第一章第一部
夜の帳が静かに降り、青白い満月が姿を現わした。
どこまでも続く森の中――いつもならば流れるような心地よい静寂が保たれているこの場所に、今日はやけに緊迫した雰囲気が立ちこめている。
ルシア王国北西部国境付近。森に囲まれたこの地の、さらに国境に近い所に位置するセグレ砦。
普段はほんの数人の国境警備兵しかいないこの砦だが、今夜は少し様子が違った。
「兵士達がずいぶんと静かだが…」
ソファーに座り、自らの剣を磨きながらリヴァースが呟いた。
「やはり気負いしているようだったか?エクトール」
エクトールと呼ばれた、蒼い髪をもつ男が壁に寄り掛かりながらリヴァースの方へ向き直る。
「そりゃそーだよ。久々の戦闘だしな。しかも攻める場所が神殿とあっちゃなぁー。」
窓から風が入り、暖炉の火がゆらりと舞う。
その火よりもさらに紅い燃えるような色をしたリヴァースの髪も風で少しなびいている。
ルシア王国第一席将軍、24歳という若さにしてすでに数々の戦闘を生き抜いていることから別名“死神将軍”の名で知られているリヴァースは、いつにも増して厳しい顔をしていた。
父であるルシア王国元首ロイドから大至急ニルヴェルフィア神殿へ赴けと言われたのは、もう3日も前の事である。
ニルヴェルフィア神殿とはセグレ砦の少し東に位置し、かつてこの大地を平和へと導いた英雄の一人であるルシアンが祭られている神殿である。
『あの神聖な神殿を、最近賊どもがアジトにしているらしい。直ちに赴き討伐せよ。』
王宮の王の間でロイドは淡々とそう言い放った。
その目は、リヴァースへの憎しみで溢れている。
リヴァースはもうその父の態度に慣れていた。父ロイドは自分の血、そして母の血を憎んでいる。
『しかし元首殿。神殿は国境付近にあるはずです。国境付近の警備は、確か第四席将軍の任務に入っているはずではないでしょうか?何も我が軍でなくとも』
『リヴァース第一席将軍』
ロイドが言葉を遮る。
『そなたもやはり母と同じ血を持つ者だな。…あやつがわしに反抗する時と、同じ目をしておるわ。お前と同じ紅い目で、あやつもわれに食らい付いてくる』
リヴァースはキッと元首ロイドを見た。そうやっていつも我が血を侮辱するのか、貴様は。
王の間を出た後でも、怒りがおさまらなかったのをよく覚えている。
「…たかが賊ごときに王国一の我が軍を使うとは。あの親父も随分な事をしてくれる」
リヴァースは磨いた剣をその場で振り回しながら静かに言い放った。
「確かに今回の遠征はかなり気にくわねーな」
ため息をつきながらエクトールが言う。
「俺ら准将の間でもかなりその話で盛り上がった。“王国最強といわれている第一席将軍の軍を辺境に赴かせるのは前代未聞だ”って。特に第二席将軍准将のキースが、最近元首殿がなんか隠し事をしてるみたいだっつってた。部屋で誰も近付けず、コソコソ何かしてるらしい。前はそんな事全くなかったのにな。誰も近付けないのは、せいぜい女と寝るときくらいだったろ?…俺も元首殿には何かあると思う」
エクトールの言うとおりだ。リヴァースと乳兄弟のためによく王宮にいて昔から元首のことを見ているエクトールは、その辺の事情をよく知っている。
だとしたら、いったい何を隠しているんだ?
リヴァースは何か胸騒ぎがするのを感じながらもそれを吹っ切るように言った。
「…親父が何を隠しているとしても、我々の軍は任務を果たすのみだ」
その時、突然部屋のドアがノックされた。
「何だ」
リヴァースがドアに向かって言う。
「第一席将軍リヴァース様、第一席将軍准将エクトール様。そろそろお時間でございます。」
ドアの外から伝達兵の声が聞こえた。
「承知した。――行くぞエクトール」
リヴァースは剣を鞘に納め立ち上がった。彼が身にまとう銀の鎧がガチャリと音をたてる。
エクトールも部屋を出ていくリヴァースの後に続いた。
エクトールは内心、不安を隠せずにいた。
(本当に大丈夫なのか?…チクショー!ヤな予感がするぜ…)
この時、まさか本当に予感が的中してしまうとはエクトールは思っても見なかった。
砦の前には兵士達がすでに列を組んで馬に乗っていた。
いつもなら元気のいいこの軍の兵士達だが、戦闘ともなると途端に真剣な面持ちになる。
リヴァースはそんな部下達の表情を目の前で久々に見た。
(やはり戦闘ともなると気が引き締まるな)
松明の燃える音が辺りにパチパチと響いている。
リヴァースは目の前にいる何百人もの兵士達を見渡してから言った。
「今回の目的はニルヴェルフィア神殿をアジトにしている賊の討伐だ!賊とはいえどもいつ命に支障が出るか分からん。気を引き締めてかかるがよい!死んでも剣を離す事は許さん!!」
ウォォォォォォォ!!!
兵士達が剣を抜き空に掲げながら一斉に叫ぶ。
「リヴァース将軍万歳!」
「死神将軍万歳!!」
リヴァースはこの瞬間の気の高まりが大好きだった。
「行くぞ!!ニルヴェルフィア神殿へ!!!」
そして兵士達は事前に打ち合せしてあった通りに、いくつかの部隊に分かれてそれぞれ別々の道を抜けていった。
向かう場所はただ一つ。
ニルヴェルフィア神殿へ。




