失いたくない過去ができた
梨をくれた友達。高2の途中で仲良くなったという、福島しょう子がぎりぎり崩壊を免れている状態だった。
だとしたら、桜が高1・高2の前半にできた友達しか堤防の役割を果たしてくれない。
1年時に知り合ったクラスメートは2年時・3年時に同じクラスになっていた可能性がある。1年時に出来た知り合いのボリュームの方が多いだろう。
今までの関係の崩壊の速度から考えても、まだ数時間は猶予があるはずだ。
やるべきことが明確に浮かんだ。
優は桜の家に戻った。桜がいる様子は当然ない。公園で拾った桜の透明傘と靴を置いた。
バッグから、鍵のついた日記を取り出す。
昔は三日坊主で挫折が続いた日記だったが、感情があふれる日々を生きていたおかげで、彼女と過ごした日々のことはほとんど毎回記していた。
それでも、文字にするまでもないと書いていなかった些細なこと、文字にすることをためらうような大きな心の内があった。
今日の出来事も含め、過去に起こった出来事を全て事細かに記そうと思った。
時間がない。
最初、勢いに任せて日記に手書きをしていたが、効率が悪いと思った。
机の上に、父親からお下がりで貰ったノートパソコンが目に入った。
桜がパソコンをもっていなかったので、レポートの提出なんかのために共用で使っていたものだ。
昔からタイピングは早かったので、より多くの思い出を書き残せる。
パソコンに文字を入力をしながら、未来の自分がどうメッセージを受け取るべきか考える。
僕との関係が崩壊した友人は、僕が彼に送ったメールやメッセージを全て削除していたことがあった。
遠ざかり現象により、単純にデータを自分のアドレス宛に送信したところで、桜との思い出を遠ざけようと未来の自分は読まないかもしれないし、削除してしまうかもしれない。
それをいうなら、日記をこのまま自分のかばんに入れたところで、帰り道には捨ててしまうかもしれない。
だとしたら、今入力している文章と日記は、桜との「遠ざかり」が終わったあとに自分に渡さなければならない。
未来で彼女が僕にめげることなく話し続けたら、再び人間関係を構築できるようになる。
何とかして桜に、遠ざかりが終わった後にこの日記をわたしてくれというメッセージを伝えるのはどうだろう?
日記はどこか遠くの地にでも保管しおけばいい。
未来の自分が信じられるよう、銀行口座の暗証番号を書いても構わないし、朱肉で指紋を残してもいい。
でも。何の相談もなしに、彼女は今夜僕と別れる決断をした。
僕を自分の人生に巻き込んだことを後悔しているのかもしれない。
寄りを戻すことをためらうかもしれない。
あるいは。
仮に遠ざかり現象を乗り越えたとしても。
過去の記憶の一切を隠したまま、また僕と結ばれようとするのではないか?
彼女は僕を好きでいてくれている。
だからこそ、つらかった出来事は自分一人で抱えたまま、何食わぬ顔をして未来の僕に近づくのかもしれない。
僕は彼女が一目惚れでもしたのかと調子にのったまま、目の前の女の子がどんな痛みを抱えているかもしらずに、のうのうと生きるのではないだろうか。
そんなの許せない。
だとしたら、やはりこれは、未来の自分に届けるべきだ。方法を考え直さなくては。
まず、日記は祖母の実家に送ろう。
数年ごとにしか訪れることはないし、祖母が僕のものを勝手に捨てることはない。
遠くにある思い出の品をわざわざ消そうとする事例には出くわしたことがない。
祖母の実家に訪れた時に、桜との遠ざかりが終わっていることを願うだけだ。
コンビニで配送するために、母に祖母の実家の住所と電話番号を教えてもらうようメッセージを送った。
後は母から返事が来るまでの間、記録を残し続けるのみだ。
時が過ぎた。
パソコンにはすでに膨大な文章量を入力し終えた。
USBメモリを差したとき、血の気が引いた。
何度差し直しても、認証しなかった。
パソコンの使用年数が長いせいだろう。以前から接触が悪かったが、ついに限界が来たのだ。
どうする?
未来の自分にメールを送るツールがネット上にあったはずだ。かなりの長文を、確実に送れるだろうか?
データをクラウド上に保存して、漫画喫茶に行って、そこのパソコンでUSBに保存して、日記と一緒に祖母の家に……これでは時間がかかりすぎる。
ふと、視界にカメラが目に入った。
チェキかポラロイドか名前は忘れたが、撮影した写真をその場で現像できるものだ。桜の命を助けた日に、彼女が持っていた。
試しにパソコンの画面を撮影し、印刷ボタンを押す。
ゆっくりと写真が出てくる。
出てきた写真は真っ黒だった。
色がつくまでしばらく待つと、文字はちゃんと判別できた。
写真にして残せる。
パソコンの画面を何枚も撮っていく。
この単純作業に命懸けで集中をした。
全ての写真を撮り終わった時、母から携帯に返信が届いた。祖母の実家の住所が記されている。お風呂に入ってて返事が遅れたと、かわいい絵文字も一緒についていた。
もう、行かなければと思った。
日記に写真を挟み込む。袋で包み込み、ガムテープでぐるぐる巻きにした。
外は雨が降っていたが、急いでいたので傘を持たずにコンビニへと走った。
店内に入り、一目散にレジへと向かう。
必死の形相で店員に荷物を郵送したい旨を伝える。
宅配伝票に記入する。この瞬間にも自分に何かが起こりそうで恐怖を覚えた。
料金を支払い、日記を預けた。
間に合った。
やるべきことはやった。少しだけほっとした。
でも、不安は残る。
たとえ未来の自分が手にとったとしても、それまでに遠ざかりが終わっていなければ、無意識に捨ててしまう可能性がある。
また雨に濡れながら、桜の家へと走った。




