朝
嘉韻は、誰かが控えめに呼び掛ける声で目が覚めた。
「…嘉韻。嘉韻…起きてるか?」
友の明人の声。戸の外からだ。
嘉韻は久しぶりによく寝たと寝台を降りて戸を開けた。
「…何ぞ?我は昼からの任務であろうが。」
そこには、明人と、慎吾が立っていた。
「邪魔をするのは悪いと思うたが」慎吾のほうが言った。「その…水臭いではないか、我らにまで隠して、いきなり妻を迎えるなど。で、誰であるか?」
二人は戸の中に入って、後ろ手に閉めて辺りを見渡した。
「何の話だ?」
嘉韻は訝しげに言う。明人が手を振った。
「何を言ってるんでぇ。今さら隠さなくてもいいよ。女の気がする…居るんだろうが。」
嘉韻は眉を寄せた。…維月か!
「いや、あれは別にまだそんな仲では…、」
「嘉韻?」と、寝ぼけた声が寝台から聞こえた。「あら、明人と、慎吾。」
二人は凍り付いた。確かに嘉韻の寝台から起き上がったのは、維月だったからだ。二人は慌てて作り笑いをすると、嘉韻を引っ張って戸の外へ出た。
「おい、あれはまずい。十六夜の嫁じゃねぇか!」
明人が戸に背を向けて小声で言った。
「そうよ。主なら他に居ったろうが。確かにもう一人夫がどうのと聞いた事があるが、月の宮に仕えてて月の妃をシェアはまずい。」
慎吾も言う。嘉韻は呆れたように言った。
「何もしておらぬわ。ただ寝ておっただけよ。」
明人は嘉韻を小突いた。
「じゃあいつも夜明けには起きてる嘉韻が、何だって今頃まで寝てたんでぇ。」
「あれがおったゆえ結界が鳴らなんだからの。久しぶりによう寝れた。だいたい、あれの同意なくどうの出来ぬのだ。月であるからの。無理にすると、月に帰ると言いよるゆえ。本当にただ寝ておっただけよ。」
明人と慎吾は顔を見合わせた。すると、横から声が飛んだ。
「それは、誠であるな?!」
三人は驚いて振り返った。そこには、維心が立っていた。
「…維心殿。」
後ろから十六夜が追い付いて来る。しかし、会話は聞こえていたようだ。
「そうか、あいつは言い付けを守ったか。確かに月に帰れるわな。」
維心は険しい顔をして、嘉韻を睨んでいる。嘉韻は睨み返しながら、言った。
「確かに真実であるが、なぜに主に断らねばならぬ。我の王は蒼様よ。主ではない。」
維心はまだ嘉韻を睨んでいたが、十六夜が言った。
「ま、とにかく維月を連れて帰る。世話掛けたな。あいつは何も知らねぇだろう?」
明人が口を挟んだ。
「十六夜…それが、そうもいかないんでぇ。」
十六夜は、明人を振り返った。
「どういうことだ?」
慎吾が口を開いた。
「我ら、なぜに知っておったと思うか?昨夜、ここへ忍んで参った者に、見咎められておるのよ。嘉韻が女を連れて入るなど、前例の無いこと。忍んで来る者はおってもの。ゆえに、大騒ぎになっておるわ。師団長が婚姻であるから…本日は任務も免除すると通知が来た。」
嘉韻はハッとした。そうだった。忍んで来た女が勝手に一夜その辺で寝ていただけでも、責任を取ってめとる世の中。自分から連れて入れば、何も無くてもこうなるのは必然のこと…ゆえに、我は結界を張っておったのに。
十六夜は首を振った。
「別に責任取る必要何てねぇよ。あいつはほんとに何も知らねぇんだ。オレがそんなことまで教えてねぇからな。何もなかったんだから、その必要はねぇ。」
維月が気遣わしげに戸を開けた。
「十六夜?私…十六夜がダメって言うから、何もしてないわ。昨日、嘉韻に会って、結界が鳴ってうるさいって言うから、来ただけなの。」
十六夜は頷いた。
「わかってる。お前は何も知らねぇからな。」と、ため息を付いた。「しかし、嘉韻の立場もある。それにオレの立場もあるしな。これは想定してはいたが、許容範囲じゃねぇ…オレはあくまでも、決められている運命に逆らうつもりはねぇってだけで、誰にでも維月を許すつもりじゃねぇしよ。まして維月が確かに嘉韻に決めたんならまだしも、こんな事故みたいなことで娶るってのも納得いかねぇ。」
維心は険しい顔で横を向いた。しかし、知らぬでは済まない。ここは略奪の世…連れ去られてこうなる可能性もあったのだ。嘉韻は言った。
「…我は、責任を取るつもりだ。維月を娶りたいと思う。」と、維月を見た。「我の妻に。」
維月はびっくりした顔をした。寝てただけなのに?
