51話
阿部は、美咲の携帯電話を見て、完全にパニックに陥った。自分の過去のトラウマだけでなく、犯罪の証拠が公衆の面前に晒されようとしている。
スマートフォンの小さなレンズは、今や彼を審判にかける数万人、数十万人の視線そのものと化していた。これまでどんな汚職も権力と根回しで封じ込めてきた阿部にとって、リアルタイムで拡散される「真実」の奔流は、防ぎようのない致命的な一撃だった。彼の額からは脂汗が滴り、喉は恐怖で引き攣れ、狂乱した瞳には、かつての冷徹な策士としての面影はどこにもなかった。指先は震え、誇り高き政治家としての仮面は、音を立てて剥がれ落ちていく。
「やめろ!解体を止めろ!警備員、あの女の携帯を奪え!」
阿部の指示はもはや混乱しており、市職員も警備員も、「汚職」という言葉を聞き、手を止め始めた。彼らは、この強制解体が、一議員の犯罪隠蔽に利用されていることを悟り、これ以上関わりたくなかったのだ。現場を支配していた暴力的な熱気は急速に冷え込み、公務という大義名分を失った作業員たちは、互いに顔を見合わせて重機のレバーから手を離した。排気ガスの黒い煙が冬の夜空に吸い込まれ、重低音を響かせていたエンジンがふっと停止する。
バリケードが一部破壊されたまま、重機は停止した。オリエント・スクエアの正面に、静寂が訪れる。
壊れた家具の破片が散らばり、白く舞う埃がサーチライトに照らされる中で、小川葵は、破壊されたバリケードの隙間から、憔悴しきった阿部に向かって言った。彼女の瞳には、かつて抱いていた激しい怒りよりも、目の前の崩れゆく男に対する深い哀れみが宿っていた。
「阿部議員。私たちはあなたの破滅を望みませんでした。しかし、あなたは、私たちとこの街の未来を破壊しようとした。あなたの過去の清算は、このビルではなく、あなた自身で行うべきです」
その言葉は、暴力的な破壊を耐え抜いた古い建物の壁に反響し、静かに、しかし断固とした重みを持って阿部の胸を貫いた。
権力を失い、過去と向き合うことを拒否し続けた阿部は、その場に崩れ落ちた。彼の目には、かつて彼が夢見た「ニュー・オリエント・シティ」の希望の光が今、完全に消え去る様子が映っていた。




