2章12 万能聖女、城塞都市に入る2
――乃詠たちはついに森を抜けた。
目の前には短い下草の生えたなだらかな草原が広がっていて、切れ切れに雲の浮かぶ青い空とのコントラストが実に鮮やかだ。
そこへ、中天を過ぎた太陽がやわらかな日差しを降り注がせ、きらきらとした輝きがいっそう景色を美しいものにしている。
「とても綺麗な景色ですね、お姉さま!」
「えぇ、本当に」
「おおー! 直接に陽光を浴びるって、こんな感じだったんスねー! なんか、光が体の中をめぐって力がみなぎってくるような気がするっス!」
「植物の光合成みたいですね」
「まぁ実際、動物も似たようなとこあるしなぁ」
ベガと乃詠は雄大な景色に感動し、日光を目いっぱいに取り込んだアークがうおーっと吠えながら毛皮を膨らませ、それにギウスとリオンがのんびりとツッコミを入れる。
直射日光は刺激が強かったのか、小さく呻いたファルはフードを深く引き下げ、コウガは目を細めながら、どこか感慨深げに空を見上げていた。
「遠目に見えるあれは、壁かしら?」
『えぇ。これから向かう都市を囲っている市壁ですよ』
遠近感が狂いそうだが、マップ的にはまだけっこう距離があるので、相当高い壁のようだ。
「では、姐さん。僕らはそろそろ」
そこでギウス、アーク、ベガが『従魔空間』へと入っていき――乃詠、コウガ、ファル、リオンが連れ立って市門を目指す。
唯一魔物の姿なリオンは、それを隠すことはないが、一応あまり目立たないようにと、あらかじめ用意していたフード付きの外套を着ていた。
フードを目深に被っていれば顔は見えないし、傍目には人にしか見えないので言葉を話していても不自然ではない。
それから三十分ほど歩けば、目の前に立派な門塔を構えた市壁がそびえ立つ。
「相当な代物だとは思っていやしたが、こうして近くで見ると圧巻ですねぃ」
「そうね。城塞都市デルクリューゲン――いかにもって感じだわ」
『ルーデンドルフ辺境伯領の領都であるデルクリューゲンは、『邪毒竜の森』の対策として造られた都市だそうですよ』
神の封印といえど絶対ではなく、封じた災魔の影響で何が起こるとも知れない。魔物が出てこないとも限らないし、最悪は封印が解かれる可能性もある――そうなればここが最前線になる。納得の由来だ。
門ではひとりひとり検問が行われていて、順番待ちの人々が列を作っていた。
その最後尾に並びつつ、待ち時間を利用してナビィから情報の収集をする。
とはいえ、ナビィの保有する知識情報とて、この世界に存在するすべてを網羅しているわけではない。
あくまで世界全体の基礎知識や、大多数の共通認識、また広く浸透している一般常識なんかが主で、国の法律や、町の独自ルールなどの細かい情報は持ち合わせていない。
だが、乃詠としてはそれでも十分にありがたかった。
――と、そんな乃詠たちの周囲では。
列に並ぶ人々が大いにざわついていた。
「うわ……すっげぇ美人……」
たまたま前に並んでいた青年が何気なく背後を振り向き、乃詠の姿を認めたのをきっかけにして、伝言ゲームみたいなかたちで、面白いくらいに前方へと伝わっていったのだ。
「あんな美女、見たことありませんよ」
「一緒にいる男性も、すごくイケメンだわ」
「なんというか……すごい絵になるね」
列に並んでいた者たちが、ちらほらと後ろへ視線を向け始め、同じような反応を示す。
そうして一気に注目の的となった一行だが――乃詠はナビィとのやり取りに夢中でまったく気づいていないし、コウガとファルは気づいていてもまったく意に介していない。
しかし、
「どこかの国の姫君か?」
「お忍び旅行とか、そんな感じかしら」
「いや……あの神聖さをかもす衣装に、神々しい雰囲気……聖女様?」
「確かに言われてみれば……いかにも聖女様だ」
〝聖女〟という単語が出た瞬間、乃詠はぎくりと肩をはねさせるのだ。
ある種の地獄耳である。一番バレたくない部分ゆえに、その単語にだけはとても過敏なのだった。
「けど、聖女様には聖騎士がついてるだろ? どこにも見当たらないし、違うんじゃないか? 後ろのは護衛に見えなくもないけど、聖騎士って感じではないし」
「あぁ、それもそうか。にしても……なんて綺麗な人なんだろう……」
「……本当にな」
その発言が広まり、聖女の疑いが晴れたようで――乃詠はほっと胸をなでおろすのだった。
