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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第3章 不可侵と均衡

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第44話:帝都の賢者と覇王の品定め

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

エルディナ王国の東方に広がる大国、ヴィンデル帝国。

その心臓部である帝都ヴィンデルは、大陸でも類を見ない威容を誇っていた。


規則正しく区画整理された街並み。

石畳の道を行き交う馬車や人々の波。

市場には大陸中から集められた物資が溢れ、職人街からは絶え間なく槌音が響く。

そこにあるのは、古い伝統に縛られた王都ルミナリアのような停滞した空気ではない。実力主義を掲げる覇王の下、己の才覚一つで成り上がろうとする人々の、たぎるような熱気と活気だった。


そんな帝都の大通りを、一台の馬車が滑るように進んでいく。

窓から懐かしい故郷の景色を眺める男――賢者カイン・フォン・ローゼンベルクは、ふと口元を緩めた。


「……相変わらず、騒がしい街だ」


数ヶ月前までは、この喧騒こそが世界の中心だと信じて疑わなかった。

だが、ウルム村という「異界」を知ってしまった今となっては、この帝都の繁栄さえも、どこか色褪せて見える。

あそこにあるのは、こんな雑多なエネルギーではない。もっと澄み切った、(ことわり)によって統制された、静かで力強い「未来」だ。


「急いでくれ。陛下がお待ちだ」


カインが御者に声をかけると、馬車は速度を上げ、都市の中央へと向かった。

そこには、帝国の権威を象徴する巨大な建造物がそびえ立っている。

白亜の巨石を積み上げて作られた、皇帝居城。

華美な装飾を削ぎ落とし、機能美と堅牢さを追求したその城は、まさにこの国を支配する「鉄血の覇王」そのものを体現しているようだった。



カインは到着するや否や、休む間もなく城内へと入った。

本来なら、旅の疲れを癒やし、身なりを整えてから登城するのが礼儀だが、今回は皇帝直々の「緊急召喚」だ。一刻の猶予も許されない。


「カイン・フォン・ローゼンベルク、参りました」


重厚な扉の前で告げると、衛兵たちが敬礼し、扉を押し開けた。

広い執務室。

その最奥のデスクに、一人の男が座っていた。


皇帝ヴァレリアン・フォン・アドラー。

書類の山に埋もれながらも、その鋭い眼光はカインを射抜いていた。

傍らには、苦労人の宰相ベルンハルトが控えている。


「戻ったか、カイン」


「はっ。ただいま帰還いたしました」


カインは流れるような動作で跪き、臣下の礼をとった。

ウルム村では作業着に煤をつけ、徹夜で目を血走らせていた姿とは別人のような、洗練された宮廷人の振る舞いだ。


「面を上げよ。……ふむ。噂の村へ視察に行ったきり、随分と長く逗留していたようだが……。やつれた様子はないな。」


「むしろ、以前より精悍な顔つきになったか?」


皇帝が、値踏みするようにカインを見る。


「恐縮です。かの地での生活は、私の知的好奇心をこれ以上なく刺激してくれました。研究者として、これほど充実した日々はありませんでした」


「ほう。賢者カインにそこまで言わせるか」


皇帝は興味深そうに顎を撫でた。

カインは立ち上がり、懐から革袋を取り出した。

アシュランから託された()()()だ。


「陛下。報告の前に、まずはこちらをご覧ください。かの地、ウルム村にて開発された『成果』の一部です」


カインはテーブルの上に、三つの品を並べた。


一つ目は、手のひらサイズのガラス板。

二つ目は、飾り気のない無骨な鋼鉄のナイフ。

そして三つ目は、分厚い羊皮紙の束だ。


皇帝はまず、ガラス板を手に取った。


「……なんだこれは。水晶か? いや、ガラスか?」


皇帝が驚くのも無理はない。

帝国の技術で作られるガラスは、厚みがあり、気泡や歪みで向こう側がぼやけて見えるのが常識だ。

だが、カインが持ち帰ったそれは、恐ろしいほどに透明で、均一な厚みを保っている。


「『フロート法』という特殊な製法で作られた板ガラスです。不純物を極限まで取り除き、錫の上に溶けたガラスを浮かべることで、研磨せずとも平滑な面を作り出しています」


「……この透明度。窓に使えば、冬でも陽の光を余すことなく取り込めるな」


皇帝は感心したようにガラスを透かして見ると、次にナイフを手に取った。

装飾のない、道具としての機能美を追求したナイフだ。


「軽いな。だが……」


皇帝は、手近にあった真鍮のペーパーナイフを手に取り、ウルム村のナイフと軽く打ち合わせた。


カィン!


甲高い音と共に、真鍮のナイフの刃が欠け、飛び散った。

対して、ウルム村のナイフには、傷一つついていない。


「……硬い。そして粘りがある。ミスリル銀か?」


「いえ、ただの鉄です。ただし、『反射炉』という特殊な炉で不純物を焼き切り、炭素量を厳密に調整した『鋼』です」


「ただの鉄だと……?」


皇帝の目に、戦慄が走った。

鉄はありふれた素材だ。もし、ありふれた素材でミスリル並みの強度の武器が量産できるとしたら。それは軍事バランスを根底から覆す革命だ。


そして最後に、皇帝は羊皮紙の束を手に取った。

表紙には、『マナ・エントロピー理論と魔導回路への応用』と記されている。


「これは……」


皇帝は魔術の専門家ではないが、そこに記された数式と魔法陣の図解が、既存の魔導書とは次元の違うレベルで書かれていることだけは理解できた。


「アシュラン殿が提唱する新理論を、私が体系化したものです。これを応用すれば、魔導具の燃費は数倍に向上し、出力も安定します。現に、ウルム村ではこの理論を用いた自動防衛兵器や、生活用魔導具が実用化されています」


