28話
「断る。私の店は、埋蔵庫であって展示場ではない」
佐藤は、淹れたてのコーヒーから立ち上る湯気の向こう側で、低く、突き放すような声を出した。しかし、その言葉の鋭さは以前のような、相手を拒絶し、心の門を固く閉ざすための冷徹な刃ではなかった。彼はカップを口に運び、一口含んだ後、リセッタの店内でフリーマーケットの準備に奔走する人々を、ゆっくりと、そしてどこか見守るような眼差しで一瞥した。
「それに、この騒々しさは本を読むための環境ではない。私がすべきことは、浮ついた熱気に流されることではなく、このビルの『記録』を、最後まで守り抜くことだ。外部に不穏な情報が漏れたり、誰かが歴史を歪曲したりしないよう、静かに『監査役』を務めさせてもらう」
事実上の参加拒否を装いつつも、佐藤はイベントの成功を影で支え、阿部議員という巨大な影がどう動くのか、その一挙手一投足に目を光らせることを約束したのだ。葵は、その不器用で、しかし彼なりの精一杯の優しさが込められた返答に、言葉には出さず、ただ静かな微笑みを返した。
その日の夕方。街路灯が灯り始め、ビルの影が重く地面に伸びる頃、大家の鈴木宗一郎がいつもより幾分早い足取りでリセッタを訪れた。彼は他の客が席を立ち、店内に静寂が戻るのを辛抱強く待っていた。そして、カウンターの隅で静かに本を閉じた佐藤悠馬に歩み寄り、切迫した、しかし落ち着いた声で語りかけた。
「佐藤くん。少し、深い話をしたい。君の店で聞かせてもらえないか」
佐藤は珍しく逡巡する素振りも見せず、黙って席を立つと、鈴木を「黄昏文庫」の奥深くへと招き入れた。古書の放つ濃密な香りと、時が止まったかのような薄暗い静寂に包まれた空間。書棚の隙間に沈殿する空気は、外界の喧騒を完全に遮断していた。
「阿部議員が、君に過去を暴かれて以来、彼の焦燥は尋常ではない。ワシの自宅にも、以前にも増して執拗で、逃げ場を奪うような強硬な圧力をかけてきた。彼は再開発を、一刻も『待てない』のだよ」
鈴木は、古びた椅子に深く腰を下ろし、刻まれた皺に深い苦悩を滲ませながら続けた。佐藤は、暗がりの奥でその老人の顔をじっと見つめ、静かに、しかし冷徹なまでの洞察力で核心を突いた。
「彼の焦りは、単に再開発を成功させて功績を上げ、さらなる地位を望むという出世欲だけではない。……そうですね?」
佐藤の問いかけは、静まり返った店内に、波紋のように広がっていった。 鈴木は、長い、あまりにも長い沈黙ののち、意を決したようにゆっくりと、そして深く頷いた。




