第134話 手向けと精霊
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朝の礼拝が終わった。
礼拝堂で祈って帰る者もいれば、そのまま隣の休息所へ向かう者もいる。だが、それ以外の場所に向かう者たちも少なからずいた。
村の広場から少し外れた、水路の分岐近く。温水管の熱が通っていて、冬でも少しだけ土が柔らかい実験庭園の端の一角。そこへ、向かう者たちだ。
彼らの手には、野の花や、川で磨かれた小石、子供が編んだ草輪などが握られている。
向かう先は、逃げる途中で命を落とし、遺骨すら拾えなかった家族へ、せめてもの思いを向けるための場所だった。
俺は少し離れた場所から、その人の流れを静かに眺めていた。
礼拝堂だけで足りる奴もいれば、それでは足りない奴もいる。村ってのは、そういうこぼれたものの置き場まであって、成り立っていくものだ。
◇
そこは、誰かがはっきりと祭場だと決めた場所ではなかった。
だが、いつの間にか村人たちが自然と手向けを置くようになっていた場所だった。
そんな場所であるゆえに、弔い方は様々だった。十字の印を刻んだ木札もあれば、ただ綺麗な石を積んだだけのものもある。それでも、誰もそこを荒らさないし、咎める者もいない。
そして、そこには俺の目には見えない連中まで集まっているらしかった。
「ありがとうございますですわ。今日もお花が綺麗ですわね」
供えられた花が傷まないように水を替えていたエレノアが、泥だらけの長靴のまま、目に見えない何かへふわりと微笑みかけた。
「風の子たち、あまり悪戯してはなりませんのよ? せっかくの草輪が飛んでしまいますもの」
俺には気配すら分からない。だが、花の根元には露が集まり、草輪は風に飛ばされず、朝の冷気までどこか和らいでいた。あいつには、水も風も火も、ちゃんと見えているんだろう。
「……ここ、好き」
ふらりと宙を漂いながら現れたリナが、エレノアのそばで心地よさそうに目を細めた。
「水の子も火の子も、いっぱい来てる。あったかいし、きれいだから」
エレノアは、どこか嬉しそうに庭を見回していた。
水路も、畑も、温水も、ここにある暮らしの土台は俺が整えてきたものだ。どうやら精霊たちが居心地よさそうに集まるのは、それが要因のひとつらしかった。
エレノアにしてみれば、人の暮らしが整えば精霊も寄ってくる、それだけの話なんだろう。
◇
そこへ、一人の小さな子供がやってきた。動乱で家族を失い、最近ウルム村に引き取られた難民の子供だ。
小さな手には、道端で摘んだらしい野の花が握りしめられている。
その子供は上手く言葉を出せないまま、小さな肩を震わせて花を置こうとしていた。
エレノアは作業の手を止め、子供の目線に合わせて静かにしゃがみ込んだ。
「こちらでよろしいですわ」
優しげに言葉を紡ぐ。
「無理にお言葉にしなくても、大丈夫ですの。置いていくだけでも、ちゃんと届きますわ」
エレノアが微笑むと、子供はこくりと頷き、土の上にそっと花を置いた。
「風の精霊さんたちも、そっと運んでくださいますもの」
エレノアは、ただ慰めるだけじゃない。悲しみをどこへ置けばいいか、そのことをちゃんと知っている。そう思った。
「……それも、土地の習いとして尊いことなのでしょうね」
不意に、背後から声が響いた。
振り返ると、バルテルに付き従っていた聖教国の若い男が立っていた。昨日の書記官とは別の、実直そうな神官だ。けっして、悪意があるわけじゃないのだろう。ただ、自分の中の正しさに真面目なだけだ。
「ですが、御霊への祈りは、やはり祭壇の前で捧げるのが正しき形かと存じます。あまり祭壇の外へ広げますと、信仰が曖昧になるのではありませんかな」
異端だと責めているわけではない。だが、彼なりに正しい形へ戻したいと思っているのは伝わった。
その神官の言葉に、子供がビクッと肩を震わせ、手を引っ込めた。周囲で手向けを置いていた大人たちも、言い返す言葉を持たず、気まずそうに居心地の悪さを滲ませた。
その場の空気が、一瞬だけ止まった。
「礼拝堂でお祈りするのも、大事ですわ」
その凍りついた空気を溶かすように、エレノアがゆっくりと立ち上がった。彼女は神官の言葉を否定することなく、静かに口を開いた。
「けれど、あそこまで行けない日もございますもの。例え、言葉にできなくても、ただここへ花を置くだけで、少し息がつけることもあるのですわよ」
神官がわずかに眉をひそめる。
「精霊におすがりするのは……」
「精霊さんに、何かをお願いしているわけではありませんのよ」
エレノアは、神官の言葉を柔らかく、だがはっきりと遮った。
「ただ、泣いてしまった方が、少しだけ悲しみを置いて帰れるようにしているだけですわ。この村の精霊さんたちは、そういう小さなお声も、ちゃんと静かに見守ってくださいますもの」
教会を否定しているわけではない。精霊を神のように拝んでいるわけでもない。
ただ、誰かの悲しみを一つの形に押し込めない。
そういうところが、エレノアだった。
◇
「……土地ごとに、慰め方があるということですか」
少し遅れてやってきたバルテルが、若い神官を軽く手で制した。
彼はエレノアを言い負かそうとしたわけではなかった。ただ、目の前の光景を静かに見ていた。
「なるほど。ウルムでは、その場が礼拝堂の外にもある、と」
礼拝堂の外にも手向けの場があり、エレノアは精霊たちを当たり前のように受け入れている。しかも、その場の土台には、俺の作ったものがある。
バルテルから見れば、好ましい光景とは言えなかったはずだ。だが彼はそれ以上何も言わず、そのままその場を立ち去っていった。
◇
そのやり取りを、俺は口を挟まず見守っていた。
今回は、俺が口を挟む場面じゃなかった。
エレノアは普段こそ危なっかしい。だが、肝心なところではちゃんと人を見ている。
あいつ、そういうところだけは妙に外さないんだよな。
俺は腕を組んだまま、小さく鼻を鳴らした。
バルテルたちが立ち去ると、場は再び静かな空気に戻った。
子供はためらいながらも、もう一度土の上に花を置く。
風の精霊が花びらを散らさないようそっと凪ぎ、水の精霊が葉の表面に朝露を残して去っていく。
リナがそれを見て、にこにこと笑いながら宙を漂っていた。
「あっ、この石はもう少しこちらの方が日当たりがよろしいですわね!」
エレノアはいつもの明るい口調に戻って、手向けの位置を少し直したり、水を取り替えたりと忙しなく動き始めた。
風に揺れる花の前で、エレノアはいつものように笑っていた。
ただ今日は、その笑い方が少し違って見えた。誰かの悲しみを、あいつなりに守っていた。
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