第12話:詩織の正体
夕は、目の前に立つ詩織をただ見つめていた。
その優しい微笑みを浮かべた詩織は、今までと何も変わらないように見えた。しかし、夕の心の中で、何かが狂い始めていた。
(どうして——鏡の中の顔が、私じゃないんだ?)
目を凝らすと、鏡に映る自分の顔は、まるで他人のもののように見えた。
そこに映っているのは、確かに詩織の顔だった。
—しかし、目をこすったりしても、それは決して元に戻らなかった。
「……なんで?」
自分の顔が見当たらない。
鏡の中にいるのは、まるで自分の身体を乗っ取ったかのような詩織だった。
胸が締め付けられるように苦しい。
「詩織……?」
夕は震える手を鏡に向けて伸ばした。
その瞬間、詩織の目が金色に光った。
その光を見た瞬間、全身に冷たい鳥肌が立ち、息が詰まった。
「金色……?」
目の前の詩織が、何かを変えたように見えた。彼女の目が、今まで見たこともない、異質なものへと変化していたのだ。
詩織は優しく微笑みながら、手をゆっくりと夕に伸ばした。
その手が夕の肩に触れると、ひんやりとした冷気が広がった。
「どうして、そんなに怖がってるの?」
詩織の声が、まるで耳元で響くように、脳裏に直接響いた気がした。
「……あ、あな——」
その言葉は途中で途切れる。
なぜか、自分の言葉が出ない。
詩織。
今まではあんなに優しく、ただの友人で、信頼していたはずの存在。
でも——
今、目の前の詩織は、どこか冷たく、どこか異常だ。
「詩織……あなたは、誰なの?」
夕が尋ねると、詩織はその質問に軽く笑って答える。
「私のこと、まだ“詩織”だと思う?」
その問いに、夕は言葉を失った。
どうしてだろう?
その言葉を聞いた瞬間、身体の奥から冷たい何かが込み上げてきた。
“詩織”ではない何かが、確かに目の前に存在している。
詩織はそのまま、無表情で金色の瞳をじっと見つめてくる。
「あなたの中に、ずっといる。」
詩織の口が動き、言葉がひとつずつ吐き出される。
「私、ずっと一緒だよ。あなたが、どんなに嫌がっても、私は、あなたの中にいる。」
その瞬間、夕の足元が崩れ落ちるような感覚を覚えた。
—自分はずっと、彼女の存在を「知っていた」と気づかされた。
いや、違う。
彼女は、今まで自分の中に、ずっといた。
詩織ではない、何かが。
「いや、違う。あなたは——」
夕は心の中で叫んだ。だがその瞬間、詩織はさらに一歩、夕に近づいてきた。
その金色の瞳が、夕の視界を埋め尽くす。
手を伸ばした詩織の指が、夕の唇に触れた。
「まだ、わからない?」
その声は優しく、でも耳の奥まで届くように響く。
夕はその瞬間、すべての力が抜けて、ただ詩織を見つめることしかできなかった。
その顔が、あまりにも静かで、優しくて、でもどこか……
——それが**“人間ではない”何か**だという確信が、次第に強くなっていくのを感じた。
詩織の金色の目が、ゆっくりと自分の目を捉え、夕はそこでようやく理解した。
“私は、ずっとここにいた”
詩織が、言葉を呟くと同時に、夕の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
次に目を開けた時、何もかもが変わっているような、そんな予感がしていた。




