理由
結奈が目を泣き腫らして、夜勤明けのその日をボーと過ごしていると、同僚の治癒の龍が来て言った。
「結奈殿?あのね、晃維様がいらっしゃっているの。我らではどこまでどの様にか分からないわ。来れる?」
結奈は驚いて、慌てて答えた。
「すぐに行くわ!」
結奈は急いで顔を洗うと、少し化粧をして腫れた目をごまかし、胆のを変えて部屋を出た。そう、気にしてはいけないわ。明維様はあんな方だけれど、晃維様はとてもお優しいかた。お手伝いしないと…。
治癒の対に入ると、晃維が巻物から顔を上げた。
「おお結奈、休みのところすまぬの。どうしても早く済ませたかったのだ。砦へ戻りたいのでな。」
結奈は微笑んだ。
「いえ、良いのですわ。」
結奈は晃維を手伝って、眠い目を擦りながら巻物をうつしたり、説明したりした。間にいろいろと雑談もし、それでも夕方になる前にはすっかり終わって、茶を飲みながら話した。
「主には感謝しておる。主のように優秀な看護のものが、我が砦にも居れば良いのに。」
結奈は赤くなった。それが、我を連れて帰ってくださる言葉なら、どんなにか…。
「…我も、晃維様の居られる砦には興味がございますわ。」
「何もないのだ。」晃維は微笑んだ。「まあ景色は良い。主もまた来れば良い。海が見えるのだ。」
結奈は心を踊らせた。
「まあ…見てみとうございます。」
晃維は頷いた。
「そうよの。では、近々参るか?」
結奈は驚いた。それは…。
「はい。是非お連れくださいませ。」
晃維は考え込むような顔をした。
「よし、では本日和奏を連れ帰るゆえ、あれに砦の我の対の中を好きにさせるつもりでおるし、そこに主が滞在出来そうな部屋を設えさせようぞ。男ばかりで馴染めるかと心配しておったゆえ、主が滞在すればあれも心強かろう。」
結奈は表情を凍らせた。連れ帰る…?
「和奏様を?」
晃維は頷いた。
「主には申そうぞ。実はあれを妃に迎えたのだ。我もまさかこのような心持ちになるとは思いもせなんだが、思えば赤子の頃からよう世話をしたもの。蒼には今日話したが、大層喜んでくれた。なのでここに置けぬのだ。ゆえ、こんなに急いでこれを仕上げねばならなかった。妃に迎えたのに、離れておるのもの。主には世話を掛けてしもうた。礼を申す。」
結奈は、頭を下げて震える声で言った。
「そのような。おめでとうございまする。何も存じませんで…。」
晃維は、少し恥ずかしげに笑った。
「まだ公表しておらぬゆえな。宮に連絡してからになる。また、祝いの宴にはこちらへ戻って参るゆえ。そうよ、その時共に参れば良いのではないか?」
結奈は頭を下げたまま答えた。
「また、王にお伺いを致します。」結奈は立ち上がった。「では…我は失礼を。」
晃維は頷いた。
「長く引き留めてすまなかった。」
結奈はそこを出て、とにかく走った。晃維様は…我など見てはいなかった。お優しいのも、ただお気質が穏やかだから。我を想うてのことではなかった…!
結奈は、北の庭を、ただ闇雲に駆け抜けた。このまま、誰にも会わない所へ行ってしまいたい…!
「…誰ぞ?」
声に、ハッとして見ると、そこには明維が立っていた。結奈を見ると、顔をしかめる。
「…なんだ主か。その様子だと、あやつは主に言うたの。」
結奈は、明維を見上げた。明維は、この事を言っていたのだ。
「明維様…。」
結奈が頷くと、明維はため息を付いた。
「だから言うたであろう。あやつはいつもこうよ。本人に悪気がないのでな。許してやれ。あやつに惚れた女は、主だけではないわ。」
結奈は、明維を見た。このかたを誤解していた。私が傷付かないようにと、先に話してくれようとしたのだ。口が悪いのは、きっと悪気もなくいつものことなのだろう。
「明維様、申し訳ございませぬ。我は明維様にあのようなことを…。」
明維は首を振った。
「良い。我は言葉を知らぬとよく言われるゆえな。」明維は暮れていく空を見上げた。「あやつは兄弟の中でも変わり種での。他の兄弟は、興味もないものには口もきかぬ。であるのにあやつは、誰にでも優しく接する。しかし我は、それは本当の優しさではないと思う。好きな女には徹底的に優しくするが、そうでないものには口もきかぬ。相手に余計な期待はさせぬ。それが本当の優しさだと、我はあやつを見ていて思う。」
結奈は、眩しげにした。明維は、なんと筋の通った神だろう。確かに明維に言い寄るなど、無いだろう。拒絶の雰囲気がありありと出ているからだ。無理だと思ったら、最初から好きになどならない。
「…それは、確かにそうだと思いまする。」
明維は笑った。その笑顔があまりに魅力的なので、結奈は戸惑った。明維様…。
「何との。気が合うではないか。」明維は、ふと何かに気付いたように顔を上げた。「…約した者が来た。ではの、結奈。気にするでない。また誰ぞ探せば良いわ。」
