53 自覚
(何がどうしてこうなったっ!?)
目の前にはこの国の王子様、つまりクリスが倒れている。
その傍らに転がっているのはシンプルでありながらも人目で豪華な装丁であるとわかる分厚い本。
部屋の入り口には本を投げたままの体勢で下を向いたような状態なので表情こそわからないが、明らかに怒りを含む魔力を纏っているユージン。
そんな二人の間に立つ形となったシオンは酷く困惑していた。
ユージンの肩が大きく上下し、シオンはびくりと体を震わせ後ずさる。
気持ちを落ち着けるかのようにゆっくりと息を吐き顔を上げたユージンと視線がぶつかるとすぐその表情は心配するようなものへと変わり、それと同時にそれまでゆらゆらとユージンの周りに揺らめいていた魔力も消えていた。
「大丈夫か? シオン」
「うん、クリスが寝ぼけたみたいでちょっと驚いただけだよ」
「そうか。やはりこの馬鹿王子は消しておくべきだったか」
言葉の最後はシオンには聞き取れないほど小さな声だったが、その内容が物騒な事であることだけは感じ取れた。現にユージンの魔力は再びゆらりゆらりと揺らめいている。
(って、なんでユージンの魔力の揺らぎが……)
そこで初めてシオンは自分の異変に気が付いた。
他人の魔力を感知することはクリスとの鍛錬で出来る様にはなっていたが、今のユージンの魔力は『感じた』のではなく『見えた』のだ。
感じる事に見る事。それはまったくの別の事であり、魔力を視覚で捉えるなどという話は魔法の知識だけならば人並み以上であったシオンにも聞いた事がない。
戸惑いはあれど今考えても答えが出るわけでもなく、現時点では不都合があることでもないのでとりあえず意識を再び目の前の惨事へと向ける。今のシオンには未知の力よりも目の前の出来事のほうが重要な問題であった。
未だクリスはピクリと動く事も無く床に横たわったままであり、ユージンは恐らく他では見せる事のないであろうあの笑顔を浮かべてシオンを見つめている。
シオンは慌てて視線を逸らし、未だ動かないクリスの傍らに覗き込むようにして膝をついた。
「クリス大丈夫? 生きてる?」
軽くゆすってみてもクリスが目を覚ます気配はない。漠然とした不安に襲われユージンを振り返れば、ユージンは綺麗な笑顔のままでさらりと告げた。
「クリスは見た目以上に頑丈だから。それにそれぐらいで死ぬようならこの先何度暗殺されるか」
その物騒すぎる言葉にシオンは曖昧な笑みを浮かべ、再びクリスを覗き込むようにして軽くその体を揺さぶる。揺さぶられた事でクリスの前髪がさらりと流れ落ち、それまで髪に隠れていた瘤が表れた。
「うわぁ、大きなたんこぶになってる」
「自業自得だ」
シオンがそっと瘤に触れるのと小さくうめき声を上げてクリスがうっすらと目を開いたのはほぼ同時だった。
「イェシ……オン?」
「違う」
ゆっくりと起き上がりながらもぼんやりとした様子でそう呟くクリスに、シオンはきっぱりと否定してぺしっとその頭をはたいた。その叩いた場所がちょうど瘤の部分で、クリスは声にならない声を上げてその場にうずくまる。
「……何するんだシオン」
「それはこっちの台詞だよ」
額を押さえながら恨めしそうな視線を向けるクリスに、シオンは立ち上がりびしっと指を立てる。
「そろそろユージンたちが戻るだろうと思って起こしたら……イェシオンと間違えて抱きついてくるし。全然離れないどころか逆に力いれてくるしっ!」
「そこに俺が戻ってきてシオンを助けたわけだ。それで」
ユージンがくいっと親指で指し示すのはクリスの傍らに落ちている分厚い本。クリスは本を拾い立ち上がると、その本をシオンへと手渡しながら少々気まずそうに口を開いた。
「あー、その、すまなかった。悪気があったわけじゃないんだ」
「わかってるよ。さすがに驚いたけど」
そうシオンは怒っているわけではなくて驚いただけなのだ。そして気づいた。
(クリスはイェシオンが好きなんだ)
クリスにとってイェシオンは過去の恩人であり美化された思い出から憧れの人となっているのだとばかり思い込んでいた。だから誤解しないようにと自分に言い聞かせていた。恋愛感情のように見えてもそれは一時の気の迷い。長年の憧れの人に出会って思考が感情に引きずられているのだと。
けれど、とシオンはその時を思い返す。
「イェシオン」
そう自分を呼ぶ声は以前呼ばれた時に聞いたものとはまた違う響きで、思わず否定することも忘れてシオンは眠っているはずの友人を覗き込んだ。そして次の瞬間にはいつの間にかその見た目よりずっと逞しい胸に抱きしめられていた。
名前を呼ぶ声、そして抱きしめるというその行為。
何故クリスがそういう感情を持ったのかはわからないが、間違いなく愛情が込められたその行為にシオンも認めざるを得なかった。
しかし現実はクリスに抱きしめられてベッドに二人で転がっているという状態。
今のシオンは男なのだからこんな状況を人に見られてはあらぬ誤解が生まれてしまうと必死に体を引き離そうとするが、眠っているはずのクリスの腕にはますます力が込められ息苦しいほどだ。
シオンが必死に逃れようと力を入れても、寝転がっていたクリスの体を引き上げて座っているような体勢となった後は、そのままクリスが腕を放すことなくシオンのほうに倒れ込んできたので倒れないようにするのが精一杯だった。
そこで突然『ごすっ』と鈍い音がしたかと思うと、クリスがベッドの下に落ちて倒れていた。そして冒頭の状態になったというわけだ。
(イェシオンは実在しない妹だし、クリスには気の毒だけど諦めてもらうしかないんだよね)
クリスの恋心に気づきはしたが、本当に実在しないのはファシール家次男だということを失念しているシオンだった。
クリスは未だ気まずそうに視線を泳がせ、ユージンは部屋の入り口で腕を組みながら立ったままクリスに睨み付けるような視線を向けている。シオンはそんな空気をどうやって打破しようかと頭を悩ませていた。
「んー? 三人揃って難しい顔なんかしてどうしたんだ?」
呑気な声に三人の視線が集中する。声の主はやはり気は利いても空気の読めないランスだ。
そんなランスの登場によって三人の間に流れていた何とも言えない微妙な空気は消え去り、シオンはランスが空気を読めないことに感謝したのだった。




