❨ 序幕 【 抱かれた布 】
「 ニコラス、早くこっちに来い!」
その声は興奮のせいか弾んでいた。
顔も見せず、風のように走っていく。彼の意識はとうに正門へと向いている。
「オズワルド!」
名を呼ぶ声はすぐに人の波に溶けていく。
正門前の広場に聖者たちがひしめく中、ニコラスは隙間を縫うようにその跡を追った。
オズワルドの足が止まる。あの群れを掻き分けた先は、特等席と呼んでも過言ではない。わざわざ身をを乗り出してオズワルドは正門の先を見つめ、言葉を零す。
「やっと……」
目を輝かせ、オズワルドはその時を待つ。遅れてそこへやって来たニコラスは、絶え絶えになる息を吐きながら両手を膝に乗せ前屈みになる。
「……急に走り出すの、止めてくれ……はぁ、はぁ」
声を呼吸に混ぜ、言葉を発するがオズワルドは全く気にも留める様子もない。
「日頃鍛えている、従騎士のお前体力と、……ただの聖者、はぁ、の私の体力、を……」
ニコラスは垂れて来る汗を手の甲で拭い、こちらを一切見ないオズワルドの後頭部を睨みつけた。
「 一緒に、するな……!」
「…………」
ニコラスの声はオズワルドには届かない。
祭事でもあるかのような賑わい。
この場に集まった下級から上級聖者たちの顔も色づいているように見えた。
聖都に知らせが届いてはや三日。
そして本日、数年ぶりにムーンライト全員がこの月宮に一同に会するとあって聖者たちは浮き足立ち、この騒ぎ。
「大司祭様と、枢機卿様がこちらにお越しだ」
群れの中のひとりが声を張る。
視界の端に映った大司祭、枢機卿が群れの中を裂き、堂々と前に進みでた。
大司祭の白い聖衣に金糸の刺繍。高位の聖者が袖を通すことを許された証。大司祭は長い髪を靡かせる。
その後ろを黒地に銀糸を刺した衣を纏う枢機卿が横を過ぎていく。その衣を着ていなければ、誰も彼を枢機卿だとは誰も思わない。歳若い青年枢機卿は影も見えない門の先を静かに睨みつけていた。
鋼がうねり、鋼鉄の響きが月宮へと反響し、地の揺れを靴底が覚える。
到着は近い。
天へと見せつけるかのように、第一騎士団 別名は白銀の旗をはためかせた。
「───見つからなければ、良かったものを」
耳をそばだてねは聞こえぬ声。その声は風に攫われる。
ニコラスは恐れながらも、顔を見上げた。そこにあったのは、唇を噛む枢機卿の姿。
ギロッと凍てつく瞳が、ニコラスを刺した。ニコラスは慌てて視線を逸らす。
何も言わぬ枢機卿の強い視線を肌で感じつつ、ニコラスは己の手の甲を撫でた。
───コツ。
──────コツ。コツ。
張り詰めた糸が緩む。
ニコラスはそこで息を、吐いた。
「白銀が到着したぞ!!!」
そう誰かが歓喜の声を上げる。
オズワルドは走り寄りたい衝動を必死に抑えるように、手のひらに爪を立てているが、焦燥感には勝てない。
身体が左右に振れていた。
「よく戻られました。フェイバリット」
騎士団の先頭で馬から降りたフェイバリットへと大司教は声を掛けた。フェイバリットは銀鎧を鳴らし、声の主へと身体を向ける。
「これは、大司教様と」
声が止む。
フェイバリットは大司教の後ろに立つ男へと視線を上げた。
「枢機卿に出迎えて頂けるとは、思いもしませんでした」
歓喜に包まれる正門前だが、この三人を取り巻く空気が淀む。
「……なんだ?迎えに出ない方が良かったか」
腕を組む枢機卿の片眉がつり上がった。
「…………」
妙な沈黙が流れる。
その中でも、周りは歓迎の輪が広がっていく。
「……あのお方は?」
淀む空気を切り裂くように大司教が口火を切った。
「あちらの馬車におられます」
フェイバリットは枢機卿からすぐ後ろにある馬車へと視線を投げた。
「今は、落ち着いておられるのですか?」
「はい。問題はありません」
大司教は息を大きく吐くと、目元を緩ませた。
「それは良かった。では、ゼフィール様は私が連れて行きましょう。それと……」
大司教はフェイバリットの背後を確認する。
ある男の影を。
「ホムラはどうしたんだ?」
間髪入れずに枢機卿の声が鳴る。細めた目がフェイバリットを射殺す。
フェイバリットは目を伏せ、さらっと答える。
「そのうち戻られると思います」
「なに?」
「あの方たちのお考えなど、凡人である私が分かるはずもないので」
見開いた瞳は枢機卿へと向く。
瞳の奥には感情はない。
「──生意気な奴、だ」
落ちた声を拾う者はいない。
「団長!」
隊列の中から声が飛ぶ。皆の視線がその者へと集中する。
声を上げたひとりの騎士。
騎士は白い布に巻かれた何かを大事そうに腕に抱く。
「……どう、されますか?」
どうしたら良いか分からぬ声。騎士の表情は固い。
フェイバリットは答えず、ゆっくりと枢機卿へと視線を戻した。彼が答えを知っているかのように。
「……枢機卿、お答え願います」
フェイバリットは頭を軽く下げると、低く重たい声で告げた。
「私に押し付けるのか、その役を」
誰も口を開かない。
ただ、音が流れていく。
「───能無しどもが」
枢機卿は人目も憚らず舌を鳴らす。
「……オイ、そこの下っ端」
枢機卿はポッケに両手を入れ悪態をつきながら、傍にいたニコラスを射抜く。
ニコラスは肩を大きく揺らし、枢機卿の視線を受け止めた。
「着いてこい」
それだけ言い放つとニコラスを待たずに枢機卿は来た道を戻って行く。
訳も分からず、立ち尽くしているニコラスに大司教が声を掛けた。
「ニコラス、早く枢機卿のもとへ参りなさい」
優しく手を差し伸べるかのような声。背にニコラスは足先を枢機卿の背へ向けた瞬間に、畳み掛けるように枢機卿の声が爆ぜた。
「───おい」
踏み出した足が震えた。
枢機卿は目で合図する。
「あの騎士から、
───アレを受け取れ」
そう短く告げた。
ニコラスはコクリと頷くことしか出来ない。
言われたままにニコラスは騎士へと駆け寄る。
少し鼻につく微かな匂い。
匂いの元は、ニコラスには分からない。
「重いから気を、つけなさい」
騎士はニコラスをそう気遣う。
ニコラスは手を差し出すと、鼻をつく匂いがキツくなるのを感じた。
なんなんだ……これは。
腕に重みと、柔らかな物を感じる。
騎士の腕が離れた。
ズシッと全ての重みがニコラスにのしかかった。足がふらつき、体勢が乱れる。
ガシッ。
それを支えるように握られた両肩。
ニコラスは顔を上げた。
「……オズワルド?」
オズワルドはニコラスの腕からそれをひったくる。
その時だった。
白い布から血の気のない蒼白い腕が、
────落ちた。
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