第22話 二人分の買い物
リリエラが帰ったあと、俺は工房を見回した。
狭い。
昨日も狭かったし、明日も狭い。それはいい。
問題は机の上だった。
金属片にねじ、油布、削りかけの罠軸。床には木屑や鉄粉、炭の粉が落ちている。二つある椅子の片方は、脚が少しぐらついていた。
「……ひどいな」
今まで気にならなかったわけではない。
気にしないことにしていただけだ。
リリエラは何度も来ている。今さらここを綺麗な家だと思っているわけでもないだろう。
だが、明日は俺が呼んだ。
話が少し違う気がした。
机の上を片づける。部品は箱へ入れ、使いかけの油布は吊るす。棚の脇へ少し出ていた長い油布の包みは、いつもの奥へ押し戻した。罠軸は作業台へ移す。
床を掃き、椅子を裏返して脚の留め具を締める。
まだ少し動いたので、薄い木片を挟んでもう一度締めた。座って確かめる。
大丈夫。
「……何やってるんだろうな」
口ではそう言ったが、手は止めなかった。
◇
翌朝。
いつもより少し早く起きた。
目が覚めただけだ。別に、楽しみで眠れなかったわけではない。
朝飯は軽く済ませた。昼に食うからだ。
水を汲み、炭を足し、鍋を見る。昨日磨いたので、いつもより少し綺麗だった。
机も広い。
二脚の椅子も、両方ちゃんと座れる。
何となく落ち着かないので、仕事をすることにした。
ベルダの罠軸の三本目を削り、そのまま四本目も削る。長さを合わせ、頭を作って穴を開けた。
穿孔台を使えば、足で踏むだけで刃が回る。両手が使える。
「……楽だな」
もっと早くやればよかった。
そう思うものが、最近少し増えた。
籠。穿孔台。
それから……何だろう。
考えているうちに、扉がどんどんと鳴った。
工具を置く。
「開いてるよ」
扉が開いた。
「おはようございます」
リリエラが立っていた。
今日は職員章がない。淡い色の上着を着て、肩までの金色の髪もそのまま下ろしている。
見慣れているはずなのに、少し違って見えた。
仕事帰りではないからだろう。これから仕事へ行く顔でもない。
休みの日に、俺のところへ来た。
「おはよう」
「早すぎませんでした?」
「いや。ちょうどいい」
「よかったです」
彼女が笑う。
朝の光が髪に当たって、綺麗だなと思った。
もう、そこまで否定する必要もない気がしてきた。
綺麗なものは綺麗だ。
だからどうするかは、また別の話である。
「何か持ってる?」
リリエラの手に布袋がある。
「買い物用です。今日は私も持ちますからね」
「別に、持たせないとは言ってないよ」
「キーラさん、一人で持とうとするので」
「籠あるし」
「私も袋あります」
「そうだな」
変なところで張り合う必要もない。
俺は中古の籠を持ち、リリエラは布袋を持つ。
二人で工房を出た。
◇
南市場までは行かなかった。
昼飯の材料なら、無光街の外れにある小さな市場で足りる。
野菜、パン、肉、魚。品数は少ないが、そのぶん歩かなくて済む。
「何食いたい?」
聞くと、リリエラは少し考えた。
「キーラさんが作るものなら何でも」
「それが一番困る答えなんだよ」
「じゃあ……煮込みがいいです」
店先の野菜や干した豆、小さな根菜、香草。その向こうに並ぶ鶏肉を見ながら答える。
「鶏?」
「はい」
「じゃあ鶏にするか」
肉屋へ行き、値段を見る。
少し迷った。
いつもの俺なら端肉を買う。煮込めば同じだし、骨が多くても出汁になる。
ただ、今日は少し肉の多いところを指した。
「これ、二人分」
店の女が包み、俺が金を払う。
リリエラが横から覗いた。
「私も出します」
「いいよ」
「でも」
「俺が誘ったからな」
「……はい」
素直に引いた。
その代わり、次の店で赤い小さな実を一袋買った。
「それ何?」
「食後です」
「酸っぱいやつだろ」
「甘いですよ」
「酸っぱいよ」
「甘いです」
「じゃあ任せる」
「はい」
そこは彼女が払った。
続けて野菜を買う。玉ねぎ、根菜、豆。それから香草を少し。
リリエラが香草を手に取って匂いを嗅いだ。
「これ、好きです」
「じゃあ入れる?」
「入れていいんですか?」
「食う人が好きなら」
それも買った。
いつもなら買わない。なくても煮込みは作れる。
だが、あったほうが今日の昼飯にはいいらしい。それでいい。
最後にパンを買う。
昨日より少しいいものを、二つ。
「キーラさん」
「うん?」
「今日、いつもより買ってません?」
「二人だからな」
「それだけですか?」
「……肉が少しいい」
「やっぱり」
「悪い?」
「いいえ。すごく嬉しいです」
嬉しそうにそう言われると、肉の値段くらいは、まあいいかと思った。
◇
工房へ戻る。
炭へ火を入れて鍋を置き、まず鶏を焼いた。表面に色がついたところで一度取り出し、玉ねぎと根菜、水、豆を入れてから鶏を戻す。
「何かします」
リリエラが袖をまくった。
「休みだろ」
「料理は仕事じゃないです」
「俺が呼んだのに」
「一緒に作りたいです」
そう言われると、断る理由もない。
「じゃあ、香草ちぎって」
「はい」
リリエラが机へ向かう。
作業を始めると髪が前へ落ちたらしい。邪魔だったのか、手首につけていた紐で後ろへ束ねた。
首筋が出る。
俺は鍋を見た。
火加減は大事である。
かなり。
「このくらいですか?」
横から声がする。
「うん。もう少し細かくてもいい」
「はい」
細い指で香草をちぎると、少し青い匂いが広がった。
こうして見ると、不思議なものだ。
数日前まで、彼女が俺の工房へ来ることを、俺はただ受け入れていた。
来たいと言うから、茶くらい出す。手伝うと言うなら、危なくないことを任せる。それは心地よかった。
ただ、今日は違う。
俺が呼んだ。
肉を買った。椅子も直した。床も掃いた。
彼女が来る前提で、自分からやった。
……結構やっているな。
少し恥ずかしくなった。
「キーラさん?」
「うん?」
「火、強くないですか?」
「あ」
強かった。
慌てて炭をずらすと、リリエラが笑った。
「珍しいですね」
「たまには失敗するよ」
「知ってます」
「知ってるのか」
「はい」
何だろう。
前なら、少し格好をつけたかったかもしれない。
今は笑われても、それほど嫌ではなかった。




