表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『星を喰う君と、僕の嘘』  作者: 月衣
第1章:瑠璃色のこぼれ幸
3/6

第3話:綻びる独白と、第三者の「真実」

僕が彼女に与えていたのは、救いではなく「檻」だったのかもしれない。

「昨日の君は、こうだったよ」

「一年前の君は、こんな風に笑っていたんだ」

僕がペンを走らせるたび、彼女の真っ白な世界に僕の選んだ色だけが塗られていく。

それは、彼女を喪失の恐怖から守るための防壁のつもりだった。

けれど、その壁の内側に閉じ込めているのは、僕にとって都合の良い「理想の彼女」でしかなかったのだ。

僕の知らない彼女。

僕のいない場所で、誰かと笑い、誰かと約束を交わしていた、本物のセナ。

その存在を無視し、僕が勝手に書き換えた物語は、あまりに脆く、あまりに独善的だった。

一人の少年が「神様」を気取った代償は、一瞬の綻びから溢れ出す。

「……ねえ、ハルトくん。この日記に書いてある私は、本当に私なの?」

その問いに、僕はもう、迷いなく頷くことはできない。

静かに降り始めた雨が、僕たちの偽りの境界線を、容赦なく溶かし始めていた。

六月に入り、街は鬱陶しい梅雨の湿気に包まれていた。

窓にへばりつく水滴が、まるで内側の熱を逃がさないように視界を遮っている。放課後の教室、僕はいつものようにセナの隣で、彼女の『日記』を代筆していた。

「……それでね、セナ。昨日の放課後は、一緒に中庭の紫陽花を見たんだよ。君は『雨の日の花の方が、色が濃くて好きだ』って言ってたんだ」

僕は穏やかな声で、彼女の真っ白な記憶のページを埋めていく。

実際には、昨日の放課後に紫陽花など見ていない。セナは部活の集まりで忙しく、僕は一人で図書室にいたのだ。けれど、彼女が「僕と一緒に過ごした、穏やかで美しい時間」を欲しがっているのを知っているから、僕は躊躇なく嘘を混ぜ込む。