皇帝は、しばらく無言で羊皮紙を見つめていた。

やがて、深く息を吐き出し、カインを見た。


「……カインよ。報告書には目を通していたが、実物を見ると背筋が凍るな」


「はい。私も最初は、自分の正気を疑いました」


「アシュラン・ド・ランテーム……。一体、いかなる人物なのだ? 報告書には『王国を追放された魔力なし』とあるが」


「報告書には事実を書きました。ですが、陛下。文字だけでは伝わらない『本質』については、やはり直接お話しすべきかと思いまして」


「うむ。申してみよ。其方の目から見た、その男の正体を」


カインは、背筋を伸ばし、遠くウルム村にいる「マスター」の姿を思い浮かべながら語り始めた。


「彼は……一言で言えば、『(ことわり)の支配者』です」


「理の支配者?」


「はい。彼は魔力を持ちません。したがって、魔法も使えません。ですが、この世界を構成する法則――重力、熱、光、そして魔力の動きそのものを、数式として理解し、計算し、予測することができます」


カインの言葉に熱がこもる。


「我々魔術師が『感覚』や『神秘』として扱ってきたものを、彼は『物理現象』として解き明かします。彼にかかれば、奇跡すらも再現可能な『技術』となるのです」


「……なるほど。だからこそ、聖女の不治の病すらも『修理』してみせたのか」


「左様です。そして何より恐ろしいのは、彼自身には、世界を支配しようとか、富を得ようとかいう野心が一切ないことです」


「野心がない?」


「ええ。彼の行動原理は、ただ一つ。『快適に、静かに暮らしたい』。それだけです。そのために、究極の防壁を作り、自動迎撃兵器を作り、精霊王すらも住環境の一部として取り込んでしまう……。その無欲ゆえの暴走こそが、彼の最大の魅力であり、底知れなさでもあります」


カインは、苦笑しながらも誇らしげに語った。

皇帝は、そんなカインの様子を、目を細めて見ていた。


「……カインよ。お主がそこまで他者を認める姿、初めて見たぞ。あの『氷の賢者』と呼ばれたお主がな」


「……お恥ずかしい限りです。ですが、マスター……アシュラン殿の前では、私の知識など児戯に等しいと思い知らされましたので」


「マスター……か。……なるほど、完全に心酔しておるようだな」


皇帝はニヤリと笑った。

そして、ふと思い出したように尋ねた。


「ところで、もう一人の『心酔者』はどうした? 共に戻れと命じたはずだが?」


その問いに、カインは表情を曇らせた。


「……彼女は、帰りたくないそうです」


「ほう?」


「『わたくしはもう帝国の聖女ではありません。ウルム村の住人です』と、断固拒否されました。無理に連れ戻そうとすれば、物理的にも魔法的にも抵抗される恐れがありましたので……今回は、私の独断で置いて参りました」


「くくく……! あの堅物のエレノアが、職務放棄か!」


皇帝は愉快そうに笑った。


「困ったものだな。だがまあ、あの状況からして、帰りたくないと思うのも無理はないか。死の淵を彷徨い、国に見放されたと思い込んでいる彼女を救ったのは、帝国ではなくアシュランなのだからな」


皇帝は、エレノアの離反を咎めるどころか、むしろ納得したように頷いた。

彼にとっても、形骸化した国教会や、聖女という「御神輿」の扱いは厄介な問題だったのだろう。彼女が個人として幸せを掴んだのなら、それはそれで良いと考えている節がある。


「で、いかがなさるおつもりですか、陛下?」


カインは、真剣な眼差しで問いかけた。

王国の軍事行動は失敗に終わった。

だが、ウルム村の存在が明るみに出た以上、帝国としても放置はできないはずだ。

敵対か、支配か、それとも――。


「そうよな……」


皇帝は、椅子に深く腰掛け、天井を仰いだ。

その指が、机の上の「鉄のナイフ」を弄ぶ。

金属的な冷たい音が、静まり返った執務室に響く。


「……報告書を読み、お主の話を聞き、そしてこの『物証』を見た。余の結論は一つだ」


皇帝は、ゆっくりと視線をカインに戻した。

その瞳には、獲物を狙う猛獣のような、あるいは新しい玩具を見つけた子供のような、強烈な光が宿っていた。


「カインよ。旅の支度をせよ」


「……は?」


「お主は、とんぼ返りすることになるぞ」


「それは構いませんが……まさか、陛下は……」


カインの背中に、冷たいものが走った。

まさか。いや、この皇帝ならあり得る。

常識に囚われず、面白いと思えば自ら最前線に飛び込んでいく、この「覇王」ならば。


「余も行くぞ。ウルム村へ」


「……はい?」


カインは、自分の耳を疑った。


「お忍びだ。護衛はベアトリクスら『黒鴉』の精鋭のみとする。大げさな行列は組まん。あくまで、一人の『旅人』として、そのアシュランという男に会いに行く」


「へ、陛下! 正気ですか!? 皇帝陛下が辺境の村へ、身一つで乗り込むなど……!」


「構わん。公式な外交ではない。これは、余の個人的な『興味』だ」


皇帝は、悪戯っぽく笑った。


「それに、お主の話を聞いて、我慢できなくなったのだよ。その『理の支配者』とやらと、直接話がしたくてな」


カインは、頭を抱えたくなった。

マスターもマスターなら、この皇帝も皇帝だ。

規格外の天才と、規格外の覇王。

この二人が出会ってしまったら、一体何が起きるのか。


「……嫌な予感しかしない」


カインの呟きは、皇帝の高笑いにかき消された。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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