「…だから、オレが許さないって言ってるだろうが。」十六夜は言った。「とにかく、一度連れて帰る。親父にも話さなきゃならねぇ。それに維月には、龍王からも話が来てたんでぇ。ことは公にしない方がいいぞ。蒼の立場があるからな。」
嘉韻はハッとした顔をした。そう言えば、龍王はよく維月に会いに来ていた…。そこで王と龍王の間でそんな話になっていても、おかしくはない。それを臣下が娶るとなれば、王のお立ち場がない…。
嘉韻は頷いた。
「王がお困りになるのは本意ではない。昨夜は維月はここに来て、月へ昇ったことにするゆえ。」
十六夜は頷いて、維月を連れて戻って行った。明人と慎吾は、その話を李関にするため、そこを後にした。
李関は、顔をしかめた。
「…つまりは、無かったことになったと?」
明人は頷いた。
「はい。十六夜が来てそのように。何もなかったのならと。嘉韻は妻に迎えると言ったのですが、龍王からも話の来ている維月殿だからと…それを聞いて、嘉韻はそれ以上は言えませんでした。」
李関は信明と顔を見合わせてため息を付いた。
「確かに月の婚姻であるから。軍神が相手ではということかも知れぬ。我らが退けば嘉韻が筆頭であるのに。さすれば娶ることも出来ようぞ。なぜに十六夜も、そのように強引なことを。嘉韻ならば良いであろうが。龍王など、こちらとあちらでまた不自然な婚姻を続けねばならぬようになるのだぞ?嘉韻であれば、こちらでまとめて事足りるであろう。」
明人と慎吾は困った顔をした。確かにそうだ。嘉韻が求めているなら、娶らせてやりたい。どうしようもない事なのか。
信明が言った。
「ま、主らに言うても仕方がないの。我ら月の加護の元にこうして過ごしておるのだから、十六夜が否と言うなら駄目であるのだろう。我らにも、このまま様子を見ることしか出来ぬ。とにかく、此度のことは、維月殿が来てそこから月へ帰ったということにしておく。嘉韻の立場もあるしの。」
明人と慎吾は頭を下げた。
「は!」
李関はまだ納得が行かないようだった。
「それにしても、気にくわぬ…王に一言言っておくかの。」
その声を背に、二人は部屋を後にした。
困ったことになったと、蒼は思った。
軍神から見たら、軍神ごときに月はやれぬと言うことかと思うらしい。確かに事情を知らないのだから、そう思うだろう。どうも軍神達は、気を悪くしているようだった。いつもなら何も言わない李関が、愛弟子の嘉韻の事でもあり、蒼にあくまで個人的な考えとして言いに来たのだ。
しかし維月は、あれから夜、何やら維心と話したようで、何があったのか暗く沈んでいた。
維月は、嘉韻を愛しかけていたのだ。
そこに、前世から魂から縁の繋がる維心が、ギリギリで滑り込んで来たのだ。選べずに悩むのも、道理ではないかと思った。
十六夜は、維心を助けていた。
前世を思うと、それは至極当然のことではあるが、蒼は不公平なような気がしていた。
維月の父の碧黎は、新しく生きておるのだから好きに選べば良いと言うらしい。
確かにそうだが、そんな簡単には行かないものなのだろう。前世から、お互いに結婚指輪を握り締めて転生して来た二人を、蒼も引き裂く気にもなれなかった。
そして事態は、十六夜の介入で大きく変わり、呆気なく決着が着く事となったのだ。




