4章35 万能聖女、宿星のダンジョンへ潜る7
階段を下りた先に広がっていたのは――大自然だった。
『存外、ちゃんと作られていますね』
「これで地下だなんて、とても信じられないわね。ダンジョンってほんとファンタジーだわ」
これまでの迷宮然とした環境とはまったく違う。
見渡す限りの大草原。頭上には抜けるような青い空。おまけに太陽まで浮かんでいて、なんだか感覚がおかしくなりそうだ。
地面を覆う下草は足首ほどの長さで、ポツポツと疎林や灌木が散在している。
それ以外に、身を隠せるような遮蔽物や、行動を阻害する障害物はない。
「やはりと言うべきか、ここでも魔物がけしかけられてるみたいだな」
視界が通るゆえに、魔物たちがこちらへ向かってきている姿がよく見える。
「いま集まってきているのだけで見れば、三種類ですね。すべてEランクで、地上に『ウインドウルフ』と『ファングボア』、そして上空に『ストライクバード』です」
ルーミーが鑑定の結果を伝える。
草の中を軽快に駆けてくる『ウインドウルフ』は、体長一メートル半ほどの狼型の魔物で、風魔法の作用による一時的な加速能力を持つ。
一方、まさに猪突猛進といった感じで、走るというより突進してくるのは、猪型の魔物『ファングボア』。大きく発達した牙が前方へと突き出している。
サイズはウインドウルフと同じくらいだ。
そして颯爽と空を切って飛翔する『ストライクバード』は、典型的な猛禽類の姿をしていて、とにかく上空から一直線に突っ込んでくる魔物だ。
障害物のない開けたフィールドという性質上、階段から離れれば、あっという間に四方八方を囲まれてしまう。
本来であれば、こんな風に囲まれる状況にはならないのだろうが、宿星の妨害工作はいまだに続いているのだった。
特に戦闘に関して必要以上に手出しをしないと言っても、事ここに至れば乃詠たちも正式な戦力だ。
……まぁ、ここまでですでに、かなり戦闘に参加しているが。どころか、戦闘にならない手段で無力化しているが。
あれは相手が相手だったので仕方がない……と言い訳しておく。
騎士隊と乃詠ファミリーで、ちょうど半々に円を描く形で対応にあたる。
「やっと思いっきり戦えるっスね!」
意気揚々と、大盾に〈眷属盾〉まで展開するアーク。
「言っても雑魚ばっかだがな」
と言いつつ、こちらもまたやる気満々に大刀を唸らせるコウガだ。
「……ノエ。おれは上と下、どっちだ?」
「どっちでもいいわよ。私とギウスは上をやるわ」
「お姉さま、わたしもストライクバードをやります!」
「ヒャッハー!! 全部撃ち落としてやるぜぇッ!!」
「……じゃあ、適当に」
「あっしは下でぃ」
そうして各々が分担し、確実に魔物を倒していく。
いくら数が多くとも、彼らにとっては物足りない相手だ。だが、広い場所で思う存分暴れられるとあって、皆とても生き生きとしていた。
これまでは、通路は狭いし魔物は弱いし、そもそも途中から乃詠が全部、凍らせてしまっていたので、彼らもだいぶフラストレーションが溜まっていたらしい。
特に連携もなく、思い思いに暴れまわる従魔たち。
「あっちはものすごい戦いぶりだにゃん。まるで猛獣とネズミにゃん」
「そうだな。だがアビにゃん、ちゃんとこっちに集中しろ」
「わかってる――にゃんっ」
騎士隊もまた、危なげなく魔物を倒していくのだが――やはりこうして開けた場所だと、その連携の見事さが浮き彫りになる。
練度が高く、何よりお互いを信頼し合っているのがわかる動きだ。
その中でも、ひときわ異彩を放っているのがヴィンスだった。純粋に強い。指揮を執り仲間たちと連携しつつも、自分の力を遺憾なく発揮している。
実際、ステータスも一般的な人間にしては高いとナビィが言っていた。
しばらくして、魔物の数が減っていきた。
そして最後の一体が倒され、襲撃がひと段落つく。
「外はもう夜か? ここだと時間がわかりにくいな」
「さすがに疲れたにゃん……お腹も減ったにゃん」
ということで、ここで食事と睡眠をとることになった。
