70 胡乱
シオンは今まで感じたことのないほど鋭い視線が向けられていることに気づいた。その視線から守るようにシオンを包む腕に力がほんの少し強くなる。
すると向けられる視線はさらにその鋭さを増し、シオンの不安げに自分を包み込む人物を見上げた。
「大丈夫だ」
シオンを安心させようと柔らかな笑みを浮かべたのはユージン。鋭い視線を向けているのはクリスだ。
臣と同じ笑みを浮かべるユージンにつられるように、シオンも微かに笑みを浮かべる。その様子がクリスには面白くないらしい。
「ユージン、シオンから離れろ」
「これ以上シオンを怯えさせる気か? この色ボケ」
「それは……」
鋭い視線はユージンに向けられているのだが、それがわかっていてもユージンに抱きしめられているシオンは自分に向けられている錯覚に陥る。
クリスはシオンの不安そうに揺れる瞳と目が合うと打って変ってシオンより不安げな瞳で躊躇いつつもゆっくりとシオンに手を伸ばした。
「すまない、怯えさせてしまって」
「――っ、大丈夫だよ」
クリスの手がシオンに触れた瞬間、シオンがびくりと体を震わせたのでクリスは困ったように眉を下げ、苦笑して手を離した。
クリスが一瞬だけ見せた悲しそうな顔にシオンの胸が痛む。
(そもそも悪いのはクリスだしっ……!)
シオンは無意識のうちに自分を支える腕をきゅっと掴んでいた。
ぽんぽんとユージンが再びあやす様にシオンの背中を軽く叩く。シオンは自分がユージンの腕を掴んでいたことに気づき、慌てて手を離した。
「落ち着いたか?」
「うん、ごめんっ」
「なら話を戻すが、大丈夫か?」
「大丈夫」
「そうか」
ぽんとシオンの頭に手を置くと、ユージンはシオンとクリスから同程度の距離を置いて床に座る。
シオンもユージンにならうようにその場に座り、伏し目がちに二人を見た。先ほどの自分の行動を思うと、二人を真っ直ぐに見ることができなかったのだ。
「アルヴォだが……それは本名で間違いないのか?」
「恐らくな。まぁよくある名前ではあるから不自然ではないだろう」
「どういうこと?」
「そうか、シオンは世間の事に疎いんだったな」
ユージンの問いに真面目な顔で答えるクリス。そんな二人の様子にシオンは首を傾げた。
王子様であるクリスに世間に疎いなどと言われてシオンがしょんぼりと肩を落とすと、クリスはわざとらしく咳払いをして言葉を続けた。
「アルヴォというのは勇者の名前だ。勇者の名にあやかってアルヴォと名付けられた子供は多く、そのため偽名といえばアルヴォというのが一般的に使われるようになった。
今ではその名付けの流行りは落ち着いてはいるが、偽名といえばアルヴォという点だけは変わることなく続いている。さすがにそれも定番すぎて、名乗りたくないときなどに冗談めかして言うぐらいのものだが」
「つまり、名乗りたくないと相手に分かって欲しい時にアルヴォって名乗るってこと?」
「もちろん今でも定番の名前ではあるがな」
二人の話によればアルヴォの経歴は不明。その名前すら本名なのか怪しい。しかしセルジオ王が身元を保証し、城に仕えているのだという。そしてそれなりに有能であるため、奇抜な服装や言動は大目に見られているらしい。
クリスとユージンが調べてみたが、結局アルヴォについての詳しいことはわからなかったということだった。
「アルヴォのことはまた調べるとして、ミカゲというのは誰だ?」
「……誰のことだ?」
「わざとらしいな、さっきシオンが言った名前だ。その様子からすると、ユージンお前は知っているんだろう? ……シオンとイェシオンの秘密も」
心配そうに自分を見つめるシオンに、ユージンは眉を下げる。
すでにクリスはシオンが女であることに確信を持っている。そしてイェシオンの不自然さにも何かしら気づいているのは間違いだろう。まだイェシオンこそがミカゲだということはわかっていないが、すべてを隠し通すことはシオンには到底できそうにない。
「ああ、知っている。お前はどこまでわかったんだ?」
「シオンが女で、夏に会ったイェシオンはシオンだった。学園にいたイェシオンは何か不自然な点が多い。恐らく本当のイェシオンは別にいるのだと考えている」
「……シオン」
一つ一つの言葉をかみしめるようにゆっくりと答えるクリス。
長くはないその言葉を聞き終えたユージンはゆっくりとシオンを振り返る。ユージンはただ呆れていただけなのだが、騙していたので後ろ暗いシオンにはその目が自分を責めているように感じられた。
「それで、お前の恩人が誰かはわかったのか?」
「それはまだだが、本人に直接お礼を伝えたいというだけだ。その機会はまたいずれあるだろう。今はそれよりもシオンの先ほどの様子と、ミカゲという人物が何者なのかのほうが重要だ」
