夜を共に
その日の訓練後、明人が気遣わしげに近寄って来た。
「嘉韻…どうした?まるで上の空だったじゃねぇか。何か悩みでもあるなら、聞くぞ。」
横から、慎吾が口をはさんだ。
「そうそう、我らは友ではないか。最近は、なかなかに話す機会もなかったゆえ。このまま、主の部屋へでも行くか?」
嘉韻は、やはり自分はおかしいのだと気付いた。立ち合いにも集中出来ないなど、今までなかった。明人や慎吾が妻を想っていた時、同じようにこんな風だったのを思い出し、嘉韻は苦笑した。そうか、我はあの時のこれらと同じようになってしまっておるのだな。
「いや、何でもない。」嘉韻は、首を振った。「心配を掛けるの。昨夜も一晩中結界が鳴っておって、うるそうてあまり寝ておらぬのだ。ゆえによ。」
明人と慎吾は顔を見合わせた。
「ほんとにそうか?でもよ…オレ、覚えがあるんだけど、オレ達が…」
嘉韻は、飛び上がった。
「気にせずとも良い。」嘉韻は言った。「何かあれば話すゆえ。」
「嘉韻!」
二人が呼んでいるのは分かったが、嘉韻はそのまま、宿舎の部屋へと戻って行った。
パシッ。
また、結界が鳴る。
女避けにと張っているこの結界は、触ると多大な傷を負わされるにも関わらず、何とか破ろうと触れる者が後を絶たなかった。
うるさくて、寝ておられぬわ。
嘉韻は、腹を立て、何処へともなく窓から飛び立った。
月明りの中、維月のことばかりが心に浮かぶ。今日は、あの立ち合いの時に見かけたきりだった。せめてと、維月といつも会う、湖の方へと嘉韻は飛んで行った。
湖は、夜は人けもない。
だが、月の結界のあるこの宮で、夜危ないことなどなかった。
そこに、じっと座り込んで水面を見ている人影があるのを見て、嘉韻は驚いた…あれは、維月ではないか。
急いで降りて行くと、その背にそっと声を掛けた。
「…維月?」
維月は驚いたように振り返った。
「嘉韻!どうしたの…こんな夜更けに。」
「それはこちらの台詞ぞ。」嘉韻は維月に並んで座った。「いくら安全とは申せ、女が一人、夜中に歩き回るとは感心せぬな。」
維月は下を向いた。
「私、月だから。」維月は言った。「命に危険はないの。」
嘉韻はため息を付いた。
「そういうことではない。」と、ソッと維月の肩を抱いた。「男は、何をするか分からぬのだぞ?」
維月は嘉韻を見た。
「嘉韻はなぜ、ここに?」
嘉韻はしばらく黙っていたが、言った。
「我はの、軍神の中で、数少ない独り身であるゆえ、女が忍んで来ようとしよるのよ。それで部屋に結界を張っておるが、それに掛かると音が少なからずする。うるそうて目が覚めて…腹が立つゆえ出て参った。中に我の気がせねば、入ろうとはせぬし。」
維月は、複雑な顔をした。何を考えているのだろう…少しは、気にしてくれておるのだろうか。
嘉韻は、維月の反応を待った。
「困ったわね。どうしたら、結界に触れなくなるの?」
維月は、どう思ってのことか分からなかったが、そう言った。嘉韻は驚いた…それは、我の口から部屋に女が居ってくれれば結界には触れぬと言えば、主は来てくれるということか。しかし、維月の顔からは何も読み取れない。ただ、純粋に聞いていると言えばそうなのかもしれない表情だった。嘉韻は、湖の方を見て、言った。
「…そうよの。今まで他に友が居たりしたら、その気を感じて少なかったの。それに、先客…つまり女の気がすると、来ない。」と、維月を見た。「主、番をしてくれるか?我は明日、任務が入っておるのよ。少しは眠りたいの。」
嘉韻が思い切って言うと、維月は少し考えるような顔をした。すぐに断らないということは、来ようか否か迷うておるのか。今少し、何か言うべきか…。
嘉韻が何か言おうと必死に考えていると、維月が不意に頷いた。
「いいわ。私眠くないし、そこで座って書でも読んでるから。嘉韻、眠って。」
嘉韻は驚いた。維月が、我の部屋へ。それが何を意味するのか思い当たった時、嘉韻の、維月の肩に回された手が微かに震えた。維月は、不思議そうに嘉韻の顔を覗き込んだ。
「嘉韻?夜が明けるわよ?」
嘉韻はやっと頷いた。
「では、参ろうぞ。」
嘉韻は意を決して維月を抱き上げ、自分の大きな宿舎の部屋に戻って行った。
我は、維月を妻にする。もし、後で誰が何と言おうと、構わぬ。