「……紫陽花。そっか、私、そんなこと言ったんだね」

セナは僕が差し出したノートを愛おしそうに撫でた。

その瞳には、僕への全幅の信頼が宿っている。今の彼女にとって、僕の言葉は聖書と同じだ。僕が「黒」と言えば、彼女の世界の昨日は黒に染まる。

「ハルトくんが教えてくれる私の毎日は、どれもキラキラしてて、すごく素敵。……自分では思い出せないのが、本当にもどかしいくらい」

彼女の無邪気な称賛が、毒のように僕の肺を満たしていく。

救っている。僕は彼女を救っている。

そう自分に言い聞かせなければ、足元から崩れ落ちてしまいそうだった。

鞄の中のジャムの瓶は、もう二瓶目に突入していた。

一瓶目が彼女との「本物の過去」の墓場なら、二瓶目は僕がついた「優しい嘘」の残滓だ。

「……おーい、二人してまた密談か? 最近仲いいよな、お前ら」

不意に、教室の入り口から遠慮のない声が響いた。

クラスメイトのタカシだ。彼はサッカー部のバッグを肩にかけ、泥のついた靴で遠慮なく二人の距離に踏み込んできた。

「タカシ……。別に、密談なんてしてないよ。勉強の予習をしてただけだ」

僕は反射的にノートを隠した。けれど、タカシはそんな僕の動揺に気づく様子もなく、セナに向かってニカッと笑った。

「なあセナ、そういえば先週の土曜日の件、どうなった? お前、駅前のカフェでバイトの面接受けるって張り切ってたじゃん。受かったのかよ?」

その瞬間、教室の空気が凍りついた。

セナは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔でタカシを見つめた。

「……え? バイト、の面接?」

「なんだよ、忘れたのか? ほら、一ヶ月前からずっと『親に内緒で貯金したい』って騒いでたろ。俺も履歴書の書き方、相談乗ったじゃん」

タカシの言葉は、悪意のない純粋な「真実」だった。

けれど、それは僕がセナに教えていた『日記』の中には、一文字も存在しない事実だった。

「……私、そんなこと、言ってた……?」

セナの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。

彼女は助けを求めるように、僕の方を振り返った。

「ハルトくん……。私、バイトの話なんて……日記には、そんなこと書いてなかったよね?」

「それは……」

言葉が詰まった。

僕は、彼女が親と不仲であることも、バイトをしたがっていたことも、タカシとそんな相談をしていたことも、何一つ知らなかった。

僕が彼女に教えていた「セナ」は、僕の目の届く範囲、僕が管理できる範囲だけの、都合のいい虚像だったのだ。

「あ? なんだよハルト、お前聞いてねーのか? セナ、お前ハルトには隠してたのかよ。水臭いなー」

タカシは笑いながら、追い打ちをかけるように続けた。

「まあいいや。結果分かったら教えろよ。……じゃあな、部活遅れるわ!」

嵐のような闖入者が去った後、教室には重苦しい沈黙だけが残された。

雨の音が、さっきよりもずっと大きく聞こえる。

「……ねえ、ハルトくん」

セナの声は、氷のように冷たかった。

「タカシくんが言ってたこと、本当なの? 私は……私はハルトくんが知らないところで、別の誰かと、別の話をしていたの?」

「……セナ、落ち着いて。タカシの勘違いかもしれないし……」

「嘘をつかないで!」

彼女は叫んだ。

その瞬間、彼女の胸元から、今まで見たこともないような、どす黒い紫色の光が溢れ出した。

カラン、カラン、カランッ!!

激しい音を立てて床を転がったのは、棘のついた歪な結晶。

それは「不信」と「混乱」、そして自分が自分でなくなっていく「恐怖」が形になった星だった。

「……ハルトくんが教えてくれる私は、本当の私じゃない。ハルトくんが見てる私は、私が忘れたゴミを集めて、継ぎ接ぎにしただけの、偽物なんだ……っ!」

彼女は机を叩き、逃げるように教室を飛び出していった。

床には、紫色の星が冷たく光っている。

僕は、その星を拾い上げることもできず、ただ立ち尽くしていた。

彼女の代わりに覚えておくと誓った。彼女の空白を埋めてあげると約束した。

けれど、僕がしていたのは、彼女という一人の人間を、僕の理想という箱庭に閉じ込める行為でしかなかった。

僕は、タカシが知っている「セナ」を知らない。

他の誰かが笑い合った「セナ」を、僕は持っていない。

僕が独占していたのは、彼女の過去ではなく、彼女から奪い取った「自由」だったのだ。

僕は震える手で、床の紫色の星を拾い上げた。

その結晶は、針のように僕の指先に突き刺さり、鮮血を滴らせる。

痛い。けれど、この痛みさえも、彼女が今感じている絶望の万分の一にも満たないだろう。

僕は鞄から、二瓶目のジャム瓶を取り出した。

中には、僕がついた嘘の記憶が、濁った光を放って詰まっている。

僕はその瓶を、床に向かって思い切り叩きつけた。

パリンッ!

ガラスが砕け散る鋭い音とともに、嘘の星たちが教室中に飛び散った。

それらは空気に触れると同時に、幻のように消えていく。

残ったのは、僕の掌に刺さった紫色の、重く、苦い、本物の感情の結晶だけだった。

「……僕は、何てことを……」

雨脚はさらに強まり、窓の外の景色は完全にかき消されていた。

僕は血の滲む手で紫色の星を握りしめ、雨の中に消えた彼女の背中を追うために、教室を飛び出した。

喉の奥が熱い。

謝りたかった。けれど、何を謝ればいいのかさえ、もう分からなかった。

僕が彼女の記憶を守るために重ねた嘘は、結局、彼女の魂を一番深く傷つける刃になってしまった。

「セナ……っ!」

誰もいない廊下に、僕の叫びが虚しく響く。

壁に貼られた予定表、掲示板のポスター、昨日までの日常。

そのすべてが、僕を見知らぬ犯罪者を見るような、冷ややかな視線で眺めていた。

二人の『書き換えられた日記』は、今、無残に破り捨てられた。

後に残ったのは、血を流す僕と、すべてを失った彼女の、むき出しの絶望だけだった。

信頼が、一瞬にして崩壊する。

ハルトが「彼女のため」と信じて積み上げた嘘の城は、タカシという「外部の真実」によってあまりにも呆気なく破壊されました。

ハルトが知らなかったセナの側面。

それは、彼女が「星食い」という病を抱えながらも、一人の人間として必死に生きようとしていた証拠でした。

それを無視し、自分に都合のいい「守られるだけの少女」として描き直してしまったハルトの罪は、あまりに重いものです。

今回吐き出された「紫色の星」。

それは彼女がハルトに抱いた、初めての明確な「拒絶」です。

そして、二瓶目の「嘘の瓶」を自ら割ったハルト。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