始めるリーフに、アスワドは声が震えそうになるのを必死にこらえた。
「……好きにするといい」
滲みそうになる視界を眉をしかめて必死に抑える。
なのにリーフときたら、小さな蛇に驚いてしがみついてきた。
濃い肌の色も、毛皮に包まれた耳も何も気にせずに。
動揺しすぎて水路に足を取られて転倒した。なんてざまだ。
恥ずかしすぎて、「ニム」だとは名乗れなかった。




