2章11 万能聖女、城塞都市に入る1
「――見られてるわね」
それは、騎士の一団を辻ヒールした数日後。あと半日も歩けば森を抜けるというところまで来たとき。
ふいに立ち止まった乃詠が、じっと視線を一点に固定させながら言った。
わずかに遅れて察知したコウガとファルが、同じ方向へと目を向ける。
「……気配はあるのに、不自然に薄い。隠れてるのか?」
〈マップ〉にもちゃんと生体反応は表示されていて、色は人を示す緑色。しかしなぜか、周囲の魔物のそれと比較して、明確なほど光点も薄い。
もとより魔物を避けるつもりがないため、〈マップ〉はルートを確認するだけのために展開していた。生体反応にはまったく気を払っていなかったので、すっかり見落としていた。
よくよく見てみれば、ここから距離はあるが、赤い光点に混じってポツポツと、他にも緑色の光点がいくつか散見される。
騎士の一団のときのようにナビィが報告してこなかったのは、特に窮地に陥っていたり、こちらにとって害になるような存在ではなかったからだろう。
「んで、どうすんだ、ノエ? 目的は知らねーが、オレらを見てたのは間違いねぇ。おまえがやれっつーんなら、すぐに消してくるが」
従魔契約をしたせいか、忠犬のように物騒なことを言うコウガである。
その瞬間、かすかに感じる気配が、びくりと震えた気がした。
けっこう距離があるのだが、コウガの発言が聞こえたのだろうか。
「見られていただけで、どうしてすぐ〝消す〟なんて結論になるのよ。敵意や害意があるわけでもないのに」
その隠れていると思しき者は、そこから動く気配もなく――見られていると現在進行形で言ったものの、視線を感じたのはほんの一瞬。乃詠が気づいてそちらに目を向けると同時に逸らされている。
目的や狙いが乃詠たちかどうかも不明だ。たまたま乃詠たちが通りかかって、たまたま視線を向けただけかもしれない。
それにしては、気配を消しているのが気にはなるが……敵対してくるわけでないのなら、あえて接触する理由もないし、気にする必要もないだろう。
「さ、行きましょう。――森の出口はもうすぐよ」
◇◇◇
封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』の瘴気が消えたと報告を受けたとき、ルーデンドルフ辺境伯の胸に湧きあがったのは、歓喜ではなく焦燥だった。
辺境伯当人も、その場にいた側近も、報告しに来た騎士も、誰もヴィンスの率いる部隊がダンジョンの攻略を果たしたのだとは、思わなかった。
なぜなら――あまりにも早すぎたから。
ただでさえ、今のダンジョン攻略部隊は主力がひとり抜けている。もしこの短期間で彼らが攻略できるのであれば、とっくに攻略しているというものだ。
そしてその確信は正しく、すぐにヴィンスから『レターバード』にて報告が届いた。――攻略者は別にいる。
とはいえ――だ。その攻略者がどこの誰かはわからない。『邪毒竜の森』の外周は多くの国と接し、森という特性上、そのすべてから出入りができる。接触は不可能に近い。
だが、そう簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
一部の国は同盟国。上位貴族としてのツテがある。国王とも親しい。金でも権力でも使えるものはすべて使って、絶対に攻略者を見つけ出してみせる。
そうしてルーデンドルフ辺境伯が動き出したとき――朗報が届いた。ヴィンスからの、二通目の『レターバード』。
そこに書かれていた内容――彼らがこちらへ戻る途中で死にかけた、という一文には背筋がひやりとしたものだが、その窮地を何者かに救われたそうだ。
姿を見ることはできなかったものの、彼らのいた場所は中層。このタイミングでそんな奥地にいる――ほぼ間違いなく件の攻略者だろう、と。
ヴィンスたちがいた場所、すなわち戻ろうとしていた方向となれば、その者たちがルーデンドルフ辺境伯領に出る可能性は非常に高い。
外見はわからずとも、災魔を倒せるほどの実力者となれば、見ただけでもそうとわかるだろう。強者には特有のオーラがあるものだ。
ルーデンドルフ辺境伯は、ただちに捜索隊を編成し、森へと派遣した。
千年近くも攻略できていなかったダンジョンの攻略――災魔の討伐という偉業を成し遂げたのだ。普通なら、周囲に喧伝する。
少なくとも、それが冒険者であれば最低限、ギルドに報告するだろう。