(予想どおりと言うべきか……やっぱ目立ってんなぁ、姐さん。コウガの兄貴とファルの兄貴もだろうが……ま、当人たちはまったく気にもとめてねぇけどなぁ。姐さんに至っちゃ気づいてもいねぇ。聖女の単語にゃ反応してたが)
後ろでその様子を見ていたリオンが苦笑をこぼす。
(さぁて、この先、どんなトラブルが待っていることやら)
すっかりトラブルが起きることを確信しながら、列が動くに合わせ前に進む主人らのあとに続いた。
◇◇◇
(――なんて、美しいんだ)
衛兵歴五年。今週は持ち回りで門番勤務。中隊の副長を務める青年、イザーク・リューベックは、眼前に立つ少女に魅了されていた。
入市待ちの人々が、長くはないが短くもない列を成している東門。
確認を終えて門をくぐっていく者を見送り、次の入市者に対応すべく顔を向けると、目の前に絶世の美女が立っていたのだ。
否応なく視線が引き寄せられ、彼女以外のものが見えなくなる。茹だったように頭がぼぅっとなって……イザークは〝いつものように〟口を開いていた。
「――初めまして、美しいお嬢さん。俺はイザーク・リューベック。お嬢さんの名前を教えてもらえるかな?」
「え? ……っと、乃詠です」
「素敵な名前だね。ノエさん。よければ今夜、俺と食事ででででででぇっっ!?」
「ででで?」
突然、壊れたように〝で〟しか言わなくなった衛兵イザークに、乃詠は大丈夫かしらと首を傾げる。
「……相変わらず、見境のないおサルさんですね」
声がしたのはすぐそば。涙目のイザークがそちらを見れば、冷たい目をした女性兵士が立っていた。眼差しも声も冷たければ、纏う空気もひんやりと冷たい。
けっこうな力でつねられ、痛むお尻をさりげなくさすりながら、イザークはその女性兵士に苦言を呈す。
「……いくらなんでも、サル呼ばわりはひどくない? それに、ちゃんと見境はあるよ。というか、こんな美人、口説かないほうが逆に失礼でしょ」
「サイテーですね。仮にも恋人の前で」
その女性兵士の名は、ソアラ・オーベルト。子供のころからの腐れ縁で、士官学校の同期。現在では、イザークよりも出世した中隊の隊長。そして――つい最近、付き合い始めた恋人なのだった。
「君は君、彼女は彼女」
「余計にサイテーですね。死ねばいいのに」
「それこそ彼氏に言うセリフじゃないよね?」
……とても、恋人同士の会話とは思えないが。
「むしろ死にたいのかと思いましたが」
その言葉の意図を掴みかね、イザークは首を傾げる。
「あんな美男子を二人も連れている女性を口説こうとするなど、自殺志願者以外のなんだというのです?」
「え?」
よくよく見れば――確かに、自分にも勝るとも劣らない顔面の持ち主である美青年が二人、猛獣みたいな気配を放ちながらこちらを睨んでいて。
イザークはピシリと固まった。
「もしかして、気づいていなかったんですか?」
「…………うん」
本当に乃詠しか見えていなかったらしい。内の一人は、思いきり彼女の腕に引っ付いているというのに。
はぁ、とソアラはため息を吐く。
美人に目がないイザークなので意外でもなんでもないが、ゆえにこそ心底から呆れてしまった。
「――隊長を口説き落としたの、副長のほうなんだろ?」
「そうらしい。しかも副長の片思い歴は士官学校時代からだとか」
「隊長も、よく口説き落とされたよな。あの女好きに」
「ほんとだよな。あの〝高嶺の花〟が」
「いや、話によると、けっこう前から両想いだったらしいぞ。むしろ、片思い歴は隊長のほうが長いって話を聞いた」
「マジで」
「確かに……隊長もまんざらじゃなさそうだしな、あのやり取り」
「違いない。あの夫婦漫才もすっかり日常の一部だもんな」
などという兵士らのささやきを聞くともなしに聞きながら、乃詠はひとり感動に打ち震えている。
(生エルフと生兎人……! ウサ耳かわいいっ!)
この世界にきて、乃詠はまだ人類としては同じ人間しか見たことがない。
ナビィから知識として聞いてはいたが、実物を見た感動はひとしおだ。
エルフのイザークは、この世界でもそうらしい端正な顔立ち。特徴的な長い耳を持ち、ホワイトブロンドの髪に若葉色の瞳をした優男だ。
獣人種――兎人のソアラもまた整った美貌を持ち、肩口で切りそろえた髪はラベンダー色。瞳は琥珀のような輝きをしている。
無表情なのがデフォのようだが、それがまたクールな格好よさを演出していた。




