4章33 万能聖女、宿星のダンジョンへ潜る5
「虹色の――聖結界!?」
それはまさしく自己防衛本能――あんまりな光景に心のキャパをオーバーしてしまった乃詠が、偽装する余裕もなく〈聖結界〉を発動させたのだ。
『聖具を使いました』
とナビィがすかさずフォロー。
誤魔化しに使えるモノがあってよかった。
「あぁ。ナビにゃんたちも持ってたのにゃん。聖女様がいるわけでもないのに、びっくりしたにゃん」
『……まぁ、いるんですけどね』
最後のそれは彼らには聞こえないように、ぼそりと呟くナビにゃん。
そして――ビッグコックローチの大群が通路を埋め尽くしてから、電池が切れたように沈黙していた乃詠が、ゆらりと首を持ち上げる。
ハイライトの消えた灰色の瞳を結界の外へと向け、一言。
「――死になさい」
直後、一瞬にして、ビッグコックローチの大群ごと通路が凍りついた。
どこまで凍っているのか視認できないくらいの範囲、前後が氷の世界と化す。
騎士たちはおろか、従魔たちもが唖然とする。
「……『アイスエイジ』か?」
魔法が専門の魔導騎士の一人が、ぽつりと。
だが、それをナビィが否定する。
『いえ。『コキュートス』ですね』
〈水魔法〉レベル10の氷系『コキュートス』は、氷結地獄を作り出す魔法だ。
騎士が誤解したように、基本的な効果自体は『アイスエイジ』と変わらない。だが『コキュートス』には〝凍らせた地面に触れたものを凍らせる〟というトラップ的な効果もある。
氷結地帯にうっかり足を踏み入れようものなら、その瞬間に足元から凍りつき、抜け出せなければ氷像一直線だ。
それを知らない後続が次々と踏み込んで、力が足りないばかりに抜け出せず、どんどん凍っていく。むろん、他の魔物も。
しばらくすると、通路内に動く魔物はいなくなっていた。
しん、と無音以上の静寂の中、「にゃしゅんっ」と可愛らしいアビーのくしゃみの音だけが響く。
冷気に小さく身を震わせつつ、ぼそりと。
「……あらためて、辺境伯様には報告が必要だにゃん。ノエにゃんは、絶対に、ぜーったいに、敵にまわしちゃいけない、ってにゃん」
「やはり封印と試練のダンジョン攻略者は伊達ではないな」
◇◇◇
「な、なんだとぉ、なの……」
スクリーンに映し出されたダンジョン内の光景を見ながら、宿星は別の意味で身を震わせていた。
けしかけた魔物たちは、ほぼ瞬殺だった。
前のそろいの恰好をした者たちだけだったなら、仮に凌げたとしても、おそらく撤退していただろう。
けれど後ろの、人と魔物のパーティーは、歯牙にもかけていなかった。
本当に一撃必殺。あくびとかしちゃうくらいの余裕ぶりだ。
そしてなぜか、それ以上に魔物が減っていた。
これはカイの仕業なのだが、宿星にさえ彼の存在は感知できていない。なので、微妙にホラーだった。
最終的には、魔物ごと通路を凍らせてしまう始末である。
「む、無茶苦茶なの……」
当然、一行に道を戻る気配は微塵もなく、先へとずんずん進んでいく。
階段を下り、四層の通路も凍らせ、さすがに寒いのか各々マントを羽織って、なんの障害もなく五層へ下りて、再三、氷結地獄を作り出し――
「……も、もう、フロアボスの部屋なの。このままじゃ……ここで、なんとか……はっ! そうなの!」
ふと思い出し、閃いた宿星は、ダメ押しでボス部屋に〝刺客〟を送り込んだ。
◇◇◇
五層を踏破した一行の前に、大きな両開きの扉がたたずんでいる。
「これは、ボス部屋か?」
「そのようにゃん。けど、これで終わりってことは考えられにゃいから、フロアボスだと思うにゃん」
このダンジョンは階層ボスがいるタイプのようだ。ここで初めてということは、五層ごとに設置されている可能性が高い。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫……」
アレ以来、極端に口数が少なくなってしまった乃詠は、全体的に覇気がなく、目がだいぶ荒んでいる。
ビッグコックローチの足音が聞こえた瞬間には通路を凍らせる、という作業を淡々と、黙々と、機械のようにこなしていた。
「無理はしないでくださいね。辛かったらいつでも胸に飛び込んできてください。わたしがお姉さまを守りますから!」
「……ありがとう……」
そんな乃詠の様子を心配しつつも、アビーが先に部屋の中へと入り、そのあとにヴィンスたちが続く。
大きな広間の奥に、フロアボスらしき魔物が待ち構えていた。
「F+ランクの『ビッグケイブラット』ですね」
ケイブラットの巨大バージョンだ。
体高が人の子供ほどはある。が、それだけだ。
そして取り巻きに、ヴァンバットが五体。
「なんか……フロアボスっても、拍子抜けな感じがするな」
「だよな。ノエちゃんが凍らせてなければ、これまでの道中のほうがよっぽど手ごわかったろうし」
「本来なら妥当なんだろうけどね」
騎士たちが、そんな所感をこぼしながら戦闘態勢へと移行する。