なぜなら、ダンジョン攻略はランク査定に大いに影響してくるし、封印と試練のダンジョンに関しては国からも別途報酬がもらえ、さらに特別な勲章が授与される手筈にもなっているからだ。
だがもし、攻略した人物らが、ランク査定にも報酬にも勲章にも興味がなく、目立つことを嫌うような性質で、攻略したことをギルドにすら隠したのなら――見つけるのは容易ではない。特に、町に入られてしまえば。
その万が一を考え、先に見つけてしまおうという魂胆だ。
といっても、森は広大。瘴気が消えてからまださほど時間が経っていないので、すでに森から出たということはないだろうが、人手も限られている以上、発見は難しいだろう。
しかし、やれることはすべてやる。打てる手はすべて打つ。――たった一人の、亡き妻の忘れ形見である、愛しい娘を救うために。
そして――
◇◇◇
(――見つけた)
攻略者の捜索を命じられた部隊を率いるカイ・シュネデールは、ギリギリ肉眼で捉えられる距離の大木の裏に身を隠し、息を殺しながら、視覚以外の感覚を使ってその一行の様子をうかがう。
(ちょっと信じられないけど……間違いない。あの人たちが、『邪毒竜の森』の攻略者だ)
カイの隠密能力は部隊一。どころか、隠密能力だけで言えば、王国一の実力を有している。
ステータスも保有スキルも隠密行動特化で、スキルレベルも軒並み高い。そして彼には、それ以前の、素での隠密特性があるのだ。
今までにカイが本気で身を隠して暴かれた試しは、一度たりともない。ルーデンドルフ辺境伯領随一の騎士とされるヴィンスでさえ見つけられなかった。
だというのに――あの一行の男女には、あっさりと看破された。
そしてカイの存在に気づいたのが一番早かったのが、なんと少女。
場違いに美しい少女だ。その姿を見た瞬間、抗いようもなく目を奪われてしまったのがいけなかったのだろうか……いやいや、惚けていたってスキルは発動していたし、自分にとって隠密行動は、もはや息をするも同然。
おかげで普段から存在に気づいてもらえないことも多いのだが……ともかく、やはり彼女たちが、自分の身隠し能力以上の察知能力を持っているのだ。
彼女たちを攻略者だと断じる根拠は、それだけではない。
見た目は確かに美しく可憐でたおやかな暴力とは無縁そうな少女だが、たたずまいは戦いに身を置く者のそれ。身に着けている装備も相当な代物だ。
ただの、美しいだけの少女でないことは明白である。
(というか、三人の中にテイマーがいるのか? あの四体は、魔物、だよな? なんか……人の言葉、しゃべってないか?)
〈超聴覚〉というスキルを所持しているのもあるが、もともとの地獄耳。そんな己の耳を、彼は疑ってしまう。
(しかも魔物が完全武装してるとか……等級もたぶん同じだよな。魔物に装備させるにしては、ちょっと豪華すぎやしないか? どこかのお姫様?)
いや、と。即座に自分の推測を否定する。
彼女たちが攻略者なら、あれはきっと神創武装だ。
傍目にはそこまでの代物には見えないのだが、おそらく認識をごまかす類いの効果が付与されているのだろう。
思い返せば、かすかに違和感のようなものがあった。
(男二人のほうもめちゃくちゃ美形だし、ものすごく強そうだし……でも、なんか、気配がちょっと妙、な気がする……?)
自分にも上手く説明できない感覚に、カイはしきりと首を捻る。
魔物を連れた三人の男女は、しばらく立ち止まって、たぶんこちらを見ながら言葉を交わしていたが、すぐに外へ向かって歩き出した。
カイはほっと息を吐く。――どうやら見逃してもらえたらしい。
赤髪の青年から『消す』という単語が出てきたときにはかなり焦ったが、少女が取りなしてくれて女神かと思った。
こちらに敵対の意思など皆無なのだ。むしろ友好関係を求めている。
ただ、ルーデンドルフ辺境伯からは、見つけても接触はするなと強く言い含められていた。
納得だ。相手の都合以外では絶対に失敗できない交渉の相手なので、そのあたりは慎重にいかなくてはならない。
カイたちの仕事は、捜索・発見・動向の把握のみ――なのだが、
(こりゃ、尾行はやめたほうがよさそうだ)
すでにこの距離で看破されたあとなので、一行をバレずに尾行できる自信は、いかにカイとて持てやしなかった。
交渉前に気分を害されでもしたら元も子もない。最悪は首が飛ぶ。
発見し、外見や特徴を把握できただけでも十分以上の成果だろう。
木の間に隠れ、一行の姿が完全に見えなくなったあとで、カイは静かにその場を離れる。
そしてまず辺境伯へ連絡を入れると、捜索に散っていた部隊を集め、速やかに森から撤収したのだった。