去っていく明維の背に、結奈は寂しさを覚えた。結奈がソッとその後ろ姿を追っていると、明維は誰かをその腕に抱き締めるのが肩越しに見えた。明維様…どなたか、この宮に通うかたが居るのね…。
結奈は、なぜか気落ちしながら、しかし晃維の事はもうそれほどにつらくなくなっている自分に驚きつつ、部屋へと引き上げて行った。
「まあ明維…話があると言うから来たのよ?」
維月が困ったように言った。明維は頷いた。
「我は少しでも主に近付きたいと思うた。思いきったつもりでも、なかなかに長い想いは消えぬもの。しかも此度は、主とは縁者ですらないのだからの。」
維月は明維を見上げた。
「確かにそうだけど…。明維、私はあなたに嫁げないの。維心様の妃なのだもの。」
明維は頷いた。
「先程も申したように、めとろうとは思うておらぬ。土代無理な話であろからの。だが、時に共に過ごす事は出来ようぞ。兄上が、そうであったように。」明維は、少し震えながら唇を寄せた。「維月…この時を、我は待ちわびておった…。」
「明…、」
反論しようとした維月の唇を、明維は塞いだ。ああ、なんと慕わしい気。思った通り、優しく柔らかい感触…体が熱くなる…。
「離さぬ。我はこれで良い。」
明維はそのまま、しばらく我を忘れて維月に口づけていた。
「困ったわ。」維月は、十六夜に言った。「晃維が結婚して、これなら明維もと思っていたのに、これではあの子は先へ進めない。将維ですら今は独身でも一時は妃を娶っていたのに。」
十六夜は顔をしかめた。
「それもお前が死んで、臣下が連れてきた女とたった一度きりだろうが。明維は王じゃないから、自由なんだ。一生独身でもおかしくないわな。」
維月はため息を付いた。
「だから私の転生を話さないと将維は言っていたのに。どうしたらいいのかしら…誰か蒼の子で居ない?明維が気に入るような子…。」
十六夜は首を振った。
「居たら今頃娶ってるだろう。無理にでも決めなきゃ無理だ。お前、一晩相手してやればどうだ?誰かと結婚を条件に。そしたら将維みたいに納得するんじゃねぇのか。」
維月は十六夜を睨んだ。
「もう、どうしてあなたはそうなのよ!維心様だけでも許されないことなのに、今は嘉韻も居るのよ?嘉韻と維心様って姿はあんなに違うのに中身は瓜二つなんだから。そんなこと、許すはずないじゃないの。明維には幸せになってもらいたいの。だから、将維みたいに誰も好きなれないなんてこと、あってはならないのよ。」
十六夜は肩を竦めた。
「はいはい、分かったよ。それにしてもダンナが増えて面倒だな。しかも維心のコピーみたいなのが、月の宮で里帰りの時でも他に寝取られないか見張ってるとあっては、オレもどうしたらいいかわかねぇよ。」
維月は十六夜に背を向けた。
「もう、あなたがそういうことに拘らないのは、私も今生の記憶で知っているけど、少しは自重して?相手は身を持つ神なのよ。そういうことをしてしまったら、余計に執着してしまう者も居るの。それで諦めるような気質は、王に近い血筋ほどないんだから。わかった?」
十六夜は、今度は神妙な顔で頷いた。
「違いねぇな。わかったよ。これ以上は口出ししない。で、お前は母としてどうするつもりだ?」
維月は顎に手を当てて考え込んだ。
「そうね…しばらくあの子に掛かり切りで誰かと縁付けましょう。十六夜から見て、私の孫たちの中で、一番私に似てるのは誰?」
十六夜はうーんと考え込んだ。
「瑞姫だな。」
維月は首を振った。
「独身の子の中でよ。」
「血が薄くなってる感じだからなあ。」十六夜は言った。「見た目は全く違うが、中身は美羽が一番似てる。ほら、蒼と悠の子の。」
維月は手を打った。
「ああ、あの金髪碧眼の子?確かに見た目は全く違うわね。」
十六夜は笑った。
「だがな、気の強そうなあの顔は、間違いなくお前だ。悠に似て金髪碧眼だから、分かりづらいだけさ。悠があんなに神の王族らしいのに、美羽は外にばかり抜け出して奥宮にじっとしているのを嫌がるから、蒼が頭を抱えてるんだよ。あれじゃあ嫁に貰い手がない、母さんや涼を見るようだと言って。」
維月はほほほと声を立てて笑った。
「まあ、酷いこと!私にも涼にも、ちゃんと貰い手があったじゃないの。大丈夫よ。じゃ、美羽にしようかな…。」
維月はふんふんと鼻歌を歌いながら、何かを考えて奥へと歩いて行く。十六夜はそれを遅れて追いながら、小さくつぶやいた。
「貰い手があった?それどころでないぐらいだから、こんなに苦労してるんじゃねぇか。あっちからもこっちからもよ~。」
維月が振り返った。
「十六夜?」
十六夜は首を振った。
「なんでもねぇよ。」