嘉韻はそう思いながら、宿舎の回廊を維月を抱いて歩いた。途中、誰かの部屋へ忍んで来ただろう薄物一枚しか身に付けていない女とすれ違ったが、そんなことはどうでも良かった。嘉韻はただ緊張して、人目も憚らず維月を抱いて自分の部屋へと入った。
中に入ると、嘉韻は維月を寝台に降ろした。維月は言った。
「嘉韻…?私は眠らなくていいわ。あなたは休んで。」
維月が起き上がって寝台から降りようとすると、嘉韻は首を振った。
「主がここに居るのに、とても眠る事など出来ぬ…。維月、我は、ここに初めて女を入れたのだ。良いであろう…?」
嘉韻は、維月に口付けた。このまま、維月と愛し合うことが出来るのか。
嘉韻は夢中になって維月の唇から首筋へと唇を這わせた。維月が何やらじたばたとしたが、そんなことは気にならなかった。嘉韻は、維月の腰ひもを解いて着物を開いた。その体に触れ、自分の肌を合わせると、維月は首を振った。
「ダメなの、嘉韻。十六夜に、確かに決めてからしかしてはダメと言われているの。これは、決めてからするものなのでしょう?私、まだ決められないの…。」
嘉韻はじっと維月を見た。もしかして、維月はあまりこのような教育はされていないのかもしれない。あまりにあっさりここへ来ると言うから、おかしいとは思ったが…。それに、あまり緊迫感がない。嫌なら、もっと抵抗するものではないのか。だが、そういう感じが全くなかった。断れば、それでしないと思っているような風情だ。
「維月…男はの、こういう事に抑えは利かぬ。断って終わりではないぞ?このように押さえ込まれて、このまましたらどうする?」
「月に帰るわ。」維月は答えた。「これはエネルギー体なの。私の本体は月。光に戻ったら、地上の者はこれは出来ないでしょう?」
不思議そうな顔だ。維月は月。そういうことだったのか。この体をこのままにするのも、光に戻すのも、維月次第なのだ。
嘉韻はため息を付いた。そうか。維月はまだ、心は子供なのかもしれない…。
「そうか、困ったの。」と、維月の横に寝ころがった。「我はおさまりが付かぬではないか…せっかく主を抱けると思うたのに。」
維月は下を向いた。
「ごめんなさい…そういうつもりだったの…。」
あまりに素直に悲しげなので、嘉韻はかわいそうになって、襦袢の前合わせを閉じてやった。別の良い。共に過ごせるのならば。
「もう良い。待とうぞ。このまま共に眠ろう。何もせぬゆえ…」と、横から抱き寄せた。「結界も鳴らぬしの。静かで良い。」
嘉韻は、目を閉じた。維月はしばらくその寝顔を見ていたが、いつの間にか眠ってしまった。
明人は、日が高くなって来た時間に、屋敷の戸を叩く音で目が覚めた。
「明人!明人、大変ぞ!」
慎吾の声だ。明人は飛び起きて、その辺の着物を羽織ると外へ出た。
「慎吾!どうした、お前、昨日は宿直だったろうが。」
「だから知ったことぞ!」慎吾は慌てふためいている。「とにかく来い!宿舎も大変な騒ぎぞ!」
明人は何のことが分からないまま、飛び上がった。
「何だ?何があった?」
並んで飛びながら、明人は言った。
「嘉韻が、妻を娶ったと聞いた。」
慎吾はまだ信じられないと言った風で言った。明人は仰天して慎吾を見た。
「なんだって?!結界を張り忘れたのか?!」
慎吾は首を振った。
「違う。昨日抱いて入るのを、忍んで来ていた女が見たんだ。それから中からは誰も出て居らぬ。つまりは、まだ中に居るということぞ。」
明人は、日が昇っているのを見た。
「…夜が明けたぞ。」
慎吾は頷いた。
「だからぞ。部屋へ女を抱いて入るなど…女を抱き上げるどころか、触れることすらしなかった嘉韻が。有り得ぬと思いながらも、李関殿も知る所になり、本日の任務は免除するとおっしゃっている。婚姻の次の日だからの。」
「そこまで話が大きくなってるのか!」
明人は驚いた。これは、ただの間違いでは済まされない。誰か知らないが、絶対に娶ったことになってしまう。
明人と慎吾は、そっと嘉韻の部屋がある階に降り立った。階下の騒ぎなどないように静かな中に、嘉韻の気と、もう一つ間違いなく女の気がする。
明人と嘉韻は、意を決してそちらへ足を踏み入れた。どうして、話してくれなかったのか。そうすれば、きっと何かの役に立ってやったのに…。