このダンジョンは一層一層がなかなかに広い。〈マップ〉の取得は一層ごとにしかできず、それ以外だと下に一つ層があるくらいしかわからないので、全部で何層あるかはわからないが、いかに最短ルートを行こうとも一日足らずでの攻略は無理だったようだ。
ルーミーが『聖守石』を使って聖結界を張る。遮蔽物のない草原のど真ん中ではあるが、聖結界があればどこでも安地に早変わりだ。
念のために魔除けの香も焚き、寝ているあいだは交代で見張りもつける。
食事はあらかじめ買っておいた出来合いのものを食べた。もし攻略が長引いて足りなくなれば、乃詠の食材を提供すればいい。
ちなみに、ひっそりとついてきているカイは、一行よりもだいぶ離れた場所で、ひとり寂しく野営をしていた。
そうして時間的に一夜を明かし――攻略を再開した一行は、十一層を踏破して次層へと向かう。
十二層も草原だった。出現する魔物は上と同じ。
けれど、後半の三割ほどは森林エリアとなっていた。
森の中では『グリーンウルフ』という迷彩色の毛皮を持った狼型の魔物と、ノーマルな『ゴブリン』が出現する。
コボルト同様、ノーマルゴブリンを見るのも初めてだが、カオスゴブリンよりも若干小さく、なんだか頼りない感じ――というのが乃詠の所感だった。
まぁランクが低いので当然なのだろうが。
グリーンウルフは色が色なので、特に森の中だとやや視認しづらいが、気配は明確なので騎士たちが後れを取ることもなく。
そして――十三層。
こちらも草原と森林の二つにエリアが分かれていたが、比率は半々。
ここでは新たに、ゴブリンの一つ上位の魔物『ホブゴブリン』と、これもまたファンタジーでは定番の二足歩行する豚型の魔物『オーク』、そして『ピンキーモンキー』という小さな猿型の魔物が出現した。
このピンキーモンキーは猿だけあって主に木の上にいて、とてもすばしっこい。最低でも二十体が群れ、ヒットアンドアウェイで攻撃してくる。
攻撃手段は『ひっかき』と『噛みつき』、そして、たまに自分の糞を投げつけてくるのが、非常にタチが悪かった。
身体的ダメージはゼロだが、精神的ダメージはけっこうデカい。
そんな魔物たちが、やはり群がってくるのを端から倒し、乃詠は『アポーツ』でドロップアイテムを拾い集めていく。
襲撃が止めばそのつど休憩して、また進む。
「階段、発見にゃん」
階段の通路を出ると、十四層は完全な森林フロアとなっていた。
魔物は、ここまで森の中に出現した数種に加え、『ワイルドウルフ』――前肢がいやに発達した、二足歩行もできる狼型の魔物が追加された。
さらに――森林フィールドにはつきものの、されどここまではいっさい現れなかった虫系の魔物が、ついに出現するようになったのだ。
木の枝に糸をくっつけ頭上を移動する『ジャイアントスパイダー』――乃詠がゴキの次に苦手とする、蜘蛛の魔物だ。
『邪毒竜の森』でも精神的に大いに苦しめられたものだが……
「あ。なんか平気かもしれない」
その変化に、乃詠自身が驚く。
苦手意識が完全に消えたわけではない。けれど、明らかに以前より嫌悪感が薄いのだ。普通に直視もできているし、戦うことにもあまり抵抗は感じない。
「ある種のショック療法みたいになったんですかねぃ」
一番嫌いなゴキ、もといビッグコックローチの大群を見てしまったから。あのショッキングな地獄の光景を、氷越しでも何度も見せられたから。
はからずも、乃詠は苦手を克服したのだった。
「やったわ! これでもうコウガを盾にする必要もなくなるし、みんなにばかり負担をかけることもなくなる!」
『…………』
虫系の魔物が現れるたびに、体が大きくて視界を遮るのにちょうどいいと盾にされていたコウガと、乃詠が戦えない代わりに敵を一掃してきた他の従魔たちが、なんだかとても複雑そうな顔をしている。
「あれ? どうしたの、みんな?」
「……なんでもねぇ」
苦手が克服できたことは喜ばしい。けれども彼らは、それと同時に残念でもあったのだ。
そういった、明確な隙らしい隙の少ない乃詠であるからして――そんな彼女を守れる数少ない場面。いいところを見せられる場面だったから。
(……そっか。ノエさん、虫、平気になったんだ)
とここにも、陰ながら残念がっている男がいた。
そんな男たち(+ベガ)の複雑な心境はさておき――十五層。