「あれだけビッグコックローチがいたから、ここにもいるかと思ったにゃん。いなくてよかったにゃん」
ほっ、と。息とともに吐いた、そんな自分のセリフがフラグになるなんて、彼は思いもよらなかっただろう。
直後、ビッグケイブラットと取り巻きの前に三つの魔法陣が現れ、それぞれの中心に人サイズのシルエットが浮かび上がる。
それは――二足歩行のゴキブリだった。
「『コックローチマン』ですね」
「速攻でフラグ回収してきたな」
「おまえが不用意なこと言うから」
「ニャーのせいかにゃん!?」
仲間たちから口々に責められ、うろたえるアビー。
「これは完全に姐さんへの嫌がらせだなぁ」
「あからさまに追加されましたもんね」
リオンとギウスからこぼれるのは苦笑だ。
以前にこういうのが出てくる漫画を、乃詠は読んだことがあった。
謡が面白いと絶賛するから、苦手だけど気になって、なんとか読んだ。読めた。見れた。所詮は絵だから。しかし――リアルで二足歩行人間サイズは、ダメだ。
「――――」
その瞬間、ついに心の折れた乃詠は、何も言わず、何も発せず、幼子のように傍らのベガへと抱きついた。
ぎゅっと。現実を遠ざけんと、その胸に顔をうずめて。
「お姉さま……」
おいたわしい、と小さく震えている乃詠を抱きしめ返し、あやすように頭をなでるベガ。
決して役得だなんて思っていない。……怒りで、そんな余裕はない。
「ヴィンスさん。すみませんが、みなさんを下げてもらえますか。危ないので」
「……了解した」
当然のごとく自分たちが戦う気だった騎士隊だが、ベガのその、常より低く、微妙にドスの効いた声にすぐさま従った。
ベガの正面が開ける。憎き敵を、温度の消えた紅の瞳が見据えた。
敵に向けてまっすぐ手を突き出し、その唇が静かにスキル名を紡ぐ。
「――〈災禍〉」
青黒いドームがビッグケイブラットと取り巻きを閉じ込める。
そして発動から、わずか数秒。
ドームが消えたとき、そこにはボスたちの影も形もなかった。
普通にオーバーキルである。
「これが、カラミティヴィーヴルの固有スキルか。……すさまじいな」
「……彼女たちを怒らせたら、本当に町が滅ぶにゃん。あらためて、必ず、辺境伯様には念を押しておく必要があるにゃん」
「……味方なら、これほど頼もしい存在もないですからね。絶対に敵に回しちゃ駄目です」
ともあれ、五層フロアボス、撃破である。
◇◇◇
追加した刺客ともども、フロアボスが瞬殺される光景を見て、宿星は歯噛みする。
「ま、まだなの……!」
次層からはアレがある。この作戦なら、いくら強くても関係ない。確実に一行の足を止めることができる。
「足を止めるだけじゃないの。うまくいけば、引き返させることもできるの」
時間がかかればかかるほど、気力や体力の消耗はもちろんのこと、食糧などの物資も多く消費する。
最低でも、水や食料がなければ探索は続けられない。
補充するために一度、ダンジョンから出るしかなくなる、というわけだ。
「……くくっ、見ているがいいの。すぐに根を上げさせてやるの」
宿星は悪役のような顔で笑う。
◇◇◇
五層のフロアボスを倒し下りてきた六層は、これまでと様相が変わり、人工的に整えられた石造りの通路が伸びている。
例えるなら遺跡風といったところか。整然としたまっすぐの通路だが、こちらも迷路のように入り組んでいるようだ。
「む――止まるにゃん。トラップがあるにゃん」
この層からはトラップがあるようだ。
ダンジョンにトラップはつきものである。
封印と試練のダンジョンになかったのは、あくまで攻略させるためのダンジョンであり、災魔までの道のりは純粋な強さを得るための試練だから。
基本的に通常のダンジョンは攻略させない仕様になっているので、悪辣なトラップが仕掛けられているのは当然なのだ。
「物理タイプだにゃん。踏むと、たぶん床の一部が抜けるにゃん」
トラップには大別して二種類ある。物理タイプと魔法タイプだ。
物理タイプは大抵、床や壁にスイッチがあって、それをうっかり押し込むと床が抜けたり天井が落ちたり矢が飛んできたりと、物理的な事象が起こる。
魔法タイプは魔力に反応するもので、当人に接触した感覚がないのが厄介だ。
人は常時うっすらと魔力を放っているから、それを消すようなスキルやアイテムでも使わない限り、触れれば必ず作動し、爆発や水攻め、風の刃が飛来するなど魔法的な事象を起こす。
ただし、アビーのようにトラップを感知するスキルや、そういったものへの鋭い感覚を持っている者がいれば、触れてしまう前に気づくことが可能だ。
「魔物が来てる。うっかり踏んでしまわないよう、解除してくれ」
「了解にゃん」
ヴィンスの指示を受け、アビーがトラップの解除にあたる。他の面々は魔物への対処だ。
この層でも、宿星によって魔物がけしかけられているようだった。
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