29 女装
「おはようございます、イェシオン様」
部屋の外でティカが誰かを呼ぶ声がするが、シオンの寝ぼけた頭ではそれが自分に向けられた言葉だと理解するのに多少の時間を要した。
やっと働き出した頭でそれに気付いたシオンは慌ててベッドから降り扉に向かう。が、その途中で夜着の裾を踏みつけて躓きバランスをくずしてしまった。しかも丁度そこは扉の目の前で、盛大な音をたてて扉におでこをぶつけてしまった。
「イェシオン様っ!?」
「あー、だいじょーぶ……」
シオンは扉を開いてティカを招きいれつつも痛むおでこを押さえながら答えた。
ティカはそんなシオンに何故か身悶えしながらシオンにリオルがダイニングで待っている事を伝えた。一緒に朝食をとろうということらしい。
ティカは準備の為と先に下がったので、残されたシオンは手渡された冷たく冷えたタオルをおでこに当てながらリビングへと向かった。
(やっぱり昔からスカートの類は苦手だ……)
はぁ、と溜息をついて『昔』を思い浮かべる。
紫苑であった時もスカートは中学生の時の制服以外で着たことはなかった。
あまりにも似合わないその制服が嫌で、高校は少々遠かったが私服の学校を選んだのだ。何故か臣までも一緒の学校に入学していたのだが。
可愛らしい服など似合わずに男物の服ばかり着ていた過去の自分。
あまりにも臣そっくりのユージンに出会って以来、紫苑であった頃を思い出すことが増えている。
今思えばあの頃から男装していたようなものだと自嘲気味に笑ってダイニングへと続く扉を開いた。
「おはよう、シオン」
「おはようございます、兄様」
扉の先のダイニングではすでにリオルが席につきシオンを待っていた。
ティカがリオルの隣の席の椅子を引き待っている。どうやらそこがシオンの席ということらしい。貴族らしくない、それでも庶民から見れば大きなテーブルで朝食を済ませる。
メニューはふんわりと焼かれたすこし甘い卵とベーコンにバゲット。そしてフルーツというシンプルなものだ。しかしリオルとシオンの前に置かれていた朝食は同じ内容でも明らかに違っていた。
シオン用に用意されたものは全てがリオルの倍以上の量で、バゲットに関してはどう見ても丸太というようなサイズ。どうやって焼いたかが気になるサイズだが焼いたのがティカなので気にするだけ無駄だろうとシオンは思っている。
ティカは無理そうなことでも難無くこなし、何故かシオンを溺愛しているその言動も全てがシオンにとって不思議な人物だった。
食事を終えるとリオルはシオンをイェシオンの部屋から続く衣裳部屋へと連れ立つ。
昨晩と同じように満面の笑みを浮かべるリオルの背後に並ぶ色とりどりの服を見て、シオンは軽く眩暈を感じた。
「兄様……それは……」
「もちろんイェシオンの服。サイズはティカに確認を取ったから間違いないはずだよ」
「何故ティカが俺のサイズを知っているのかも気になるけれど……やっぱりそれを着ないと駄目?」
「もちろん。それとイェシオンは病弱な少女なんだから、言葉遣いも気をつけないとすぐにばれてしまうよ?」
リオルの言葉にシオンはぐっと言葉を詰まらせる。
確かにばれてしまってはシオンとしての生活のすべてを失ってしまう。
騎士になるという夢も、少しだけがんばってみようとした魔術師の夢も。
そして何より心地よい学園での友人たちに囲まれたあの居場所を。
「イェシオン様、これは負けることのできない闘いです。大切な物を守る為の闘いなのですわ!」
「そうだね、俺がんばるよ!」
「では戦闘準備に取り掛かりましょう」
ティカはさっさとリオルを部屋から追い出し、シオンに本日の勝負服となるワンピースを選ぶ。シオンは嬉々として着替えを手伝おうとするティカからなんとか逃れ、物陰で着替えを済ませる。
カーテンに包まるように隠れつつ顔をだしたシオンにティカが悶えていたのだが、やはり気付かなかったことにした。
「それではこちらに」
シオンはティカに促されるまま椅子へと腰掛ける。
慣れないスカートはやはり歩きにくく、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。
そんなシオンの様子に気付かないティカではなかったが、あえてそれには触れずにシオンに化粧を施してゆく。
化粧が終わると今度はどこから取り出したのか、その手にはロングの黒髪のウィッグがあった。
「まさか……それも?」
「もちろんですわ。少しでもシオン様のイメージと遠ざける為、我慢してくださいね」
ティカの言っていることは正しいのだが、その顔に浮かべている満面の笑みが本心は違うのだと雄弁に語っていた。
しかし化粧をしたからとはいえ短い髪のままでは確かにシオンのイメージに近いのも事実であり、長い髪が基本の貴族の女性としては明らかにおかしい。
しぶしぶウィッグをつけたシオンが鏡を覗き込むと、鏡には病弱な妹のイェシオンの姿が映しだされた。
シオンは化粧とウィッグでよくここまで変えられるものだとティカの腕に感心しながらも、自身でもそれっぽい振る舞いが出来るようにしなくては全てが無駄になってしまうのもわかっている。
これから自分はイェシオンになる。
――打倒クリス。
そう己を奮い立たせながら、拳を突き上げる。後ろではティカがパチパチと拍手をしていた。
ふと鏡を見れば清楚な少女がガッツポーズをするという姿が目に入り、慌てて佇まいを正す。
シオンが部屋の外へ出ようと扉を開けると、ごんと音を立て扉が何かにぶつかって止まった。そっと扉の隙間から確認すればそこにはリオルが額を押さえて立っていた。どうやら先ほどティカに追い出されたリオルはずっと扉の前に立っていたらしい。
隙間から覗き込むシオンに気付いたリオルが溶けそうな笑顔を浮かべたのでシオンは思わず扉を閉めた。