クリスの視線がユージンからシオンへと移される。同時にユージンの視線もシオンへと移り、シオンは小さく溜息をついて覚悟を決めた。
「確かに、今までここにいたイェシオンは本当はイェシオンじゃない。イェシオンは別にいる」
シオンは言いながら、その言葉に偽りはないのだと自分を納得させる。
あのイェシオンはミカゲであり、本当のイェシオンはシオンなのだから隠してはいるが偽りではないと。
「ではあのイェシオンは?」
「あのイェシオンがミカゲなんだ」
「あのイェシオン――つまりミカゲは闇属性を持っていた。シオンとイェシオン以外の闇属性を持つ者がいるとは信じ難いが……ミカゲというのは何者なんだ?」
「お前も知っているだろう、シオンたち以外の闇属性を持つ者を」
背中を壁に預け立膝に肘をつく形で頬杖をつきながら、ユージンは小さく口角を持ち上げてクリスを見つめる。
クリスは少しむっとしたように眉間に皺を寄せた。
「俺が知っているのは、魔王と勇者の従者としか伝えられていない人物ぐらいだ」
「――それはミカゲのことだよ、クリス」
「ミカゲが勇者の従者? しかし勇者たちは二百年前の人間だ。今も存命であるはずがない」
シオンが淡々と答えると、クリスは明らかに狼狽え視線をシオンとユージンとの間でさまよわせる。二百年前の人間が今も生きているなどというのは到底信じられることではないのだから驚くのも当然だろう。
「クリス、ミカゲは本に遺された残留思念であり魔力の塊だ。お前が城の研究所から借りてきたあの本の、な」
「……借りたのはお前だろう、ユージン」
「それがシオンの魔力に反応して実体化した。それがミカゲだ」
「ではあの姿は?」
「闇属性の魔法で俺の姿をそのまま再現したものだよ。だから身長や俺も知らない場所の黒子まで一緒だったんだと思う」
「黒子、ね。シオン、後で黒子について教えてもらえるかな?」
にこやかに臣の笑顔をシオンに向けるユージンにシオンはびくりと体を震わせた。何故かクリスまでもがシオンと同じように体を震わせている。
そこでふと、シオンはユージンにも教えていない事実に気づき、様子を窺うようにゆっくりとその事実を口にした。
「あのさ、勇者の従者もなんだけど……魔王もミカゲのことなんだよね」
「は?」
クリスとユージンの声が重なる。
ユージンは取り乱した際のシオンの言葉で薄々感じてはいたようで、クリスに比べその驚きは小さいようだったが。
「ミカゲは利用されて魔王にされたって言ってた。確かキャメ……」
「キャメロットか?」
「そうそう! あれ、ユージン知ってた?」
「そのような史実は残されていないから知らないが、キャメロットという亡国は知っている」
「我がアヴァロンの隣国であったが、魔王により滅ぼされたとされている」
やはり最初にミカゲと話した時の記憶は曖昧で、重要だと思うことに限ってはっきりと思い出せないシオンだが、ユージンがその名をだすとその部分、キャメロットという国名だけは霧が晴れたように鮮明に思い出すことができた。相変わらず他の部分には霧がかかったようにはっきりとしないままだ。
(……何これ、不自然すぎる)
シオンはあの時は平常心でなかったから記憶がはっきりしないものだと思い込んでいた。
しかしこの思い出し方は明らかに不自然でそれが間違いであったと確信するには十分だ。ごく弱い魔法もしくは暗示なのか、きっかけさえあればはっきりと思い出せるらしい。
(記憶を読まれた時何か魔法をかけらたのかなぁ)
あの時ミカゲに魔法をかけられたとしたらその時以外にはないはずだ。記憶を読むと同時に忘却させる類の魔法を使っていたとしても、自分にどんな魔法を使われていたがなどシオンにはわからないのだが。
「アルヴォはともかくとして、イェシオ――いや、ミカゲはどうしてるんだ? シオンの実家に戻っているのだろう?」
「……体だけなら」
「は?」
「どういうことだ?」
アルヴォはその存在自体が怪しいが敵であるという確証があるわけでもない。クリスやユージンがアルヴォよりミカゲを問題視するのは当然のことだろう。
恐らく自分に魔法をかけていたのだとわかっても、シオンはどうしてかはわからないがミカゲが敵なのだとは思えないでいた。それもミカゲによる魔法の影響なのかもしれないとは思いつつも。
現状確認をしようとクリスが尋ねと、シオンは視線を泳がせつつ答えた。その答えにクリスは目を丸くし、ユージンは眉を寄せる。
「実家にいるのはイェシオンの姿の人形のようなもので、魂……つまりミカゲはいないんだ」
躊躇いがちに告げられたシオンの言葉に、ユージンの眉間にはこれまでにないほど深い皺が寄せられる。
それはユージンが以前からミカゲを快く思っていなかったからという様子ではなく、クリスだけでなくシオンすらも知らない何かをユージンが知っているかのようだった。




